384 【シリウス】 歩み寄る
「ッ……!?」
急に辺り一面が火の海になった。
俺は驚いて背後に飛び退いた。なんだかんだあまり火を使わないでいてくれるのかと思ったら、油断した。いや気をつけてても多分ビックリしたと思うけど。
シドは混乱しているみたいだった。
自分でも感情を抑えることができないのか、頭を抑えて、苦しそうに呻いている。
「あ、あいつ大丈夫かな……?」
「……とても大丈夫そうには見えねえな」
アランさんは舌打ちし、「お前は離れてろ」と言ったけど、俺は小さく首を横に振った。
いつも危険なことを引き受けて怪我ばっかするのはアランさんだ。
俺は……いつも役立たずだ。
少しは俺も役に立ちたいし、少しは俺にも背負わせて欲しい。
危険なことだって、一人で立ち向かうより二人の方がいいはずだ。……多分。
「み、水とか!? 水運んできてぶっかけたら落ち着くかな!?」
「どっから水持ってくるつもりだ? それでどうにかなりそうにも見えねえがな」
炎が建物を這って広がっていく。
煙がモクモク上がって、建物の中から悲鳴が聞こえた。
あまりにも静かな通りだったから、皆どこかに逃げたのかとか思ってたけど、きっと建物の中で息を潜めて、嵐が過ぎ去るのを待っていたんだ。あまり、治安の良い場所じゃないから。言い争いも発砲音も、きっといつものことなんだ。
「どうしよう……お、俺、救助に――――」
「シリウス!! 待て!!」
アランさんに腕を引っ張られる。くら、と体勢を崩して尻餅をつくと、俺が行こうとした場所に火の塊が落ちてきた。
「ヒッ……!?」
屋根の一部かベランダの一部か、火で脆くなったそれが、炎と一緒に落ちてきたらしい。
火は…………嫌いだ。
命も思い出も、何もかも飲み込んでしまう。
イグニス邸が炎上した時のことを思い出した。あの時も俺は無力で、結局何も出来なかったんだ。
こんな時、あいつならどうする? あいつなら…………
俺はシドの方へ顔を向けた。
火が邪魔でよく見えない。でも、やっぱりまだ震えてるし、やっぱりまだ怯えている。
シドを見ていると、自分の子どもの頃を思い出した。
あまり記憶にはないけれど、多分あれくらいの年の頃から、俺は施設で酷い実験を受けていた。
周りは嫌な奴ばかりだと思って、ずっと心を閉ざしてた。
でも、今は…………
『私、ステラ。あなたは?』
本当の、家族みたいな人と出会って
『クソガキども。俺の縄張りで何やってんだ』
信頼できる、大人に出会って
『道のど真ん中で何をやってるんだ。女性を口説くなら時と場所と状況を考えろ』
『美味そうな肉の塊を発見したんだけどあれ買ってぶつ切りにして今夜のシチューにぶっ込まねえ!?』
『皆揃って何してるの?』
楽しくて、信頼も尊敬もできる友達に出会って
『ちょっと何笑ってんのよ!!! もう……だから私は歌なんて……』
不器用だけど、優しくて強くて、可愛い。幸せにしたい、人に出会えた。
俺はすごく幸運だと思う。
シドは、孤独なんだろうか?
大切だって思える人はいるんだろうか?
俺にはまだよくわからない。第一皇子といるってのは聞いたけど、それはどういう関係なんだろう? 形ばかりの主従なのか、それとも…………
「ッ……クソ……何で……」
ただ、目の前で苦しんでいるあいつは、昔の俺のようであり、昔の孤児院の子ども達のようでもあった。
余裕がない。余裕がなくて、孤独で、どうすればいいかわからないんだ。
「…………俺」
「シリウス? おい、危険だ。近づくな」
「俺、話してみたいんだ、あいつと」
「話すって、どう――――」
「大丈夫。俺の方が年近いし……まだ、大人じゃないし……15だし……だから……」
アランさんは静かに首を横に振った。
……わかってる。それがどれだけ危険なことかって。
でも、話してみたいんだ。傍にいてやりたいんだ。
だってあんなに震えてるのに、一人ぼっちは…………
『何を言われてもここにいるわよ。一人じゃ寂しいでしょ?』
…………多分、寂しい。
「シドの心をどうにかしないと……」
「だが……お前はあいつのこと何も知らねえだろ? どうにかするっつっても……」
「でも、でもさ、アランさんは、俺のこと何も知らないけど助けてくれただろ?」
アランさんは言葉に詰まった。
「そいつは……まあ……」
「俺は、アランさんにも救われたんだ。見ず知らずでも、こんなに助けてくれる人がいるんだって、嬉しかったんだ。だから……伝えたいんだ。だってあの子は……まだ、5歳だから。今まで周りがずっと敵ばっかりで、悲しいことばっかりだったんなら、この世界には味方になってくれる人もいるんだって、確かにあるんだって……優しい人とか、場所とかも。そういうことを伝えたい。そういう……大切なことを」
「……あいつは今興奮状態だ。伝わるか? 下手したらお前が死ぬんだぞ」
「それ、は…………」
火を見ると身が竦む。正直、あの近くにいくのはすごく怖い。
シドは俺のことなんて一瞬で火だるまにできるんだ。そんな相手に、冷静に言葉をかけることなんてできるのか?
「でもさ……そうしなきゃ……」
この炎は消えない。たくさん建物が燃えて人が死んで……取り返しのつかないことになる前に、何とかしなきゃならない。何とかしなきゃ…………きっと、シドが一番苦しむことになるんだ。
「俺は大丈夫。いざとなったら鳥とかに変身して逃げるから」
「…………焼き鳥になるんじゃねえぞ」
「不吉なこと言わないでよ」
アランさんは燃え盛る建物に顔を向けた。
「……行って来い。俺も見てる」
「ありがとう」
アランさんの姿が消える。
俺はシドの方へ、一歩進んだ。
「…………シド」
名前を呼ぶと、小さな肩が僅かに上がった。
「俺は、シリウス。……ああ、さっき言ったな。あ、あのさ! 俺、えっと……親の記憶がないんだ」
「………………」
「ずっと実験施設に入れられて、そこで変な実験いろいろ受けて。……辛かった。寂しかった。でも、でもさ、こんな俺にも、今は大切な人がたくさんいるんだ」
何て言ったらいいのかわからない。
言葉がうまく出てこない。こんな時、ルベルやルカだったらすらすら出てくるのかな?
「聞かせてくれないか? その、シドの話……。第一皇子……カイウス様とは、いつもどんな風に暮らしてるのか……どんなことを考えて、どんな物食って……あ、好きなものとか、嫌いなものとか!」
「……………………なん、で」
「シドのことが知りたいんだ。俺たち、君を助けたいんだよ。だからこの国に来たんだ」
その時、初めてシドは俺を見た。
赤い目が、僅かに潤んでいる。
「俺……を…………?」
「うん、シドを捜しにここまで来た。君が一人で苦しんでいるんじゃないかって」
「どう、して…………」
「あいつが、イグニスの……お姫様が、言い出して」
シドはみるみる目を丸くした。信じられないとその顔が言っている。
炎の威力が、明らかに弱まった。
「嘘だ……何で……フレア・ローズ・イグニスが…………」
「あいつは知らなかったんだ。自分の力が、君に移っていたなんて。すごく後悔してる。それに君を辛い目に遭わせたって。自分のせいで、て……。だからさ、その……話してみてほしい」
「嫌だ、俺は。俺は……カイウス様さえ……」
「いるんだよ。ちゃんと。カイウス様も、そうだとは思うし、でも他にも、シドのこと心配してる人はたくさんいる。それを知ってほしいんだ。それを知って……この、世界が、君にとって心安らぐ場所になって欲しい。どこにいたって、何をしていたって」
シドの目から、涙が一筋流れた。
「青い、目…………」
彼がぽつりと呟いた、直後――――……
炎が、緩やかに収まった。
まだ燻る地面を蹴って、俺はシドの体をそっと抱き締めた。小さい。小さくて細くて頼りない。なのに……どこに、あんな力があったんだ。
シドは俺を見上げて、瞬いた。手を伸ばし、俺の目元に触れる。
「変だ。あんた――――――」
その時、ガラ、と何かが崩れる音がした。
顔を上げると、黒く焦げ付いた煉瓦の破片が、次々と落ちてきた。




