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476 【義勝】 さよならを告げる





 刀士郎は一度ガンッと机に頭をぶつけた後、「違う」と震える声で否定した。



「でもさっき死に別れたって……あや、あやさん?」

「ち、違う。あれは俺が口走っただけで、決して、その…………」



「俺に、あやめという妻がいたのは事実だ」



 刀士郎に足を踏まれた。

 だがこうなった以上、誤魔化すことはできない。


 ほむらは視線を迷わせた。これからどんな反応をされるかと考えれば恐ろしくもあったし、「時間がない」と話していたこいつのことを想うと、やはり誤魔化した方がいいかと揺らいだ。

 ほむらが好きだ。

 だから話しておきたい。けれどそれは俺の醜いエゴかもしれない。



「奥さんって……え、義勝、いつの間に奥さん作ってたの? しかも子供も?」

「あ……ああ」

「わあ~お……」


 ほむらは目を丸くした。

 ローガンは動揺し過ぎて額を押さえながらディランにもたれかかり、ディランは「何これ、修羅場? え、ローガン、熱? どしたんお前」と狼狽えている。



「だめだ、頭がついていかねえ。え……っと、義勝はいつの間にか奥さん作って子供作って……そんで……」



 恐る恐る、俺を見た。



「……………………死に別れちゃったの?」

「…………ああ」


 しゅん、と悲しそうに眉を垂らす。

 それからうんうん唸って、ほむらが導き出した答えは――――……









「つまり俺って………………愛人?」

「え」

「特別な愛人? 俺のことも、その………………好き?」


 ぼそ、と最後に付け加えた言葉は、消え入りそうだった。


「一緒に居てくれるって、言ったのは――――――」

「嘘じゃない」


 それは決して嘘じゃない。嘘なものか。



「お前への言葉は全て嘘じゃない。お前が好きなのも、ずっと傍にいたいと願っているのも、お前といるのが何よりの幸せだと言うのも、全て本当の気持ちだ」



 ディランが「情熱的……」とぽけんとしているのが見えた。他にも無数の視線を感じる。くっ……だめだ全て遮断しろ。今は目の前のほむらのことだけを考えろ。恥じらっている場合か!



「…………へへ」



 彼女の白い頬が、徐々に赤く染まった。



「俺も好きだ! お揃いだな!」

「うぉっ!?」



 タレのついた団子を持ったまま、ほむらが勢いよく俺に抱きついた。




「愛人でもいい。義勝が愛してくれるなら、それでいい」




 俺は言葉を失った。

 最初に我に返ったのは刀士郎だった。



「ほむら、もっと自分を大事にした方がいい」



 さっきまでもたれかかっていたディランを突き飛ばし、ほむらに必死で訴えた。


「愛人なんて地位で満足しちゃだめだ。君はそんな地位に甘んじちゃいけない。もしこいつが君を本妻に据えないと言い出したら即刻切り捨てるべきだ。全く、非常識な奴め。今の恋人の前で昔の女のことを口にするなんて信じられない」

「……話し出したのはお前だぞ」

「すまんそうだった悪かった」


 流れるような謝罪。

 素直な所はいかにも刀士郎らしい。


「いや、だが言わずにいた俺も悪い。ほむら、怒っていいんだぞ? 俺はこんな大切なことを言わずにいたのに――――」

「そういうところだ」

「え?」


 またぷんぷんと俺を睨んだのは刀士郎だった。どこがだめだったんだ?


「お前はそうやってすぐに自分の所為にする。ほとほと面倒くさい男だ」

「それを言うならお前だってけっこう面倒くさいだろ……」

「お前ほどじゃない。昔の女性のことなんていちいち言う必要はないし言わなかったからと言って裏切ったことになんてならない。お前、交際する女性に今までの交際歴を披露しなければ気が済まないのか? あり得ない。昔は昔、今は今だ!」

「そ、そうか……?」


 だが妻だぞ。子持ちだぞ。……まあ、前世の話だが。

 ちなみに今世の俺はとことん女性に嫌われていたから、恋人の一人もいたことがない。……もちろん自慢でも何でもない。

 刀士郎は深々とため息を吐いた。


「やれやれ、本当にほむらはこいつでいいのか、だんだん不安になってきた」

「さっきなぜか礼を言い出したのはどこの誰――――」

「撤回する」

「撤回するのか……」


 ちょっとしょんぼりしていると、ほむらが「ははっ」と可笑しそうに噴き出して、俺たちの肩に手を回した。


「仲、直ったな!」

「え」

「直ったように見える……?」

「見える! あ、この団子食う? すっげえ美味しいよ! 乱蔵さんの秘伝のタレ! みたらしだんごって言うんだって!」



 ほむらは俺と義勝の口元にそれぞれ団子を差し出した。

 団子はきっと美味かったのだろう、直後に感じた周りからの夥しい殺意のおかげで、正直味わうどころではなかったが。






 ――――――――――

 ――――――――――――――――



 多分、恐らく、あの暴露の所為だ。

 俺が前世で妻子ある身だったと知らなかったのだろう、ジーク殿下中心に堪忍袋の緒が切れたのかもしれない。方々から殺気を感じ続け、最悪の居心地だった。

 ほむらを誑かし愛人にしようとした罪で、明日には絞首台送りだろうか。

 つくづく思うんだが、刀士郎然り、ジーク殿下然り、ほむらを好いた奴にはどうも過激派が多いような気がする。彼女の将来が心配だ。




 ただ、どうかしばらく、待って欲しい。

 彼女が、まだほむらでいる間は。



「すっげえ騒がしかったな」

「ああ」

「でも楽しかった! ご飯美味しかったし~、すっごく楽しいし~、織姫様も喜んでくれたし~、えへへ、子供たちも可愛いし~~、甘味も最高だったし~~」



 ほむらはにこにこご機嫌で、俺にもたれかかった。

 俺たちはソファに座って、バルコニーからの景色を眺めていた。元々この国に来てから、ほむらが使っていた部屋らしい。

 夜空には月が浮かんでいる。


 こうして二人でぼんやり外を眺めるのは、久しぶりのことだった。

 まあ、二人とは言っても、もちろん部屋の外には常に気配を感じているし、ほむらに懐いた子供たちが部屋のベッドや他のソファの上ですやすや眠っているから、厳密には全く二人とは言えないが。



「へへっ、でもびっくりしたな~~、義勝が俺の知らない間に奥さん作って子供も作ってたなんてさ~」

「すまん」

「別に謝ることじゃないだろ? まあまあ、そんな顔すんなって~~」


 ほむらはふにゃふにゃ笑いながら腕を絡めた。

 やめろ、俺の理性を試すつもりか。



 ……などと、今のほむらに言っても何もかも無駄だ。


 まさか宴会の途中、こいつが酒を口にしてしまうとは。

 事故だった。酒を飲んだほむらはいつにも増して陽気で素直でずっと笑っててふわふわしてて……






 他の奴らには見せたくないくらい可愛かった。



「じゃあさじゃあさ、俺にいっぱい聞かせてよ」

「え?」

「奥さんってどんな人? どこで出会ったの? 優しい人? 格好いい人?」

「それは……聞いて楽しいことか?」

「だって気になるし。やっぱりこっちの世界に来てからのこと? 俺の知らない人?」

「ほむらは……知らないな」



 15の頃なら、俺ですら一度二度会ったことがある程度だろう。

 親の決めた婚姻だった。それが当然のことだと思っていたし、俺もあやめも、互いに納得した上で祝言を挙げた。




「……凜とした人だった。気高くて、芯があって、賢くて……」



 真っ直ぐな人だった。

 どんな大事があっても揺るがない強さがあった。

 それでいて、時折見せる笑顔は愛らしかった。…………彼女は、本当に俺でよかったのか、今でもわからない。祝言の時に見せた涙の意味は、何だったのか。幼い頃から慕っている奴がいたらしいと、その後偶然耳にしてからは、申し訳ない気持ちにも襲われた。


 戦いの中で潔く死のうと決めた時、あやめはまだ若かった。

 だからせめて俺が死んだ後は、平穏に、本当に好いた奴と結ばれてほしいと、願った。

 ……俺は、結局生き延びてしまったが。



 愛していた。

 素晴らしい女性であり、妻だと思っていた。彼女には感謝してもしきれない。



 だが、結局彼女の真意を知ることはなかった。



「………………今は」

「ん?」

「…………今は、俺のことも好き?」



 ほむらはじっと俺を見上げた。

 可愛……――――――じゃない、質問に答えろ。



「ああ、好きだ」

「えへへ」

「……すまん、俺が言うと薄っぺらく聞こえるような気がしてきた……」

「え~何で? 義勝が嘘吐いてないのはわかってるぞ? 俺は嬉しい。いいじゃん! その人のことも、俺のことも好きで。好きになるのは悪いことじゃないだろ。その人は、義勝のこといっぱい幸せにしてくれたんじゃん! だからよかったなあって思うよ」

「そう、か」

「まあ~あ~、昔の俺なら~、キーッ、誰よその女いつの間にーー! てなってたかもだけど~、う~ん、なってたかなあ? ま、とにかく今の俺は大人なのだ! 浮気じゃないし~……て言うか、俺たち今日からだし、て言うか、そもそも義勝と両思いとか、まだ信じらんないし……て言うか…………」



 ほむらは視線を落として、ぎゅっと腕に力を込めた。


「……ほむら?」

「何かさ……夢を見てるみたいなんだ。すごく幸せな夢。すごく、すごーく……穏やかな気分」


 眠いのかもしれない。

 顔つきがとろんとして、今にも瞼が落ちそうになっている。


「う~ん、俺だったら~、どうするかな~~。もし義勝が二人いたら」

「ん? 俺が二人?」

「義勝くらい大好きな人がもう一人出来ちゃったらさ、うん、取りあえず二人と付き合っちゃうかも! えへへ、そしたら幸せも二倍!」

「ドキドキも二倍だろうな…………いろんな意味で」


 こいつのことだ、すぐにバレて修羅場になりそうな気がする。


「うへへ、だって義勝が二人だもん。義勝が二人いるのが悪いんだもん。そんなの選べないじゃん! へへ~……あ! 俺、丸々肥った義勝けっこう好き。あの柔らかさ、もう一回堪能したかったなあ~……」

「今すぐ肥ってくるか?」

「ぶッ、変幻自在なの? すげえ~~義勝って面白い体してる~~楽しそう~~」

「楽しくはない」


 けらけら笑った後、ほむらは急に静かになって、ぽつりと呟いた。


「やっぱり、俺、さ…………」

「……ん」

「やっぱり俺……その人には、生きててもらいたかったなぁ……。死に別れちゃったんだろ? それって、すごい悲しいことだから……。辛かったろうなって」

「………………」

「それに、さ、それに俺、俺も、いなくなっちゃうもん。ずっと傍には、いられない。傍にいないとさ、笑わせてやることも、できないじゃん。幸せになんて、してやれないし、辛くなっちゃうじゃん。もし義勝が、俺が死んでもずっと想い続けてくれたら、嬉しいけど、やっぱり、辛いのかなあ、とも、思うんだ。俺だったら辛いし、辛そうなのは、悲しいし、義勝には、幸せでいてほしい。だから、俺は愛人でも浮気でもいいから…………義勝には、誰かいてあげてほしいな。ちゃんと、愛してくれる人。だってほら、義勝って、けっこう寂しがり屋じゃん」


 寂しがり屋なのは、お前の方だろう。

 そう返そうとしたのに、言葉が出てこなかった。


「実は騒がしいのとか好きだろ? 俺はさ、義勝にはずっと笑っててもらいたいし、幸せでいてもらいたいよ。俺のことは、たま~に思い出してくれたらそれでいいから。ずっと想ってろなんて思わないよ。新しい人と出会って、好きになってほしい……。皆、幸せに暮らしててほしい。義勝も、刀士郎も、心桜も……先生も。それに、おじさんも」

「……おじさん」

「うん。おじさんも……。おじさん、寂しがり屋で、義勝によく似てるんだ。こっちで一番の友達。だから、俺…………」


 口元に柔らかい笑みが浮かぶ。

 うとうとして、もうほとんど夢の中にいるようだった。


「……あ、刀士郎は大丈夫だよな。刀士郎のこと大切にしてくれる人が、ここにはいっぱいいるもん。刀士郎だって、なんだかんだ楽しそうでさ……だから、大丈夫。そう思えて、ほんとによかったあ……」



 ほむらは手を重ねて、それから俺に顔を向けた。



「…………口づけ、ちょうだい」



 甘えるような声だった。

 そっと唇を重ねると、ほむらは嬉しそうに瞼を閉じた。

 こてん、と俺に頭を預ける。



「義勝~……」

「…………何だ」

「俺に、出会ってくれて、ありがと。…………大好き」







 それを最後に、ほむらはすやすやと寝息を立てて眠った。

 安らかな寝顔を見つめているうちに、ずっと堪えていたものが零れた。





「………………どう、して」




 ようやく、想いを伝えられたのに。

 ようやく、気持ちが通じ合ったのに。


 ……お前は、遠くへ行ってしまうのか?



 唇を噛んで嗚咽を堪えた。



 行くな。

 どこにも行かないでくれ。

 どうか、傍にいてくれ。



 惨めな想いが溢れて、滴となって零れていった。

 この夜がきっと最後だ。それが何となくわかる。


 お前は、きっともう戻って来ない。

 この夜が明ける頃には……お前が次に目を覚ます時には、きっと…………――――――



 別れが辛いのは知っていた。

 見送られるより、見送る方が辛いことも。


 けれど、今日という日があまりにも幸せだった分、別れは身を切られるように辛かった。


 本当は、ずっとこうしていたい。

 お前の傍にいると誓ったように、俺だって、お前にずっと傍にいてもらいたい。

 寂しがり屋だと笑われても構わない。お前が傍にいてくれるなら。お前の特別でいられるのなら。


 辛い記憶なんて思い出さず、いっそこのまま……

 そう願ってしまう俺は、浅はかで愚かだろうか。



「ッ……クソ」



 情けなく泣くのも、願うのも、今夜だけだ。



 俺は顔を上げた。

 月が輝く夜空に、ほんの一瞬、桜の花びらが見えた気がした。



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