399 流す
「なぜあいつらに説明しなかった!? なぜあんな情けないことをした!?」
「え? え? 何のこと?」
おじさんは俺の手を引っ張りながら屋敷の中に入っていく。
ぷりぷり怒ってるけど、何をそんなに怒っているのかわからなくて、俺はただただ困惑するしかなかった。
「おじさん? 何怒ってるんだ? て言うか、俺の手ぇ掴んだら泥がつくぞ? ほらこんなに汚れ――――」
「さっきの話だ!! なぜあんなガキのために泥を被りなぜあんな輩どもに頭を下げた!? 貴様にプライドはないのか!?」
「プライド? えっと……それがどうかしたか? 何をそんなに怒ってるかわからねえんだけど……」
おじさんが沼でのことを見てたのはわかったけど、それがどうしたんだ?
俺は首を傾げた。
そんな俺に、おじさんの形相がますます大変なことになる。怒った顔がほんと義勝にそっくりだなあ。
「なぜわからない!? なぜそんな平然としていられる!?」
「なぜって……」
「お前に恥はないのか!? 怒りは!? へらへらへらへらと……!!」
「んん? 俺だって別に怒る時は怒るぜ? 特に腹立つのはあれだな、楽しみにしてた団子を勝手に食われた時だ! そん時ゃほんとにぶっ殺してやろうかってくらい暴れちまうな」
「しょうもない……」
「はあ!? しょうもなくはないぞ!? 食べ物の恨みは怖いんだぞ!?」
「もういい! さっさと泥を落とせ!!」
「わわっ」
おじさんに真っ先に連れていかれた先は、屋敷の中のお風呂場みたいなとこだった。
俺がこっそり掃除したからまあちょっとは綺麗になったけど、まだまだだな。ここでお風呂に入りたいとはちょっと思えない。
ただその中には、水のたっぷり入ったバケツがいくつか置かれていた。
俺、こんなに水を汲んだ記憶はないんだけど……。
「あ、もしかしておじさんが汲んでくれたのか? え、まさかまさか、俺のために!?」
「………………」
「ありがとうおじさん! いや~、このドロッドロの状態で井戸の水汲むのもちょっと嫌がられそうだからさ。川も見当たらないし、どうしようかなって悩んでたところだったんだ。すげえ助かった!」
「うるさい。さっさとそれで洗え!!」
おじさんは荒々しく戸を閉めていなくなってしまった。
何であんなにピリピリしてるんだろ? やっぱりわかんないなあ……。
今まで数え切れないくらい頭を下げてきた。俺は土下座のプロだ。今更頭を下げるのなんて何とも…………まあ、そのことを知らないおじさんからすれば、もの凄く情けなくてやるせない光景だったのかな?
もしかしておじさん、俺のこと心配してくれてる……?
俺のためにあんなに怒ってる……とか? えー、おじさん良い奴~~。
何かちょっとむず痒いな。やっぱおじさんって、ああ見えて良い奴なんだな。ちょっと心がほっこりする。
俺はバケツの水で顔を洗った。服をパパッと脱ぎ捨てて、どろどろの髪も水に浸して洗い落とす。うわあ、あっという間に水が真っ黒だ。それに溢れた泥がいっぱい流れて大変なことになってる。これ、詰まったりしないかな?
「……冷たいなあ」
こういう日は湯船に浸かりたいなあ。あったかい湯船に浸かってのんびりしたい。
この世界に銭湯はあるかな? 後でおじさんに聞いてみよう。
綺麗さっぱり泥を洗い流してから、汚くなった服をまた着る訳にもいかず、別に全裸でもよかったんだけどそれだとおじさんがまた怒りそうな気がしたからタオルを巻いてお風呂場を出た。
着替え着替え……今朝干した分はさすがにまだ乾いてないし、どうするかな。
ペタペタ歩きながら部屋を覗きこむと、おじさんが床に座り込んで相変わらずイライラしていた。
「おじさ~ん、水ありがとな! ところで何か着替え――――ぶふッ!」
「そんな格好で歩き回るな!!!!」
「えー、ちゃんとタオル巻いてんじゃん!」
「うるさい!! そんなもの裸と変わらん恥を知れ!!」
何だよそれ。こっちはちゃあんと気を遣って体隠してきたのにさ。おじさんって細かいな~。
俺は投げつけられたものを手に取った。すっかり薄汚れた枕、みたいな……でも弾力は全然なくてくたぁっとしている。
「何これ……クッション?」
「知らん!!」
「知らんって……屋敷に落ちてあったの? うわ、埃すっげえ。こんなもの投げつけるなよな。投げるならもっとまともなもの投げてくれ」
「貴様がそんな格好で歩き回っているせいだろう!! どういう教育を受けたらこんなことになるんだクソ……」
おじさんはぶつぶつ言いながら自分の上着を脱いで俺に投げつけた。
「せめてそれで体を隠せ!!」
「わあありがとう! 今洗濯したやつ干してるからさ、それが乾いたらこれ返――――」
「要らん。替えが手に入ったら捨てろ」
「え、なんで? これおじさんのでしょ?」
「貴様が袖を通したものを着たくない」
「酷ぇ」
おじさんってばなかなか酷いことさらっと言うんだな。
俺のせいでおじさんに捨てられちまうこの上着が可哀想だ。
これは俺が責任持って着続けてやるしかないな。
「……なぜ貴様はあんな辱めに遭って平然としていられる」
「ん? 何て?」
上着を羽織ると膝下まですっぽり隠れた。着心地を確かめていると、それまでずっと黙っていたおじさんが突然俺に問いかけた。
「どうして簡単にあんなことができるんだと聞いている。お前はあのガキを助けたんだろう。なのに……どうしてお前が責められねばならなかった。謝る必要などなかったはずだ。お前はどうして何も反論せず、土下座までしたんだ」
「え~っと……それはまあ、反射的にって言うか、それで丸く収まるかなあ、と思って……」
「丸く収まる? ハッ、丸く収まったか? あれが?」
「まあ、今回はもうちょ~っとちゃんと弁明したらよかったかなあとは思ったけど。でもあんなにカッカしてる人を落ち着けさせる自信とかないしさ」
「だとしてもわざわざ土下座する必要はなかった。力で従えさせればいい話だ。なのに――――」
「従えさせる? 腕っ節でってこと? あははっ、そんなのやれねえよ~。あの人たち普通じゃん。怒りっぽいけど普通の人だ。もっと酷い奴ならそうしたかもしれないけど、子どももいたしさ、泣いてたしさ、だから酷いことはできないって」
酷いことばっかり言う奴らなら、今まで数え切れないくらい遭ってきた。
中には半殺しにしてやった奴もいる。喧嘩が怖いって訳じゃない。
でも、善良そうな人がいっぱい集まって怒ってる顔とか、権力を振りかざすような奴らの偉そうな顔とか……そういうのは、ちょっと怖い、かもしれない。
「それに俺、最底辺の人間だぜ? どんなに理不尽なこともさ、仕方ねえなって流さなきゃ。正しいとか正しくないとか、確かにあるかもしれないけどさ……ああいうトラブルからは、さっさと逃げるが吉だって思う。じゃなきゃ、俺なんてあっという間に罪人にされて鞭打ちかも――――」
「最底辺、だと?」
「うん」
「本気で言ってるのか?」
「? うん。何で?」
首を傾げると、おじさんは「もういい」と手を払う仕草をした。
「あのさ、何かご飯探してこようか? パンだけで腹減っただろ? 俺何か変装するからさ、それでご飯探しに――――」
「何もしなくていい。移動する」
「え?」
「移動だ。当然だろう。ガキどもに場所を知られた。今度は……知り合いのところだ。その方が飯も物も手に入る。貴様の服もさっさと調達する必要があるだろ」
「知り合い? 最初からその人のところ行けば良かったんじゃないか?」
「…………あまり頼りたいとは思えない奴らだ」
「?」
どういうことかわからなかったけど、取りあえず大人しくついていった。
で、連れて行かれた先の屋敷は今までに比べるとすっごくデカくて金かかってるって感じで立派だったけど…………
「…………へっ、まさか貴方がここに来るとは思いませんでしたねえ」
その屋敷の門の前には、にやにやと下卑た笑みを浮かべる、人相の悪い男どもがずらっと並んでた。そいつらの気色悪さと言ったらぞっと怖気が走る程だ。まず間違いなく、堅気の人間じゃねえよな。
ほんとにこの屋敷に入るの?っておじさんを見上げたら躊躇いなくさっさと歩き始めちまった。俺はその後ろにぴったりついて、できるだけ周りのヤベえ奴らを見ないようにひたすらおじさんの背中を見つめ続けた。
男どもに先導されて、廊下をずっと歩く。
薄暗い廊下で、男どもがじぃっとこちらを見ているのを感じる。
……これ、ほんとに大丈夫? あんな怖い顔して実は良い人とか?
おじさんが頼りたくなかった理由、すげえわかるんだけど。




