表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
117/168

突入⑫

 もちろん、当該時点における私が、「突き刺した」とはっきり認識していたとするのは、さすがに無理があるだろう。せいぜい疑問符付きの「つきさした?」ぐらいがいいところのはずだ。混乱の度合いが一瞬で許容不可能な程度にまで高まっており、思考の拠り所にできる確かなものが何一つ存在しない。それこそその時の私の状態であり、だから事態の正確な把握には、今しばらく時間が必要とされたのだった。

 だが結局のところ、過去の一時点における私の認識のプロセスをいくら詳細に分析してみせたところで、全く何の意味もありはしない。なぜならこの時私の目の前で起こった出来事は、「認識」されようがされまいが、そんなことには全く拘うことなく、そもそも「存在」として、決して発生してはならない類の事象だったからだ。

 試しに一度名状してみよう。

 大の大人が、突然いきり立って人形に刃物を突き立てること。

 それはどこからどう見ても完全に間違っており、本来いかなる可能世界においても現出を確認されることがない。要するにそういうことだ。

 しかし残念ながら、と言うべきか、そこはまだ「どん底」ではなく、それどころか所詮「序の口」の、そのまた手前でしかない。

「人形」を「(一度)突き刺した」というだけで満足して矛を収めてくれるなどというのは言わば「希望的観測」というやつに過ぎず、オオタニは結局同じ「突き刺す」というアクションを際限なく繰り返し続けながら、怪物じみた咆哮を部屋の中に響き渡らせてくれた。そう、誤って関わってしまった者を不幸に陥れることしかしないその事態の尋常ならざるヤバさを、さらに数段、深めていこうとするかのように……。

「悪いのはお前だよ、ユウコ、ユウコ、ユウコッ! 何がそろそろ終わりにしたいだ? ああ? 終わりなんてないんだよ、俺たちはずっと一緒なんだ、そう誓ったじゃないかユウコ、ユウコ、なんでそんなこと言うんだユウコ? もしかしてお前まで俺を騙したというわけか? ユウコ、ユウコ、ユウコオオオオオオオッ!」

「……」たわけている、あまりにたわけていすぎる……。

 事態が一応の収束を見たのは体感にして2時間以上が経過した頃だった。それまで私がひたすら、例の「心頭滅却」を唱え続けていたのは言うまでもないが、「火」さえ「涼し」く感じさせてしまうというその驚きのパワーワードさえ、私の心身を真の災いから守り切るためにはあまりにも力不足のようだった。何しろ、ここで言う「収束」とは、「それ」が執拗に刃物で屠られ続けて、中身の綿をオオタニに食い尽くされ、最終的に原型を失うに至ったことを指し示しているからだ。そう、オオタニは「ミ●ーマ●ス」の文字通りの「ハラワタ(腸=腹の綿)」を、余すところなく全て食べ尽くしてしまった。……そんなにもお腹が空いていたのだろうか? もしくは一種の愛情表現のつもりなのだろうか……? はっきりとはわからないし、わかりたくもないが、とにかく私は気色悪くなってしまってその場で嘔吐してしまい、その吐瀉物の香ばしい臭いにさらに吐き気を催されてもう一度ゲロを吐き散らかした。ずいぶん久しぶりの嘔吐体験である気がし、だからなのか、胃の中身が食道を逆方向に駆け上っていくのに合わせ、全身が大きく打ち震えるのを感じる。

 そうして全てが終了した後、オオタニと共に床に倒れ込み、四つん這いで荒い呼吸を繰り返し出した私に向け、頭上から言葉が発せられた。

「あんた、何してんのよ? 大丈夫?」

 ほんのわずかだけ身を起こし、うつぶせの態勢のまま斜め後方を見やると、Mの姿が視界に飛び込んできた。人にあれだけ偉そうに言っておいて、まだ着替えを済ませていないらしく、スポーツウェアを身に着けたままだ。腕組みをして立ち、勝ち誇ったようにこちらを見下ろしている。ハーフパンツから伸びるか細く折れそうな脚と、床から立ち上る据えた臭いに顔をしかめながら、私はかろうじて言った。

「ダイジョウブに……、見えるか?」

 本心からの問いかけだったが、いつも通りまともな答えが返ってくることはない。

「あーあーあーあー、そんなに盛大に汚しちゃって……、どうすんの? そこの床、絨毯だから、拭き掃除もできないのに、ほんのどうすんのよ? あいつ絶対ブチ切れるよ、よくてせいぜい半殺しだよ? ……いや、ホントにこれは厄介なことになったな」

「……うるせえな、質問された時は聞かれたことだけに答えてればいいんだ、余計なことは喋らなくてよい……、それにしても、明らかに調子の悪そうな俺の容態よりも絨毯の方を心配するわけか……、やっぱり貴様らはどうかしてるよ」

 やはり努めてゆったりと喋る私に対し、Mは焦っているかのように早口だった。

「は? 御託はいいから、さっさと立ち上がって早く綺麗にしなさいよ、こっちまでとばっちり受けたらたまったものじゃない……、でも、あたしは手伝わないからね、いつもいつも、困って手を拱いてたらお姉ちゃんが現れて何でもやってくれると思ったら大間違いだから」

「オネエチャン……? いや、だが悪いのは俺じゃない、そこで伸びているオオタニだ、というか本当は分かってるよな? Hに属していながら、『黒幕』のことを知らないなんて、そんなことはあるわけねえよな?」

 そう言いながら身を起こし、胡坐をかいた私はすぐにオオタニを指さした。奴はまだ這いつくばったままで、それどころか微動だにさえしなかった。先には主に体躯の大柄さ故、台所のカウンター上に寝そべった様をトドに擬したが、今回は乾眠状態に入ったクマムシを彷彿させる出で立ちに思えた。

 だがMからしてみれば、オオタニの存在はやはり隠し通さねばならない類の、言わば「企業秘密」であるようだった。その証拠に奴はこの期に及んで不自然に惚けることをした。

「ねえ、だから、さっきから何度も出てきてるオオタニって何のことよ? ここにはあんたしかいないじゃないの」

「……わかってて敢えて知らないふりしてるんだよな? そうやって最後まで『黒幕』の正体を隠蔽するつもりなんだよな? その心意気だけは認めてやるが、だとしても、もう、そのへんで、やめてくれ、これ以上茶番を続けられると、さすがに俺の精神が持たない」

「精神が持たない……って、それはこっちのセリフよ……、あ、そうか、そいつね? そいつがオオタニなのね?」

 今度はMの方が指をさす。枯れた木の枝のようなその指が向けられていたのは、先にオオタニが食べた「ミ●ーマ●ス」の、打ち捨てられたまま放置された残骸……。

「やるじゃない、単なるゴミに人間の名前つけるなんて、誰にでもできることじゃない、さすがと言うほかないわね」

「は? ……いや、違う、こいつは……、ユウコ」

 私はオオタニの、文字通りプライドを賭した咆哮を思い出しながら、とぎれとぎれにそう答えた。少し言葉に詰まりはしたものの、即興にしては我ながらなかなかうまく答えられたものだと、私は思った。だがそこでまたしても予想外の答えが返ってきて、主導権は再びMの手に譲渡されることとなる。

「ユウコ……って、もしかしてハギワラユウコのこと? あんたもしかしてあの子のこと、まだ諦めきれてないの?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ