370 【ルカ】 約束する
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「くっ……フレアは、フレアまで、あの子まで赤髪が、すすすす、す、好き……なぜだ!? なぜ……!! 赤髪のどこがそんなにいいと言うんだ!? あんな派手派手しいのよりローガンの柔らかな髪色の方が数倍いや数十倍数百倍数千倍――――!!!」
サピエンティア侯爵はハンマーを手に怒りに震えていた。
今にも暴れそうで近づけない。
粉々になった映像石を見ると背筋がヒヤリとした。
カノンがルーク――――フレアを運ぶところを見てから、侯爵は様子がおかしい、どころじゃない。
「侯爵、煩いから落ち着いてください!!」
ローガンは目をぎらつかせながら侯爵に木刀を突きつけた。
こっちもこっちで殺意が溢れて、今にも侯爵に斬りかかりそうな勢いだ。
「赤髪……異人……異人か。異人がほむらに……」
ブツブツ何か呟いているけど……
うん、君もちょっと落ち着いた方がいい気がするな。
ローガンはフレアに近づく男全てに殺意を向けているように思うけど、サピエンティア侯爵はちょっと違う。
多分、“イグニスを彷彿とさせる赤毛の男”を憎んでいるんだ。
イグニス公爵が――――父上が、赤髪だから。
「……侯爵」
声を掛けると、彼はのろのろと僕を見た。
「ルカ」
殿下が僕の肩を掴む。
僕が何を言おうとしているのかわかってるんだろう、“やめておけ”、と首を横に振った。
アランや……あのレオンさえ、どこか僕を気遣うような顔を向けている。
でも、僕は……
「すみません。……今、話しておくべきだと思うんです」
後で話しても、それはあまり意味がないような気がした。
今、この時に言わなければ、彼にはきっと何も届かない。
このタイミングを逃してしまえば、イグニス家に対してこんなにも憎しみを抱いている、この人の気持ちを受け止めることも、そうする資格すら永遠に失ってしまう。
そんな気がした。
僕はそっと殿下の手を離し、侯爵へと顔を向けた。
「僕の名前は、ルカ・ローズ・イグニス」
「ッ……! イグ、ニス……!?」
侯爵の目が見開かれる。
「しかも……ローズ……確か、イグニスでその名を持つということは……」彼の表情が歪んだ。
「ええ、僕は本家の人間です。……母はソフィア・ローズ・イグニス。義理の父がフェルド・ローズ・イグニス公爵。フレアは、僕の義理の妹です」
シン、と静まりかえった。
動揺、怒り、憎しみ………………後悔。
侯爵の目に、いろんな感情が浮かび、混ざり合っていく。
僕は侯爵から視線を逸らせなかった。
「………………………………ソフィア」
随分、時間が経った頃。
侯爵がぽつりと母の名を零した。
「聞いたことがある。その名前……。そうか、君が…………だが彼女は……」
「五年ほど前に再婚しました」
「……ああ、そうだったか」
イザベラ様が、多分この世で一番憎んだのは母だった。
では兄である侯爵にとっても、母は憎い存在だったろうか。
重いハンマーが飛んできたらどうしようかと、冷や汗が流れる。
でも、彼は、侯爵は、ハンマーから手を離し、疲れたように額に手を当てた。
「そうだったか……。先程は、すまない。軽率だった。イグニスを侮辱したこと、許してほしい」
「…………え?」
耳を疑った。
「でも……あなたは、イグニスを……」
「…………君はいくつだ」
「17……8になります」
「まだ子どもだ。君には何の罪もない。あの男への憎しみを、君にまで向けるつもりはない。全ては、我々の世代が犯した過ちだ。……もしかしてあの赤髪の青年はイグニスの……?」
「ええ、カノン…………イグニスです」
「はあ……。そうか、あの少年にも謝った方がいいかもしれないな。大人げない」
ガシガシ髪を掻きむしってから、ため息を吐いた。
「我々は出会うべきではなかったのだ。……出会うべきじゃ。わかってはいる。頭で理解してはいる。前世という……君たちからすれば信じられないような、笑ってしまうような曖昧なもので、君たちを巻き込み、その結果不幸ばかりを積み重ねた。元凶は我々だった。イザベラがあの男に執着したせいで……。ただ…………わかってはいても、心は受け付けない。あれほどまでにイザベラを……………………いや、これ以上は」
「……侯爵」
「過ちだった。全て間違っていた。交わらなければ、我々は憎み合うこともなかった。悲劇は起きなかった。それぞれの国で、それぞれの道を、静かに歩むことができた……はずだった」
悲劇……
そうかもしれない。
イザベラ様が本当に母上を暴漢に襲わせたのか、それは今となってはわからない。
でも、きっとイザベラ様と公爵が会わなければ、母上は皆に祝福されながら結婚し、ルチアが生まれ……。イザベラ様は皇帝と結婚し、皇后となっただろう。
「……確かに、過ちだったかもしれません」
もう起こりえない未来は、今よりもっと平和で穏やかなものだったろうか。
「でも全てを、その言葉で片付けて欲しくはありません。悲劇の末に……僕が生まれ、フレアが生まれたんです。僕らの出生を、過ちとはしたくない。僕も、フレアも、生きたくて生まれてきました」
ずっと、苦しかった。
辛かった。
僕が生まれたせいで、母は皆から蔑まれた。
“呪われた子”と言われる度、どうして生まれてしまったんだろうといつも思っていた。
でも、今は……
『胸を張って生きなさいよ!!!』
あの時の、幼いフレアの声を、僕はまだ覚えている。
「父上とあなた方が巡り会わない未来は、穏やかなものだったかもしれない。でも僕は……少なくとも僕は、感謝しています。そのおかげでフレアに出会えた。彼女のいる世界は温かくて優しくて、力強くて…………早く侯爵にも会ってもらいたいです。きっと少し話したら、すぐにわかると思います。彼女がどんな人かって」
僕は、この世界を愛してる。
彼女のいるこの世界に、生まれてよかったって。心から。
「フレアに会えたら、いろんな話をして、思いきり甘やかしてあげて欲しい。絶対喜びますから」
「……ああ」
「父上とも、少しずつでも、どれだけ時間がかかっても……歩み寄っていただきたいと、そう思っています。難しいことはわかっています。それでも、これが僕の願いです。いつまでも憎み合うのは…………苦しいですから」
「………………ああ、約束する。次にあの男と会う時には…………君のことを思い出そう。若い世代がここまで歩み寄ってくれているのに、それを無下にすることはできない」
侯爵は頷いた。
その目は僅かに潤み、表情は柔らかかった。
緊張して強張った心が解れていく。……良かった。話せて本当によかった。
「……君は不思議な青年だな。イグニス家は血気盛んな連中が多いと思っていたが……ああ、すまない、また失礼を」
「いえ、僕は確かにちょっと変わっていますから。イグニス家が血気盛んなのは真実――――――」
――――――――――ガンッ!!!
……屋敷の外で、何かが落ちるような音がした。
人の気配が増え、一気に騒がしくなる。
何を言っているかわからないけど、声が聞こえた。
鎧の擦れるような音も。
侯爵はハンマーを手に扉へ向かい、アランは窓の外へ飛び出し、レオンは「誰が来ようと一瞬で凍らせてくれる……!」と殺気立つ。「皇帝か……!?」「全員武器を持て!!」自警団の皆も、団長を中心に動き始めた。
それから――――――……
「貴様ぁッ……!!! よくもその間抜け面をのうのうと見せに来られたなこの忌々しい赤髪め!!!」
「誰が――――ッそちらこそ相変わらず腑抜けた顔をしているものだなサピエンティア!!!」
侯爵…………
約束は?




