477 飛び込む
…………
……………………
………………………………あれ?
目を開けると、知らない場所にいた。
俺は辺りをきょろきょろ見渡した。
ここ、どこだろう? 真っ白な世界。何もない。
「………………義勝?」
義勝、どこ?
さっきまで隣にいたのに。
離さないように、ずっとぎゅってしてたはずなのに。
俺は怖くなって、駆け出した。
「義勝、どこ? どこにいるんだ!? ここどこ!? なあ、義勝! どこに――――――」
誰もいない。怖い。怖い怖い怖い。どうしよう。どうしたらいい?
わからなくて手を伸ばした、その時――――……
不意に、視界が歪んだ。
「!?」
足を滑らせて、その場に派手に転んだ。
同時に、真っ白な無機質な世界が、突然音を立てて崩れる。真っ赤な炎が辺りを包んで、次から次へと、記憶が頭に流れ込んでくる。
割れるように、頭が痛い。
「な……んで…………何、これッ…………――――――」
知らない。知らない知らない知らない。
なのにむりやり、どんどんどんどん流れ込んできて止まらない。
知らない記憶が、入ってくる。
怖い。
「義勝……た、すけ――――――――」
手を伸ばして掴んだのは、冷たい鉄格子だった。
「ヒッ!?」
思わず手を離した。
いつの間にか、さっきまでなかったはずのでっかい檻の中にぶち込まれてて、逃げ場もない。
何が起きてるのか全然わからなかった。流れ込んでくる記憶を理解することもできない。知らない。だってあり得ない。あんなに幸せだったのに、あんなに皆仲が良かったのに、なのに――――――……俺は、俺はこんな記憶知らない。こんなの俺の記憶じゃない――――――……!!
拒絶した。必死で否定した。
こんなの受け入れちゃだめだ。絶対だめだ。忘れるんだ。忘れなきゃ。
だって、刀士郎は人斬りなんかじゃない。
心桜は絶対健康になって長生きするんだ。
義勝は俺のこと好きだって言ってくれたし
先生、は――――――――……
その時、パサ、と紐が解けて、目の前に青い髪紐がするすると落ちてきた。
それを見た途端、あの市場でのことを、義勝の言葉を思い出して――――――胸が、温かくなった。
「義勝……」
炎に囲まれて、冷たい檻の中に閉じ込められて、絶望がひしひしと心を蝕んでいる、けれど。
泣きたくなる程懐かしい藍色が、目の前で煌めいている。
俺は、その髪紐をぎゅっと握り締めた。縋るように。体を丸めて、小さくなった。
「傍にいて」
――――――そうして、俺は記憶の渦の中に飲み込まれていった。
――――――
――――――――――――
――――――――――――――――――――――――
次に目を開けた時、私の手は枯れ枝のように細く、皺だらけだった。
「…………ここは」
最期の記憶の場所だ。
燃え盛る、宿の一室。炎は相変わらずだが、檻はない。
ゆっくりと記憶を辿った。確か、地震が起きて、慌ててここに戻って、火に飲まれていて、飛び込んだ。布団を捲ったが誰もいなかった。……そうだ、ここには誰も居ない。
あの子は、無事に宿を出た後だった。
私は力尽き、倒れていた。全く情けないものだ。
あんなに死神だなんだと恐れられ、私に敵う輩などいなかったのに。
こんな呆気ない、惨めで滑稽な最期を迎えるとは。
「…………夢を、見ていたのか」
幸せな夢だった。
不思議な世界で、たくさんの人に出会った。
心桜によく似た女の子に出会い、刀士郎と喧嘩をして……義勝と、口づけをした。
あれは何だったのだろう?
どうしてあんな幸せな夢を見たのか、わからない。
わかるのは、あの夢の直後、私の辿った記憶の全てが、一挙に押し寄せて、絶望して、それから……ここにいた、ということ。
記憶は混沌として、頭が割れるように痛い。
ただ、一つ確かなことがあるなら……
私は、なんて幸せな生涯だったのだろう。
人に恵まれていた。良き先生と、良き友人。
丈夫な体にも恵まれた。
政府の仕事は辛かったが、感謝されることもあった。悪いことばかりじゃない。ただ、あの頃の私は少々尖っていて視野が狭くて……要するに、怯えていた。まだ若かった。若くて、浅はかだった。
良い人生だった。今はそう思う。
何より、ここ数年の旅は、心から楽しく穏やかな日々だった。
宝物のような時間だ。
一人ではこうも楽しくいられなかっただろう。
悪態を吐いてばかりの、本当は心優しい青年の顔を思い浮かべて、思わず笑みが零れた。
あの子は、これからどんな人生を辿るのだろう?
どんな人に出会って、どんな人を愛するのだろう?
本当はもう少し一緒にいたかった。こんな突然の別れになるなんて、思いもしなかった。
君には、貰ってばかりだったね。
私に穏やかな時間をくれた。
「ありがとう、乱蔵…………」
最期に食べるなら、君のみたらし団子とほうじ茶がほしい。
ふと、何か別のものを握り締めていることに気づいて、手のひらを開けた。
そこにあったのは団子でも刀の鍔でもなく――――――……
「青い……髪紐……?」
それは、あの夢の中で、義勝がくれた…………
「……………………義勝」
あれは夢だ。夢だとわかってる、のに…………
涙が止まらない。
寂しい。悲しい。あのまま夢を見ていられたら、どんなによかっただろう。
「会いたい」
義勝に。刀士郎に、心桜に、乱蔵に…………先生に。
幻想でもいい。幻想でも何でもいいから………………
神様、最期に彼らに会わせてください。
「ほむら」
誰かが、私の名を呼んだ。
心が震えた。
聞き覚えのある声だ。でも……そんな訳がない。
本当にそうだとしたら、神様が私の願いを聞いてくれたってことだろうか?
怖くて、顔を向けることもできなかった。
こんな年になっても、私の臆病は相変わらずだ。
その人が、もう一度私の名を呼ぶ。
「ほむら」
私は、床に手をついた。
もう力は残っていないと思っていた。なのに、少しずつ力が漲っていく。
重かった体が、軽くなっていく。
「おいで、ほむら」
優しい声。
初めて会った時も、そうだった。
貴方はいつも優しかった。
皺だらけだった私の手が、瑞々しく張りのあるものに変わっていく。
片目の眼帯が取れて、潰れたはずの視界が蘇る。
真っ白だった髪は金に。
変わっていく。思い出していく。
あの頃の――――――貴方と、別れを告げた時の姿へ。
「先生ッ…………!!!」
私は――――――――俺は、先生の腕の中に思いきり飛び込んだ。
「先生!! 先生先生先生先生先生先生!!!」
「うん」
「馬鹿ぁ! 何でだよぉ!! 何で斬らせたんだよ!! 何であんなことさせたんだよバカバカバカぁ!!!」
「……うん。……ごめんね、ほむら」
いつの間にか炎は消えていた。痛みを伴う熱も凍えるような寒さも、どこにもない。
辺りは無機質な真っ白な世界になって、この世界には俺と先生以外、誰もいなかった。
ただ、優しい温もりだけが、満ちていた。
先生の腕の中は温かくて優しくて……まるで、本当に、生きているみたいだった。
「よく、頑張ったね」
低い、心地いい声だ。
この声を聞くといつも安心した。
問題ばっかり起こすのに。変なものばっかり作るのに。
俺は、先生の世話を焼くのも好きだった。
「ねえ、先生」
俺は、先生に抱きついて、ぐりぐりと頭を押しつけながら、子供のように甘えた。
「俺、偉い?」
「うん」
「俺、凄い?」
「うん、凄い」
先生は俺の頭をそっと撫でてくれた。昔のように。
俺を、子供扱いしてくれた。
……また、涙が溢れた。
この先生は幻想だ。だって本当の先生は死んでしまった。
これは神様が見せてくれた幻覚。俺の魂が地獄に落ちる前の、儚い夢幻。
「先生…………俺、いっぱい、傷つけた」
「うん」
「いっぱい、たくさん、不幸にしたよ。俺、間違えて、ばっかで……うまくできないこと、ばっかりで。何もうまくいかなかった。ごめんなさい。ごめん……なさい……」
「……うん。私と同じだね」
でもね、と先生の優しい声が、俺の耳を擽る。
「ほむらは、私よりずっとうまくできていたよ。私より、ずっと頑張っていたよ。君は君の剣を、きちんと人のために使えていた。間違いはあったかもしれない。でも、正しいこともたくさんあった。だから胸を張っていいんだよ。……君は、私の自慢の一番弟子だ」
「……ほん、と?」
「本当」
「う……ぐす……なん、だよ……そういうのは……生きてる時に、聞きたかった…………」
先生はぎゅっと俺を抱き締めてくれた。
その力強さを感じながら、俺はたっぷり泣いた。多分一生分くらい泣いた。
思いきり泣いた後には、どろどろに汚れた心も、少しは綺麗になった気がした。
「綺麗だね、その髪紐」
いつの間にか、俺は髪を結っていた。青い髪紐を、先生が愛おしそうに撫でる。
「誰に貰ったんだい?」
「義勝」
「へえ、義勝がこれを?」
「俺たち、愛人になったんだ」
先生は目を丸くした。
「そっかぁ、おめでとう」
「うん! 義勝、俺のこと好きだって言ってくれたんだ。めちゃくちゃ好きなんだって! 愛してるって!」
「わあ~、情熱的だね。義勝はやる男だと思ってたよ。それにしても感慨深いものがあるな。いつも仲良く喧嘩してた君たちが、まさか結ばれるなんて。愛人かぁ……これは盛大にお祝いしなきゃね」
「お祝い……」
お祝い、かあ。
考えると口元が緩んだ。
想像したらちょっと恥ずかしい。でも恥ずかしさより喜びが上回った。
そうそう、どうせ実現なんてしないんだから。
だから、口にした。
「俺、白いの着たいな……」
「白いの? 白無垢?」
「に、似合わないのはわかってる! わかってる、けど、着てみたいなあ、って……」
「きっと似合うよ。いや、絶対に」
「そう?」
「そう。先生が保証する。だからそのためには、まず……目を覚まさなければ」
先生は俺の手を取った。
「行こう、君の未来が待ってる」
俺は泣きながら頷いた。
大きくてあったかい先生の手を握りながら、昔のように一緒に歩いた。
光り輝く、未来へ。




