114 連れ回される
終わった。
最初に思ったことはそれだった。やっぱりジークからは逃れられなかった。殺される。まだ指輪も直してない。やばい。て言うかなんでここにいるわけ? ここは王太子が来るような場所ではないのでは? エイトもいないし他に近衛騎士の姿もないのになんで一人でこんなところに?
「…………」
「…………」
目を、逸らさなきゃいけないのに逸らせない。だめだ、絶対心読まれてる気がする。あ、無にするんだっけ。無。心を、無に…………うん、無理。
「あ、あの………」
何とか声を絞り出した。そしたらジークはハッと顔を強ばらせ、私からゆっくりと手を放した。目は限界まで見開かれたままで、まるで幽霊でも見ているかのような反応だ。私の背が高くなったせいでいつもよりジークが近く感じられる。
「ええと……?」
「…………すまない」
え……
「急に掴んで……悪かった」
……バレて、ない?
「知っている人に似ていたから」
あれバレてる? いやバレてないバレてない。やった、これ多分バレてない!
「君の名は?」
え…………
な、名前? やばい、どうしようそんなの全然考えてないそもそも誰かに聞かれるとか想定してなかったし名前なんて……あれ? でもこれ普通に答えなきゃおかしい? 怪しまれるとまずい? 何か適当に、適当に答えたらいける? 知ってる人の名前とか……ああこんな時に限って何も出てこない。何か名前……特におかしくない普通の……普通……
「ル……ルーク……」
ジーク・アスター・ルークス。
目の前の男の名前から咄嗟に思いついた。
言ってしまってから一瞬後悔に襲われた。相手が王太子だってわかっているから思わず答えなきゃって思ったけど適当に嘘をついてその場を後にしても良かったんじゃないかとか、いっそ記憶喪失ということにして名前もわからないという設定にしておくとか……あ、どっちにしろ怪しいわね、それはそれで。名前さえわからない記憶喪失の人間が市場で買い物っておかしい気がする。
だからこれは最善の選択だったに違いない。
でも目の前のジークは固まったまま動かない。あれ? 何で? ルークなんてそう珍しい名前でもないしおかしなことは何もない。そりゃジークにとてもよく似た名前にはなっちゃったけど王子に似てるからつけちゃだめとかそんなルールはこの国にないし。うん、私は間違ってない。間違ってないはずなんだけど……
「あ、あの……もう行っていいですか?」
しびれを切らして恐る恐る切り出すと、ジークはハッと瞬いた。
「いや……」
「あの、今ちょっと買い物してて、えっと……」
「……買い物?」
「ええ、そう、そうです。ほんとに。買い物が忙しいのであの、ここら辺で……」
「ならば付き合おう」
「へ」
「ちょうど……暇をしていたところだ。僕はこの辺りのことにも詳しい。君は何を買うつもりだ?」
え、ちょっと待って。何この展開。どういうこと? バレてないの? 本当にバレてないの? それともバレてるの? 王太子が庶民の買い物に急に付き合うってどういうこと!?
「いや、でもその……」
「何か問題があるか?」
うん、怖い……。ぎろっと睨まれて僅かに殺気さえ感じられた。めちゃくちゃ怖い。どうしたの? やっぱり私だって勘づいているんじゃ……
「でも……その~……知らない人と買い物はちょっと……名前も知らないし……」
「僕の名は…………シオン」
バリバリ偽名じゃないの。
今ちょっと考えたでしょ。間があったわよ?
「シオンだ。これで立派な知り合いだろう。で、何を買うつもりだ?」
「……安くて美味い野菜と肉……」
「ならばこっちだ。来い」
「えっ、えっと……え……えええええ!?」
意味がわからないけどまた掴まれた手を振りほどくこともできず、私は引きずられるようにして連れて行かれた。
――――――――
「……あのさあ、シオン」
「………………なんだ」
「いやあの……この辺りに詳しいって……嘘ですよね?」
私は彼の隣で荷物を両手に抱えながら、ちらっと顔を窺った。ジークは無表情で沈黙している。……らしくない。いつもだったら誰に対してもにこにこと本心の見えない笑顔を作っているのに。
ジークに連れて行かれるままにいろんなところに行ったけれど、彼の道案内ほど信用できないものはなかった。どこに行ってもハズレというか、自分で探した方が絶対すぐに終わったんだけど強く言い出すこともできず、彼に任せていればもう日が暮れかけている。
だっておかしいでしょう、安い野菜があると言われ向かった先は花屋で、美味い肉があると言われた先はペットショップで、調理器具ならばここが良いと連れて行かれた先は土産物屋だった。終始彼はこんな感じで、自信満々に連れ回す割に全部綺麗に外している。
どうしてそうなったのかわからないし、肉と聞いてペットショップに連れて行く辺りちょっと狂気を感じる。
「まあでももう十分買い物できましたし、私はこれにて……」
「待て」
くう……。やっぱりバレてるの? バレてるならもうバレてるって教えてほしい。いつまで普通の青年の振りをしなきゃならないの? バレてるのに踊らされてるだけだったらめちゃくちゃ腹が立つ。
「あの店の……茶が美味い」
ジークが指さしたのはこじんまりとしたカフェだった。彼が普段利用するところとはとても思えないけど、彼は自信満々に、「本当に茶が美味い」ともう一度同じことを口にした。
「僕が奢る。来い」
「…………はあ」
有無を言わさない口調で言われればついていくしかない。もしかして店内に入ったらエイトたちが待ち構えていたりして「逃亡罪で逮捕する」とか言われたらどうしようとか思ったけど、何てことは無い、本当に普通のカフェだった。客は時間帯のせいかまばらだ。美味しそうなお茶や甘いデザートの匂いが漂っていて、こんな状況なのにちょっとわくわくした。
ジークは迷い無く席につくとじっと私を見つめた。笑顔が一切ない。彼の対面に座れば、まるで今から詰問でも始まるような重苦しい空気を感じる。
「ええと……シオンは何にします?」
「……いつものにする」
「じゃあ私は……紅茶とアップルパイにします」
……なんなの、この妙な緊張感。
て言うかなんでこんなことになっているの? 本当に。
「ご注文は?」
可愛い店員さんが営業スマイルで来てくれた。その笑顔に心底癒される。
「私は紅茶とアップルパイを」
「はい! かしこまりました。お連れ様は?」
「いつもの」
「え?」
素っ気ないジークの返答に店員は明らかに戸惑っていた。どうしたのかと思っていると……
「も、申し訳ありません、お客様。いつものというのは……?」
しばらく沈黙が流れ……
「ぶっ」
私は思わず噴き出していた。ぶるぶると肩が震える。やばい、耐えられない。
だって嘘でしょ!? 常連でもないのにこいつ“いつもの”とか言ったの!? それとも常連だけど覚えられてなかったの!? どっちにしろ面白すぎて噴き出してしまった。だってあのジークがこんな間抜けなことをするなんて思いもしなかったから。
やばい。きょとんとした店員さんもジトッとした目のジークも面白すぎる。ジーク、ちょっと耳が赤くない? やだ、恥ずかしいの? ちょっと恥ずかしかったの?
「ふっ……くくっ……ふふっ……」
「何がそんなにおかしい」
「いや、だって……ふふふ……」
「僕は紅茶だけでいい。レモンをつけてくれ」
「はい」
可愛い店員さんがいなくなってからもしばらく笑いが止まらなかった。
「……いい加減笑い止んだらどうだ」
「いや、だって……あっはっは! あんな自信満々に“いつもの”って頼んで聞き返されるところ見たことないから」
「そういうこともある」
「いやなかなかないですよ。そもそもあんな風に頼む勇気がないです。よっぽど顔見知り相手じゃないと普通は」
「ふん。……やっと笑ったな」
「へ……?」
「やっと笑った」
ジークは僅かに口角を上げて微笑んでいた。
ほんの少しだけ……胸が高鳴る。誤魔化すように私は咳払いした。
「あー……ごめんごめん。笑いすぎて」
「別に構わない。元々僕が連れ回しただけだ」
「……あのー、普段からこんなことを?」
「するわけないだろ。今日はいろいろあって疲れて……」
「い、いろいろ?」
「…………」
ジークの目が怖い。私の考えすら見透かすような……やっぱり心読まれてる? バレてる?
「猫が……」
「猫?」
「飼っている猫が……逃げ出したんだ」
…………それ私のことじゃないでしょうね。
「首輪をつけて可愛がっていたんだが、ちょっと外に連れ出してストレス発散させた翌朝首輪を噛み千切って逃げ出した」
絶対私のことじゃない、それ。
指輪を壊したこともバレてるし。
て言うかやっぱり私がフレアだってバレてるの? わかった上で試してるの? でもジークがこんなまどろっこしいことをするかしら。私だってわかったら問答無用で屋敷に連れ戻しそうだけど。
「そ、それは……大変でしたね」
「ああ。本当はもう少ししたら放し飼いも視野に入れていたんだ。だが恐らくストレスが溜まりすぎて逃げ出したのだろう。久しぶりに外で遊んだことで外での遊びが忘れられなくなったのかもしれない」
違う! 性別逆転というとんでもない現象が起きちゃったのよ!!
「ま、まあ……きっと外で元気にしてますよ。すぐに、み、見つかりますって。あはは……」
本当は目の前にいるんだけどね。
「外で元気に、か……。もし万が一盛りのついた雄猫にでも絡まれていたらと思うと気が狂いそうだ」
「え?」
「外は危険だらけだ。いっそ避妊でもさせておけば良かったか……」
待て待て待て待て待て。
「そ、それはその、ちょっと……」
「冗談だ」
真顔で冗談だって言われても冗談に聞こえないんですけど!?
その時ちょうど紅茶とアップルパイが運ばれてきた。心を落ち着かせようとゆっくり茶を飲む。うん、確かに美味しい。今ちょっと生きた心地がしないけどお茶は確かに美味しい。
「僕は僕が思っている以上にショックだったらしい」
「え?」
「可愛い猫だ。手放しがたいとは思っていたが、実際手放すとこんなにも気の狂いそうになることだとは思わなかった。以前友人を送り出したことがあったが……」
そこでジークはなぜかちらっと私を見た。
「……あれとも違う。こんなにも不安に駆られ業務さえ滞ることになるとは」
「…………そ、そこまで?」
「ああ。そこまで。……そこまで大切だった」
…………何よ。
そ、そんな悲しそうな顔して……。こんな弱り切ったジークの顔を見たのは初めてだった。なんだか見てはいけないものを見ているような気分になって、思わず顔を逸らした。なぜか心臓がドキドキする。
「猫探しは……人の手が多い方が探しやすいと思うか?」
「えっ、あー……」
それはちょっと困る。
「いや、どうでしょう。猫ちゃんって繊細だし皆で探すのはちょっと……。き、きっとそのうち自分から帰ってくるんじゃないですかね?」
「そうか……」
ジークはレモンを浮かべた紅茶をゆっくりと口に含んだ。
「いっ……」
急にコップを落としたと思うと、彼は眼帯を押さえつけていた。
「っ……」
「どうしたんですか!?」
「ああ、大丈夫だ。……僕は先に出る。君はゆっくりしているといい」
ちらりと見えた表情は苦痛に歪んでいる。
「でも……」
「外に知り合いを待たせてある。君に来られると少々面倒だ」
睨まれて固まった。
追いかけることもできず、私はちらりと窓の外を見た。エイトらしき人物がジークを馬車まで案内している。少し背中を丸めていたジークはやがて馬車の中に吸い込まれていった。カップの中にはもうほとんど紅茶は残っていなくて、ただレモンだけが鮮やかな色を放っていた。
――――――――
生まれ変わったレインの地下室で私はスープとチキンのソテーを作った。
「ほら食べて。野菜たっぷりだから」
「スプーン使うのめんどくさ〜い」
「じゃあ啜れ」
「私猫舌にゃんだよにゃ〜」
「……可愛くないわよ」
レインはケラケラ笑いながらスープを直に啜り素手でチキンを摘まんだ。
「楽しかった? 市場。遅かったけど」
「ええ……実は早速ジークに捕まって」
「え?」
「でもバレてない……と思う。なぜか街を連れ回されてカフェに行ってたけど」
「デートじゃん、それ。ナンパされてデート?」
「違うわよ! 私今男の姿なんだからね? あり得ないでしょ!」
そう、あり得ない。本当にあり得ない出来事だった。ジークに連れ回された。ジークはいつもと違って鈍くさくてミスばっかりで、弱々しくて……私のことを大切だって。まるで別人みたいだった。それともあれが本当のジークなのかしら? だとしたら……
「ふうん。変だねえ。て言うかあの人相手にどうやって誤魔化したの?」
「適当に偽名を使ったわ。それ以外のことは全然聞かれなかったけど……ほんと変な時間だった」
「偽名?」
「ええ」
「何て偽名? 教えてよ」
「ルーク」
そう答えると、レインまでおかしな顔で私をじっと凝視した。
「…………なんで?」
「何でって……別に深い意味はないわ。なんとなくぱっと思いついただけ」
「………………ふーん。そっか。そう。……そう言えばさ~、こいつの名前は思いついたの? まさか忘れてないよね~?」
「にゃあ」
可愛い黒猫ちゃんのことを忘れる訳がないでしょう。
「もちろん。実はずっと考えていたのよ」
私はひょいとこの子を抱っこした。
「あなたの名前は――」
私の大好きな物の一つをあげる。




