9月24日㉒
「チガウ」
「え?」
「違う、悪いのは俺じゃない、俺は純愛だ、一途に昔の約束を守り続けていただけ……、それなのに裏切ったのはあいつだ、そう、あいつが裏切ったんだ、ユウコの野郎……、俺の知らないうちにグレちまって、俺の許可も得ずにヤンキーどもとつるむようになっていやがった、レジの前でヤンキーどもに絡まれて困惑している風だったから助けに行ってやったのに、そんな俺に対しても、『誰?』だと? それでヤンキーどもと一緒になって俺のことを笑いものにしやがって……信じてたのに、俺のことが気になってるって、小学校の時は言ってたのに……、クソ、騙しやがって、ぜってえ許さねえぞあの野郎、ユウコ、ユウコッ、ユウコオオオオオオオオッ!」
Mは驚いた表情で固まり、助けを求めるようにこちらを見た。しかし程度の差こそあれ、「驚いた」という点では、私もまた同様だった。なぜなら気づいた時、既にMの背後にオオタニが立っていたからだ。つまり「違う」から始まる長台詞は、奴の口から発せられたものだということになる。
「……お前、いったい、どこに……」
私がかろうじてそう呟くと、ようやく自らの「役」を思い出したのか、口調だけは「いつも通り」に戻してオオタニは言った。
「キクチさんも、騙されちゃダメすよ、俺があんたであんたが俺だなんて、そんなことあり得るはずないじゃないすか」
「……うるせえよ、そんなこと、お前に言われるまでもなくわかってるんだよ、そもそもお前のせいだろ? お前が勝手にどこか消えるから、俺はここから出るタイミングを失って、わけのわからない与太話を甘んじて聞き続けなけりゃならなくなったんじゃねえかよ……、一人だけなら、いつでも脱出できたのに、結果的にこのザマだ、どう責任とってくれんだ? ああ?」
私の問いかけに対し、オオタニがまたもや人が変わったかのようなぞんざいな口調で吐き捨てる。
「そうやって何もかもを他人のせいにして、現実から目を逸らしてばかりいると、そのうちに取り返しのつかないことが進行してるということに、なぜいつまでも気づかない?」
「は? ……お前まで『ゲンジツ』について語ろうとするわけか、忌々しい……、だがその言葉、そっくりそのまま、お前に返すよ」
「ヨオオコオオオッ! カンタアアアアッ! どこおおおおおおおっ!」
今度はそれまでの全ての物音を「過去」にするほどの叫び声が響きわたった。
初めこそビクついた私だったが、意外にもすぐ前でオオタニが突然登場してきた時ほどの「驚き」はなかった。恐らく同様の事態を既に何度か経験していたことで、そのような出来事がいつかまた起こるかもしれないと、無意識のうちに耐性ができていたのだろう。実際その時の私は「思い返してみると、お得意の般若心経がしばらく前から聞こえなくなっていたな」などと他人事のようにぼんやり思い浮かべるだけで自らを保っていられた。もちろんここで言う「同様の事態」とは、Mの親玉であるらしいZが、文脈を無視して好き放題喚き散らすという展開を指している。まだ姿を現していなかったので、本当はそう断言できるとは限らなかったのだが、他にいかなる可能性が考えられるというのか?
そして実際、ほどなく戸口に現れたZは、私たちに向けてこう言い放った。
「今から行くから準備しなさい」
「行く? どこへ?」
これはMの反応である。私も同じようなことを思ったが、Hの関係者についてはそもそも理解しようとするのが間違いなのだとわかっていたので、疑問を口に出すことはしなかった。おかげでその後の会話には参加せずに済んだ。とは言え代わりに目の前で2人がやり取りを交わし合うのを見せつけられる羽目に陥ったのだから、結局「五十歩百歩」だったと、言えなくもないわけだが……。
「デパートよ、決まってるじゃない」
「なんで? もうだいぶ夜遅いよ」
「遅い? まだ9時とかだろ? 夜はこれからだ」
「コレカラ……って、確かに『夜』は『これから』かもだけどさあ、でも閉館時間は11時とかじゃなかった?」
「まだ1時間以上あるじゃないの、それにどうせ、あの子を迎えに行かなきゃならないし」
私がそこでため息をつくと、いつの間にか並んで机に腰かけていたオオタニが諭すように語り掛けてくる。
「どうすか? これでわかりましたよね? このままじゃあ、ずっと同じすよ、あんたは永遠にこのままだ、永遠にこのまま、決してここから逃れられないまま、煮え湯を飲ませられ続ける、いや『煮え湯』どころじゃない、仰向けに手足と首を固定され、口も開かされて、上から気化寸前の熱湯を喉の奥に向けて注がれ続ける、苦しくても苦しくても、身動きさえ取ることができない、それが今のお前の状態だ、それが嫌なら、わかるな?」
「ワカルナ……って、言われても何も」
「カンタッ! あんたも行くのよ、一人でブツブツ言ってないで、早く準備しなさいっ!」
口に仕掛けた言葉をZに遮られた私は、まさしくそのことにより、何をすべきなのかを唐突に理解した。
「……ああ、そういうことか、愚問だな、じゃあ行くとするか」
「ちょっとどこ行くのよ」そう問いかけてきたのはZではなくMである。
「うるせえなっ! 気軽に声かけるんじゃねえ、テメエはあのクソババアの世話でもしてろ、俺には今すぐにやることがあるんだ」
私は立ち上がり、引き戸を開けてベランダに出た。想像していたより風が強く吹いていて、「管」を上って「アジト」を訪れた8月末から、確かにいくらかの時間が経過したのだと思った。まさしく「諸行無常」、たとえ止まっているように見えたとしても、実際には事態は刻一刻と変化を続けているというわけだ、その調子で、俺にもそろそろ好機が訪れてはくれないだろうか……。
だがもちろん、感傷に浸っている場合ではない。
一息だけついた私は、「早まるなっ!」だの何だのという狂気じみた声に後押しされるようにすぐに柵を飛び越えると、自転車置き場の屋根を経由して外の世界へ繰り出した。




