9月24日㉑
私は、Mが示した見開き2ページを読み終えた後、ノートを引き取り、さらにもう4ページ分、目を通すことを続けた。とは言え、もちろん興味が沸いたのではない。それどころか、「興味」の「き」、いや「k」の字さえ、全く芽生える兆しもなかった。まああんな一ミリたりとも意味のわからない妄言と紙一重のものを長々と見せつけられたのだからだ当然と言えば当然だ。
だからそうではなくて、強引なMの指示、及び前々からの高飛車な態度に心底ムカついていた私は、「ならばその『指示』の先を行ってやろう」と、柄にもなく意地になって平気なふりを続けていたというのだった。
だがしかしさすがにそこまで(6ページ)が限界だった。それでもよく我慢できたものだと、私は自分で自分を褒めてやりたいと思う。
そのくらい、非常に不愉快な読書体験だった。いや、本当のところを言えば、それは「読書」ですらなかっただろう。もちろん、否定されるべきなのは、「書」ではなく「読」の方である。なぜなら私には、その「手記」とやらが何らかの有意味な内容を持つものだとは決して思えず、むしろ量・質ともにオゾましさの度合いが完全に振り切れきった、ある種の「呪詛」に近接したものと感じられていたからだ。
自分にとって理解できないものが、実際には何か重要な意味を帯びているらしいという状況……。期せずしてその中に放り込まれた者は、容易に想像できる通り、例外なく強烈な「疎外感」をはじめとする「嫌な感じ」に襲われるものなのである。
私は6ページ目の終わりまで来たところでノートをMに返そうと考えたがすぐに馬鹿らしくなり、上げかけた手をそのまま身体の脇に下ろした。視線も足許に落としたまま、呟く。
「……終わってるな、だがまあいい、貴様が終わっているというのも、また自明なことだ、話を元に戻そう、そもそも俺が『ナンデ』なのか聞きたかったのは、その『ゴミ』の生産者に対して貴様が寛大である理由じゃない、そうじゃなくて、『名探偵』の物真似をするようになったとかいう、そのクソ面白いユニークな野郎は、いったいなぜ、そんなことを始めたのか、ってことだ、なんでだ?」
「それは……、知りたいなら、まず最後まできちんと読んでみなさい」
「ふざけてんのか? ……あのなあ、わからねえか? 俺は今貴様、いや貴様らの『お遊戯』に無理やり巻き込まれてるんだぞ、本来であれば今すぐ『多大なる精神的苦痛を与えられた』という理由で裁判起こして戦ってやってもいいんだ、そうしたら貴様らは今度こそ完全におしまいだよ、だが、所詮『道楽』に過ぎない事柄に対して本気で立腹し、相手を社会的に抹殺してやるというのも、それはそれで大人げないかと思い、だから仕方がないから、嫌々付き合ってやってるんだ、まさしくボランティアだ、そうだ、それが、それこそが『現実』なんだ、なのになんでだ? なんで視界に入れただけで不快感で全身の毛が逆立つような代物を、わざわざこれ以上の時間を費やしてさらに熟読してやらねばならんのだ? おかしいだろ? 明らかに間違ってるだろ? ……それでもどうしても俺にそれを読ませたいって言うなら、まず読みたいという気持ちが起こるように、貴様がかいつまんで内容を教えてくれよっ!」
「……でもあたしが何言っても、あんたはどうせ信じないんでしょ……」
Mは気乗りしなさそうに力なくそう呟いたが、結局「読ませたい」という気持ちには抗えなかったのだろう、私が最初にどこまで読んであったのかを確認した後、言葉を繋いだ。
「……マジで全然読んでねえんだな、昔はもうちょっと、根気があったはずなのに……まあいいわ」
「……」
「とにかくあんたは女の子とお近づきになりたいという『夢』を持ってたわけね、それを『不倫』と呼ぶのが正しいかどうかは別にして、でも確かに、その課題が『夢』と名指していいくらい困難な課題だったことは認めるわ、あたしだって、いまだに男の人とお付き合いしたことがないもの、……どちらももういい大人なのに姉弟そろって『経験』がないとか……、環境に要因があるとしか思えない、ハハッ、笑える、何も面白くないけど、笑うしかない……、でもちょうどそんな頃だったわ、あんたに『人生の春』が訪れたのは」
「『春』……って、季節は『夏』だったはずだが」
「ただの比喩よ、余計な口出しはしないで!」
「ただの冗談だろ、怒るなよ」
「……確か7月に入った頃か、いや、もう少し後だったかもだけど、とにかく7月の前半ね、あんた偶然、小学校の頃に少し交流のあった女の子が、コンビニで働いてるのを見つけて、昔バレンタインの時にチョコレートもらったことがあったものだから、『これは運命だ』とか言って勝手に舞い上がっちゃってね、ハハハ、アニメの見過ぎによる弊害かしら、ハハハ、とにかく、それでコンビニに通い詰めるようになって」
「……」
「で、その相手がユウコ、ハギワラユウコよ」
「……へえ、ここでそれに結びつけるわけか……、ご苦労なことだ……」
「でも、結果はダメだった、というか、当たり前よね、いくら昔知り合いだったからって、小学生の頃でしょ? 当時と全く違う外見の、プロレスラーというより力士に近い体格のバカでかい男が、しかも髭は剃ってないからまさに『泥棒』、髪も切ってないからまさしく『類人猿』、といった感じの変質者スタイルをダブルコンボで兼ね備えた怪物じみた風貌で、毎日毎日通い詰めてくるんだもの、冷静に考えて怖すぎる、あたしでも通報するわ」
「……やけに詳しいじゃねえか」
「当たり前でしょ姉弟なんだから、あんたのことであたしが知らないことなんてあるわけないでしょ、姉弟なんだから」
「……2回言うなよ、しかもその理屈は、間違ってるだろ……」
その時、長らく停滞し硬直した空間に、突如として修復不能な亀裂が走った。




