467 伝えようとする
「ば、ばからしい? 何だその言い方」
「ばからしい。お前は消えないしどこにもいなくならない。今だって元気そうじゃないか。なのに……何を、馬鹿げたことを」
「お、俺は結構真剣なんだぞ? そりゃ何言ってるかさっぱりだろうし俺だってさっぱりだけど!? でも多分そういうことなんだって! こんな世界に来ちまった理由もよくわからないけど、もしかしたらこれもお天道様みたいなそういう存在がいてさ、こうして俺に最後の時間をくれたのかも――――」
「違う!!!!」
義勝の悲鳴のような大声が響いて、俺は思わずビクついた。
何だよ、て言い返そうとして、できなかった。
だってあいつ……すげえ、泣きそうな顔になっていたから。
「何が最後の頼みだ。何が最後の時間だ……。縁起でもない。やめろそういうの。お前は消えてなくなったりしない。おかしな夢を見たくらいで、何弱気になってるんだ。お前らしくもない」
「でも……怖い、夢を見るんだ。それに……」
「……それに?」
「そんな予感がするんだ」
俺は、そのうち俺じゃなくなる。
眼帯のお婆さんが言っていたことは、現実になる。
それがいつかはわからないけれど、多分、近い将来。
そんな予感めいたものを、あの夢を見た時からずっと感じている。
「何か、忘れている気がするんだ。大切な何か。怖い何か。でも、それを思い出したら、多分俺はもう俺じゃなくなっちゃうんだ。俺って存在は消えてなくなっちゃって…………うーん……ああだめだ、俺だって何言ってるか訳わかんねえよ! でも何か、どうしてもそんな気がして…………」
「そんなことにはならない! お前はお前だ!!」
「俺、多分死んじゃうんだよ。もしかして何か病気なのかも。きっとあのお婆さんは死神か何かで、俺に伝えに来たんだ。だから俺、ちゃんとやることやっとかなきゃって思って……お前にもちょっとその、言わなきゃいけないことが……えっと…………」
「お前は死なないッ!!!!!!!!!」
キーーー――――ン…………
とんでもない怒鳴り声。
耳が吹っ飛ぶかと思った。こいつ俺の鼓膜を潰すつもりか!?
俺は思わず義勝を睨み付けた。
「何だよ! そりゃ意味わかんないこと言ってるとは思うけど俺だって真剣に――――」
「軽々しく死を口にするな!!!」
「かッ……軽々しい気持ちじゃねえよ俺だって! こう見えて結構落ち込んだんだからな!? お前が思ってる以上に俺だっていろいろ考えてるし繊細なんだよ!!」
「お前の、どこが、繊細だ」
「ああん? てんめぇ……」
怒りがふつふつと沸いてきた。
俺だって変なことを言ってる自覚はある。でも真剣なんだ。
多分本当に、俺じゃどうしようもない何かが起きる。だからちゃんと聞いてもらいたいし、本気になって貰わなきゃ困るし……やっぱり、そのどうしようもない何かが起きた後、頼りになるのはお前らなんだ。
お前への気持ちだって、ようやく一区切りつけようって思ってんだぞ、俺は。
なのに…………
「俺が頭悪いからって馬鹿にしてんだろ。そうだよな、お前、俺の言うことまともに聞いたことないもんな? この頑固石頭!!! 俺だってお前のこと大の嫌いだもんね!!!」
「ッ……ああそうか。好きにしろ。お前には嫌われるくらいが丁度いい」
「!?」
何だそりゃ。嫌われるくらいが丁度いいって……どんだけ俺のこと嫌いなんだこいつ!?
俺はぎりぎりと拳を握り締めた。
……でも、思い返してみれば当然の話かもしれない。
だって俺たちは喧嘩ばっかりだった。初対面からずっと最悪だったじゃん。
俺は阿呆だな。こんな奴に一体何を伝えるってんだ。伝えたって届きはしない。これ以上惨めになるのか? やめだやめ。大体こんな奴の一体どこをどう俺は…………――――――
バキッ――――――――……
「え?」
腹の中がモヤモヤして唸ってると、刀士郎が突然義勝の顔面を掴んで床に思いきり叩きつけた。
「と、とと、刀士郎さん……?」
「お前もうやめとけって! ほんとに殺しちまう気か!?」
薄紅色の頭の人とか、自警団の人たちが慌てて刀士郎を止めに入った。もう遅いけど。
俺もちょっとビビった。刀士郎が義勝に怒ってるのはわかってたけど、それにしても手が早すぎない?
「…………ほむら、ほむらは、どうしたい?」
「へ?」
義勝を足蹴にしながら刀士郎が俺を見る。
俺は思わず後ずさりそうになった。
ま、まさか俺も叩きつけられるのか?
義勝と同じように顔面を叩きつけられるか木剣で叩かれるか刀で斬られるかどれがいいって? 好きなやつを選べって?
全部嫌!! って全力で叫びたかったけど、ここまで怒った刀士郎を前にすると言葉に詰まった。普段優しい人を怒らせると一番怖いってほんとなんだな。何でここまで怒ってるのかわからないけど、俺もその原因の一つかもしれないと思えばそうだな、一発くらい黙ってやられた方がいいかもしれない。
「えっと……できれば一番痛くないやつで」
「え?」
「あ、違う? そうじゃない? 俺を殴りたいとかそういうんじゃなく?」
「そんな訳ない!! ほむらを叩くなんて絶対しない!!」
あ、よかった。
俺はほっと胸を撫で下ろした。
刀士郎はよっぽど心外だったのか、心なしか落ち込んでいるように見える。
「……ほむ、ほむらはどうしたい? この馬鹿に、何か言わなきゃいけないことがあるんだろう?」
ドキッとした。
刀士郎には全部お見通しなのかな?
俺と違って、刀士郎は人の気持ちをちゃんと推し量れる優しい人だから。
「これが、さい、ごの…………最後の、時間なら。どうかほむらが望むことを」
刀士郎は辛そうに俺から視線を逸らし、床で呻く義勝から離れた。
「君の幸せが、俺の幸福だ」
「刀士郎……」
義勝は「急に何なんだ」とめり込んだ床から顔を上げた。
また傷が増えてボロボロだ。唇が切れてダラダラ血が流れている。
なのに案外平気そうなのがちょっと笑えた。
「……お前ほんと体は頑丈だよな。打たれ強いっつーか」
何度も何度も、俺に挑んできた。
俺がボコボコにしても全然諦めずについてくる、鬱陶しい奴。
高慢で石頭で面倒くさくて、自分にも他人にも厳しくて。曲がったことが大嫌い。
ただ真っ直ぐに努力を続けている、そういう奴だった。
お前は、もう絶対忘れちまっただろうけど。
『口を慎め。鬼子だなんだと言う前にまずはあいつから一本とってからにしろ。一本も取れないくせに偉そうなことばかり叩くな』
俺の陰口を叩いてる奴に、お前が言ってくれたことがあったよな。
あれが俺はすごく嬉しかった。
俺なんかのことを、お前はちゃんと一人の人間として見てくれている気がしたから。
『……礼を言う。母上は賑やかなのが好きだった。お前たちが話し相手になってくれて、亡くなるまでの間、とても楽しそうにしていた。俺や父上ではきっと難しかった。だから……お前たちがしょっちゅう来てくれるようになって、良かった』
義勝のお母さんが亡くなっちゃった時、お前はすごく悲しそうな切なそうな……優しい、顔をしていた。それを見てると胸が締め付けられて苦しくて、でも……羨ましくもあった。
不謹慎かもしれないけど、そんなにたくさん大切に想って貰えるお母さんが、ちょっと羨ましいなって。
もしかしてあの頃からかな。
俺が特別な関係に拘るようになったのは。
『自分を卑下するな! 本当に腹の立つ……。お前はもっと胸を張れ! 己の価値を疑うな!! わかったか!!!』
いつだって偉そうな物言いだったけど、お前の言葉に何度も勇気づけられた。
胸を張って生きていこうって思えた。
お前といると、俺は本当は自分がすごい存在のような気がして嬉しくなった。
『お前は、天女より美しい』
…………泣きそうになった。
お前に、そう言われて。
お前が、優しく俺に微笑んでくれて。
お前は忘れてしまったかもしれないけれど、お前が俺に口づけしたあの夜は、俺にとってすごく特別な日になった。
お前に、ちゃんと伝えなきゃ。
「俺だって……本当は怖いんだ」
立ち上がった義勝を睨み付けた。
顔が熱くなる。弱音なんて吐きたくない。かっこ悪い姿なんて見せたくない。
でも、これも全部俺のほんとの気持ちだ。
「自分が消えちまうなんて考えたくもない。信じたくもねえし全部気のせいだって思いたい! でもッ……でも、どうしようもないことだってあるんだよ……!! 怖いけど、受け入れるしかないことだって。何となくわかるんだ。俺は、俺、は…………」
視界の中で、義勝の顔がぐにゃ、と歪んだ。
何が起こったのかと思ったら、涙だ。
あいつじゃない。泣いているのは、俺だった。
「俺は…………俺は、ずっとここには居られない。多分、だって、そんな感じがする。わかるんだ。俺、多分長くない…………いや、違う、そもそも俺は俺じゃなくて、本当は…………。ああもうわかんねえ。でも、でもとにかく時間がないんだ。俺は、俺には時間がなくて、だから…………」
涙が溢れて、視界が何もかも歪む。
あいつが今どんな顔をしているかもよくわからない。
訳わかんないこと喋ってる自覚はあるし、恥ずかしくて消えたくなったけど、俺は勢いのまま喋り続けた。
「心桜のことも何とかしなきゃ。このままじゃだめだ。先生のことも心配だ。でも俺は元の世界に戻れるかわかんねえ。だから、頼むよ義勝。元の世界に戻ったら、心桜と先生のことを任せたい。蓮さんならきっと心桜を救える。それで、それでえっと……他にも、俺はお前に伝えなきゃならないことがあって…………俺、俺が死んじゃいそうになったらさ、その時は――――――」
「もうやめろ!!」
苦しそうな声で遮られた。
今にも泣きそうな、もしかしたらもう泣いてるのかもしれない、そんな声。
「もう……やめてくれ。頼むから。お前の話は聞いていられない……」
「でも――――――」
「用事を思い出した。帰る」
「! 待てよ!!」
逃げようとした義勝の手を掴んだ。
「待てってば! まだ話は終わってない! 今伝えとかなきゃだめなんだ! 今じゃなきゃ、次はもうないかもしれないのに――――」
「だから最後みたいな言い方をするなと……! とにかく俺は用事があるんだ。帰る!!」
「待っ――――――」
義勝は俺の手を振り払って逃げようとした。
馬鹿。この馬鹿馬鹿馬鹿。
ちゃんと最後まで言わせろよ。何で聞いてくれないんだ。何で――――……
俺は手に力を込めた。義勝を引っ張り、むりやりこっちへ向かせた。
――――――全部、咄嗟の行動だったんだ。
つま先立ちになって手を伸ばして、あいつの顔を引き寄せて。
そこまでしてあいつを引き止めたかったのか、あの夜を思い出して無意識にやっちまったのか、それとも、ただ俺がそうしたかったからか……
何か、もう、訳わかんないけど。
「んッ…………」
むりやり唇を押しつけた。
初めて自分からした口づけは、ちょっと血の味がした。




