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 …………

 ……………………


 ………………………………あれ?



 目を開けると、知らない場所にいた。

 俺は辺りをきょろきょろ見渡した。

 ここ、どこだろう? 真っ白な世界。何もない。

 


「………………義勝?」



 義勝、どこ?

 さっきまで隣にいたのに。

 離さないように、ずっとぎゅってしてたはずなのに。

 俺は怖くなって、駆け出した。



「義勝、どこ? どこにいるんだ!? ここどこ!? なあ、義勝! どこに――――――」


 

 誰もいない。怖い。怖い怖い怖い。どうしよう。どうしたらいい?

 わからなくて手を伸ばした、その時――――……



 不意に、視界が歪んだ。

 


「!?」



 足を滑らせて、その場に派手に転んだ。

 同時に、真っ白な無機質な世界が、突然音を立てて崩れる。真っ赤な炎が辺りを包んで、次から次へと、記憶が頭に流れ込んでくる。



 割れるように、頭が痛い。



「な……んで…………何、これッ…………――――――」



 知らない。知らない知らない知らない。

 なのにむりやり、どんどんどんどん流れ込んできて止まらない。

 知らない記憶が、入ってくる。




 怖い。




「義勝……た、すけ――――――――」




 手を伸ばして掴んだのは、冷たい鉄格子だった。




「ヒッ!?」



 思わず手を離した。

 いつの間にか、さっきまでなかったはずのでっかい檻の中にぶち込まれてて、逃げ場もない。

 何が起きてるのか全然わからなかった。流れ込んでくる記憶を理解することもできない。知らない。だってあり得ない。あんなに幸せだったのに、あんなに皆仲が良かったのに、なのに――――――……俺は、俺はこんな記憶知らない。こんなの俺の記憶じゃない――――――……!!



 拒絶した。必死で否定した。

 こんなの受け入れちゃだめだ。絶対だめだ。忘れるんだ。忘れなきゃ。



 だって、刀士郎は人斬りなんかじゃない。

 心桜は絶対健康になって長生きするんだ。

 義勝は俺のこと好きだって言ってくれたし

 先生、は――――――――……





 その時、パサ、と紐が解けて、目の前に青い髪紐がするすると落ちてきた。

 それを見た途端、あの市場でのことを、義勝の言葉を思い出して――――――胸が、温かくなった。




「義勝……」




 炎に囲まれて、冷たい檻の中に閉じ込められて、絶望がひしひしと心を蝕んでいる、けれど。

 泣きたくなる程懐かしい藍色が、目の前で煌めいている。

 俺は、その髪紐をぎゅっと握り締めた。縋るように。体を丸めて、小さくなった。





「傍にいて」






 ――――――そうして、俺は記憶の渦の中に飲み込まれていった。









 ――――――


 ――――――――――――

 ――――――――――――――――――――――――




 次に目を開けた時、私の手は枯れ枝のように細く、皺だらけだった。




「…………ここは」




 最期の記憶の場所だ。

 燃え盛る、宿の一室。炎は相変わらずだが、檻はない。

 ゆっくりと記憶を辿った。確か、地震が起きて、慌ててここに戻って、火に飲まれていて、飛び込んだ。布団を捲ったが誰もいなかった。……そうだ、ここには誰も居ない。


 あの子は、無事に宿を出た後だった。


 私は力尽き、倒れていた。全く情けないものだ。

 あんなに死神だなんだと恐れられ、私に敵う輩などいなかったのに。

 こんな呆気ない、惨めで滑稽な最期を迎えるとは。



「…………夢を、見ていたのか」



 幸せな夢だった。

 不思議な世界で、たくさんの人に出会った。

 心桜によく似た女の子に出会い、刀士郎と喧嘩をして……義勝と、口づけをした。



 あれは何だったのだろう?



 どうしてあんな幸せな夢を見たのか、わからない。

 わかるのは、あの夢の直後、私の辿った記憶の全てが、一挙に押し寄せて、絶望して、それから……ここにいた、ということ。


 記憶は混沌として、頭が割れるように痛い。

 ただ、一つ確かなことがあるなら……




 私は、なんて幸せな生涯だったのだろう。




 人に恵まれていた。良き先生と、良き友人。

 丈夫な体にも恵まれた。

 政府の仕事は辛かったが、感謝されることもあった。悪いことばかりじゃない。ただ、あの頃の私は少々尖っていて視野が狭くて……要するに、怯えていた。まだ若かった。若くて、浅はかだった。



 良い人生だった。今はそう思う。


 何より、ここ数年の旅は、心から楽しく穏やかな日々だった。

 宝物のような時間だ。

 一人ではこうも楽しくいられなかっただろう。



 悪態を吐いてばかりの、本当は心優しい青年の顔を思い浮かべて、思わず笑みが零れた。



 あの子は、これからどんな人生を辿るのだろう?

 どんな人に出会って、どんな人を愛するのだろう?


 本当はもう少し一緒にいたかった。こんな突然の別れになるなんて、思いもしなかった。

 君には、貰ってばかりだったね。

 私に穏やかな時間をくれた。



「ありがとう、乱蔵…………」



 最期に食べるなら、君のみたらし団子とほうじ茶がほしい。



 ふと、何か別のものを握り締めていることに気づいて、手のひらを開けた。

 そこにあったのは団子でも刀の鍔でもなく――――――……





「青い……髪紐……?」





 それは、あの夢の中で、義勝がくれた…………





「……………………義勝」





 あれは夢だ。夢だとわかってる、のに…………



 涙が止まらない。

 寂しい。悲しい。あのまま夢を見ていられたら、どんなによかっただろう。





「会いたい」





 義勝に。刀士郎に、心桜に、乱蔵に…………先生に。

 幻想でもいい。幻想でも何でもいいから………………








 神様、最期に彼らに会わせてください。











「ほむら」





 誰かが、私の名を呼んだ。




 心が震えた。

 聞き覚えのある声だ。でも……そんな訳がない。

 本当にそうだとしたら、神様が私の願いを聞いてくれたってことだろうか?



 怖くて、顔を向けることもできなかった。

 こんな年になっても、私の臆病は相変わらずだ。



 その人が、もう一度私の名を呼ぶ。



「ほむら」



 私は、床に手をついた。

 もう力は残っていないと思っていた。なのに、少しずつ力が漲っていく。

 重かった体が、軽くなっていく。



「おいで、ほむら」



 優しい声。

 初めて会った時も、そうだった。



 貴方はいつも優しかった。



 皺だらけだった私の手が、瑞々しく張りのあるものに変わっていく。

 片目の眼帯が取れて、潰れたはずの視界が蘇る。

 真っ白だった髪は金に。


 変わっていく。思い出していく。


 あの頃の――――――貴方と、別れを告げた時の姿へ。







「先生ッ…………!!!」







 私は――――――――俺は、先生の腕の中に思いきり飛び込んだ。




「先生!! 先生先生先生先生先生先生!!!」

「うん」

「馬鹿ぁ! 何でだよぉ!! 何で斬らせたんだよ!! 何であんなことさせたんだよバカバカバカぁ!!!」

「……うん。……ごめんね、ほむら」



 いつの間にか炎は消えていた。痛みを伴う熱も凍えるような寒さも、どこにもない。

 辺りは無機質な真っ白な世界になって、この世界には俺と先生以外、誰もいなかった。


 ただ、優しい温もりだけが、満ちていた。

 先生の腕の中は温かくて優しくて……まるで、本当に、生きているみたいだった。



「よく、頑張ったね」



 低い、心地いい声だ。

 この声を聞くといつも安心した。

 問題ばっかり起こすのに。変なものばっかり作るのに。


 俺は、先生の世話を焼くのも好きだった。


「ねえ、先生」


 俺は、先生に抱きついて、ぐりぐりと頭を押しつけながら、子供のように甘えた。


「俺、偉い?」

「うん」

「俺、凄い?」

「うん、凄い」


 先生は俺の頭をそっと撫でてくれた。昔のように。

 俺を、子供扱いしてくれた。



 ……また、涙が溢れた。



 この先生は幻想だ。だって本当の先生は死んでしまった。

 これは神様が見せてくれた幻覚。俺の魂が地獄に落ちる前の、儚い夢幻。



「先生…………俺、いっぱい、傷つけた」

「うん」

「いっぱい、たくさん、不幸にしたよ。俺、間違えて、ばっかで……うまくできないこと、ばっかりで。何もうまくいかなかった。ごめんなさい。ごめん……なさい……」

「……うん。私と同じだね」


 でもね、と先生の優しい声が、俺の耳を擽る。


「ほむらは、私よりずっとうまくできていたよ。私より、ずっと頑張っていたよ。君は君の剣を、きちんと人のために使えていた。間違いはあったかもしれない。でも、正しいこともたくさんあった。だから胸を張っていいんだよ。……君は、私の自慢の一番弟子だ」

「……ほん、と?」

「本当」

「う……ぐす……なん、だよ……そういうのは……生きてる時に、聞きたかった…………」


 先生はぎゅっと俺を抱き締めてくれた。 

 その力強さを感じながら、俺はたっぷり泣いた。多分一生分くらい泣いた。

 思いきり泣いた後には、どろどろに汚れた心も、少しは綺麗になった気がした。



「綺麗だね、その髪紐」



 いつの間にか、俺は髪を結っていた。青い髪紐を、先生が愛おしそうに撫でる。



「誰に貰ったんだい?」

「義勝」

「へえ、義勝がこれを?」

「俺たち、愛人になったんだ」


 先生は目を丸くした。


「そっかぁ、おめでとう」

「うん! 義勝、俺のこと好きだって言ってくれたんだ。めちゃくちゃ好きなんだって! 愛してるって!」

「わあ~、情熱的だね。義勝はやる男だと思ってたよ。それにしても感慨深いものがあるな。いつも仲良く喧嘩してた君たちが、まさか結ばれるなんて。愛人かぁ……これは盛大にお祝いしなきゃね」

「お祝い……」


 お祝い、かあ。

 考えると口元が緩んだ。

 想像したらちょっと恥ずかしい。でも恥ずかしさより喜びが上回った。

 そうそう、どうせ実現なんてしないんだから。


 だから、口にした。


「俺、白いの着たいな……」

「白いの? 白無垢?」

「に、似合わないのはわかってる! わかってる、けど、着てみたいなあ、って……」

「きっと似合うよ。いや、絶対に」

「そう?」

「そう。先生が保証する。だからそのためには、まず……目を覚まさなければ」



 先生は俺の手を取った。




「行こう、君の未来が待ってる」




 俺は泣きながら頷いた。


 大きくてあったかい先生の手を握りながら、昔のように一緒に歩いた。

 光り輝く、未来へ。



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