388 願いは届かない
「カノンッ!!! カノ――――――」
土埃が視界を遮る。カノンの姿が見えない。
その状態で、また二度、三度と何かが爆発するような音が、耳に届く。
ヒューゴは明らかに挑発していた。そんなこと、わかりきっていたことだったのに。
なぜ見抜けなかった?
なぜ止めることもできずに突っ立っていることしかできなかった?
「はッ……はあッ……はッ……」
気配を探れ。落ち着け。
何度同じ過ちを繰り返すんだこの愚か者。
「ッ……クソ、なんで……どうしてッ……!?」
探ろうとするのに、最善を選ぼうとするのに……一度掻き乱された心は、そう簡単には元に戻らなかった。
顔を覆った指の隙間から、涙が零れ落ちる。まだ何もわからないのに、最悪のことばかり想定して、囚われてしまう。
「カノンッ……カノン!! 返事を――――」
「ッ……だい、じょう……です!」
微かに、カノンの声がした。
その時、砂煙がようやく晴れて、彼の姿が月明かりの下に照らされる。
私は息を飲んだ。あちこちが抉れた地面の上で、カノンは足や腹から血を流して蹲っていた。流れた血が、彼の怪我の深さを物語っている。
「カノンッ!!!」
「来ないで下さい!!」
カノンの怒鳴り声に、思わず足が止まった。
「来ないで下さい。ここは……危険、すから。すんませ、……俺、また突っ走っ……」
「大丈夫だ! すぐに治すから! もう話――――」
「治させてやるとは言っていないが?」
首筋にヒヤリとしたものを当てられた。
いつの間にか私の背後に回ったヒューゴが、鋭い切っ先を突きつけている。
「俺が持っているのは人間兵器だけではないということだ。……しかし五体満足か。つまらんな。まあ、開発途中の地雷などこの程度のものか」
「地雷…………」
「げほッ、ごほッ……てめえ……フレア様に近づくんじゃねえ……!!!」
「おやおや、先に死にたいか?」
「カノン、すぐに治してやるからラクにするんだ」
「……だから治させてやるとは言っていないだろう。包帯を巻く時間など――――」
ぐ、と力を加えられて、鋭い痛みが走った。
生温かいものが流れる。
……それが何だ。人の首はこの程度の力で飛びはしない。首さえ飛ばなければ、私はこの力でどんな怪我も治してしまえる……はずだ。
治癒と無効化の炎が辺りを覆った。
「これは…………」
紫色の炎はカノンも、気を失っている団員の体も覆った。
二人の怪我がみるみる治っていく。
「フレア、様……俺のことはいいんで、早く――――」
「……お前……そうか、これが…………!!」
首の痛みが酷くなる。
興奮したヒューゴが私の首に手をかける。首筋に短剣を突きつけ、その刃先で首筋をなぞりながら。
「思った以上だ。やはり貴様さえいれば………………運命は変えられる」
カノンの怪我は命に関わる。先にこちらを治したら、この短剣を叩き折ってヒューゴを拘束、それから――――……
不安が、頭を掠めた。
果たして……できるのだろうか?
今更になって、周りを大勢の人間に囲まれていたことに気づく。敵意があちこちから突きつけられて、今にも私たちに襲いかからんと息を潜めている。指先が震えた。
その殺意は、カノンも感じ取ったらしい。
剣を掴もうと必死になっている。血だらけの、ボロボロの手で。
「カノン……」
「大、丈夫です。俺は、まだ――――」
……まだ、子どもじゃないか。17なんて。
なのに、こんなに必死に……戦おうとしている。
力を使いながら神経を研ぎ澄ませた。
周りを囲う人間も、地面に埋め込まれた地雷の位置も把握して……――――ああクソ、頭が痛い。
私は自分を落ち着かせるように、ゆっくりと息を吐いた。
「ッ!!」
背後から首筋に突きつけられた短剣を指先で掠め取る。
怯んだところで突き飛ばし、カノンの方へ歩を進めた。
地雷を避け、彼の傍に腰を下ろす。
「フレア様! ここは――――」
「大丈夫、私には見えているから」
私は彼の手を握った。
「大丈夫だ、こいつらは私が何とかする。だから――――」
「フレア、様、俺のことはいいすから」
「何言ってるんだ。こんな怪我で。治ったと言ってもすぐには動かない方がいい。なあに、この程度の輩、武器がなくとも、片手でもなんとかなるさ」
「なんで……」
「大丈夫だ、カノン。お前はゆっくり――――」
「なんで……泣いてるんすか……!!」
カノンの手に、力が込められた。
そこに、ぽたぽたと滴が落ちる。
「…………ああ」
まだ、止まっていなかったか。
どうしてこんなに心がグチャグチャなのか。わからない。すまない、カノン。わからないんだ。
義勝の顔で、義勝の声で、心を突き刺されたような気分なんだ。
私がこの世界の運命を変えてしまったのは事実で。
私が何もしなければ救われた命が確かにあって。
私が自分を犠牲にするのは私が自分自身を大切にしないからで。
紫の炎が、私の涙を飲み込む。
「…………こちら側に来い。フレア」
背後から、悪魔の囁きが聞こえる。
「俺の言う通りにすればいい。お前のことはわかっている。お前、自分で物を考えるのが苦手だろう。だから過ちばかり繰り返す。それなら、俺の言う通りにしていればいい。全部俺のせいにすればいい。そうすれば、お前はどんな責任を追う必要もない」
………そうだ。
だから私は、ほむらは……自分の剣を義勝のために使ったのだった。
頭が悪いから。
何が良くて何が悪いか、わからなかったから。
自分一人じゃ決められなかったから。
何か間違えてしまったらって、怖くて動けなかったから。
私の心がこんなにグチャグチャなのは……
こいつの言っていたことが、正しかったからではないのか?
こいつの誘惑に、心が動いてしまったからではないのか?
「私は…………」
「お前はこれからも周りを巻き込むだろう。無責任な行動で。この先も、ずっとずっとずっと……死ぬまで、何度でも」
「フレア様!! 聞かないでください!」
……シオンの時も、そうだった。
私はただ流れに身を任せた。よく、考えもせずに。
その結果、大切な人たちの、運命が――――――…………
『……誰だって、後悔はするものです』
ルベルの言葉が、蘇る。
『生半可な気持ちで選んだことではなかったでしょう。あなたはその度に、真剣に悩み、考え、そして選んだことだったのでしょう。だったら、その決断を受け入れてもいいはずです。それがきっと最善だったんです』
ルベルは、そう言ってくれた。
カノンやシリウスも、救われたのだと、ずっと傍にいると言ってくれた。それでも……
わからない。
私は、君たちの思っているような人間とは違う。
短気で阿呆で浅はかだ。
それが私の本性だ。
人を殺さずにいられるのはあの時先生を斬ったからだ。約束したからだ。
ただ、それだけ。
君たちが見ている私という人間は…………本当は…………
「フレア様!!!!!」
カノンが、私の体を抱き締めた。
まだ痛むであろう体で、力強く。
「誰が何と言おうと何て責め立てようと!! そんなもん聞かないでください! そんなもんに惑わされないでください! つーか巻き込むとか巻き込まないとか……何すかそれ!! 生きてる以上、誰も巻き込まずに生きていくなんて絶対無理ですから!!」
「カノン……」
「あいつは貴方のことを何も知らない!! そんな奴の言葉なんて聞く必要はない!! 聞くなら俺の言葉を聞いて下さい!!! 俺や、ルベルや、ルカやシリウスやアランやサクラや……貴方のこと大切だって思ってる人の言葉だけを聞いて下さい!!!」
カノンは剣を拾い上げ、それを私の背後に向けた。
「皇帝……いやヒューゴ!!! この人を愚弄しやがって……てめえは絶対許さねえ!!!」
「………………気に食わない」
低い、殺気立った声が空気を揺らす。
「使えなければ殺す。フレアさえ消えれば貴様らを潰すことも造作ない」
「誰がさせッ……――――!? フレア様!?」
私はカノンの体を抱え、飛び上がった。
その直後、地雷が次々と爆破される。
砂煙の向こうで、ヒューゴが嗤っている。
「フレア様! 俺は自分で――――――」
「大丈夫。大丈――――――」
黒々とした、煙だった。
それを認識した直後、頭の中を直接殴られたような、酷い痛みに襲われた。
「カノン、吸っちゃだめだ。これ――――」
「フレア様!!!」
門から充分離れたところで、足下がふらついて転びそうになる。――――手の中にいたはずのカノンが、私を支えて立っていた。
……視界が、歪む。
これは…………何だ?
「フレア様!! しっかりして下さい!!」
「わ、たし……は……大丈夫、俺、は――――……」
「フレア様……!? 何が――――……」
「前世の記憶保持者にだけ効く薬というのは、なかなか便利なものだな」
すぐ近くで、ヒューゴの声がした。
「てめえッ……一体何を…………!!!」
「邪魔だ、赤髪。貴様の相手はこいつらがしてくれる」
よく、見えない。体に力が入らない。……何だ? どうなってるんだ? これ。
「カノ、ン……――――」
意識が、引き離されていく。
自分が、自分じゃなくなっていく。
大勢の兵士が一気に姿を現した。――――カノンが戦っている。まだちゃんと治っていないのに。たった一人で、戦っている。
私も、動かなきゃ。動かなきゃいけないのに…………
まだ。まだだ。まだ終わってはいない。
私の旅は。このままじゃ終われない。それなのに――――……
体を、誰かに抱えられた。
……………………………………義勝?
「たす、けて……ローズ、が…………」
返事はない。
伸ばした手から力が抜け、私はそのまま、強制的に深い眠りの中へと突き落とされた。




