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381 【ジーク】 追われる




 兄さんは仮面をつけていなかった。

 僕と同じ濃紫色の瞳で、じっと僕たちを見下ろしている。



「……おい、あれあんたにそっくりじゃねえか? 何だあれ。隣の奴はシド……だよな? どうなってんだ」

「…………お前会ったことなかったか? ノア・ファートゥム第二皇子だ」

「あーー………………」


 乱蔵が首を傾げる。

 確か兄さんと対峙したことはあったはずだが、記憶から完全に抜けているらしい。

 それとも素顔があまりにも意外で記憶の中の兄さんと合致しないのか。


「俺会ったことあるよ。二面性が激しい人」とシリウス。

「あれは二面性とか言うレベルじゃないと思うぞ」


 そして今の兄さんは、嫌な方の兄さんと特別嫌な方の兄さん、どちらかと言うと特別嫌な方。

 何でこんな時に……と僕は拳を握り締めた。



 やっぱり信用できない。あの時、帝国に入る前に身柄をしっかり拘束しておくべきだったんだ。

 兄さんが二つの人格を宿していることはわかった。

 でもいずれにせよ、主人格があれじゃこうなることは最初からわかっていた。



 理解出来ない。

 皇帝を追い詰める側という意味では協力関係にあって然るべきなのに、どうしてわざわざ対立しようとするのか。……隣にシドがいるということは、兄さんはカイウス殿とも協力してるはずだろう。なのにどうして僕らの邪魔をする!? こんなところでいがみ合っている暇はない。今すぐ皇帝を追いかけるべきだ!!




「本当に意味のわからない…………!!」



 いや、わかろうとする方が間違っているのか?

 あの人が望むのは混沌。それとフレアか。



「シド、あいつらは悪~い奴らだから、思う存分燃やしちゃって構わないよ!」

「なッ……」



 とんでもない指示が聞こえたその直後、地面を舐めるように火が上がった。



「ッ……!!」

「クソ、どうなってんだこの――――」

「わわわッ、ヤバいヤバいヤバ――――――ッ!?」



 一瞬で燃え上がった火の向こうから、小さな体が短剣を手にシリウスに迫る。

 シドだった。そして彼が現れた途端、一瞬で火は消えた。



「ッ……!!」

「シリウス!!」



 シリウスは抜き身の剣でその攻撃を受ける。キン――――と耳障りな音がしたがそれも一瞬で、シドはすぐに背後に飛び退いた。



 まだ五歳か、六歳くらいだったか。幼いのに顔つきは妙に大人びて、所々に傷跡が走る。



「………………」



 僕を見て少し戸惑っているようだった。

 チラリと兄さんの方へ視線を向け、それから乱蔵を見て更に戸惑ったように表情を歪ませる。



「西支部で会っただろ。俺たちは敵じゃねえよ」

「…………」



 乱蔵が声を掛けるが、シドは短剣を収めなかった。

 眉間に皺を寄せ、苦しそうに表情を歪めたまま殺気立っている。

 その言葉を信頼するべきかどうか、迷っているのだろう。



「ッ……ノア・ファートゥム!! こんな不毛なことをする必要があるのか!? 今だけでも僕らは協力するべき――――――」

「うるさいな」


 発砲音が鳴る。

 僕のすぐ近くの壁を銃弾が抉った。


「誰がお前と協力するか。この混乱に乗じてお前らを殺してしまえば、フレアに纏わり付く虫が少しは減る。最高でしょ?」

「お前は……本当に……」

「シド! そいつらを殺したら兄上もお喜びになられるよ。だからさっさと丸焼きにしてあげて!」

「チッ……何だあいつ。狂ってんな」


 乱蔵が全くもって同意としか言いようのないことを呟き、僕とシリウスに顔を向けた。


「おい、王子サマはさっさと逃げろ! あのガキを相手にするとなると守りながらは――――――」


 乱蔵の声が途切れる。

 シドが襲いかかり、乱蔵はそれを躱して糸を吐き出した。シドは至って冷静に、その糸を炎で焼き切る。



「アランさん!!」

「シリウス、離れてろ!」



 シリウスが乱蔵を守ろうとあいつの方へ駆け寄る。

 その時、僕は兄さんの姿が屋根の上にないことに気づいた。



「仲間はずれのお前のことは、僕がしっかり相手してあげるよ」

「ッ……!!!」



 背後から声を掛けられて、突然のことに体がすくむ。

 さっきまで屋根の上で嗤っていたはずだ。それがいつの間に――――……



「この愚図。ほんとに殺すよ?」



 背中を蹴りつけられ、無様に床に手をついた。

 皮膚がすりむいて血が滲む。



「王子!!」

「しまッ……――――――」



 乱蔵とシリウスが僕の方へ注意を逸らした途端、シドが炎を纏いながら短剣を振りかざした。

 二人を僕の元へは行かせないつもりらしい。



 クソ、この場にカイウスがいればこんなことには……――――大体なぜシドを兄さんなんかにつかせたんだカイウス!! 後でたっぷり恨み言を言わせてもらうからな――――――……!!



「ほらほら、早く立ち上がりなよ、愚かな弟。今は僕よりずっと背もあるんだからさあ、いくら役立たずのお前でも、僕に負けるなんてこと、ないよねえ?」

「…………」


 小さく息を吐いた。

 立ち上がり、こちらに銃口を向ける兄さんを真っ直ぐに見据える。

 どくどくと心臓が煩い。あの銃口がいつ火を噴くかと、恐怖が頭を過る。



「ほら……早く逃げなよ。時間を数えて追いかけてあげようか? 僕は優しいからね」



 僕は駆け出した。


「い~ち……じゅう!」


 背後から僕を責め立てるように発砲音がして、足下の地面を打ち鳴らしていく。


「あははッ!! ほんとに時間なんて数えると思った? バカだねえ。ほら、早く早く~! そんなとろとろしてたら折角の追いかけっこがすぐに終わっちゃうじゃない。それじゃ面白くないでしょう? ねえ!?」

「ッ…………」



 意味がわからない。本当に狂ってる……。


 ルークの死にショックを受けた兄さんが作り出した別人格?

 違う。あいつは元々ああいう性分を腹の底に抱えていたんだ。それが表に現れたに過ぎない。




 兄さんは僕を嫌っていた。

 僕なんて生まれて来なければよかったと。

 双子でなければ、僕が存在さえしなければ…………全てうまくいったのにと、そう言っていた。

 だから僕を売ったんだ。そのせいで、僕は死よりも辛い目に遭った。


 僕だって同じことを思う。お前さえ生まれて来なければって。

 お前と一緒に生まれた瞬間から、僕の地獄は始まっていたんだ。

 そうだ、お前のせいで何もかもが狂ってしまった。

 シノノメに囚われたのもルークが帰って来なかったのもフレアが辛い目に遭うのも…………

 全部全部お前のせいで…………!!








『……大丈夫』




 千年も昔のことを、不意に昨日のことのように思い出す。




『僕が必ずお前を守ってやるからな。――――――いつかどんな怪我も、すぐに治る薬を作ってやるよ。約束だ』




 そう言ってくれた勇敢で優しい兄は、何もかも幻想だった。




「ルークへの憎しみは終わりにした。だが……お前は別だ」



 

 僕は通りをひたすら走った。

 自警団の連中と少しは鍛錬をしておいてよかったかもしれない。

 これだけ走れば、普段の僕なら間違いなく体力が切れて倒れていたと思う。



「どんどん足が遅くなってきてるよ~? ほ~んと体力ないんだねえお前」

「ッ……」

「足もおっっっっそ。欠伸出そう~~」



 言い返す体力も起きない。

 逆にこいつはなんでこんなに体力があるんだ? 僕と大して変わらない……いや僕よりないはずなのに……! きっとここに来るまでに相当走ったからそのせいだ。決して僕の体力がない訳でも足が遅い訳でもない…………怒りを原動力にして必死で足を動かした。





 ――――――その時、目当ての場所がようやく見えた。




 足を止める。止まって息を整えていると、背後からまた蹴りつけられた。

 今度は無様に転がらず何とか堪えるが、堪えたところで胸倉を掴まれ壁に叩きつけられた。



「ぐッ……」

「ほんと傑作なんだけど。お前ってさぁ……あの力がなかったらほんと何もできないんだな。いっっつもフレアとか騎士とかに守られてさあ」

「…………だったら何だ」

「開き直るの? 役立たず。お前には何の価値もないんだよ。ただ無様に千年も生きながらえて、国王なんてやってさあ。さっさと消えろよ、この世界から。ようやくそれが叶う体になったんだからさ」

「この命はやれない」


 兄さんの目を睨み返した。



 …………あの時のことを思い出す。

 千年前、ルークはもう帰らないと、短剣と手紙を持って僕の部屋を訪れた時。


 あの時と、よく似ている。



「これはフレアの命だ。大切な大切な……一秒たりとも無駄にしてはならない命だ。お前にだけはやれない。お前なんかには、絶対に――――……!! 僕はこの命をフレアのために使う。できることならフレアに返す。それが叶わないと言うなら、この命を最期まで全うする」 



 兄さんの目がすうっと細められる。



「…………はっ、何、言ってんだか。お前にその命を生きる資格があると思うの? 大体、ちゃんと生きるってどういうことかわかる? 無理無理。愚図で間抜けで弱い、お前、なんかに――――――……」

「苦しみも絶望も知ったことか。僕は千年生きた。お前にその孤独がわかるか。苦しみが。脆弱なのはどっちだ! 別人格に支配され良いようにされている、お前なんかに、僕の何がわかる!!!」

「…………千、年……」




 兄さんの睫毛がピクリと震えた。

 その時、全く唐突に……





 滴が、零れた。



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