118 挑発し、泣かれる
翌朝。
私はやっぱり男のままだ。昨日は部屋で食事を取った後レオンと少し話しただけ。アクア家の人間は厳しく時間を管理されていて、クリスタと会う時間もそれはそれは細かく定められている。
「まあそんな簡単に戻るとは思ってないけどね」
「んにゃあ」
「ふふ、可愛い~おはぎにゃん。すぐご飯持ってきてもらうからね」
ああ、子猫のいる生活……最高。この子に会えたことだけは脱走して良かったことだと思える。成長しても可愛いけど子猫の時期って言うのはまたそれとは違った極上の可愛らしさがあるからね。ほんと堪らん。
ドアのノックと共にレオンの声がした。私はおはぎと目を合わせて、「あなたは私のこと嫌いにならないでね?」とこっそり囁いた。
レオンは昨日と変わらない仏頂面だった。朝はずっとおはぎを眺めていたいくらいなのにこんな無表情男の顔を見なきゃいけないなんてほんと気分が悪いんだから。
「朝食は家族と一緒に摂ってもらいます。今から案内するので――」
「え~お前の家族と一緒に? それはちょっとご遠慮したいところなんだけど?」
「…………」
早速不満をぶつけたら案の定、レオンは眉間に皺を寄せた。
「クリスタもいますしあなたを招いていることだけは父にも伝えていますので――」
「だから嫌だって言ってんじゃん。お貴族様と一緒に飯なんてさ。俺テーブルマナーなんて知らないぜ? 一緒に飯食ったってあんたらに不快な思いをさせるだけだ。もちろん俺も超不快。お互いのためにできるだけ関わる人間は少なくした方がいいと思うぜ?」
「…………昨日とはまるで別人ですね。あなたは平民の割にもう少し思慮深い方だと思っていましたが」
「これが俺の本性だ。嫌ならさっさと放り出してくれよ。クリスタのこともあんたのことも誰にも喋らねえから」
ぐい、と顔を近づけるとレオンは顔を背け小さくため息を吐いた。
「……あんたがそういうつもりなら私もいちいち気を遣わない。支度は5分以内にしろ。部屋の外で待っている」
……うーん、まだちょっと無礼さが足りないかな。前世の若い頃を参考に野蛮な男を演じてみたんだけど。
用意されていた衣服を漁りさっさと着替えた。上等なものばかりで上品に見えちゃうから敢えて着崩してちょっとでも荒っぽい雰囲気を目指した。男になっても顔が綺麗だから何着ても似合っちゃうのよね~あ~困っちゃう。
よしこんなものかしらと扉を開けると、レオンは不機嫌そうに私を睨んだ。
「ボタンを開けすぎだ。上着くらい羽織ってこい。お前は服の着方もわからないのか」
「巷ではこういう着方が流行ってるんだぜ。知らねえの?」
「低俗な……」
レオンは時計を確認して舌打ちした。
「もういい。25秒過ぎている。早く来い」
「25秒って……。その程度でうるせえな。お貴族様ってのはどいつもこいつもこんなに細かいのか?」
「黙ってついて来い。父上の前では口の利き方に気をつけることだな」
「知るかよ面倒くせえ。あんたらのやり方に俺が従う道理はない。俺のやり方が気にくわないなら食事くらい自分の部屋で摂らせろよ」
「……父上も会いたがっている」
レオンはふと立ち止まり、私の方を振り返った。
「ただし父上に無礼を働いた時はそのにやにやした不快な笑い方が出来ないような罰を考えてやるから覚悟しろよ」
「おおこわっ」
口笛を吹いて大げさにリアクションしてあげるとレオンの空気がより黒くなった。罰ねえ……まあ大したことないでしょ! それにしてもアクア家の食卓か……どんな感じか知らないけど取りあえず憂鬱で吐きそうだわ。
――――――
「――神の恵みに感謝を」
静かな祈りをすませると、彼らは上品に食事を始めた。
レオンの父親でありアクア家当主のカイル・デルフィニウム・アクア公爵、公爵夫人、レオン、クリスタ、そして私。背後に控える使用人たち……。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
静か過ぎるでしょ。フォークとナイフを使う音もほとんど聞こえないし、咀嚼音も極限まで抑えられてて本当にちゃんと食べてるの? まあこれが貴族の正しい食べ方だって言われればその通りなのかもしれないけど、朝食でこれって軽く異常性を感じるレベルなんだけど。会話もゼロ。どうやら会話は食事の前後しか許されていないみたい。いやいや、会話くらいいいじゃない。よその貴族に晩餐とかでお呼ばれしたら普通食事と一緒にお喋りを楽しむものだわ。まあ、アクア家の邸宅ではこうするのが当たり前なのかもしれないけど……。私は正式な客とも言いがたいし。
んー……これはものすごくムズムズする。ええ、私には無理ね。それに何より嫌われるなら今このタイミングって最高なんじゃない? 隣にはクリスタがいるし。きっと彼女はテーブルマナーの最悪な男なんて身の毛がよだつほど嫌いなはず。潔癖そうだし。ケケケ、よ~しやっちゃえやっちゃえ。
私はスープの皿を掴み、直接口につけて飲み始めた。
「! ルーク!」
スープはお上品にスプーンで掬わきゃならないのがルール。まあ普通の庶民には別に珍しくもなんでもないルール違反だけど、彼らにとっては信じがたい蛮行に映るらしい。レオンが驚き私の偽名を呼び、それからハッとしたように父親の方を見ていた。
「父上、申し訳ありません。ルークは満足な教育を受けてこなかったようでテーブルマナーが――」
「良い。アクア家以外の人間に期待はしていない」
「寛大なお言葉感謝するぜ公爵様。あ~しっかし美味いなあここの飯は! 毎日こんな美味いもん食ってるなんてお貴族様は良いご身分だな」
ま、私もあんたらと同じもの毎日食べてたんだけどね。
「ルーク!!」
いい加減にしろ、とレオンから叱咤が飛ぶ。ふん、あんたなんかに怒られても私は痛くも痒くもないのよ。この静かで清らかな食卓時間をぶち壊せて楽しいくらいだわ。
「話すくらい何が問題なんだよ。平民はみ~んな口開けてぺちゃくちゃ喋りながら食べるぜ?」
私はフォークを使わず素手で生ハムとチーズを掴み口に放り込んだ。
「んんっ! うまっ!! 何この柔らかさ! めっちゃ美味いじゃん!」
「……ルーク、郷に入っては郷に従えと言う言葉が――」
「俺を従わせられるのは俺だけだ」
べーっと舌を突き出すと食卓の空気がますます凍り付いた。おお……レオンが今にも力使いそう。て言うかこの体感温度の低下はこいつが氷結の特殊能力を使っているのでは? いいぞいいぞ、この調子で嫌われればきっと公爵命令で私は領地の外にポイだわ。早く元に戻る方法を探したいし、一刻も早くアクア家の方々とは離れたい。
隣のクリスタも私の蛮行を前に完全に固まっている。私に嫌悪感を示しとんでもない放水をぶっ放してくれるのも時間の問題ね。
「なあクリスタ、クリスタのお勧めは何だ?」
「……お勧め、とは?」
「この食卓で一番好きなもの。まあどれも美味そうだけど? 食の好みくらいお貴族様にもあるんだろ?」
「私は……食後のデザートが……」
かなり動揺しているのがわかる。ま、いきなり名前呼び捨てだもんね~。家族でもないのにこんなの嫌に決まってるわ。
「食後のデザート? てどれ?」
「…………こちらになります」
無表情な侍女が仕方なさそうに説明してくれた。全員が食べ終わったら出す予定だったのでしょう、持ってきてくれたお皿の上には可愛くカットされた一口大のフルーツサンド。
「へえ美味そう! 俺甘いの好きなんだよね~」
食後なんて関係ない。指で摘まんでひょいぱくっと口にした。うん、めちゃくちゃ美味しい。私はもう一個摘まむと、隣のクリスタに向けた。
「クリスタも食えよ。めっちゃ美味いぜ」
「…………っ!!」
クリスタの目が限界まで見開かれる。おお、これはもしかしてこのまま水がぶっ放されるのでは? ニヤニヤ。きっとこんなお行儀の悪いこと、クリスタはこの食卓でされたこともしたこともないはず。いや~やっぱり私って嫌われる天才かもしれない。フルーツサンドがびしょ濡れになったらその時は私が責任持って食べてあげるわ。
「ほら、あ~ん」
わくわくしながら水か、それともレオンの氷かと待っていると――
パクッ
「…………え」
食べた。いや、食べられた。
私の指ごと食べられてしまった。
「んッ……ふあ、あ、も、もももも、申し訳ありませんッッ!!!!」
多分「あ~ん」をされ慣れていなかったせいだと思う。距離感とか、ええ、そういうものがわかっていなかったのね。摘まんだフルーツサンドだけじゃなくて勢い余って私の指まで口の中に入れてしまわれた。もちろんそのまま噛み千切られた訳じゃなくてすぐに口を離して謝罪されたけど。
て言うか……やっちゃうんだ、「あ~ん」
絶対そういうこと嫌いそうなのにどうして!?
顔を真っ赤にしてごっくんと飲み込んで必死で私に謝罪しているクリスタはいつもの冷静さを完全に欠いている。平民相手にぎりぎり頭は下げていないけどもう放っといたら下げちゃいそうな勢いだ。ナプキンを取って私の指が汚れたと必死で拭いてくれてる。
私はただ嫌われるためだけにやったのにこんなに謝られるとすごく申し訳なくなる。
「いや、あのその……そんな気にするなよ。なんかごめん……」
「いえ、でもこんな、こんなはしたない真似を……ッ!!!」
「いやだからそれはあんたが気にすることじゃないだろ。はしたない真似ならさっきから俺がやってるじゃん。……ああもう、つーかあんたの方が汚れてる。口元」
クリスタの口元についたクリームを拭うと彼女の顔がまた一段と赤くなっていった。…………うーん、ちょっと可愛いとか思っちゃったじゃない。照れを誤魔化すように指についたクリームをペロッと舐めると
「………ッ~~~~~な、何をなさっておられるのですか!!!」
「え?」
予期せぬことにそこで怒られた。あー何も考えずにやっちゃったけどまあ嫌われたのなら良かったのかしら? でも怒られたはずなのに水はぶっ放されない。ただ真っ赤になってプルプル震えている彼女に睨まれているだけ。
「~~~~くッ……」
ん?
「本当に……あのクリスタが、男性と普通に接することができるなんて……」
んん?
この声は……公爵様?
恐る恐る顔を向けると……公爵は俯きボロボロと涙を零していた。
「え? は? えっと……」
「こんな光景が見られる日が来るとは……。年は取ってみるものだな……!!」
ちょっと理解が追いつかないんだけど。なんで泣いてるの? この人。そんなに感動するところあった? て言うかこの人泣けるんだ。表情筋も感情もすでに死んでると思ってたんだけど。ボロボロ泣かれてなんだか見てはいけないものを見ている気分……。
つーか大切な姪が目の前で若い男に弄ばれてるのに何で怒らないのよ! 何とか言ってあげたら? と思って夫人の方を見ると
「本当に……良かったわね、クリスタ」
あんたもかい。目を潤ませて微笑んでるんじゃないわよ。何か使用人たちも同じような感じになってるし……。怖い怖い怖い! ほんと一体なんで誰も怒らないの!? 確かに未だにクリスタは私には触れるみたいだけどそれだけでしょう? やってることはかなり無礼で酷いことなはずなのに……レオンを見れば固まっていた。でも泣いてない。よかった! さあ何とか怒りなさいよと目で訴えると――
「ふん。……礼は言わないからな」
はあ???
おいレオン。顔を背けるな。礼なんて求めてないのよコラ。あんたはもう少しまともな判断のできる人間じゃなかったの? おい!
その後、結局私は屋敷をつまみ出されることはなかった。
まあまだ時間はあると自分を奮い立たせたのも束の間、この家の人間たちがなかなかに手強い相手であるということを、私は徐々に痛感させられることになる。




