468 結ばれる
柔らかい感触だった。
温かい……いや熱い。血の味がする。
むりやり唇を押しつけたせいで傷が開いたかもしれない。
「ッ…………」
視線が合った。
涙で濡れていた視界が、今はちょっと晴れている。
あいつは呆然と俺を凝視していた。
間抜けな顔だ。今まで見たことがないような、間抜け顔。
俺は、唇を離して、トン、と踵を地面につけた。
…………あっっつい。
熱過ぎる。体が火照って目が回る。義勝から視線を逸らせない。
肩に手を置いたまま、俺はじっとあいつを見つめた。
「い、今、なん…………? な……なな……?」
あいつは、ぱくぱくと口を開けたり閉じたりして混乱していた。
呆けた顔で、俺をじっと見たまま固まっている。
その表情はまるでちっちゃな子供みたいで…………か、かわ…………いや違う! 別に可愛いとか思ってない! こんな無愛想な男のことを可愛くてちょっときゅんとしたなんて……ないないないないありえない!!
俺は義勝を睨み付けた。
「わ、悪いのは、お前だぞ」
「俺」
「お、お前が、人の言うこと、聞かないのが悪い」
「か……かた、かたじけ、ない」
「大体! お前が、お前が前にやったことだ! それを仕返してやっただけだ!!」
「し、仕返、し……つまりそれは……ああ、成る程、仕返し……仕返しか、仕返し……これはただの仕返――――」
「お前のことが好きだ」
言うべきことは、自然と口から零れていた。
義勝の表情は変わらない。
「ああそうか好きか好――――――す?」
「好き、だ」
「す…………すす…………す…………」
「好き」
義勝は言葉を失った。
白い頬がみるみる赤く染まっていく。
よく言えたもんだと思う。俺は思考がほぼ停止しそうな頭の中でゆっくりこの状況を整理してそれから……それから、どんなもんだいと胸を張った。
どうだ見たか織姫様に乙姫様にかぐや姫様にお姉さんにさくらさんにおじさんに刀士郎!! 俺はやった! やってやったぜ! 俺はやろうと思えばやれる奴なんだ! はっはっは……は…………あれ?
頭ん中ではペラペラ喋ってるのにどうしてだ? 一つも言葉が出てこない。
熱い。熱くて熱くて身体が沸騰する。言葉を発した直後より今がヤバい。遅れて熱が回ってきたみたいだ。目がぐるんぐるん回る。頭パーン!に心臓バーン!!てなりそうなのに動けない。ただずっと義勝を見ていることしかできない。
「ほ、ほむ、ほ……ほほ……?」
「は、はは、ははは、は…………」
プシュー……と湯気が出そうだった。
義勝も俺も酷いもんだった。お互い動けないしまともに喋れない。
どうする、どうなる。ほんとに動けない。金縛りにでも遭ったみたいだ。遭ったことないけど。
義勝と見つめ合ったまま体温だけが上昇してる。このままじゃ爆発する。これはまずい。本当にまずい。せめて目を逸らして離れないと死ぬ。それがわかっているのに何もできない。死ぬぞ、これは死ぬ。本当に死ぬってば! 誰か助けてくれ! 刀士郎、助太刀! 助太刀求む!! お願いだから助太刀してくださいッ!!!
「ほむら様…………」
その声が耳に届いた途端、俺は弾かれたように声の主に顔を向けた。
声を掛けてくれたのは刀士郎じゃなくてさくらさん。
白い頬がふんわり桜色になっている。よかった、義勝から目を逸らせた。ありがとうさくらさん! 無事に死を回避したぞ! そう思ったのも束の間で…………
――――――その時、俺はようやく、周りの視線に気がついた。
「………………」
「………………」
「………………」
「あ、あわ、わ……」
皆に見られてる。つまりさっきペラペラ喋ってたことも全部聞かれてたのか? 俺がやっちまったことも?
ああああああああああうわああああああばばばばばばばばば……!!
俺、何て言ったっけ? 多分すげえ恥ずかしいことばっかり言ってたね!? それにやっちゃったね!? ヤダヤダヤダヤダヤダ!! 時間巻き戻してやり直すか穴があったら入りたい!! 全、力、で!!!! 俺すっっっっげえ恥ずかしい奴じゃんか!!!
「義勝」
「ひゃいッ!?」
変な声を上げたのは義勝本人じゃなくて俺。
義勝は放心状態で、刀士郎に呼ばれたことさえ気づいているか微妙なところだった。
「…………ほむらが十五の時、お前の気持ちはどこにあった」
義勝は視線を彷徨わせた後、刀士郎を見つめた。
「責任感が強いのは結構だ。だが今度は逃げるなよ。ほむらへの気持ちから目を背けるな。家のことだとか責任だとか……今は何も考えなくていい。ただほむらと自分の気持ちだけを考えろ。わかったな」
刀士郎の言っていることはあんまり頭に入ってこなかった。
頭が熱くてふわふわする。
でも、次の言葉はしっかり届いた。
「ほむら、そこの部屋なら空いてる。静かに話すには丁度いいと思う」
刀士郎が逃げ場所として近くの扉を指し示してくれた。
俺はコクコク頷いて……
「〇▲※□×◎◇■!!!!(ありがとう入る)!!!」
礼は言ったけどちゃんと言葉になったかはわからない。
ガシ、と義勝の首根っこを掴み駆け出した。
勢いがよすぎて義勝があちこちに体をぶつけてたけど気にしてる暇はない。
パアン、と扉を開けて、えいや、っと義勝を放り込み、自分も入ってからまたバアン、とけたたましい音を立てて扉を閉めた。
ぜえぜえ肩で息をしながら膝をつく。
はあああああああああ熱い。
パタパタと手で扇いで、何とか熱を冷まそうとした。
案外すんなり告白してやったと思ったのに……! 口づけはほぼ事故だ。こいつが逃げようとしたからつい……!! あれ全部見られてたんだなとか聞かれてたんだよなとか唇柔らかかったなとかいろいろ考えるとまた死にそう…………。
「やい義勝!! おおおお前のせいでとんだ赤っ恥だぞこの野郎!!」
「???……?? ?????……?」
「……? だ、大丈夫か? お前、その……言葉忘れた?」
「?????????」
混乱して言葉を失った義勝を見ているとちょっとずつ心が落ち着いてき――――……唇が目に入って思わず一回床に頭を打ち付けた。ゴン、と良い音がしてちょっと心が落ち着く。
「お、おい、ほむほむ、ほむら、だい、じょう、か?」
ほむほむほむらって何だよ。
呂律は回ってないけど少しは言葉を思い出したってことでいい?
俺はじんじんする額を押さえて、「大丈夫だいやい」と返事した。
「あまり……痛いことをするな」
打ち付けた額がなかなか冷めないと思ってると、不意に、優しく頭を撫でられた。
視線を上げると、義勝が混乱と不安の入り混じった表情で俺を見つめながら、俺の頭を撫でている。
「額、赤くなってる。すぐ手当した方がいい」
目の前にあいつの顔がある。当然、唇も目に入る。
落ち着いてきたはずの熱が、またぐわっと再上昇した。
「か、顔、近い」
「ッ……! すまん……!!」
義勝は俺からバッと手を離して尻餅をついたまま後ずさろうとしたと思ったら床についた手を滑らせてバランスを崩し転倒して頭を打っていた。……何やってんだこいつ。
でも、義勝が俺より動揺していてよかった。
まだ熱いし心臓もばっくんばっくん煩いけど、少しはまともに喋れそうだ。
「義勝」
近づいて、ツンツン突いた。
義勝は顔を手で隠しながらゆっくりと起き上がった。
「義勝……耳、すごい赤いぞ」
「………………」
「……怒ってる? それとも…………その…………」
照れた?
ちょっとは……嬉…………いや、そういうの考えるのやめよう。
言うこと言った。後はフラれて終いだ。
「お、怒ってはないよな? それとも、嫌すぎて怒ってる……? ははは……えーと……取りあえずほとぼりが冷めたら外に……そこの窓から出ようかな。えっと、それで、その……へ、返事は……? 返事…………」
返事のことを考えたら、また視界が滲んだ。
…………あれ?
俺は何でまた泣いてるんだ?
泣くにはちょっと早い。こいつにちゃんとフラれてからだろ? フラれる前に泣いたらこいつが困るじゃんか。いや、フラれた後に泣かれても困るか。
俺ってこんなに涙脆かったっけ?
おかしい。おかしいぞこんなの。こんなのちっとも俺らしくない。
「………………俺」
ゴシゴシ目元を擦った。そうしてると、義勝が優しい声で俺の名を呼んだ。
「ほむら」
「…………ん」
「頼むから…………泣くな。泣かないでくれ」
…………そんな、優しい声も出せるんだな。
いや、知ってたよ。知ってた。義勝は優しい奴だって。知ってた、けど……
心が、ぎゅうっと締め付けられる。
まだ……消えたくないなあ。
やりたいことが次から次へと溢れてくる。
心桜の元気な姿も見てないし、食いたいものだっていっぱいあるし、義勝や刀士郎、先生と……もっといっぱい、過ごしたかった。
…………変だよな。
いつもなら、怖い夢を見たって、翌朝には綺麗さっぱり忘れてるような俺が。
自分が消えたらって、訳もわからない不安に襲われてこんなグチャグチャになっちゃうなんて。
涙に濡れた目のまま、俺は義勝を見上げた。
こいつに告白して…………めちゃくちゃ恥ずかしいことになって、これじゃしばらくあの場の誰とも顔を合わせられなさそうだ。
でも、後悔はしてない。
伝えられてよかった。本当に。
ちゃんと言葉にしたら、心の中のもやもやはもうどこにもない。
できれば想いが通じれば一番だけど……それは難易度がめちゃくちゃ高いってわかってる。これが現実だ。今から何を言われたって、俺は全部受け止めるよ。そんでまたいっぱい泣いてすっきりして、それから――――――……
「ほむら、俺は――――――」
「まッ!!!」
「ま?」
「ままッ……まッ……て」
“お前の気持ちには応えられない”
“恋愛相手として見たことがない”
“て言うかお前のこと嫌い寄りの嫌い”
“迷惑”
言われた訳でもない言葉が頭をざーっと駆け巡って動けなくなった。
やっっっばい……。
聞くの、超怖い。やっぱ無理。後悔。超後悔。言わなきゃよかったかも。あ、無理無理無理。やっぱ無理ですー、改めて義勝の顔見てると無理度百倍、いや千倍。
「よ、義勝……」
「どう、した……?」
「やっぱ無理。怖い。な、なかったことにしよう! なかったことに……。そうだ、どうせ消えちゃうのにわざわざフラれる必要ないよな? とと、取りあえず伝えられただけ良いってことで。うん、そうしよう! それで…………」
勇気がみるみるしぼんでいく。
みっともない。涙で滲んだ視界じゃ、あいつの顔もよくわからない。
俺は残りかすみたいな勇気を掻き集めて、震える唇で必死で言葉を紡いだ。俺の、一番のお願い。
「そ…………」
「そ?」
「傍に…………いて…………」
だって、一人は、怖いから。
「俺が、消えちゃう時…………ただ、傍にいてくれるだけでいいから…………だから…………」
ほんのちょっとの、間でいいから。
俺のこと嫌いでもいいから。お前は嫌かもだけど、ちょっとだけ我慢して……それで、どうか……
隣に、いてほしい。
何も言わなくていいから、ただ傍に。
それだけで俺は幸せだから。一人で旅立つのは……すごく怖いけど。お前が隣にいてくれたら、それだけで勇気がもらえる。何かが大きく変わる気がする。
ずるいお願いだ。お前には迷惑なだけだよな。
それがわかってるからか、涙のせいか、最後は言葉にならなかった。
義勝が何を考えているかはちっともわからない。
やっぱ今のも無しって、そう、言おうとしたら――――――……
義勝の手が、俺の頬を優しく包んだ。
あったかい、大きい、傷だらけの手。
「義勝……?」
「ほむら」
低い、心地良い声が耳を擽った。
「ずっと傍にいる」
囁きの直後、そのまま唇を塞がれた。
「んっ……」
涙が散って、視界が晴れる。
義勝は、熱に浮かされたような余裕のない表情で、俺をじっと見つめていた。
熱い。熱くて息ができない。このまま溶けちまうんじゃないかって、怖くなる。でもこの温もりを感じながら消えられるなら…………それは、すごく幸せなことだと思った。
「ぷはっ、よしか……んんっ……!」
唇が離れたと思ったらまたすぐに塞がれた。
俺の知らない、激しい口づけだった。口づけされながら、ゆっくりと押し倒される。
……ああ、熱い。目が回る。
身体がますます熱を帯びていく。
義勝の顔が離れて、あいつの指がそっと俺の涙を拭う。
「ほむら」
「はっ……はあ……よ、義勝……?」
「お前は、俺の特別だ。お前を想ってる。ずっと……ずっと傍にいる。約束だ。決してお前を一人にはしない」
じわ、とまた涙が滲んだ。
全部、全部俺の欲しい言葉だ。
夢かな。もしかしたら夢かもしれない。だって都合がよすぎる。こんなの……嬉しすぎて死にそうだ。
「ほんと……?」
「ああ」
「ほんとに、ほんと……?」
「ああ、ほんとに、ほんとだ」
ゆっくりと頬を撫でられる。気持ちいい。
義勝の手が冷たいのか、俺が熱すぎるのかわからないけど。
俺は猫みたいに義勝の手に頬をすり寄せて、あいつを見上げた。
「く、口づけ……」
「ん?」
「口づけ、ほしい……」
「ッ……」
「だめ……?」
義勝の顔が苦しそうに歪む。
不安になった直後、あいつは俺の首元に顔を埋めて、ぎゅっと手を握った。
「……あまり煽るな。堪えられなくなる」
「? あお、煽るって……?」
「何でもない」
「んっ……!」
…………不思議だ。
手を繋いで、口づけをして、ただ触れあっているだけなのに、すごく幸せな心地になる。
義勝は首筋にも口づけを落としていった。頭がふわふわする。熱いけど、気持ちいい熱さ。目が合うと優しく微笑んでくれた。真っ黒な目に俺だけが映る。あいつは今までで一番優しい顔をしていた。そのまま、その優しい顔がまた近づいて…………特別な幸せに満たされていく。このままずっとこの時間が続いたらいいのに。本気でそう思った直後……
ドンッ!! バキッ!!!! バーーーーンッ!!!!!
部屋の扉が破壊された。
「離れろこの狼ッ!!!!!! ふふふ不純異性交遊ダメ!!! 絶対ッ!!!!!」
紫の髪が、ちらっと視界の端に映った。




