9月24日⑯
改めて、Mに手を引かれながら歩くことについて。
ともすれば「デート」の最中であるかのようにも受け取られかねないその状況は、もちろん私にとって全く好ましいものではない。Mは外見から判断する限り、恐らく30歳そこそこぐらいの年齢で、顔に深く刻まれた皺以外は全体的に若々しい感じだったのだが、しかしそれでも、半袖半ズボンで肢体の大半を剥きだしにしたままそこら中をうろつき回るにはさすがに年を取りすぎていた。つまり公平無私に判定して「異様」ということであり、だからその「パートナー」として認められることは、世間体の観点からも、自らの矜持という観点からも、可能な限り避けるべき事柄のはずだった。
それゆえ私はひとまず現時点での「スムーズな流れ(それは我々2人が親密な関係にあるとの感を強める)」を妨げるべく、わずかに両足を突っ張り、ブレーキをかけるようにしながら問いかけを行ったのである。
「おいちょっと待て、待ちなさい、お前は俺が誰か、知ってるのか?」
もちろん私の意図は、「あなたは史上最高の『名探偵』です」との発言を引き出し、悦に浸ることではない。ごく普通に何のひねりもなく考えれば、状況的にその答えが返ってくる可能性が一番高かったが、反面、それは全世界の生きとし生ける者全てにとっての自明の理なのであるからして、わざわざ確認の手間をとる必要などない。
だからそうではなくて私は先のMの発言から、明らかに初対面であるはずの私について、奴が何やら知ってそうな口を叩いたことが気にかかっていたのである。気にかかってはいたが、そのことについての納得のいく解釈を見つけられていなかった。だからいっそのこと本人に直接お尋ねしてみようと、そういう至極真っ当な考えを起こしたのであった。
しかし結局当のMはと言えば、こちらを振り返ることもなく、「ああそうですかそうですか、でも、もういいから、悪あがきはやめて諦めて、現実を見なさい」とだけ吐き捨てると、全く歩調を乱すことなく、一歩一歩確かな足取りで前進を続けてくれた。よほど自分の言動の正しさに自信があるようだ。だがもちろん私には、その返答の意味さえ全くわからず、結局抵抗をやめ、ただ黙って引きずられていくことに専念するよりほかなかった。
そういう事情で「動き出し」の段階から既に嫌な予感は萌しつつあったのだが、その「予感」は、Mとの「そぞろ歩き」が「坂を上る」という仕方で展開されたことでまずもって無視しがたいレベルにまで高まった。
そしてさらに頂上まで達したところでMが道路を横断し、その結果、どこを目指して進んでいるのかということが紛れもなく顕わになったところで、「予感」は限界を突き破り、はっきりとした「悪感」へと姿を変えつつ、一挙に超越的な地点にまで舞い上がっていった。
なぜならMが私を連れて向かった先は、まさしくあのHのアジトだったからである。
もちろん「アジトへの突入」は、私自身が、「近い未来に遂行しなければならない課題」として想定していたものではあった。「名探偵」という圧倒的優位者としての余裕と度量の深さとを逆手に取られ、ただひたすら責め苦を受けるに甘んじさせられ続けているという現状を打破するためには、このあたりで一発ジャブを入れておかねばならない、要するにそういうことだ。
だが反面、絶対にそれは「今」ではなかった。より正確を期すならば、この時のように「突入」をMに先導される形で実施するというのはどうも勝手が違うと、私には思われた。なぜならその形での「突入」においては、こちらよりもむしろ相手側に主導権があることになり、だとすると、それに身を任せることをした私は、「自発的に単身敵地へ乗り込んだ勇者」どころか、「気づかないうちにまんまと罠にハメられていたただのアホ」に成り下がってしまうからだ。
もちろん私は「勇者」であり、「ただのアホ」ではない。だがどれだけそう主張してみたところで、その時点で、MがHの一員であること、及びこの私がみすみすMに捕まり、アジトへ連行されている最中にあるということは、容易に動かしがたい事実として、既に見事に確定していたわけである。それは同時に、Hから私への攻勢がついに「最終フェイズ」を迎えたということを意味する。つまりなかなかどうして重要な画期なのであり、ちょうどよい機会でもあるので、これまでの奴らの「悪行」の数々について、ここらで端的にまとめておくことにしよう。
【悪行⓪】私の街のあらゆる場所で、息を吸うように好き放題「事件」を発生させる(「白骨遺体」の一件もこれに該当する)。
【悪行①】「異常者」を次から次へと送り込み、周囲をうろつかせることで、私の精神に過大な負荷を与える(その典型が、オオタニの出現である)。
【悪行②】「異常者」を使い、「事務所」を乗っ取る。
【悪行③】「異常者」を使い、私に物理的な攻撃をしかける(その典型が、「保護色」による「小突き」である)。
【悪行③】「異常者」を使い、私をアジトの中へと連行する(←今ここNew!)。
⓪→④という数値の増加はまさしく時間の経過と対応しており、つまり徐々に攻勢がエスカレートしていることがわかる。またそれに伴って、恐らく送り込まれる「異常者」のレベルも上昇している。つまりランク的に言えばオオタニはザコであり、Mが「幹部」クラスの上位者ということになる。そいつらがわざわざ出張ってきたということは、Hもそれなりに本気というわけであり、それ自体は願ったり叶ったりの展開と言えなくもない。だが反面、今の私は「事務所」さえ失っており、それゆえ悲しいかな、対外的には「名探偵」どころか、もはや「ただの人」に極めて近い状態にある。「全く何のとりえもない馬の骨」であると、言い換えてもいいかもしれない。
いずれにせよ翻って考えれば、そのように内実ではなく形式的な側面から、「私=「名探偵」」というあまりに強固すぎる構図の牙城を崩しにかかること、それこそがHの真の目的だったというわけだ。一つ一つのあまりにしょうもなさすぎる「攻勢」は、その目的の達成をもたらすためのただの「方便」にすぎない。気づいてしまえばどうということもないが、その「気づく」ことに若干時間を要したのが、ある意味、「運の尽き」だった……。
こうして今の私はHからすれば「丸腰」同然、まさしく「俎の上の鯉」ということになる。にもかかわらず、その状態のままで、本当に奴らに太刀打ちすることができるのだろうか……?




