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428 交わす




 ――――――――

 ――――――――――――――――





「――――――――――ッ!!」




 俺は勢いよく飛び起きた。



「はッ……はあ……はあ……」



 何か……何かわからないけど、もの凄く悲しい夢を見ていた気がする。

 心がぎゅーっと痛くて、息をするのも苦しくなって……。

 なのに具体的にはさっぱり思い出せない。


 こっちの世界に来てから、どうも悪い夢ばかり見ている。

 特にさっき見た夢は、思い出せなくて気持ち悪いのに思い出せなくてよかったって、どこか安心すらしていた。自分でもよくわからない。こんな気持ちは初めてだ。



「何なんだ、これ……」



 俺はぶんぶん頭を振って、ベランダに出た。

 ちょっと外の風に当たれば、この気分も少しはマシになるかと思ったんだ。



「はあ……あー…………あ、月綺麗」





 きらきらお月さんがお空に浮いてる。

 それを見ていると少しずつ心が落ち着いていった。

 …………うん、部屋の中にいるより、やっぱりベランダに出て正解だった。



 今俺がいるのは、蓮さんの屋敷。子供のいっぱいいる、賑やかな蓮さんの屋敷だ。

 手合わせを終えた俺はこっちに戻って、何とビックリ個室を貰ったんだ。



 刀士郎とは手合わせできなかったけど、ねえさんや先輩たちとは思う存分手合わせできて楽しかった。

 さくらさんもすごかったな。普段いっぱい鍛錬してるらしい。まるで成長した心桜と手合わせしてるみたいで、すげえ感動した。

 自警団? って言うんだったかな、そこの人も手合わせに付き合ってくれて楽しかったし。

 何て名前の人か忘れちまったけど、薄紅色の頭の人は面白かった。刀士郎とも知り合いっぽかったけど、刀士郎のこと、めちゃくちゃ厳しいとか笑った顔なんて見たことがないとか言ってて……それ、多分刀士郎のことじゃないと思う。


 とにもかくにも、皆良い人でビックリした。

 世の中には、俺がどこの誰だろうと優しく接してくれる人もいるんだな。



「…………おじさん、どうしてっかな」



 ちゃんと飯食ってるかな?

 夜は冷えるけどあったかくして寝てるかな?

 おじさん、自分のことに無頓着だから心配だ。


 酷い書き置きのことは忘れられないけど、俺はおじさんのこと信じてる。

 あの人は優しい人だ。確かに俺はあの人について知らないことばかりだけど……優しい、と思うんだよな。そう思うのは間違っているのかな。




『人の幸せを壊す人間は…………間違いなく狂っている。……そうだ、間違いなく』




 おじさんは思い詰めたような顔をしていた。

 あの時のおじさんの顔が、どうしても忘れられない。どうしても……



「はあ……。だめだだめだ。考えても答えなんて出ねえのに……。明日はおじさんを捜してみるか。きっとすぐ見つかるよな」



 俺は部屋に戻って、ベッドにぼすっと腰掛けた。

 すぐ横になればいいのにどうも落ち着かなくて足をぶらぶらさせていると、ベッド脇のちっちゃな机が目に映った。何となく引き出しを開けてみると、コロン、と何かが転がる音。



「…………簪?」



 一本の簪だった。赤い玉が一つついている。

 綺麗だなあ。俺は灯りをつけて、簪をかざしながらくるくる回した。



「誰のだろう? この部屋を前に使ってた人のものかな? 簪かぁ……。いいなあ、綺麗だな」



 いつも適当に一つに結んでるから、こんな洒落たものは使ったことがない。

 勝手に使ったら怒られるかな、と思ったけど、どうしても試してみたくなって、俺は鏡の前に座った。何とか髪をまとめてみようとしたけど、……あれ? 簪ってどうやって使うんだっけ? うーん……心桜にやってあげたことはあるけど、自分で使うとなると途端によくわからなくなるな。




 …………うん、無理。

 しばらく格闘した後、俺は諦めた。

 鏡に映るのは、髪を弄りすぎてぼさぼさになった情けない顔の俺。吹き出しそうになって、おじさんの言葉をふと思い出した。




『お前も、胸を張れ。自分を卑下するな。彼女が、あれほどに強く目映い、美しい存在だったのだから…………彼女によく似たお前もまた、美しい』




 美しい、って……。

 おじさんは俺のこと、美しいって、言ったんだよな……?

 今でも信じられない。おじさんにとってとっても特別な人に似てる、なんてさ。

 本当に心から認めてもらえたみたいに、嬉しかった。すごくすごく嬉しくて、もう何だって怖くない、何だってできるって気持ちになったんだ。



「………………」



 こんなにまじまじと鏡を見ることって、そう言えばあんまりなかったな。

 俺は鏡に手を伸ばした。鏡に映る自分の顔を、そっとなぞる。



「…………陰気な顔、だな」



 おじさんにも刀士郎にも義勝にも拒絶されたのは、正直けっこうキツかった。

 だって、どうでもいい奴らなんかじゃなかったから。

 俺が信頼してる奴らだったから。

 なのに、まともに話し合ってもくれないなんて一体どうしちまったんだ?

 本当に俺のこと嫌いになっちまったのか?



 でも、でもさ…………

 俺は、お前たちがくれた楽しい記憶と優しい言葉だけを信じることにしようかな。

 だってその方が元気も勇気ももらえるし、希望を感じられるから。

 お前たちが俺を拒絶するのも、多分何か事情があるんだろうって、寛大な心で許してやることにする。



「全部終わったらちゃんと説明はしてもらうからな。俺の納得のいく説明をしなきゃ許さない」



 俺は簪を元の引き出しの中に入れた。

 さて、気合いを入れて寝るかとベッドに横になろうとした、その時……






“――――――――”






 …………………………?






「………………今」





 声にならない叫びが、聞こえた気がした。



 胸騒ぎがする。心臓の音がうるさい。

 俺はもう一度ベランダに出た。



 ――――――誰かが、俺に助けを求めている……?



 そんな気がした。

 でも誰の声だったか、どこから聞こえたのか、そもそも何を言っていたのかすら、わからない。

 外は静かで、ちょっと冷えてて、人の気配もない。街はひっそりと静まりかえっている。



「………………」



 ぐるぐると胸の中で気持ちの悪いものがとぐろを巻いて、吐きそうだった。

 さっきの……何だったんだ? 幻聴? 第六感? 夢の続き? わからない。わからないけど、このまま暢気に寝てちゃいけない気がした。



 誰かが助けを求めている。

 多分、俺にとってすごく大切な、誰かが。




 背筋がぞくりと震えた。

 急に人の気配がした。……誰かが、俺の背後に立っている。



『――――――早く』



 俺のすぐ後ろから、声がした。

 ツンと冷えた、女性の声だ。助けを求めていた声とは違う。……多分。

 幻聴? いや、違うよな。だって感じるんだ。すぐ背後で、息遣いさえ感じられるほど近くに、誰かがいる。……俺は振り返ることができなかった。そこに誰がいるのか、確かめるのが怖かった。



『行って。お願い。貴女ならできるわ』



 お願いと言いながら、有無を言わさない命令のような感じがあった。

 誰だ? 全然わからない。多分知らない人だ。知らない人のはずだ。

 なのに…………どうして俺は泣きそうなんだろう?



『あいつにはもっとず~~っと長い間、私のことだけを想い続けてもらわなきゃならないもの。勝手に終わるなんて許さない。あいつの心も体も、全部私だけのもの。私が死んでいいと言うまで死んじゃだめなの。ふふ、素敵でしょ? いい? 貴女も、貴女だけを特別に愛してくれる人を見つけなきゃだめよ』

「お、俺、は――――……」

『私の、可愛い子』


 高圧的だった口調に、初めて涙がまじった気がした。





『約束よ? ……私のために、あいつを殺させないで』





 俺はとうとう振り返った。


 そこには――――――――誰もいなかった。誰も。


 俺は呆然としてしばらく立ち尽くしていた。

 全部俺が見ていた夢だろうかって…………いや、そんなはずない。あんなにはっきりと聞こえた。はっきりと感じた。


 

 そして、今もそこにいて俺を見つめている。

 …………何も、聞こえないし見えないけれど。



 そんな気がした。



 ぽろっと涙が零れた。

 酷く懐かしい感じがした。ずっと会いたかったような気がしたんだ。


 ……変なの。

 一体誰だったのかわかりもしないのに、そんなことを思うなんて。




「……約束」




 俺は一つ頷いた。

 名も知らない女性が俺に押しつけた、身勝手で謎めいた約束。

 彼女が殺させるなって言ったのが誰のことか、これから先何が起こるかもわからない。

 もしかしたら全部俺の妄想かもしれない。


 なのに――――――考えるより先に、体が動いた。



 何か、やらなきゃいけないって。

 俺ならやれることがあるはずだって。



 俺は街の方へ顔を向けた。

 ずっと遠くの方で、火の手が上がった。

 俄に、街が騒がしくなる。




 俺はベランダから飛び降りて、夜の街へと駆け出した。


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