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突入④

 そう、それは一片の疑いもなく、まさしく「叫び」と称されて然るべき代物だった。入室以来のここまで数分間で、「事務所」内を飛び交ったメッセージの数々も大概だったが、今回のMの発言はそれらとは比べようもなく、完全にイッていた。つまり敢えて「叫び」と表現したのは、その「イキ具合」を踏まえるに、単に「コトバ」と無難に名状することが非常に物足らなく思われたことに拠る。言葉がただの透明な媒体などではなく、それ自体が確かな質量を伴い、かつ鋭く尖った状態で思い切り突き刺さってきたということだ。

 もちろん単独で捉えられた場合、Mが為したことはただの「挨拶」に過ぎない。外から帰ってきたので、「ただいま」と言う。しかも同じ室内に存在する誰に対しても聞こえるように大声で叫ぶ。それのどこにおかしなところが含まれているというのか? むしろ元気のよい挨拶というのは、それを聞いた者の胸の内に清々しさや心地よさの類をもたらすのではなかろうか?

 だが実際にはその「挨拶」は、その時その場そのタイミングで現出させられるべき代物では絶対にあり得ない。「おかしい」と表現することさえ馬鹿げている。なぜならその場所はHのアジトであり、例えば朝目覚めたら「おはよう」と言う、食事の際には「いただきます」「ごちそうさま」と言う、何かしてもらったら「ありがとう」と言う、といった風に、住民同士のささやかなやり取りがごく自然に発生する、所謂「温かな家庭」とは対極に位置するからだ。〈H=「犯罪組織」〉という大本の図式を想起せよ。つまりそのアジトは本来、何か粗相をしでかせば即座に切って捨てられる、そういう殺伐した雰囲気でこそ満たされているべきなのだ。

 ……にもかかわらず「オカアサン」だと? 「ただいま」だと? 前衛的なパフォーマンスか何かなのか? それともひょっとして何かの隠語だったりするのだろうか?

 即座に自問の無限連鎖に巻き込まれ、精神が改めて恐慌状態を来しかけた私だったが、続けて別の一言が同じ場に現出してきたことにより、何とかギリギリのところで挙措を失わずに済んだ。

「おいオマエっ! いったい何言ってくれてんだよっ!」

 これはMでも私でもなく、オオタニの激昂である。

 正直言って少し前から、私は主に精神衛生上の都合でオオタニの存在を意識外へ追いやるべく熱心に努めていたので、突発的に出現した奴の発言の真意を即座に理解することはできなかった。しかし反面少なくともその怒気を孕んだ一言で、「間違っている」のが私ではなく、Mの方だということだけはわかった。つまり、Mに対する私の大いなる疑念は、単なる主観的な「思い込み」などではなく、複数人の間で通用して然るべきある種の「共通理解」だったわけである。

 私が無意識のうちに頷くようにしていると、オオタニはさらにMに詰め寄っていきながら、続けて不満(らしきもの?)を並べ立てることをした。

「お前は、いったい、何がしたいんだ? このままじゃあ、全てが台無しじゃねえかよっ!」

 Mも大きな眼を弓なりに曲げてオオタニを睨みつけながら、かすかに軽蔑の感を含むような口調で喝破する。

「全てが台無し? 笑わせないでよ、初めから、全部終わってるの、そんなことはあんたが一番よく、わかってるでしょ? というかハギワラヨウコって誰よ? あたしはキクチヨウコなのよ、そうでしょ? いや、違うとは言わせない、それを認めるところから、全ては始まるのだから……」

「アホか、誰がキクチヨウコだ、そんな奴は知らない、知るはずがない、お前はハギワラだ、自分の名字を忘れるなんて、あんたやっぱりおかしいんじゃないですか?」

「おかしいのはあんたの方でしょ? 本当は自覚あるくせに、何言ってるのよ……いや、あんただけじゃないか、そう、この家に関係する者は、遅かれ早かれ、いつか必ずおかしくなっていく、だからおかしいのは致し方のないことなんだ、この家で生きていこうとすれば、一緒におかしくなるしかない、そう、まともなままでは生きていくことなどできない、だからやっぱりあたしも、おかしいんだろうなあ、そうだ、結局そうなんだ、だからカンタ、あんたがやっぱり正しいのかもね」

「は? 勝手に一人で納得するな、そもそも俺はカンタじゃなくてショウヘイだ、いったい誰と間違えているのか」

「ショウヘイ……? ……わかったわかった、そうですね、こちらが悪うございました、申し訳ないでございます、すみませんでしたでございます、でも、その代わりあんたの方も、そろそろ本当の現実にきちんと向き合いなさい」

 そう言うと、Mはソファにふんぞり返ったまま天井を振り仰ぎ、首の中央部にわずかに飛び出た喉仏を震わせながら再び「叫び」を開始した。

「おかあさあん! どこにいるのおかあさんっ! カンタが口答えばっかりしてえ、全然お姉ちゃんの言うこと聞いてくれないんだけどお、 おかあさあん、何とかしてよ、ねえ、おかあさあん!」

「……いや、キクチもカンタも、それはどちらも俺の名前なのだが……、たわけている、あまりにたわけていすぎる……」

 目の前で2人の「怪物」が激しい応酬を繰り広げているうちは頑張って口を閉ざしていた私だったが、「叫び」を耳にしてどうにも我慢ならなくなり、そう呟いた。その時だった。


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