突入⑨
……長らく「スパイ」であるとして疑っていた人物を、まさしく敵の根城にて発見したこと、そのことは本来、敵を窮地に追い詰めるための絶好の契機となるはずなのだ、にもかかわらず、敵側の別の勢力とマジで糞みたいな小競り合いを繰り広げている間に、みすみす当のスパイを逃してしまう、本当にそんなことにでもなれば、いよいよシャレではすむまい、あまりに初歩的で、且つ致命的なミスだ、「名探偵」の名を返上しなければならないどころか、「助手」の立場からやり直すことさえ視野に入れなければならなくなるだろう、だからこそ俺は、どのような手段を使ってでも、オオタニを見つけ、ここから連れて帰らなければならない、そう絶対に、このまま最後まで逃げおおせさせてしまうわけにはいかない……。
そんなことを考え、内心ひどく焦ってはいたものの、努めてゆったりとした歩調で辺りの物色に努めた。その間、外野ではZとMが口々に何やらまくし立ててくれていたが、耳に詰めた指がそれら全てを「雑音」として昇華してくれていたため、結果的に「釈迦牟尼」を彷彿させる柔和な笑みを向けるだけで済ませてやることができた。自分を陥れようとしている者たちと対峙する際には、無理にでもとにかく表面的には余裕を保ち続けるという心構えが何より重要となる。そのことをやはり「名探偵」としての経験から私は知っていた。
しかしもちろん、「知っていること」と「できること」は同義ではない。そしてまた、いくら「余裕」を装おうとも、大勢に決定的な影響を及ぼすまでには至らない。
テーブルの下、冷凍室、食器棚の陰、ベランダ……。ソファの中に潜んでいる可能性まで考慮し、座面の上でしばらく飛んだり跳ねたりを繰り返してみてやったが、結果は同じだった。オオタニの姿はどこにも見当たらず、代わりに唯一の「釣果」と言えば、部屋の隅、テレビ台と壁との間の微妙なスペースに、慣れ親しんだ「人生ゲーム」の箱が、立てかけられているのを発見できたことぐらいだった。
もちろんその「ゲーム」の存在は、本来「~ぐらいだった」などと簡単にまとめ上げられて然るべきほどに、価値の低いものではない。なぜならそれはまさしく「事務所」において、私が「シミュレーション」に取り組む際に頻繁に活用するものだったからだ。つまりその「発見」により、〈当のリヴィング=「事務所」内の「応接室」の完全なる「コピー」〉という図式が、私の主観的判断の所産ではなく、客観的な事実として証明されたわけである。
だが反面、「アジト」が私の「事務所」を正確に模倣しているということは、これまでに何度も述べてきた通りであり、だからこそ、今さらその両者の間に「類似」を見て取ったところで、実際には全く何の意味もありはしない。この場合で言えば、「人生ゲーム」の箱が「その位置」にあることは、言うならばただの「常識」であり、それゆえ「ちらりと一瞥しただけでスルーする」というのが絶対に正しい反応だった。
だが私はそうせず、つまり間違えた。
「ちらりと~」どころか、惹き付けられるように近寄り、その箱を手に取ることまでしてしまったのだ。しかも「これは……」とか何とか、間の抜けた呟きを漏らしながらだ。もはや言い訳のしようもない。要するに私は落ち着き払っているようでいて、やはりどこか冷静さを欠いていたということなのだろう。
いずれにせよ、どうやらZは、〝その時〟を待っていたようである。
「●●●●●る?」
指で栓をした耳の中に何やらそれまでとは異なる物音が飛び込んできたような気がして振り返ると、既に奴は私の背後にまで近寄ってきていた。一瞬目が合ったところで口を動かし、何事かを発する。ほんの一拍だけ遅れて、同じ音の把握が繰り返された。
「●●●●●る?」
そうして何となく苦しそうな、しかしそれでいてこちらを軽侮してもいるような、そんな微妙な含みのこもった笑みを浮かべたのである。
フードを外した分だけ人相ははっきりしたものの、そのせいで乾燥昆布を鍋で大量にふやかし、その湯を頭からかぶったかのような髪型と、「恐竜」の外皮との夢のコラボレーションが実現しており、正直言って全体としては見る者にむしろフードをかぶり続けていてくれと望ませること必至だと思われた。げっそりとこけた頬と団子鼻の絶妙なコンビネーションにも相変わらずなかなかのインパクトがあった。
だが反面その時のZの「笑み」は、心なしかなぜだかやけに真剣に思われた。より正確を期せば、何かを真剣に訴えかけてきているような感じがした。それゆえもしかするとこちらの熱意に感化され、ついにオオタニの居所を教える気になったのかと考えた私は指を引き抜き、言ったのである。
「……なんですか?」
「そろそろ時間だけど、今日はそれ、やる?」
エジプトのミイラを想起させる指先でZは私の後方を指した。ちょうど壁際に立てかけられた「箱」の方だった。私はつられて後ろを見やることはせず、正面を向いたまま言う。
「時間? 何の?」
「『人生ゲーム』やりたいんでしょ? あたしは今日はトランプの気分だったけど、あんたがそれがやりたいなら譲るわ、いや、でも趣向を変えて『坊主めくり』とかでもいいよ、あれも盛り上がるもんね、どう?」
「……冗談のつもりか?」
私の本心からのその問いかけは、ZではなくMにより一蹴された。
「カンタッ! あんたそろそろいい加減にしておきなさいよっ! もう25歳でしょ? 少しは我慢ってものを覚えなさいよっ! あたしだって本当は心の底から嫌なの、でも、家族の団結を深めるために、毎日ゲームをやるって、決めたでしょ?」
事情は全く分からないが、何やらひどく怒っているらしいというのは伝わってきた。だがそれに対して私は申し訳なさを抱くどころかただ単に「またか」と思うだけだった。Hの連中が基本的に異常という点で共通するということは既に述べたかと思うが、その特徴はまさしくこの時のMのように、主に「情緒不安」という形で具現化することが多い。だから謂れのない罪を擦り付けられる形で糾弾されたとしても、私がそれを取り立てて気に留めて反省するなどということはない。ただひたすら不快で、尋常じゃなく鬱陶しいだけだ。
私が小さくため息をつくと、その隙にZが宥めるように言葉を引き継いだ。
「ヨウコ、そんなに怒らないの、喧嘩はダメって、さっき言ったでしょ? カンタも我慢しなくていいからね、将棋でも枕投げでも、ドミノでもチャイニーズチェッカーでも、だいたい何でも準備できるから、遠慮せず、本当にやりたいゲームを言いなさいね」
「……お前たちはさっきからいったい、何を言っているんだ?」と私は言いかけたが、真面目な返答が既に何の意味もなさないことはさすがにもうわかっていたので、強引に話題を転換しにかかった。
「それより、オオタニはどこ行った? 貴様らなら、居場所を知ってるばずだろ? というかむしろ、貴様らが隠したんじゃないのか? なあ、どこやったんだ?」
間違いなくその疑問は、今この場にいる誰もが、最も真剣に考えるべき事柄のはずだった。人が一人消えたのだ。それ以上に重要な問題など、いったい他に何があるというのか?
しかしもちろんと言うべきか、Zは(そして恐らくMも)やはり全く動じることなく、あくまで自分(たち)のスタンスを貫き続けた。
「オオタニって誰? あんたの新しいお友達? だったらママにも紹介しなさい、どこに住んでる子なの? ……あっ、もしかして女じゃないでしょうね、だったらダメよ、認めない、そんな不潔なことはこのあたしが許しません、一丁前に色気づいて汚らわしい、悪い虫がつかないように、もっとあんたの周りの警備を厳しくしなくちゃ」
「……」
「それよりもう時間よ、早く決めなさい、今日はどのゲームやりたいか、早く決めちゃいなさい」
私はそれには答えず視線を落とすと、何の前触れもなく再び動き始めた。無言でZの脇をすり抜け、そのまま台所へ向かった。フライパンかフォークかトースターか、炊飯器かヤカンかドンブリ茶わんか、その辺の何か武器になるものを取りに行こうと考えていた。口で言ってダメなら、身体に教え込むしかない。その矢先だった。
「……悪いが俺はパスだ」
最初私はその言葉を自分が発したのだと思った。今の流れとして、私がそれを口にし、ここで「毎日」開催されているらしい「ゲーム大会」の出場を辞退するのは間違いなく、正常な展開だった。むしろ一刻も早く、そう宣言しておくべきだっただろう。
だが実際にはそうではなかった。
声が聞こえてきたのはまさしく私が目指していた台所で、そこには既に先客がいた。見紛うことなき、あの、オオタニである。




