368 【義勝】 巡らす
『赤い髪なんて不吉この上ない……!! ああクソ、思い出したらまたアレルギーが……!!』
……サピエンティア侯爵はあんなに情緒不安定な人だっただろうか。
『そんなことより皇帝!! ルークは今どこに――――!』
『わわわ、一旦切りましょう! 一旦! あ、壊せばいいですか?』
『何をするルカ!! 話はまだ――――』
ぎゃあぎゃあ言いながら映像が途絶えた。
恐らく本当に破壊してしまったのだろう。……何をしている。
俺はペッと血の混ざった唾を吐き出した。
屋敷の方がまずいことになっていると、皇帝を押しのけてほむらに忠告したばかりに、何発か顔面に拳を食らった。まあ肉がクッションになってくれたおかげでそんなにダメージはないが。
屋敷の方も映像が途絶えている。
恐らくアグニというあの男が暴れている途中で映像石その他諸々もまとめて破壊してしまったのだろう。
西支部の方はまだ残っているが、映像石を見つけた自警団員たちが黒い布を被せて映像を見えなくした。
「血、が……」
皇帝は通信石の方を切り、よろよろと椅子に腰を下ろした。
血……まさかほむらが鼻血を出すとは。
確かにあれだけ剣を振るえば体に何らかの負担が強いられてもおかしくないが、俺の知る限り、前世でのあいつは一度だって調子が悪くなったことがなかった。
何日も寝ずに戦い続けてもけろっとしていた奴だ。
だからこそ余計に、あの様子には心がざわつく。
「一体どんな毒を……」
ちらっとノアを見れば、爪を弄りながらぶすくれている。
俺の部屋に来た直後、皇帝に捕らえられ一緒に部屋に連れて来られてしまった。何だかよくわからない、怪しいもののずらりと並ぶ皇帝の薄暗い部屋に。
こいつからしたらとんだとばっちりだろう。
「ノア、あまり変な毒を使うな。体にどんな影響があるかわからない」
「うるさいなあ。大丈夫でしょ、フレアは僕の玩具なんだから」
「おも……そんな言い方はやめなさい」
「何? 急に兄貴面するのやめてくれる? 大体お前がドジ踏んだからこんなことになってんだろ」
「それは……。だが女性の姿にさせるなんてさすがにどうかと思うぞ。悪い影響があったに決まってる」
「……女性の姿に“させる”?」
「大体心臓にも悪い。あれじゃ前世にそっくりだ。あいつは男なのに……」
「はあ? 何言ってんの? そもそもフレアは……」
ノアは何か口ごもった後、「まあいっか。面白そうだし」と口を噤んだ。
「そもそも何なの? 完全ノーマークだったのにまさかこんな豚がフレアと関わりあるとかほんとムカつく」
「何の話……」
「何をコソコソ喋っている」
皇帝がぎろっと俺たちを睨み付ける。
「今この場でお前達の首を刎ねてもいいんだぞ。愚鈍なくせに俺に反逆の意志を見せた長男と、失敗ばかりの次男。……ハッ、まさか息子がこんな役立たずの恩知らずどもとはな」
いつも俺たちと接する時でさえつけている仮面を、今はつけていない。
血走った目はやがて逸らされ、奴はイライラと髪を掻きむしった。
俺が反逆者と判明したのも、恐らくあのエイダという女性が洩らしたのだろう。
全く…………と言いたいところだが、別に構わない。
遅かれ早かれ皇帝にはその意志を伝えるしかなかったし、時間ならもう十分にあった。
「父上」
ノアが歌うように口を開ける。
あの状態の皇帝によくもまあ話しかけられるものだ。この余裕は賞賛に値する。
「イザベラ、というのは? フレア・ローズ・イグニスの母親の名ですよねぇ? 違いますか?」
「黙れ」
「教えてくれてもいいじゃないですか。僕らは父上にそんなに愛していた方がいたなんて知りませんでしたよ。母上にだってあんなに冷たかったのに――――」
「黙れ!! 本当は貴様らは奴らの目の前で甚振ってやる予定だったのだ!! それが…………。あの化け物め。あいつのせいで全てが狂った。散々かき回しおって……!」
……化け物、か。
その侮辱を聞くと今でも腹の底から怒りが込み上げてくる。
あいつは鬼子じゃない。化け物なんかじゃ決してない。
心優しくて勇敢で、たまに臆病で、たまにぶっ飛んだことをする……普通の……いや、ちょっと普通ではないかもしれないが……まあ概ね普通の剣士だ。
だが一つ理解のできないことは、こいつが夥しい殺気を発したタイミング……それがほむらが鼻血を出し、ふらついた時に赤髪の青年が支えたという、あのタイミングだったことだ。
あいつが「赤髪が好き」とか言った時も酷かった。あれは俺も気になるが…………いや、今はそんなことを考えている時じゃない。
まさかとは思うが、皇帝はほむらに、昔愛した女性の面影を重ねているのか?
だとしたら相当厄介だ。決してほむらに近づかせてはいけない。
「まあいい。お前たちが何を企んだところで何もかも無駄だ。アカツキ王国と戦をする。今、すぐに」
実際、通信石を使えばそれも容易いだろう。
皇帝はあちこちに兵士を送り込み、常に諸外国の動向を探っていた。
アカツキ王国ほど遠い国であっても、彼らを使ってあっという間に大量の兵士を動員することが可能だろう。後は都を占拠して、そこからアカツキ王国を滅ぼしてしまえばいい。
本来ならば戦争をするには正統な手順が必要だ。
だがこの帝国と言うのは、それらを無視して後から理由をこじつけ、行為を正統化するということを繰り返してきた。
勝ってしまえば正義だ、と。
そしてそれを黙認させるだけの軍事力があった。
しかし小国ならばまだしも、アカツキ程の大国相手にそれが通用するか?
「我が国への被害は甚大なものになるでしょう。それでも戦争をするというのですか」
「……お前、豚のくせにまだ私に刃向かうか?」
「でしたら相手への通達からでしょう。戦をするに値する正統な理由も――――」
「通達? 必要ない。正統な理由ならばあるだろう。あんな化け物を送り込んだのだ。それに王太子自らこの国に入って勝手にコソコソやっていたんだぞ。あんな国はさっさと滅ぼしてしまうに限る」
皇帝は口元に歪んだ笑みを浮かべた。
「あの化け物を血祭りに上げれば、まず一番にお前に見せてやろうか?」
「……そんなことができると?」
「くくッ、自警団団長、それに副団長や邪魔な聖騎士どももサピエンティア邸。瞬間移動が使えるのはヴェントゥス公爵のみ。合流するとしても、早くとも翌朝だろう。すぐにはこちらに来られまい。屋敷の方は混乱状態。自警団など所詮有象無象の集まり。さっさと西支部に兵を出せば、今度こそあいつを捕まえられる。弱っている今こそチャンスだ」
皇帝が合図を出す。
俺の近くに控えていた兵士が、俺を引っ張り皇帝の前に突き出し、跪かせた。
「そしてお前は……父に反逆した息子として極刑に処す。国民の前で、その醜い姿を晒し、首を落とされるのだ」
「…………」
「チッ……。どうした? 少しは命乞いでもしてみろ。さあ」
「……なぜ俺がお前に命乞いなど?」
睨み返せば、皇帝は腹立ち紛れに俺の顔を蹴り上げた。
「ッ……」
「命乞いをしろ! 無様に恐れてみせろ! 愚鈍な豚らしく惨めに――――!!」
「…………」
前世の記憶があるせいだろう。
この父親が酷く幼く見える。
俺を脅して怖がらせて、それで自分の方が優位に立っているのだと示したくて仕方ないのか。
……愚かだ。
この人は、恐らくずっと何かを恐れている。
それが何なのか、俺にはまだわからない。
皇帝は俺が何の反応も示さないことに苛立ち、銃を突きつけた。
それでもじっと睨み付けていれば、何度か蹴りつけられ、床が血で濡れた。
「やめろ。その目で……私を…………!!」
「…………」
「そうだ……この部屋には人間爆弾が潜んでいるかもしれないぞ? 今すぐこの場で爆発させてやろうか? 貴様の背後にいる兵士、奴らも爆弾を抱えている。恐ろしいか? 恐ろしいだろう!!」
「やれるものならやってみろ。その場合、貴様も一緒に爆死することになるがな」
「ッ……」
「俺を脅すためにそんなデタラメを言っても無駄だ。この兵士たちにはまだ爆弾など埋め込んでいないだろう。万が一誤爆する可能性を考えれば、お前が自分の身近にそんな奴らを置くとは考えづらい」
だが……と言葉を続けながら、俺は立ち上がった。
「兵士諸君、腹に爆弾を埋め込むような主君の傍にいては、君たちも本当にあの者たちのような酷い目に遭うかもしれないぞ?」
映像を見ていた彼らに、呼びかけた。
表情は固いままだ。だが、迷いが生じているのははっきり伝わった。
「貴様……こいつらを引き入れるつもりか? ハッ、この状況でよくもそんな――――」
「俺の傍につかないのであれば、諸君は今すぐ逃げることをお勧めする」
「は……?」
俺は兵士から皇帝へと顔を向けた。
「さっき自分で言ったばかりではないか。通信石を使えばすぐにアカツキ王国を攻めることが可能だと。だが、それは必ずしもあんたにしか使えないものという訳じゃない。あんたが大切に保管している通信石を利用し、優秀なあんたの手下を騙し、アカツキ王家と連絡を取ることも容易いということだ。……ほんの数時間あればな」
使える手は全て使わせてもらう。
たとえ、卑怯者と罵られようと。




