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122 知ってしまう



――――――



「……ん」


 柔らかな子猫の感触で目が覚めた。おはぎが私の手をペロペロ舐めている。どうやらうたた寝していたらしい。部屋には他に誰もいなかった。確かここはレオンの部屋で……あれ? 毛布が掛けられている。まさかレオンが? あいつ意外に良い奴。

 う~んと大きく伸びをした。多分レオンは次のスケジュールをこなしに出て行ったんだろう。別に起こしてもらっても良かったのに。おはぎの柔らかな毛を撫でていると、ふと足下に何か落ちていることに気づいた。レオンの部屋はこんなに整頓されているのに床に書類なんて変だなと手に取った。しかもしわくちゃの紙……メモ用紙に走り書きしたような文字だった。


「……え」



“ルーク様、元気?”



 思わずビクついて辺りを見渡した。私以外に人はいない。おはぎを見ると、「褒めて褒めて!」と言うように期待に満ちた目でじっと私を見上げている。


「まさか……おはぎが?」

「にゃあ」

「賢い子だとは思ってたけどこんなに賢いなんて……! 天才!」


 よしよしと撫でると「にゃああん」と嬉しそうに甘えてきた。おはぎがレインの所まで行ってお使いしてくれたってことよね。人懐こいし賢いし、この子の唯一の失敗と言えばレインの地下室に迷い込んじゃったことくらいかしら。猫が手紙のお使いなんてとても信じられないけど、まあ細かいことはいっか。


“こっちはいろいろ騒がしいよ~。何か知らないかって君の騎士たちが来てね~、取りあえず知らないって言ったけど、み~んな死神みたいな顔してて怖い怖い。早く元に戻らないと本気でヤバいよ”



「はあ……わかってるわよ」



“私からは以上~。ルーク様がなんでルーク様になっちゃったのかはわかんな~い”



「進展なし、か」



 まあ私がここにいる以上仕方ないか。そもそもレインにだって見当のつかないような話だったわけだし、私の体を調べられもしないのにそう簡単に原因なんてわかるわけがない。


「にゃあ」


 おはぎがレオンの机から勝手にペンを咥えて私のところまでやってきた。


「返事を書けってこと? 街は危険だからあんまり行かせたくないんだけど……」

「うにゃあ」

「……さてはレインに頼まれてるの? あいつ猫ちゃんを何だと思って……」

「んん」


 ほんとほんと、と言うようにおはぎが頷く。この子は本当に人の言葉がわかるのかもしれない。もしレインの実験とかでわかるようになったんだとしたらあいつ許さないわよ。猫ちゃんに手を出す奴は許さん。……まあさすがにそれはないか。おはぎは催促でもするようにぐりぐりと頭を押しつけてきた。これはこれで可愛いから永遠に押しつけられていたいくらいだけど、仕方ないから返事を書くことに。手紙の裏にペンを走らせる。


「レインへ……て書くのもどうかしらね」


 別に宛先なんて書く必要はないけど。なんとなく思いついた名前を記して小さく折りたたんだ。


「じゃあくれぐれも気をつけてね」

「にゃあ」


 手紙をぱくっと咥えて、おはぎは元気よく少し開いたドアの隙間から出て行った。


「誰か開けてくれたのかしら」


 ちょうど良いや。折角だから屋敷の中をうろちょろするか。人様の部屋でずっといるのもね。レオンに見つかったら怒られるかもしれないけど、目を離した方が悪い訳だし。

 廊下には誰もいなかった。ちょっとほっとしながら、広くて綺麗な廊下をのんびり歩く。何もかも綺麗に整えられた綺麗な屋敷。アクア家の使用人たちの努力が窺える。彼らも超細かいスケジュールに沿って働いているのかしら。……ええ、きっとそうでしょうね。レオンたちがあれなんだから。何でもきっちりやっているところが容易に想像つく。




「――……は、だが――」

「……ない、どう……」




 しばらく進んだところで、誰かが話しながら近づいてくる気配を感じた。まだ遠い。だけど確実にこちらに向かってきてる。何より――



「お――だ、もしか……レア――」




 この声……!!!

 何で何で何で!? 何であいつがここに……!!


 焦ってどこか隠れられるところを探したけど何もない。ヤバい、めちゃくちゃ近づいてくる……。咄嗟に一番近い部屋のドアノブを回すと鍵はかかっていなかった。誰かの書斎かもしれない。二つくらい部屋がくっついたような広い部屋の中には誰もいない。よしあいつがここを通り過ぎたら出ようと思っていたら…………ドアノブが、回った。




「――――――――~~~~……ッ!?」




 床をスライディングしながら遠くに置かれたソファの裏まで潜り込んだ。



「……ん?」

「どうした」

「…………いや、何でも無い。気のせいだ」



 心臓がばっくんばっくん煩い。気配を……気配を消さないと。



「取りあえず座れ。落ち着くんだ」

「もう3日目だ。そもそもフレアがいなくなったのはアクア家の落ち度じゃないのか」




 フェルド・ローズ・イグニス公爵……。私の父親が、なぜここに。




 気配を消して窺う。二人は机に向かい合って座っていた。ゴゴゴ……と黒い靄が見えそうなくらい空気が濁っている。そりゃそうだわ、イグニス公爵とアクア公爵は犬猿の仲だもの。だから絶対何があってもイグニス公爵がここに来ることはないだろうと思っていた。



「そちらのご令嬢は家出したんだろう。あれは外部からの侵入者がいたのではなく自分から出て行ったんだ」

「だがまんまと脱走させたのはやはりアクア家の落ち度だ。フレアはまだ14歳だぞ」

「失礼だが彼女の身体能力は14歳じゃないだろう。それは王国の誰もが知るところだ」

「言い訳か。見苦しい」

「事実を言ったまでだ。……こちらも捜索には力を入れている。あまり焦るな」

「……貴殿のところのご令嬢がいなくなっても同じことが言えるか?」

「…………」


 ヒイイイイ。ここで喧嘩なんてしないでよ? イグニス公爵は雷を操る能力者だから、こんな狭い部屋で喧嘩なんてしたら大変なことになる。アクア公爵はええと……確か透過の特殊能力だったっけ。物を透明にしたり通り抜けたり……そういう類いの力だったはず。よく考えたら最強の能力ね。勝てないわよイグニス公爵。逃げて!



「とにかく今一度アクア家領内の捜索も徹底してくれ。城下では物騒な噂もあるが、もしかしたら領内のどこかで囚われている可能性もあるだろう。……お前達がフレアをよく思っていないことはわかっている」


 合ってるわよ公爵! ここ! ここに囚われています! あなたの娘はなぜか男になってしまったけれど!


「……我々を疑うのか?」

「アクア家の人間がいかに真面目に職務を果たす連中かということはよくわかっている。だが、だからといってよからぬことを絶対に企まないとは言い切れない。もしかしたら余所の連中が、フレアがここに匿われていることを突き止め、使用人を買収するか刺客を送りこんだ可能性もある」

「あり得ない。それ以上我が屋敷の人間を侮辱するならば容赦はしないぞ」

「可能性の話をしているだけだ」

「ご令嬢を匿っていた屋敷の使用人は信頼できる口の堅い者を選んである。彼女に個人的な感情を抱く者もいない」

「絶対とは言い切れない」

「……なぜそこまで必死になる」


 やがてアクア公爵は疲れ切ったようなため息を零した。

 そして、信じられない言葉を続けた。











「フレア・ローズ・イグニスはお前の娘でも何でもないじゃないか」










 ………………………………え?





「カイル。……その話は」

「あの女がお前との結婚を繋ぎ止めるためにイグニス家の人間を手当たり次第誘惑して出来た子供だ。本当の父親なんて誰だかわからない。……お前たちにとっては汚点以外の何物でもないため秘匿されることになったが」

「…………」

「お前はあの女に指1本触れていない。そうだろう」

「……そうだ」




 …………………………嘘。




「少しくらい父親に似ていれば誰が父親かわかったかもしれないが、あの娘は何もかも母親にそっくりだ。成長するにつれ、あの女が蘇ったようでゾッとする」

「カイル」

「俺はまだあの女を許してはいないぞ」



 心臓がうるさい。



「ソフィアに暴漢を仕向けたのはあの女狐の仕業だ。そのせいで彼女は……」

「俺もあいつがやったことは許していない。だがそれはあくまで……」

「お前のことも許してはいない。フェルド、お前は誓ったはずだ。ソフィアを幸せにすると。なのに一度ならず二度までもソフィアを危険な目に遭わせ――」

「二度目はフレアが彼女を助けた」



 息がうまくできない。



「カイル、確かに俺はお前の言う通り約束を破った。とんだ役立たずだ。だがフレアは違う。もうお前の知っている我が儘だった頃のあの子じゃない」

「クリスタを侮辱したことは一生許すつもりはない。たとえ他の誰が許しても、だ」

「わかっている。だがそれは……俺に責任がある話だ」

「何?」

「俺があの子を愛せなかった。たとえ血が繋がっていなくても、あの女の子供であろうとも、戸籍上は娘だ。ソフィアならば俺と同じ立場であってもきっと愛しただろう。子供に罪はない。それなのに俺はあの子に酷いことばかりした。ずっと目の敵にしていた。あの女と同じような人間に成長するのだと信じて疑わなかった。あの女の遺した子供をまるであの女自身であるかのように考え憎しみをぶつけていたんだ。愚かだった。それがようやくわかったんだ。今考えれば、我が儘ばかり言っていたのも、特殊能力を使って周囲を困らせていたのも……俺が招いた結果だ。あの子はただ愛されたかっただけだ」

「……ふん、どうだか。どうせあの女のようになるさ。前世だかなんだか、そんなもののために周囲を巻き込み不幸にする。自分の欲しいものを手に入れるためならどんな手でも使う。……そういう邪悪なものになる。……君もそう思わないか?」




 びくっと体が震えた。バレたのかと焦ったけれど、違った。




「…………ルカ」




 扉が開いて入ってきたのはルカだった。……今一番ここに居て欲しくなかった。




「なぜお前がここに――」

「……父上がアクア家に行ったと聞いて、居ても立ってもいられず追いかけてきたんです。そしたら……。会話が筒抜けだったのは――あなたがわざと聞かせたんですね? アクア公爵」



 ルカの声は僅かに震えていた。アクア公爵がゆっくりと頷く。



「扉の一部を透過させた。フェルドを待たせている間に君が来たことを知っていたからね。君は聞いた方がいい話かと思って」

「…………どういう意味ですか」

「君はどうもあのご令嬢に肩入れし過ぎている。母親を救ってもらったと思っているのかもしれないが、そんな恩義をあの娘に感じる必要はない」

「あなたには関係ありません」

「あの娘からは距離を取っておくことをお勧めする。あの娘は恐らく君を憎んでいるだろう。君のせいで本邸から追い出され、父親の愛情も……まあ本当の父親ですらないのだが、全て奪われたわけだからな」

「…………その話を」

「ん?」

「その話をフレアにしたんですか。父上が……実の父ではなかったと」



 ルカの怒りが空気を震わせていた。



「……していない。第一私は会ってすらいない。レオンに任せてあったからな」

「そうですか。それは良かった。もしあなたがそんな話を彼女にしていたのだとしたら能力を使ってしまうところでした」

「ルカ」

「言葉には気をつけることだ、イグニス公子。……君がもしソフィアに似ていなかったら私はこの屋敷に入ることすら許さなかった」



 バチバチと火花が散っている。やがていくつか言葉を交わした後、三人は部屋を出て行った。どうやらバレずに済んだらしい。早く部屋を出なきゃと思うのに、なかなか立ち上がることすらできなかった。一度大きく深呼吸してから、私はゆっくりと立ち上がった。


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