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119 連れ出す



「……なんじゃこのスケジュールは」



 レオンが見せてくれたスケジュールとやらはとんでもなかった。何がヤバいって秒刻み。分刻みじゃなくて秒刻み。朝起きて顔を洗ってから夜寝るまでのスケジュールがびっしり書き出されてある。



「アクア家では皆こういうスケジュールを元に生活している。一分一秒も無駄にしないために必要なことだ。もちろん想定外のことが起こる時のために余裕も持たせてあるし自由時間もある」

「いやドン引きだわ」


 ルールに厳しい人間が多いことは知ってたけどこれはない。アクア家の人間って生まれた時から本気でこういうスケジュールに沿って生きてるわけ? そのスケジュールを立てる時間が最早勿体ないのでは?

 自由を愛するヴェントゥス家とはすごい違いよね。でも何でこう公爵家の人間ってのは極端な奴らしかいないのかしら。……私もあまり人のことは言えないけど。



「お前は基本的に私と共に行動してもらう。異論は――」

「なら俺おはぎと一緒に部屋にいるわ。お前と行動とか面倒くさいもん」

「認めない」

「つーかクリスタの男性恐怖症を治すのって具体的に何するんだよ。ずーっと傍にいるとか? だったらお前じゃなくてクリスタと行動した方がいいだろ」

「クリスタは授業がある。男が傍にいると集中できない。お前は定められた時間にクリスタと会話をしてもらう」

「ふーん……そんなことで何とかなるのか? 会話だったらお前とも問題なくやってるじゃん」

「それでも本能的に恐怖を感じているはずだ。……クリスタがなぜお前にだけ触れても平気なのかはわからないが、彼女がそれだけ一目で心を許せるのなら……お前は悪い奴ではない、と思っている。頼んだぞ」


 多分クリスタが私に触れても平気なのは私の中身が女だからだと思うんだけど……そんなこと言えないし。そもそもレオンって……


「…………」

「……なんだ」

「あんた平気なのか? 俺とクリスタが仲良くお話ししてるとか嫌じゃねえの?」

「は?」

「いやだってお前……クリスタのこと好きだろ?」

「…………ッ!!!」



 いやわかりやすすぎ。顔真っ赤にして狼狽えちゃってウブなんだから。



「おいおい、好きなら他の男なんて近寄らせるなよ。ばかだなあ」

「……そういう、のではない」

「じゃどういうのなんだ。妹? 娘?」

「娘はないだろ。……とにかくお前には関係ない。お前はただクリスタの恐怖症が治るように動くんだ。いいな」



 やれやれ、恐怖症ねえ……ゼファの時みたいに嘘ついてるならラクなのに、残念ながらクリスタは本当に重度の恐怖症みたいだし。ま、私は嫌われるために動くだけだわ。朝食はうまくいかなかったけどまだ時間はあるもの。



「じゃ、一緒に行こうな~おはぎ」

「そのおはぎって言うのは何なんだ」

「可愛い名前だろ」

「全然」

「…………」





――――――――




「――――つまりここで我が国の外交政策は一度転換期に入り――」


 淡々とした教師の声が私を深い眠りに誘おうとしている。

 うう……ほんと眠い。あんな眠たい授業をレオンはよく真面目に聞いていられるわね。私は早速欠伸を噛み殺してるのに。


 そう言えば女王はレオンとクリスタのことすごく気に入ってるんだったっけ。私やジークと違って努力家で従順だから。まあ私はともかく自分の息子より気に入ってるのはどうかと思うけど。確かにレオンは私が思っている以上に努力家だったらしい。騎士団の鍛錬を行うようになってからも彼と剣を交えたことはなかったけど、どうやら鍛錬も毎日欠かさずやってるみたいだし、私には無理だなと思う。



「…………はあ」



 レオンのことは大嫌い。今朝のクリスタは可愛かったけどクリスタのことだって別に好きじゃない。アクア家とは聖騎士会議でいつもバチバチやってたから良い印象なんて抱けるはずもなかった。

 真面目に授業を聞いている後ろ姿を見ていると、不意におはぎが「にゃあ」と可愛い声を上げた。とてとてと窓の方へ歩いて行く。


「どうした? 何か面白いものでも――」


 こそこそ窓の方へ近づくと、向かいの建物にクリスタの姿が見えた。


「……ふうん」


 何の授業かしら。真剣な表情ね。こうして遠くから見てるとどこか人間味を感じさせないお人形さんみたいな女の子。それが朝食ではあんなに感情豊かになっちゃって……。

 一分一秒まできっちり定められたスケジュール。余裕は持たせてあるとか言ってたけど、それをぶち壊されたら今度こそ嫌いになってくれるかしら。


「……だよな。朝食が予定通りにいかないより授業が予定通りにできないことの方がずっと苛つくはずだ」

「おい、何をブツブツ言っている」


 急にレオンがこちらを振り向いた。ゲッ、あんたこそもっと授業に集中しなさいよね。


「ちょっと良い事思いついてさ」

「は? 良い事?」

「おう、お前はここで大人しく授業聞いとけよ。じゃあな」

「なっ、おいお前ッ……!!」


 私はおはぎを手に抱えたまま窓を開けて飛び出した。レオンが窓に駆け寄って叫ぶ声が聞こえる。


「ばか! ここは3階……」


 壁を勢いよく駆け下りてクルクル受け身を取りながら着地した。そのまま向かいの建物の壁を駆け上がって開いていた窓から中へ入る。クリスタに指導していた厳しそうな女性が「きゃああ!!」と悲鳴を上げた。見た感じ礼儀作法の授業でもしてたのかしら? まあ何でもいい。私はクリスタに手を差し出した。



「クリスタ! ちょっと遊びに行こうぜ!」

「……!」



 ふふふ、わかってるわよ。大切な授業に乱入して何言ってんだこのド平民がッ!! って思ってるんでしょ? クリスタの顔がどんどん驚きに満ちて固まっていくのを私は愉快な気分で見つめていた。さあこの手をさっさと叩き落として悲鳴を上げるなり放水しちゃうなりなんでもどうぞ。こっちはもうどんなことをされても心の準備はできてるか――





 …………ギュッ



 …………取った。クリスタは躊躇いがちに私の手を取ってしまった。あれ? 絶対叩き落とされると思ったんだけど。え、どうしよう。叩き落とされた後は授業を妨害してレオンが来るまでおじゃんにしてやるか、くらいしか考えてなかったから手を取ってくれた時のことを考えていない。


「え、えーと……」

「?」

「じゃあ行くか!」


 取りあえずクリスタの手を引きながら走り始めた。背後で「誰か! 誰か捕らえて!!」と叫び声が聞こえるけど無視。あんなに教師がぎゃあぎゃあしてたらさすがにクリスタも我に返って私を拒否するかと思ったんだけど……いつまで経っても手を離さないし水も来ない。

 チラッと背後を振り返ると、クリスタはなぜか頬を赤く染めていた。ちょっと速く走りすぎたかしら。彼女が転ばないように速度を緩めた。



「あ、あの……遊びって何を……?」

「んー……」



 正直何も考えてない。クリスタが嫌がる遊びなんてわからないし。



「……日向ぼっこ!!」



 我ながら子供っぽい回答だったと思う。






――――――




「あ~ここまで来たらしばらく見つからないかな?」

「……ええ」

「すげえ気持ちいいなここ! 景色も良い感じだし」


 屋敷から少し離れた場所にぽっかりと開けた原っぱがあった。日向ぼっこには最適ね。うん、アクア家のあの恐ろしい罠もここには張り巡らされていないみたいだし。温かい陽が降り注いでいて、頬を優しく撫でるくらいの柔らかな風がちょうど良い。おはぎをそっと下ろすと気持ちよさそうに伸びをしていた。


「あの……ここで、何を?」

「日向ぼっこだよ、日向ぼっこ。ただごろ~んって横になって日向ぼっこするだけ。今日天気良いし最高じゃん。クリスタもほら、取りあえず座れば?」

「ですが……」


 私は取りあえずごろんと仰向けに寝転がったけど、クリスタはまだ躊躇っている。綺麗なドレスを着てるし、こんなところにそのまま座るなんてそりゃできないか。上着でも持ってればそれを敷いて座ってもらえばよかったんだけど、だらしなく着崩すことばっかり考えて上着さえ羽織ってきてない。あ、そうだ。嫌がらせにしても良い方法かもしれない。私は取りあえずシャツのボタンを外した。案の定クリスタが慌て始める。



「えっ、あ、あの、ルークさ……」

「これの上に座ればいい」



 シャツを脱いで彼女の足下に畳んだ。シャツの下にインナーを着てたから別に裸になったわけじゃないけど二の腕は剥き出しだしこんなむさ苦しい格好、彼女は絶対嫌なはず。それにこんなヨレヨレのシャツの上に座るのも嫌よね、ケケケ。


「どうした? 座らないのか?」

「…………良いのですか?」

「え?」

「あなたのシャツが汚れてしまいますが……」

「ああ……後で俺が洗うし、つーかさっき寝転がった時すでにちょっと汚れたから気にしないでも別に……。あ、君が座るところはまだ汚れてないところにしといたから、大丈夫」

「……では……」






 ……座ってしまった。

 遠慮がちにちょこんと座った姿がなんとも珍しくて何度も瞬きしてしまった。クリスタは私の方を見ずにただじっと足下を見つめている。その視線の先にはちらほら白い花が咲いていた。私は頬を搔きながら何とも言えない気持ちになってしまう。



「あー……あのさ、連れ出した俺が言うのもなんだけど良かったのか? 授業抜け出して。後で怒られない? そしたら俺がむりやり連れ出したって言って貰えばいいけどさ」

「いえ…………本当は、嬉しかったんです」

「え?」

「すごく厳しい方なんです。ほんの少しでもお辞儀の角度や手順を間違えたら鞭で――」


 クリスタはハッとしたように言葉を止めた。私から顔を逸らしたまま声を小さくする。


「今聞いたことは忘れてください。余計なことを喋りました」

「いや……」


 アクア家が雇っている家庭教師は皆すごく厳しいって聞いてたけど……鞭て。もしかしてそれで私が差し出した手を掴んじゃったのかしら。子供の頃からその厳しい教育を受けてきたクリスタが今更その授業に耐えられないってことは考えづらいけど、クリスタにとっても私の手を取ったのは想定外だったのかもしれない。

 イグニス家が雇っている家庭教師はそこまで厳しくなかったし、以前の私に至っては逆に家庭教師に発火能力使ってたからね。正直ちょっと間違えた程度で赤の他人にそこまでされて我慢する感覚はわからないけど……



「あんたすげえな」



 ただ純粋にそう思った。耐えることが良いことだとは思わない。でも耐えながら努力を続けるなんて私にはできないことだからこそすごいと思う。少なくとも他者を傷つけてばかりだった幼い頃の私よりは。


 クリスタは驚いて私を見つめた。


「……私は、やるべきことをやっているだけです。特別なことは何もしていませんし、特別何かに秀でているわけでもありません。私よりよほどレオンの方が秀でています。私は特殊能力ですら満足に……」

「やるべきことをやるってすげえことだと思うけど?」

「え?」

「少なくとも俺には無理! 毎日努力し続けるってそれだけで才能じゃん。俺なんて今日レオンの後ろで授業聞いてるだけでもう我慢できねえし。あの秒刻みのスケジュール通りの生活とか絶対一日でもやれる気がしねえ」

「そう、ですか……?」

「そうだよ。少しは自信持てば? もっと偉そうにしてもいいと思うけどな」

「……そんなことは初めて言われました。お高くとまっていて冷たく見えるとよく言われるので」



 ……ごめん。めっちゃ思ってた。



「ハ、ハハハ……。いやいや、そうは思えないけどな。皆あんたに嫉妬してるんだろ。そんなこと言う奴バカなんじゃねえの? 気にするな気にするな」



 うう。言葉が全部自分に返ってくる。私は誤魔化すように寝転んで顔を隠した。




「…………私、嫌いな人がいました」



 え?



「昔言われたことをいつまでも根に持って、ずっと嫌っていました。彼女は我が儘で口も悪くて、使用人にも乱暴ばかりしていると聞いていました」



 それもしかしなくても私のことじゃ……

 私昔何言ったのかしら? 全然覚えてないんだけど。



「皆から嫌われて孤立して、屋敷から追い出されたらしいと聞いた時は当然の結果だとすら思いました。愚かな人だからそうなるのだと」

「ははは……」


 さすがアクア家。否定はしないけどこんなビシバシ突き刺さってくるの久しぶりだわ。まさか正体が私とは思ってないから仕方な……いやいや、正体が私だってバレたらもっとすごいこと言われそう。


「でも愚かなのは私の方でした」

「……え?」

「私は彼女の行いと自分を比べては、彼女に比べたらまともだと思いたかっただけでした。こんなに頑張っている私は、彼女より優れていると思いたかった。でも違ったんです。本当は彼女の方がずっと勇気があって気高くて、民のために体を張って行動の出来る人でした。……私にはできない。たとえ力があってもなくても、あそこまでのことはできない」

「へえ……」


 て言うかそんなにすごいことしたっけ?


「私はずっと羨ましかったのです。一見無茶ばかりですが、自分の意志で何でも行動してしまう彼女のことが。周りの目も気にせずに自分の思うがままに何でも言ってしまう彼女のことが。だから彼女を攻撃していたんです。……浅はかだったのは私の方でした……」


 しおしおとクリスタが小さくなっていく。それが少しばかり不憫に思える。て言うか彼女の口から“羨ましい”なんて……夢でも見ているのかと思ってしまう。頬を抓った。普通に痛い。


「今でもあまり好ましくは思っていません。ただ、だからと言って危険な目に遭っていいわけではないと思っています。……彼女、家出してしまったんです」

「家出」


 大丈夫、帰ってきてるわよ? あなたの隣にいるのよ? と言いたいけど言えない。


「……もしかしてそれであんな危険なエリアに?」

「ええ。何かわかるかもしれないと思って。最近物騒な話を聞きますし、危険なことに巻き込まれているのは確かかと思いましたから」


 何に巻き込まれているかと問われればあなたの恐怖症治療に巻き込まれてるんだけどね……。


「でもレオンは一切私を関わらせようとしてくれません。過保護なんです。私はもう――」



 バキッ



 あ、と思った時には遅かった。爆発音みたいに大きな音が足下からして巨大な氷が何本も私の体を貫き……はしていないけれど手足の間を通ってて、私は仰向けになったまままるで磔にされたように動けなくなった。これもし体を貫通してたら死んでたかもしれない。

 おはぎが「シャーッ」と威嚇している。やだ可愛い、こんなに小さいのに私を守ろうとしてくれるなんて。さすが私のおはぎだわ。



「あはは、こりゃおっかねえな。どこからでも出せるのか」

「レ、レオン!!」

「ルーーーーーク!!! いい加減にしろ!!!


 顔を真っ赤にしたレオンがずかずかと近づいてきた。「あー」と顔を動かして逆さまになったレオンがどんどん近づいてくるのを愉快な気分で眺める。クリスタを怒らせることはできなかったけどレオンを怒らせることはできたみたい。


「ひでえなレオン。これちょっとやり過ぎじゃねえ? 冷たいんだけど」

「うるさい!! お前はどこまで自分勝手にしたら気が済むんだ!! クリスタに迷惑をかけるなんて何を考えている!!!」

「レオン、私は……」

「クリスタ、5分29秒押している。次はダンスの授業だ。さっきの授業はもういいから、ホールの方へ急ぐんだ」

「お前めんどくせえ男だなあ。モテねえぞ」

「お前は黙っていろ!! 全然人の言うことを…………いや、待て」



 レオンはじっと私を見つめた後、無言で氷を破壊し私の首根っこを掴まえて引きずり始めた。



「おいちょっと~? 歩けるから離せよ! おい!」

「黙れ。お前を自由にさせていたらどこに行くかわかったものじゃない」



 そのまま私が引きずられていったのはダンスホール。

 そしてレオンは私にとんでもないことを要求した。


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