突入⑤
「コラコラ、喧嘩しないの」
声が聞こえてきたのは先とは逆の方向、つまり部屋の入口の方ではなくリヴィングに面したベランダの側だった。ガラス戸を開き、闇の中から室内へ足を踏み出してきた「存在」に、自然と目が引き寄せられていく。
「あらあら、何やってるかと思ったら、そんなところに一緒に座ってるなんて、あんたたち相変わらずホントに仲良いわねえ……、でも喧嘩はダメよ、あんたたちが互いに助け合いながら、穏やかに幸せに暮らしてくれることだけが、あたしの唯一の願いだから、みんなから疎まれて捨てられて、もう生きてても楽しいことも何もないあたしに残された唯一の希望だから、よろしくね」
そのように世迷言を余すところなく吐き散らかしながら姿を現してくれたのは、「恐竜」だった。
そう、かつてこの私を差し置いて地球上を席巻したと言われ、でも結局歴史上のいつかの時点で「隕石の衝突」とか何とかいう非常に局所的な理由(他にも説はある)で絶滅してしまったとされる、非常に残念な連中のことだ。「この世界は美しい」とか何とかいうクソみたいなフレーズを、何の疑いもなく純粋に信じ切っていられた少年時代、私もまた他のクソガキどもの御多分に漏れず、「恐竜」と言えばその「強さ」ばかりに着目し、ある種の「憧れ」さえ抱いていたものだった。だがしかし、よくよく考えてみれば、結局のところいくら図体がデカかろうと、力が強かろうと、知能が足りなければ生き残ることはできない、そういうごく当たり前のことを、種族全体の存亡を賭して我々人間に伝えることが、奴らの存在意義だったのだろう。可哀そうに。
もちろん私が今現在所属しているのは、所謂「ファンタジー」の世界ではく、紛れもない「現実」なので、既に亡き者になって久しいそいつらが本当に姿を現したはずもない。だがそれでいて先に提示した「そのように~「恐竜」だった。」との言明を、例えばただの陳腐な「比喩表現」として受け取ってはならない。むしろそれはあるがまま「現実」の姿を描き出すために細心の注意を払って為されたという意味合いにおいて、所謂「写生」の実践に極めて近接するものとなっている。どういうことか?
①恐竜は既にこの世に存在しない。【一般的な事実】
②「恐竜」は確かに私の目の前に現れた。【実際の出来事】
この一見する限りで明らかな両命題間の齟齬を正し、パラドックスを解消へ導くためには、例えば、「恐竜の一部は鳥類に進化して生き残っている」とか何とかいう、あまりにもショボすぎてもはやツッコむ気にされなれないレベルの俗説を持ち出すだけでは足りない。それはたとえ一時的に「場当たり的」な「対症療法」として機能したとしても、問題解決のための画期的な特効薬とはなり得ない。なぜなら私が遭遇したのはあくまで「鳥」ではなく、「人間」でもなく、「恐竜」だったからである。
それゆえむしろここではより大局的な視点から、根本的に発想を転換することが必要となってくるわけだが、反面、そのための「方法」は存外単純である。いや、少なくとも私にとっては、単純で、簡便であったと言うべきか。なぜならその「方法」とはすなわち、一切の先入観の類を廃し、出来事を虚心坦懐に眺めやることだからだ。
お分かりだろうか?
そう、この「方法」はまさしく、私が「推理」に際して事あるごとに活用してきた「常套手段」、すなわち「カッコ入れ」の手法と完全に一致する。つまり何事においても難局に陥った折には、まず基本に立ち戻ってみることが肝要なのだ。ここで言えば、一般的な事実(①)に囚われず、目の前に現れたのが確かに「恐竜」であったという実際の出来事(②)を、決して目を逸らさずにじっと見据え続けてみることが、その「方法」の応用に該当する。そして単に「机上の空論」として弄ぶだけでなく、早速実践に移してみさえすれば、ほどなくして1つの真相が浮かび上がってくるというのは論を俟たない。
もはや皆まで言わずとも明らかだろう。
ここで言う「真相」、それとはすなわち、この時ベランダから新たに姿を現した者は、何を隠そう「恐竜」のコスプレをしていたというものだ。




