400 【ヒューゴ】 振り回される
「おじさんおじさんおじさん~~……ほんとに大丈夫? 大丈夫なのか? この人たち」
「………………」
ほむらは泣きそうな顔で俺の背中にくっつき、周りの男どもを見ないように小さくなっている。
これが、人間爆弾に一切動じず堂々と剣を振るったあの女と同じ人間、か……?
たった13かそこらで機関銃の銃弾を切り裂いたあの少女と同じ人間か?
とてもそうは見えない。
ばかでがさつでプライドの欠片もなくて怖がりで……。
言葉遣いも性格も何もかも違う。本当にどうなってるんだこれは。
「ねえおじさんってば~~。俺の第六感がこの人たちやばいって言ってるよ~~。あ、ヤバい」
「……どうした」
「トイレ行きたくなってきたんだけど一緒に来てくれる?」
「一人で行ってこいバカ」
「そんな~~~~!」
毒ガスの影響で頭がバカになったのだろうと思ったが……
まさかこれがフレア・ローズ・イグニスの前世の人格、か?
いやいやいや……それにしてもばかが過ぎるだろう。ばか過ぎる。思ってたのと違う。
身体能力はやはり凄まじいようだがいろいろおかしい。
これがあれの前世であるなどと信じたくない。
フレア・ローズ・イグニスがあれだけの力を有しあれだけ堂々としていたのは、俺の考えでは前世の記憶があるからだ。なのに前世であんな無様に土下座をしていたと……? あり得ない。辻褄が合わない。
あの青髪の追っ手から逃げた時も、まともにやりあった訳ではなく、背後から飛び降りて不意打ちを食らわせ、そのまま逃げ出したというだけ。剣も拳も振るっていない。
本来の彼女ならば、もっとスマートに追っ手を気絶させることもできたはずだ。
ならばこれはやはり、毒ガスによって全く別のよくわからない人格が生まれたのではないか?
頭の方がおかしくなったのではないか?
わからん。考えるだけ無駄かもしれん。
「なあおじさん、しりとりしようよしりとり」
「は?」
「そしたらちょっとは怖さが紛れ――――」
「一人でやってろ」
「“ろ”か。わかったぞ! ろ、ろ、ろ……露店! あ、終わっちまった……」
…………………………。
わからない。こんなにばかで使えなくて情けない奴を、どうして俺は切り捨てないのか。
これでは重要な戦力にはなりそうにない。
いっそこのまま奴隷に堕としてどこか遠くへ売り払ってしまえば、カイウスたちへのこれ以上ない報復になるだろう。こいつがやがて記憶を取り戻し、俺の脅威となり得る事態も防げるかもしれない。そうだ、その方がいい。あいつらを充分掻き乱すことができるし、俺としても足手まといがいなくなる。なのに…………
どうして背中にしがみつくこのばかの手を、俺は振り払えないでいるのか。
「クソ……」
「え、ごめん! 一発で終わらせちまって悪かったよ! もう一回やり直そう! じゃあ“おじさん”で! あ、また“ん”だ……」
「そういう意味で言ったんじゃない黙っていろこのバカ!!!」
「“か”か。か、か……加齢臭!!」
「しりとりに繋げるな誰がやると言った!!!」
「え~」
「ふふふ……貴方がそんなに楽しそうにしているなんて、珍しいですねえ」
ねっとりした声が掛けられて辟易した。
廊下の先、部屋の扉が開けられていた。高そうな宝石で身を飾った薄気味悪い男が、部屋の奥からにいっと俺に笑いかける。
「よくぞお越し下さいました」
「…………しばらくの間世話になる」
「ふふ、いつまででもご滞在ください。貴方様のおかげで、私はこれほど成功したのですから」
男は奴隷や麻薬の売買を生業にしている一族だった。
歴代皇帝の陰に隠れて富を蓄えてきた。
頼ろうと思わなかったのは、奴らがどれだけ非情な連中か知っていたからだ。力がある時は味方になるが、力を失えば相手が誰であろうとバッサリ切り捨てるだろう。
しかし、カイウスの台頭にこいつらがどう考えているか、その出方によっては利用することもできる。
男はにこにこと張り付いたような笑みを浮かべていた。
その目は濁りきって、光の欠片もなかった。
――――――――
――――――――――――――
…………酷く疲れた。
表面上はにこやかなあの男から受けたのは手厚い歓迎だった。
カイウスのことは認めていない、あれの下では商売がやりづらそうだと早々に気づいたらしく、他の誰が反対しようと我々は手を貸す、と……。
決して信用してはいない。こいつらがどれだけ狡猾で残酷な人間かは、俺が誰よりよくわかっている。
物資を揃えるのに利用してすぐにここを発てばいい。
後は休息だ。あんなボロ屋敷ではどうしても体が休まらない。
話を終えほむらとは別々の部屋に案内され、ようやくまともなベッドに腰を下ろせば、どっと疲れに襲われた。それから気絶するようにベッドに倒れ込んで――――――――……
夢の、中にいた。
『ヒューゴ、あんたってほんと絶望的なお人好しね』
夢の中で、彼女はいつも明るい場所にいる。
明るい場所で笑っている。……金の髪が陽の光に煌めいて、青い目がじっと俺を見つめている。
多分、この時の彼女は、まだあいつに会っていない。
あの赤髪と出会ってから、彼女の目に本当に俺が映ったことなんて、一度だってなかった。
『ねえ、あれはメイドが悪いでしょ。どうしてあんたが謝ったの? あんな奴庇う必要ない。追い出せばよかったのに。……あのメイドは自分の稼ぎ一つで家族を養ってるから? はっ、くっだらない! どうしてそんなことのためにあんたが頭を下げるのよ! あんたは皇子なのよ? 使用人のために頭を下げるなんて馬鹿らしい。あんたの頭はそんな軽いものじゃないんだから』
ヒューゴ、と俺の名を呼んで、彼女が笑う。
『私が守ってあげるわ。あんた一人じゃ心配だもの』
前世の愛しい人を捜しに行かなくていいのか、と。
本当に俺の婚約者でいいのかと。
聞いたことがある。彼女は笑って答えなかった。
本当は捜しに行きたかったのだろう、けれどあの体では無理だと、幼い頃に諦めたに違いなかった。
彼女の中には、ずっとその誰かがいる。
どこにいるかわからない、生きているかもわからない。
そんな相手を、生まれた時から想い続けている。
俺は、顔も知らなかったそいつのことを――――――――…………
「おじさん!」
目を開けると、視界の中に彼女と同じ顔が映った。
「…………チッ」
「おじさんおじさんおじさん! ここの人すっげえ怖いんだけど!? 何でこんな場所に来ちゃったのさ~~。もうちょっとまともな知り合いいないの!? おじさん!」
部屋の外に聞こえないようにか、こいつなりに極限まで押さえたであろう声で、俺に必死で囁きかける。
「貴様には貴様の部屋があるだろう……!」
「さっきさぁ、トイレに行ったんだけどさぁ、廊下に怖~い顔の奴らがうじゃうじゃいて超怖いんだよ! 絶対堅気じゃねえよな!? ご飯にもありつけたし部屋も用意してもらえたけどさ……。おじさんあんな奴らと知り合いって一体何者!?」
「そんなことを言うために俺を起こしたのか!?」
「え? 寝てたの? 何かぼそぼそ喋ってるから起きてるのかと……。あ、あれ寝言だったのか!? ごめん! おじさん寝言言うタイプなんだな」
「俺は寝言など言わない!!!」
「え、でも何か言ってたような……何かはわからないけど」
「そんな間抜けなことはしていない! さっさと出て行け。自分の部屋に帰れ!!」
「やだ」
「は?」
意味がわからなくて顔を凝視すると、ほむらは泣きそうな顔で俺の肩を掴んだ。
「何す――――」
「頼むよ! 俺もここで寝ていい?」
「はあ?」
「だってあいつら怖いんだもん。部屋もデカイし布団ふっかふかだけど落ち着かなくてさ。変な夢見るし……」
「夢?」
「そう、全然覚えてねえけど……取りあえず嫌な夢! 俺、夢なんて滅多に見ないのにさ……。なんでだろ?」
「知るか」
「ねえねえ、頼むからさ、あの隅っこでいいから寝させてよ。いいでしょ? 俺おじさんと違って寝言とか言わないから! な?」
こいつ……いちいち癪に障る言い方を……。
「帰れ。自分の部屋で寝ろ。いちいち俺の邪魔を――――」
するな、と言おうとして、その時初めて、彼女が外にでも出かけるのかと疑いたくなるような、真っ黒なロングコートを羽織っていることに気づいた。全裸でいられるのは困るからと俺が投げてよこしたコートだ。
温かい屋敷の中で、どうしてまだそんなものを羽織っているのか。
大体そんな薄汚いコート、捨ててしまえと言ったはずだ。
「お前、まさか逃亡でも考えているんじゃないだろうな?」
「逃亡? 何で? いなくなる時はちゃんとおじさんにさよなら言うよ。俺もそこまで薄情じゃねえ。おじさんには世話になったし」
言う程俺は世話なんてしてないぞ。
硬いパン一つで俺に恩義を感じるというなら、この屋敷の連中にも恩義を感じてしかるべきだろう。食い物も寝る場所も服も用意させたんだからな。
「ならばなぜそんなコートを着ている。外に出るつもりなら今は許さ――――」
「ああ、これはおじさんにもらったものだからさ、大切に使わせてもらおうと思って」
「……は?」
「着心地もいいしさ、捨てるなんて勿体ねえよ。へへ、それに俺、似合ってるだろ? 格好良い?」
「………………」
ヘラヘラと邪気のない顔で笑う。
本当に……それだけの理由しかないのだろう。
肩の力が抜けると同時に、うんざりと落胆している自分がいた。
いっそ何か企んでくれていた方がよかった。
油断のならない奴だと警戒させてくれた方がよかった。
こいつといるとどうも調子が狂う。気が緩む。ぬるま湯にでも浸かって微睡んでいるような気分になる。自分の目的を見失いそうになる。
「頼むよ~~おじさん! 一人じゃ良い夢見られそうにないんだ。な? な? おじさんだって一人ぽっちで寝るより二人の方がいいだろ? お願い! この通り!」
今まで大勢を切り捨ててきた。大勢の人間を苦しめてきた。
情なんてとっくの昔に捨てたはずだ。
たとえ彼女と同じ顔だろうと同じ髪と目の色をしていようとも……彼女じゃない人間の願いなど、聞く必要も価値もない。なのにどうして…………
「………………もういい。部屋の隅で俺の視界の入らないところにいろ。わかったな」
「よかった~~! じゃ、毛布一枚ちょうだい。あと枕も一個ほしいな~。二個あるしいいよな? 一つくらいもらっても」
「………………」
「あとトイレ行きたくなったら起こしていい?」
「それは一人で行け!」
どうして、この無邪気で強引で行動の読めない子どもに、こんなにも振り回されてしまうのか。




