386 邂逅する
……夢を、見た。
こんな状況で一人暢気に寝られる訳がないと思っていたのに、私の神経はなかなか図太いようだ。
まあベッドで横になっていれば、自然と瞼も落ちてしまうものだろう。
暗闇の中で、男の子が一人、泣いていた。
私は思わず、その小さな背中に声を掛けた。どうしたんだい?と。
すると彼は、私の方を見もせず、応えた。
『あの子が、いない』
……あの子? それは誰?
『あの子が、どこにもいない』
男の子は泣き続ける。私は何もしてやれない。
そっと背中を摩すると、男の子に煩わしそうに手を払われた。
どうしてやることもできない。
彼の心は、ずっと遠くの誰かに囚われたまま。
幼い彼の横顔は、いつかの義勝によく似ていた。
「…………はあ」
不思議な夢を見たものだ。
目を開けると、もう随分見慣れた天井が目に映った。
部屋はランプが一つついているだけ。人の気配もない。
あの男の子は、誰だったのだろう?
体を起こして、少し気配を探ってみた。
部屋の外に、カノンとルベルの気配。
……ずっと私を守ってくれているのか。
むず痒いなと思いながら、少し水でも飲もうと立ち上がった。
机の上の水差しを取って、コップに注ぐ。
西支部はかなり静かだ。
あの爆弾を埋め込まれていた彼らは東支部の方にでも移動したのだろうか?
まだ爆弾はそのままなのか、それともレイン以外の医者によって取り除かれたのか……。
気配を探れば詳細もわかりそうだが、そこまでする体力は残っていない。
一体どれくらい眠っていたのだろう?
レインは無事に刀士郎に会えただろうか?
ジークは、ルカは、シリウスは、乱蔵は、イグニス公爵は…………皆、ちゃんと無事だろうか?
冷たい水を飲んで、静かに息を吐いた。その時――――――……
窓の外を、煙が覆っているのに気づいた。
「!?」
火事か、それとも毒ガスの類いか。
よく見ると、煙はうっすら紫色を帯びているようだった。
「フレア様!! 失礼します!!」
カノンとルベルが慌てた様子で扉を開けた。
ご無礼をお許しください!と言いながらクローゼットに仕舞った上着を引っ張り出し、私に被せ、靴を揃え、履かせ、「では逃げましょう!」と訓練並みの手際の良さを見せた。
「カノン、ルベル……あの煙は……」
「わかりません。警備に当たっていた団員によると、怪しい人影を見た直後、いくつも瓶のようなものを投げ入れられたと。毒ガスの可能性がありますから、絶対に吸い込まないようにしてください」
毒ガス……という言葉にヒヤリとした。
普段の私なら毒だろうとガスだろうと何とでもなるさと思えるが、正直今は体の調子が良くないし、もしノアの作った毒だと非常に相性が悪いと言うかノアの腕がいいと言うか……効かなかったことがない。つまりとてもダメージを受けてしまう自信がある。
ルベルは壁を触り、一カ所ガコンと凹ませた。
それからズズズ……と低い地鳴りのような音を立てながら扉が現れる。
「本当はヴェントゥス公爵に国に飛ばしてもらうのがいいのですが……間の悪いことに丁度出ています。どうかこちらからお逃げ下さい。他の団員たちも避難しています」
「サクラは…………」
「……恐らくまだ建物の中でしょう。俺が見てきますから、フレア様とカノンは先に脱出してください」
「いや、だが――――」
「すぐに脱出します。この建物のことは今俺が一番把握してますから、お気になさらず」
「え」
「フレア様、こいつは本当に大丈夫です。多分他の団員より抜け道とか隠し扉とか把握してます」
「え」
ルベルは『当然だ』と言うように自信満々に頷いた。
確かエイダがこの隠し扉のことを明らかにした時、すっごく怒ってたような……。
あの後彼女や団員を問い詰めたりしてないよね? ルベル。やってそうで怖いよ、ルベル。
「とにかく俺のことはお気になさらず。後で落ち合いましょう」
「あ、ああ。ルベルも気をつけて」
「じゃ、行きましょう! フレア様。早く中へ」
カノンが、私を先に隠し通路の中へと案内する。
それから背後の扉を閉めた。
「これでガスの方は大丈夫だと思いますけど、俺が先に行きますから、フレア様はゆっくりついてきてください」
「ああ……」
「大丈夫です。この先は安全ですから」
カノンの言葉は力強かったけれど、ここはどうも不安になるような静けさだった。
私たちの足音と息遣い以外何も聞こえない。
ルベルやサクラ、エイダに自警団の団員たち……彼らの安否を考えると、心がどうしても落ち着かなかった。
皇宮の方がどうなっているのか、他の皆の安否もわからない。
そもそもどうしてここが狙われたのか。大変なのが皇宮の方なら、皇帝たちも西支部にまでは手が回らないはずだと思っていた。
それとも、彼らの狙いは…………
「……大丈夫ですよ、ルベルはすげえ奴ですから」
しばらく歩いた時、先導するカノンが私を勇気づけるように言った。
「あいつは頭が良いし回転も早いし、すげえことどんどん思いつくし。だから大丈夫です。特に、建物の部屋の場所とか構造とか覚えるのがすげえ得意で。昔孤児院でバーバラを追い詰めた時もそうでした。あんな広い孤児院をパッと見ただけで地図なんて作っちまって全部覚えてて。……ほんと、すげえんです。だから大丈夫です!」
「…………うん」
「あいつは大丈夫です。サクラも絶対大丈夫です。体力あるし根性あるし、あの二人ならどこでもちゃんと抜け出してきます」
「そうだな……きっと大丈夫だ」
孤児院、か……。
懐かしい話に思わず表情が緩みそうになる。
でもその直後、カノンがあの時大怪我を負ったのだったと思い出してゾッとした。
いや…………大丈夫。
嫌な記憶を慌てて振り払った。今は治癒の力も扱えるし、何かあってもすぐに治せばいい。
一抹の不安を感じながら、私たちは真っ直ぐに通路を進んだ。
やがて、隠し通路の先に、扉が現れた。
カノンは僅かに扉を開け、外の様子を窺った。
私も気配を探ってみたが、扉の外に誰かが待ち構えている様子はない。
「……行きましょう。自警団が緊急の時避難する場所があるんです。そこなら皇帝も知らないはずですから」
「ああ」
外も静かだった。
少し離れた場所では自警団と皇帝の配下の者が争っているはずだが、不思議な程物音が聞こえない。
カノンは私の方を振り返って、ハッとしたように顔を強張らせた。
「あの、歩くの平気ですか? 顔色も悪そうですし……すみません、俺、すぐに気づけなくて……」
「いや、大丈夫だよ。そこまで体調が悪い訳じゃないから」
「俺が背負いましょうか?」
「ありがとう。だけど大丈夫、自分で歩けるから」
笑いかけると、カノンは少しほっとしたように頬を緩めた。
それでも不安そうな彼の手を取り、「構わないかな?」と見上げると、「こんなことで良ければ」と私の手を握り返してくれた。…………何だろう。赤い髪のためか、それとも快活でさっぱりした性格のためか。やっぱりカノンといると、どうしてもローズのことを思い出す。頼りたくなってしまう。
そうして、二人で避難場所に向かった。
その建物の前で――――――…………
「…………遅かったな? フレア・ローズ・イグニス公爵令嬢」
私は、思いも寄らない人物と邂逅した。




