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 甘い匂いが漂っていた。

 無我夢中であっちへ行ったりこっちへ行ったりしてるうちに、吸い寄せられたんだ。


 厨房の中には、作りたての饅頭がずらっと置かれてあった。圧巻だ。

 こんなにたくさんの和菓子を見たのはいつ振りだろう? いや初めてか?

 もしかして蓮さんはお医者さんだけじゃなくて和菓子屋さんもやってるのかな?



 そう思いながらぐるぐる饅頭の周りを走っていると、怒鳴られたんだ。



「おいこんなとこで走るんじゃねえ!! 危ねえだろ!!!」



 俺は厨房の中でピタッと固まった。

 全く以てその通りだし、どうして饅頭の周りで走っていたのか自分でもわからない。危ないし埃が舞うし饅頭に対しても申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 ただ感情が爆発してて居ても立っても居られなくて饅頭が美味そうで美味そうで……気づいたら走り続けていたんだ。いや、回り続けていた。ごめんなさい。



 立っていたのは男の人だった。

 若い。見覚えはない。目つきは悪い。 


 怖いとは思わなかった。

 むしろすげえほっとする。

 その佇まいといい顔の感じといい、どこか懐かしさを感じさせるものだったから。


 顔かたちは村にいた人たちにどことなく似ているし、髪も目も黒い。

 この世界に来て、いろ~んな色や顔かたちがあってすげえなとは思ったけど、結局自分が暮らした世界に近い人と会うと安心する。

 まあ、目つき悪いし荒くれ者って感じはするけど。

 荒ぶってた心もだんだん落ち着いていった。



 あの紫の王子様は訳わかんなくて怖かった。

 一方この人は声はデカいし目つきも悪いけど、全然怖いと思わない。わかりやすいって言うか、裏がなさそうって言うか。元の世界でこんな人に会ったら間違いなく「げ」って思うだろうけど。




「えへへ、すみませ~ん。へへ」



 安心してる気持ちが出てしまった。あろうことか、俺はヘラヘラしながら謝ってしまったんだ。

 おい俺、ヘラヘラしたらダメだろ。怒られるぞ。絶対怒るぞこの人。



「……ああ、もう走るんじゃねえぞ。危ねえから」

「え?」


 男の人は怒らなかった。優しかった。

 やれやれと肩を竦め、疲れた顔でどさっと椅子に座る。



「……意外に穏健」

「何か言ったか?」

「いえ! 何でも! お兄さん優しいんだな!」

「…………。あいつらから聞いてたが、想像以上に……」

「?」


 男の人は大きなため息を吐いた。


「お前……ほむらって言うんだろ」

「なんで俺の名前知ってるんだ……?」

「あいつらから聞いてる。街で見つかった後、あのバカ医者が屋敷まで連れてきたってな。大勢が詰め掛けるとお前が怖がるってんでいかなかっただけだ」

「……? ばか医者って、蓮さんのこと? おいおい、屋敷の主人にそんなこと言ったら怒られるぞ?」

「蓮さん……? レインってことか? おいちょっと待て。なんで俺があいつの召使いみたいになってんだ!!」

「違うの? お兄さん、蓮さん専属の和菓子職人とかじゃないの? すごいなあ、こんなにたっくさん和菓子作ってさ! 俺菓子作るの好きだけど、こんなに丁寧に綺麗にはできねえよ。やっぱ職人はすげえなあ」


 男の人は「どっから突っ込みゃいいんだ……」と項垂れた。

 何かすげえ疲れてるみたいだ。よく見たら男の人はかなりやつれてるみたいだった。


「大丈夫か? うわッ、目の下のクマも酷いぞ。寝てないのか?」

「誰の所為で……! いや、お前のせいじゃねえ。あほらしい計画を立てたあのバカどもの所為だ。クソ、しばらく菓子は作りたくねえ……!!」

「? 大丈夫じゃなさそうだな」


 和菓子職人って大変なんだな。まあ確かにこんな量を作るのは骨が折れそうだ。


 それにしても美味しそうな饅頭だなぁ……。

 じーっと見つめてると、「食いたいなら食え」ととんでもなく嬉しいことを言われた。


「いいの!? 売り物じゃねえの!?」

「俺はその道の人間じゃねえ。こんなもん売り物になりゃしねえよ」


 うんざりしたようにそう言うけど、俺は絶対売れると思う。


 ドキドキしながら一口食べた。

 柔らかくてもちもちで、程よく弾力があって……餡子は優しいほっこりとした甘さだった。うまい……!! 近所の甘味屋の饅頭より気に入った! あの店のも好きだけど。



 無我夢中で頬張った。

 こんな最高に美味いものをくれるこの人は、どう考えても良い人だ!



「すげえよありがとう!! あんた和菓子の天才だ!!」

「…………そりゃどうも」


 男の人はそっぽを向いてるけど、さっきより雰囲気が柔らかくなった気がする。

 やっぱり自分が頑張って作ったものを褒められるのは嬉しいのかな? 饅頭のこと“こんなもん”って言ってたけど、本当はそんな風に思ってないんだろうな。自分が作ったものに、多分ちゃんと誇りとか大切に想う気持ちがあるんだ。…………やっぱ良い人じゃん。



「お兄さん、名前は? 俺ほむら! あ、知ってるんだっけ」

「…………乱蔵だ」

「らんぞう?」

「乱暴の乱に蔵」

「乱暴…………ああ、字か! 何だ、あんたもしかして俺と同じ世界の人?」

「……世界?」


 顔かたちといい髪とか目とか肌の色といい、俺の世界の人に近いなとは思ってたけど、まさかこんな奇跡が起こるなんて!

 これは運命かな? 運命だよな!?



「あんたもこの世界に飛ばされたんだよな? こんな髪の色してるけど俺もそうなんだ! この着物見てくれよ。懐かしいだろ? 俺が繕ったんだ~。なあ、どうやったら元の世界に戻れるかな!? あんたはどうしてこの世界に!?」

「…………。さあ、な」


 乱蔵さんは驚いた様子で俺をじっと見た後、また視線を逸らした。

 俺としてはもっといろいろ話し合いたいんだけど……。乱蔵さんだって、俺と協力して元の世界に戻りたくないのかな? もしかして俺たちみたいな人、他にもいっぱいいるのかな?


 乱蔵さんから話を聞き出すにはどうしようってうんうん唸っていると、乱蔵さんの方から俺に質問が飛んできた。



「つーか、お前医者の部屋にいたんじゃねえのか」

「へ?」

「なんでこんなところで走り回ってたんだよ」

「え? そ、それは……その……」



 うっかり、紫の人のことを思い出した。

 俺の婚約者だって言ってた。なりたいって言ってた。

 乱蔵さんもあの人の知り合いかな? きっとそう……だよな? 紫の人と蓮さんは親しげだったし。じゃああの紫の人がどういう人か、乱蔵さんに聞いた方がいいかな?



 もしかしてあの紫の人は誰にでもああいうことを言う変質者なんだろうか?

 奥さん百人くらいいるんだろうか?

 俺みたいな変な女性はいないから珍しいなと思って結婚って言ってくれたんだろうか?

 だとしたら最低だなあの人。でも金持ちの野郎って大体そんなもんか?


 それでも、たとえ百番目だとしても嬉しいなと思っちまうのは、どうしてなんだ?


 だって結婚なんて俺にはこの先絶対起こりえないことだと思ってた。

 あんなこと言ってくれる人が現れるなんて想像したこともなかった。

 どんな理由でも家族ができるなら。……もし、こんな俺にも、子供とか持てるなら、それでもいいかなって…………




「おい、大丈夫か?」

「へ!?」

「顔赤いぞ。熱でもあるのか?」

「えッ、いやいや、ないない! 俺は元気だけが取り柄だもん!!」

「…………そう、か」



 乱蔵さんはどこかほっとしたような、優しい、柔らかな顔で俺を見つめていた。



「元気ならいい。……お前が無事で、本当によかった」

「……え?」

「こっちの話だ。気にすんな」



 ほんの僅かに、微笑んでいた。




 ……不思議だ。

 この人も、不思議な人だなあ。

 何で俺のこと心配してくれるんだろう? 俺のこと知ってるみたいに話すんだろう?



 わからない。

 わからないけど、嫌な感じはしない。



「……なあ、乱蔵さんは、前の世界でどんな風に暮らしてたんだ?」

「何?」

「乱蔵さんのこと知ってみてえなあと思って。どこの出身? あー……聞いても俺じゃわかんねえかな? 親は? 何やってた人?」

「んなもん聞いても……」

「知りたいんだよ。いいじゃん、ちょっとくらい。俺も話すからさ。乱蔵さんのこと知りてえなって思ったんだ」

「…………」



 乱蔵さんはしばらく黙っていたけど、やがて静かに口を開いた。



「……親は知らねえ。売られたのか捨てられたのかも覚えてねえ」

「うんうん」

「俺を育てたのは忍びの一族だった」

「忍び?」

「ああ、聞いたことくらいあるだろ」

「? ない」

「ない!?」



 乱蔵さんにビックリされて、正直俺は焦った。

 忍びって何だ? 忍ぶ……何する人だ? まあ聞いたことはあるようなないような、ないようなあるような感じだけど……わからん。商売する人か? 忍び屋さん? 村にそんな商売してる人いたかなあ? いなかったと思うけど……


 これもしかして知らないと恥ずかしいことなのかな?

 えー、それはちょっと嫌だな。

 一応先生にいろいろ教えてもらっている身として、何か答えなきゃまずいかな。


 想像力。想像力だ。想像力を駆使して考えるんだ。

 乱蔵さん……忍び……忍ぶ……乱蔵さんの得意なもの……――――――――そしてピンと来た。




「わかった!!」

「わかった? ……一応聞くが……何を思いついた?」

「超美味しい幻の和菓子職人、通称“忍び”! 彼らはある時は大名の屋敷にこっそり菓子を届け、またある時は貧しい子供たちに菓子を分け与え、またある時は何もないところに突然店を出現させる。まさに神出鬼没! 彼らは決して自分たちの姿は見せず、こっそり忍びながら全国津々浦々に絶品和菓子を届け続け――――」

「違う」


 違った。


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