アーディリンの理由
歌の題名には元ネタがあったりします。
港街に滞在している間、大陸の歌も可能な限り調べさせてもらった。そういうわけで、披露する歌はこの大陸、もっと言うならこの国で生まれた歌を披露させてもらうとしよう。
ビィバナーム。
小さな、そして可愛らしく白い花を平頭状に多数咲かせる花の名前だ。花が咲いた後、1月ほどで花と同じぐらいの大きさの黄色い果実を実らせるのが特徴だ。実りたての時期は酸味が強く苦味もあるため食用には向かないが、実を付けてから更に1月経過すると実が透明感を持つようになる。この時期になると食べごろで、苦味が無くなると同時に酸味も弱まり、なにより一気に甘くなるのだ。
1つ1つは小さな実ではあるものの、数が多いため子供のおやつなどには最適のようだ。加工にも適していてジャムや果実酒、ジュースにもされるらしい。実を実らせる時期ではないためビィバナームの実そのものはまだ食べたことはないが、加工品は散策中に一通り口にさせてもらった。どれも美味だったと言っておこう。一緒に散策していたレイブランとヤタールも喜んでいた。
さて、そんなビィバナームの花の可憐な見た目にあやかり花の名前をもじってビバニー、もしくはそれに近い発音の名前を女児に名づける場合もあるようだ。
今回歌わせてもらったのは、そんなビィバナームやビバニーという名の少女にまつわる歌だ。
歌詞の内容としては、ビバニーという少女に[自分の家で栽培しているビィバナームの実が熟したから食べに来てほしい]と気を引こうとする歌だ。人間に限った話ではなく、この星に生きる者は大抵甘い物が好きだ。気を引く材料としては十分だろう。なお、少女を誘った結果がどうなったかまでは語られていない。その後の展開は歌を聞いた者、歌詞を読んだ者の想像に任せると言ったところか。
歌を歌い終えたのでギターを『収納』にしまい、ギターを取り出した時からずっと真剣な表情で静かに歌を聞いていた推定アーディリンに声を掛けるとしよう。
「静聴ありがとう。この国発祥の歌を歌わせてもらったけど、どうだったかな?」
「……」
推定アーディリンからの返答はない。というか、完全に固まってしまっているな。微動だにしていない。
この場で歌を聞いていた他のメンバーからは好評を得ている。この歌も昨日のコンサートで歌った歌の1つだからな。あの時はミスティノフと一緒に歌ったわけだが、私だけで歌ったとしても一定以上の評価は得られたというわけだ。
ちなみに、推定アーディリンが固まってしまっている理由もなんとなく分かる。
私の彼女に対する第一印象は巫覡、もしくはラフマンデーに近い反応だったということ。アリシアやシセラに目の前で歌を披露したら彼女達がどのような反応をするかなど、考える間でもない。良くて失神、酷ければ発狂してしまうかもしれない。というか、アリシアの場合はほぼ確実に発狂しそうだ。
それを思えば、推定アーディリンの反応など可愛いものである。意識を戻すのも私ならば問題無い。
「さ、そろそろ戻ってこようか。コレを口に含みたくはないだろう?」
そう言って『収納』から淹れたてのスメリン茶が入ったカップを取り出して推定アーディリンの鼻孔に近づける。
初対面の相手だし、それほどひどい状態ではないからな。強制的に口に含ませる必要はないのだ。そもそも、本来スメリン茶を気付けに使用する場合はこうして臭いを嗅がせるだけで十分なのである。
ただまぁ、スメリン茶は魔大陸特有の茶だからな。推定アーディリンにはなじみがなかったのだろう。スメリン茶が放つ湯気が彼女の鼻孔に入っていくと、盛大にむせだした。
「う゛ぉえっ!?ゲッホ!ゴッホ!なにこれぇ!?鼻が…!鼻がおかしくなるぅ!」
「ひでぇ……」
「直接飲ませないだけ、かなり温情だと思ってるけど?」
「いや、んなもん直接飲ませようとするなよ……。最悪ショックで死んじまうんじゃねぇか?」
流石にデンケンはスメリン茶の存在を知っていたようだな。あの様子だと、実際に臭いを嗅いだことがあるのかもしれない。彼もスメリン茶の臭いは嫌いなようだ。というか、この臭いが好きだという人間はほぼいないと言っていいだろうな。
デンケンがスメリン茶を直接飲ませる行為を非難しているが、私に言わないでもらいたいものだ。過去に私がスメリン茶を他者に飲ませたことはないのだから。
なお、自分で淹れて自分で飲んだことなら結構な回数あったりする。
別に好き好んで飲んでいたわけでは無い。まして健康のためというわけでもない。
いつぞやアクレイン王国でジョゼットが語っていた[汚いものを見た後に見る美しいものはより一層美しく見える]という言葉を思い出したのだ。実際に私も経験しているので、その言葉の説得力は十分に理解しているつもりだ。
だからこそ思ったのだ。
視覚で適用されるのならば味覚も適用されるのではないか、と。そも、魔王国でアリシアがオーカムヅミの味に慣れないようにスメリン茶と交互に口にさせていた際、オーカムヅミを口にするたびに初めて口にするかのような反応を示していたのだ。私の予測に信憑性が増してきた。
結論から言えば、私の予想は正しかった。不味いものを食べた後に美味いものを食べるとより一層美味く感じられたのだ。
そんなわけで、私は自分がより一層美味いという感覚を経験するために定期的にスメリン茶を自分で淹れて自分で飲んでいるのである。『収納』に今も淹れたてのスメリン茶が入ったカップがあるのもそれが理由だ。
話が逸れてしまったが、デンケンの懸念は気にする必要はない。私は最初からスメリン茶を飲ませる気が無いからな。……臭いを嗅がせる時点で酷い好意だというのは、まぁ大目に見て欲しい。これぐらいやらなければまだしばらくは戻ってきそうになかったからな。
推定アーディリンにスメリン茶を嗅がせて15分ほどが経過した。
盛大にむせてしまったことで顔が酷いことになっていたりもしたが、今の彼女の精神は十分に落ち着いた状態と言えるだろう。
「それじゃあ、改めて自己紹介してもらって良いかな?ああ、一応こちらからも自己紹介させてもらうけど、私は『黒龍の姫君』、ノア。よろしく」
「ほあっ!?『姫君』様からそんな挨拶をっ!?って、浮かれてる場合じゃなかったんだ。ええーっと、初めまして。もう予想できてると思うけど、私がスーレーン評議委員会代表、アーディリンです!どどど、どうじょよろしゅく!」
やはりアーディリンで良かったか。
にこやかな笑顔で手を差し出してきたの、私も手を出して彼女と握手を交わすとしよう。
彼女の様子からどのような反応をされるかは分かってはいるが、その反応を見るのもまた一興だ。
「……っ!?……っ!……っ!!?」
私と握手をしたアーディリンは大方予想通りの反応をしてくれた。私の手を握ったまま白目をむいて痙攣しながら悶えだしたのだ。
「……どうすんだよコレ?しばらく元に戻らんぞ?」
「まぁ、良いんじゃないかな?時間稼ぎにもなるだろうし」
「?時間稼ぎ?」
デンケンは私がアーディリンと握手をした場合、彼女がどうなるか大体予想がついていたようだ。そして私も予想がついていたということすらも。
その状況で敢えて彼女の握手に応じたためか、再び非難がましい視線を向けてきた。彼はこの街のカジノに向かいたいためか、話が長くなってしまうような状況を歓迎できないでいるようだ。
しかし、私は反対にもうしばらくこの場に残っていたいのだ。理由は先程デンケンに伝えた通り、時間稼ぎである。非常に身なりの良い服を着た小太りの中年が全速力でこの場に向かってきているのである。
その人物こそ間違いなくミスティノフのスポンサーだろう。どうせだから、彼にこの場に来てもらって来るべき時にミスティノフの時間を少し都合してもらえないか交渉してしまおうと思ったのだ。
まぁ、その場合"ヴィステラモーニャ"達に求めた"ミスティノフのスポンサーと取り次いでもらう"という報酬がほぼ無駄になってしまうのだが。
細かいことは気にしないでおくことにした。この1週間で私達は非常に良い思いをさせてもらったからな。依頼の報酬としては十分だと判断している。
とりあえず、アーディリンの反応も楽しませてもらったことだし、彼女から手を放して今の彼女の様子を絵に描いてしまおう。私なりのイタズラ兼プレゼントだ。
「スゲェ……。去年会った時よりも描くのが早くなってるし上手くもなってやがる……」
「何かあればすぐにこうして絵を描いているからね。その分上達もするさ。それにしても、上手くなってるって分かるの?」
「本職程じゃあねぇけどな。これでも目は肥えてる方だぜ?」
デンケンは仕事柄かなりの数の美術品を目にしているためか、絵の良し悪しといったものが理解できるらしい。本人曰く専門家ほどではないようだが、それでも一般人よりも見る目があるという自信はあるようだ。
そんなデンケンから私の絵の技術が向上していると評価してもらえるのは、嬉しいな。
私は模倣するのは得意だが独自性を持たせるという点では今一つというのが自分の絵に対する評価だ。自分では同じように掻いているつもりでも他者から何らかの向上が見られると判断されているとするならば、私が描いている絵に私なりの独自性が現れたと判断してもいいのかもしれない。今度ファングダムの王族達の誰かに会う機会があれば確認させてもらうとしよう。
王族達のメイドであるカンナに確認を取るのはダメだ。彼女の場合、間違いなく失神して感想を聞くどころではなくなってしまうだろうからな。聞くならオリヴィエ、レーネリア、ネフィアスナ辺りに聞くのが良いだろう。
「う、うぅ~ん……。幸せが薄れてくぅ~……」
自分の絵の成長について考えているうちにアーディリンが意識を取り戻し始めたようだ。思ったよりも早かったな。やはり握手だけではこんなものか。抱擁をしていたらまた違った結果になっていたかもしれないな。尤も、そんなことをしても余計に時間が掛かってしまうだけなのでやるつもりはないが。
デンケンが私にアーディリンに会ってほしいと言った理由は、何も彼女を喜ばせたかったからというわけでは無い。
結果的に彼女を喜ばせることにはなったが、彼女は私に伝えておきたい話があったようだ。
「『姫君』様は庸人至上主義という思想をどの程度知っているかしら?」
そんな質問をされたので件の思想に関して私が知る限りの内容を語らせてもらうことにした。
大抵は本で読んだ知識ではあるが、中にはこれまでの旅行の中で人から聞き入れた内容もある。船旅の中でデンケンが教えてくれた内容もまたその内の一つだ。
そう。この大陸には庸人至上主義と呼ばれる選民思想的な考えが主流となっている国が複数存在している。
「どう考えても『姫君』様に不快感を与える国だろうし、それでも『姫君』様はそういった国にも訪れるだろうから、予めその国についての話をしておこうと思ったの。現在の情勢も含めてね」
それはありがたい。文化や歴史などは図書館に足を運べば大体調べ上げることができるだろうが、現在の情勢に関しては今起きていることなのだ。新聞でもある程度は把握できるかもしれないが、直接国と関わっている者から聞いた方がより正確な情報が得られるというものだ。
「それじゃあ、早速教えてもらおうかな?」
「ええ。それじゃあ、まずはあの思想を掲げている国の数と位置情報なのだけど、コレに関しては既にはある程度把握しているでしょうから、ザックリと説明しますね」
あの思想を掲げている国々は、この大陸の中央付近に向かうほどその思想が強くなっている。というのも、そもそもこの大陸ではあの思想の発祥が中心部に存在する国から生まれたからだ。
その国が掲げた思想が周囲の国にも浸透していき、思想に賛同する者達が増えていった結果、大陸の中央に向かうにつれて思想が強くなっていくという結果になっているのだ。
彼等が私に対してどのような行動を取るか。ある程度は予測ができている。というか、『広域探知』によって既に事前調査を行っていたのだ。
アーディリンが言ったように、間違いなく私が不愉快になるような行動をすると思っていたからな。先んじてそういった者達の行動を把握しておこうと考えていたのだ。
そのため、連中が何をしてこようが私には、私達には無駄な結果に終わるだろう。対策を取る必要すらない。
だが、それはそれ。これはこれ。結果が連中にとっての失敗に終わろうが全くの無駄になってしまおうが私を不愉快にさせようとしたことには変わりはないのだ。
実際に行動に移した場合、その行動がどれほど無謀なことだったのか、身を持って教えてやるとしよう。
勿論、件の国々は自分達の行動や計画が既に知られているとは夢にも思っていません。
次回は10月9日0:00を予定しています。




