「図書室」にて②
敢えて名状するまでもなかろうが、ここで言う「場違いな音声」とは、所謂「含み笑い」によってもたらされたものである。正直言って私は「含み笑い」というのが厳密にどのような笑い方を指すのか知らないのだが、まあ何となく、そういう感じがした、という風に受け取っていただければよろしい。むやみに大きいというわけではないが、気にならないほど小さいというわけでもないその「笑い声」は、どこからともなくそしていつからともなく発生し、気づいた時、両の鼓膜を小刻みにかつ激しく震わせてくれていたのだ。
「図書室」で笑い声が発生すること。もちろんそれ自体が部屋自体のアイデンティティを奪いかねないほど、問題含みな事象であることは否めない。
だがしかしその「声」は実際には、単に「場違い」という以上に決定的に悪質な性質を備えていたとして、確実に糾弾されておかなければならない。
ほどなくしてその「性質」について、望まずして認識させられた私は立ち上がり、書架の陰から「笑い声」の聞こえてきた方を見た。
「……どういうことだ……?」
問題の「声」の主は、書架に隠れた私の位置からかなり遠い席に陣取っていた。部屋の入口を基準にすると、左奥の壁際ということになる。だがこの場合の真の問題は、その厳密な「位置関係」ではない。それなりの距離で隔てられていたにも拘らず、「笑い声」が耳の奥へとねじ込まれるような、確かな「質量」を伴って届けられたことこそが重要だった。とは言え、声が大きかったというのではない。ポイントは「音量」ではなく、「種類」にこそ存する。
デリケートな事柄ではあるが明け透けに名状してしまえば、その「声」が2人の仲睦まじい男女によって発せられたものであったこと、それこそが唯一にして最大の問題だった。整髪剤で髪の毛を剣山のように鋭く逆立てた男が、角質の目立つ大きめの鼻を、隣に座るオナゴの、昆布を彷彿させるレベルで量が多く、かつハケで濃く塗りつぶしたかのように真っ黒な毛髪の中にうずめるようにして何事か囁き、かと思うと今度は女の方が、男の耳もとに口を寄せ、今にもその耳たぶに噛みつかんばかりの距離で、やはり何事かを囁き、そして互いに気色の悪い笑みを浮かべ合うということを繰り返していたのだ。要するに、「セックス」である。そいつらはわざわざ「公民館」の「図書室」という「公共空間」において、「セックス」にせっせと励んでいたわけだ。あたかもこの私に見せつけでもするかのように……、いくら21時過ぎとは言え、サカりすぎではないのか? ホテルの一室と間違えたのか? ……いずれにせよ、たわけている、あまりにたわけていすぎる……。
ところで、私が今ここで赤の他人同士の換喩的な性行為について詳しく描写したのは、ただ単にその様子を紹介したかったがためではない。オナニー覚えたてのサルではあるまいし、そんなことをしていったい何が面白いというのか? だからそうではなくて、この明らかに間違った状況は、その実、私に確かに以下の通り、ある種の「天啓」をもたらしたのである。
……このところ俺に訪れているあらゆる困難の要因は、もとを辿って考えれば、全て「俺が童貞である」という点こそに求められるのだ……。
「童貞」が「悪」であり、一刻も早く「捨てなければならない」ものだ、という考えは、件の問題から縁遠い者からすれば、あまりに低俗で短絡的で、かつ幼稚なものであると思われるかもしれない。まさしく「中二病」というわけだが、その類のレッテル貼りは、実際には生まれながらの「特権者」が振りかざすあまりに屈託ない「優越意識」の所産に過ぎない。ある人物が「童貞」で終わるか否かは、間違いなく、非常に重要な「二者択一」であり、蔑ろにされた場合、人類の存続をゆるがしかねない究極の「トロッコ問題」である。お分かりいただけるだろうか?
いつも通り、頭に思い浮かんだことをただ単に垂れ流すのではなく、客観的かつ論理的に思考を展開していこう。
まず例えば「多様性の時代」とかいうのを旗印に掲げ、「童貞」であることを恥じず、「それも1つの生き方だ」などと肯定する風潮が到来した場合について想定されたい。すると「会話する」・「買い物に付き合う」・「一緒に食事をする」・「お金を支払う」だのといった、煩わしい諸々を甘んじて受け入れてなお、大して好みでもない異性と付き合おうとする者は減少し、結果的に出生率にもまた大幅な低下が見込まれるだろうことは想像に難くない。なぜならその場合、「童貞」は「恥ずべきこと」ではなく、1つの「個性」として受容されうるからだ。「恥の有無」は人間の心理や行動に対し、それほどまでに大きく左右するのである。
だが、道で光に照らされたのを機に回心したパウロよろしく、私が形而上学的な意味合いで「打ちのめされる」に至ったのは、その「恥」の感覚をくすぐられたがゆえではない。「童貞」であることそれ自体に備わった、ある種の絶対的な「不完全性」を改めて突き付けられたためだった。「恥ずかしい」、だから、「童貞を捨てなければならない」、と考えたのではなく、「童貞」にはそもそも決定的に欠けているところがあり、その「欠如」にこそ、私をじっとしていられなくさせる要因があったということだ。つまり必要なのは、第三項を持ち出して「童貞」状態にわかりやすい意味を与えることではない。その概念を厳密に分析することである。
実際にここで早速「童貞」自体の「分析」に取り掛かってみよう。するとすぐさま引き出されてくるのは、それが「未経験」という別の概念と表裏一体関係にあるということだ。考えてみれば当然だ。「童貞」というのはそもそも、性体験を持ったことがない男性を主に指示する表現なのであるから。
そして翻って考えれば、「経験がない」というのは、殊に「名探偵」としては致命的な欠陥であると言える。なぜなら「推理」の精度を高めるためにただ高度な脳みそがあるだけでは足りず、知識や経験が絶対に必要となるからだ。いくらよい鍋があっても、材料がなければ何も作れないのと同じことだ。
実際、「童貞」である人間には、「童貞」でない人間の心理を完全に把握することなど決してできるはずがない。そしてだとすれば、「童貞」の「名探偵」は、犯人もまた「童貞」の場合にのみ、十全に力を発揮することができるということになる。その状態がいかに「不完全」なものであるかについては、もはや言葉を尽くさずとも明らかだろう。要するに、そういうことだ。




