115 追いかけられる
次の日。急いで鏡を確認すると、私はやっぱり――
「男、か……」
変わってない。戻れてない。私は深くため息をついてから冷たい水で顔を洗った。もう一回鏡に自分の姿を映す。……変わってない。
「レイン。朝よ」
「まだねむ~い」
レインは天井から吊されたハンモックの中で猫みたいに丸くなっていた。
「あ、フレア様戻った?」
「戻ってないわよ」
「だよね~。声が低いと思った~」
「わかってんなら聞くんじゃないわよ」
長い前髪の隙間から切れ長の目が覗いている。なんだかんだ起きたらしい。
「にゃあ」
本物の可愛い子猫ちゃんがぴょんっと私の胸に飛び込んできた。……ああ、堪らん。元に戻った後もこの子とはずっと一緒にいたい。レインに任せてたらお腹を空かせちゃうかもしれないし、レインよりこんなに懐いてくれてるんだもの。私が世話するべきだわ。
「おはよう、おはぎ」
「にゃっ」
「て言うかおはぎって何?」
「超美味しい私の大好物の一つよ。名前の感じも可愛いでしょ」
「そう?」
「可愛いのよ」
おはぎにミルクと特製ご飯をあげて、レインには黒パン、卵焼き、ハムにサラダとスープの朝食セット。机の上で食べるということにレインはあまり慣れないらしい。椅子の上で膝を曲げて窮屈そうにしている。
「あ~あ、めんどくさ~い」
「普段の生活が適当過ぎるのよ。勉強熱心なのは結構だけど少しはこういうのにも慣れたら? で、私のこの症状については何かわかった?」
「わっかんな~い。残念」
「はあ……そう」
思わずため息が零れた。ちょっとずつこの体には慣れてきたけど、嫌なものは嫌だし早く以前の女性の体に戻りたい。心は女性なのに体が男性って言うのが違和感と不快感しかない。
「あ、指輪なんだけどさ~、腕の良い職人を知ってるから直せるか聞いてみるよ」
「ありがとう」
「まあそれかそっくりそのまま偽物を作って貰うとかね」
「それは結局バレるような気が……」
いえ、でも昨日のポンコツジークだったら案外バレないかも?
『ああ。そこまで。……そこまで大切だった』
……思い出すとちょっと気恥ずかしい。
ジーク、また市場にいるのかしら。眼帯を痛そうに押さえていたけれどあれは一体……。ものもらいとか? まさか私に視力をあげたことが原因で何か副作用が起きている、とかじゃないわよね? この1年しょっちゅう会っていたけれどジークが失った片目を痛がる素振りなんて見たことがない。だからそんな……ないと思うけど。
考え込んでいてレインの視線に気づかなかった。じーっと見られてなんだか居心地が悪い。
「な、何?」
「フレア様今日も外に出る?」
「ええ、その予定よ。何かしら情報が得られるかもしれないし。私以外にもこんな目に遭っている人がいないかとかいろいろ聞き込みしてみるわ」
「ふーん……だったら気をつけた方がいい」
「え?」
「あんまり動き回っているとあの忠実な下僕の耳に入っちゃうかもしれないからね。怪しい男がおかしな噂を嗅ぎ回ってるって。だってここら辺は彼らの庭みたいなものだからさ」
「…………どういうこと?」
「そうだ、名前以外にもいろいろ決めておくことをお勧めするよ。どこで生まれたのか、何をしているのかとか。何を聞かれてもボロが出ないようにね」
またジークに出くわした時のために? 確かに昨日は名前以外聞かれなかったけど、もし万が一また出会ったら今度はいろいろ聞かれるかもしれない。ルークの経歴なんかはいろいろ決めといた方が良いかもね、と思いながら私は外に出た。
その、僅か数分後……
「おはようございます」
「ああ、おはよう。こんな朝早くからどうしたんだい?」
「ええ、実は少し聞きたいことがありまして――」
な、なななななな……
なんでルベルがここに……!?
彼の声が聞こえた途端思わず物陰に身を隠していた。恐る恐る様子を窺うと、ちょっと怖い笑顔で何やら聞き込みをしている。おかしい、なんでこんなところにルベルが!? だって孤児院からはちょっと離れてるし買い物ならもっと近い場所で一通り揃うし……て言うか何なのあの禍々しい雰囲気は!? 聞き込みされてる魚屋の主人もちょっと怖がってるじゃない!
もしかしてジーク……
『猫探しは……人の手が多い方が探しやすいと思うか?』
私が失踪したこと言っちゃったの!?
あああもう! あの質問に私はそれとなくノーと答えたはずだったのに! 全然人の言うこと聞かないんだから! 答えと反対のことやるならわざわざ聞かないでよ! それとも聞いた上で敢えて反対の選択肢を選んだの!? ほんと捻くれてる!
まあいつかこうなることは覚悟していたけれど……思ったより早かった。とにかくルベルはまずい。いえ、この姿ならバレない。バレないとはわかっているけれど何かバレそうで怖い。この道は避けて通りましょう。私は全力でその場を離れた……んだけど……
「最近怪しい人間を見かけた? その話詳しく聞かせてくれ!!」
今度はカノン!? 工事現場のおじさん数名にガツガツ聞き込みしてる。必死すぎてすごく怖い。カノンは野生の勘とか鋭そうだし……ここも避けて通りましょう……。
「友達が家出? それは心配だね。君たちのような可憐でいたいけな美少女が危険に遭うなんて見過ごせない。うん、大丈夫、俺が必ず見つけ出すからね。彼女が向かう先に心当たりはあるかな?」
今度はシリウス……。てっきり可愛い女の子相手にナンパしてるのかと思ったら聞き込みだった。て言うか何キラキラオーラ出してんのよあいつは。女の子の目がハートになってて何かムカつく。今の私ならシリウスより格好良い自信あるけどね! ……て、何張り合ってんのよ……。
怪しい人物だとか家出とか……そういう情報を集めてるってことはやっぱり皆私のこと捜してるの? まさか普段からこんな探偵ごっこやってるわけじゃないわよね……?
「今、一瞬匂いが……」
「ッ!!!」
やばっ。
シリウスがこっち向いた! 一瞬目が合った気がする。すぐに顔を引っ込めて隠れたけど……。え、匂い? 匂いって言った? 今。もしかして私の匂いがわかるの? そんなばかな……
「おい、そこのマント男」
………………嘘でしょ。
「さっきから挙動不審だな。何かやべえことでもやってんのか?」
「…………」
「おい、こっち向けよ」
「………………」
「乱蔵さ~ん、朝から走り回って疲れちゃいました~。どこ見てもお婆ちゃんの姿ないですし……も~ほんとなんでいなくなっちゃったんですかね~。何か事件に巻き込まれてないと良いですけど……う~んでも事件なんて起こらないはずなのに……」
「ぶつぶつうるせえ」
乱蔵と……杏……!!!
最も会いたくない二人組に目を付けられてしまった!! 嘘でしょ、レインの地下室を出てからこんな数分で!? あああああああ最悪!! こいつらにだけは絶対会いたくなかったのに! あ、しかもシリウスの気配まで近くなってきてるような……やばい! コレはヤバい!!!
すうっと息を整えた。
「おい聞こえてんのか。ちょっと話を――」
乱蔵が手を伸ばした気配を感じ取った瞬間、私は地面を蹴った。
「ッ!!?」
家の壁を駆け上がり屋根に飛び乗って駆け出す。これはもう逃げるしかない。何としても撒くしかない!
「あいつ……シリウス!! 追うぞ!!」
追わないで頼むから!!!
気配でわかる。シリウスも乱蔵も屋根に駆け上がってこっちを追いかけてきてる。あああ~~もう! 何で見逃してくれないのよ!! しかも速いし!! いえ、でも私の方が速い。ふふッ、残念だったわね二人とも。結局私に足の速さで勝とうなんて百年早いのよ!
……それでもなかなか背後の気配がなくならない。ほんとしつこいわねと思いながら必死で走り続けていると――
「止まれ」
ヒイイイイイイイイイイ!!!
目の前にルベルとカノン。どうやって!? な、なんで!? そもそもあんたたちはさっきまで別のところで聞き込みを……
彼の足下には真っ黒な犬がいた。まさか、あれって……
「残念だったな。こちらにはこちらの連絡手段があるんだ。話しかけただけでこんなに必死で逃げ出すなんて、相当やましいことがあるんだな? 説明してもらおうか」
多分あの犬シリウスだ。
このままじゃ追いつけないと判断して途中から姿を変えて仲間を呼んで挟み撃ちってこと? 獣になった方が足も速いし小回りも利くもんね? て言うかシリウスが獣になれるってカノンとルベルは知らないはずだったのに……ど、どうして!? そもそもこんな町中で安易に変身しちゃだめでしょ!
「君は何か知っているのか? 最近十代の少女の家出が頻発していることと関係があるのか?」
え、そうなの? 頻発してるの? それってまさか皆私みたいに男になっちゃってるってこと!? どうなの!?
「早く答えてくれ。もう逃げ場はないぞ」
ルベル超怖い……。殺気が、殺気がダダ漏れじゃないの。これカノンがバーバラにやられてた時以上にヤバくない? 肌がピリピリするんだけど。背後には乱蔵、目の前にはルベルとカノンとシリウス。逃げ場、逃げ場は……逃げ場は……
空があるじゃない。
「ッ!!」
乱蔵の糸が背後から放たれたのと同時に思いきり脚に力を込めて飛び上がった。糸を躱し、空中でくるくる回転しながら乱蔵の背後に着地する。もちろんフードでしっかり顔を隠したまま。
「なんつー脚力……!!!」
ふふん。そのまま乱蔵の体を掴みルベルたちの方へ放り投げた。
「うおッ!?」
「なッ……」
「嘘だろ!?」
彼らが驚いている隙に逃げ出す。きっと乱蔵の糸が付着した屋根にも足を取られてなかなか動けないはず。全速力で逃げて、逃げて、彼らの気配がようやくなくなったは良いものの一体どこまで来てしまったのかわからないくらい遠いところまで来てしまった頃……
「おうおう姉ちゃん、情報が欲しいならもっと対価を払ってもらわねえと」
「そうだなあ。こんなところまで来るんだ。もっと金は持ってきてんだろ? それとも体で支払ってくれるのか?」
「…………ッ」
グシャッ
足を滑らせて下卑た笑みを浮かべる男達の真上から落下した。
「ぐえっ」
「な、なんだあ!?」
どうやらかなり危険なエリアに来てしまったみたい。あ~やれやれ最悪と思いながら取りあえず男二人組の意識を軽い蹴りで奪う。走りすぎてちょっと脚が痛いくらいなのにまた面倒事かしらと遠い目になりそう。本当にツイてない。
「汚い男はそこで寝てろ」
「…………あの」
フードを目深に被った少女は私を見て怯えているみたいだった。そりゃそうよね、急にこんなのが上から降ってきたら誰だって驚く。ただでさえこんな臭そうな男たちを相手にしてたのに。
「ああ、ごめんなさい。驚かせてしまって。私は怪しい者ではありませんから」
「そ、そうは思えないのですが……」
あはは、確かに。
…………ん?
ちょっと待って。今の声、どこかで聞いたことがあるような……
ちょうどそこにドタバタと足音が聞こえた。
「刺客か!?」
「おい二人もやられてるぞ!!」
あ、やばい。
私はチラッと少女を見てから「失礼」とその手を掴んだ。一人で逃げても良いけど、この子絶対巻き添えを食っちゃうわよね。それはとてもまずい。
「逃げましょう。私のせいでこんなことになってすみません!」
「ッ……!! わ、私……」
バシっと手を叩かれる。不思議に思って彼女を見ると小刻みに震えていた。
「あ、ご、ごめんなさい。あの……その……」
もしかしてさっきの連中に乱暴なことをされたのかしら。
「いえ、急に掴んで怖かったですよね。うーん、じゃあちょっと目を閉じてもらっていいですか?」
「へ?」
「あなたをこんな危険なところに置いておく訳にはいきませんから。怖かったらちょっと目を閉じて、私のことは2本脚の馬だとでも思って下さい」
「う、馬……?」
「ええ、そんなものとでも思って下さい。さ、逃げましょう」
ぎゅっと目を閉じたらしいことを確認してから彼女の体をふわりと両腕に抱えた。緊急事態とは言え私みたいな見ず知らずの人間の言う通りにするなんてもしかしてかなり箱入り娘なのかしらとかふと思う。思えばこのマントやマントの隙間から覗く服はかなり上質なものみたいだし……
しばらく走ったところで完全に男達は撒いた。シリウスたちを相手にした時と違ってすごくラク。人通りのそこそこある安全な通りまで来たことを確認してから、私は彼女をそっと下ろした。
「じゃ、私はこれで。なんの取引をされていたかは知りませんが、あまりあそこには近寄らない方がいいですよ。お嬢さん相手には危険ですから。欲しいものがあるのなら別の手段をお勧めします」
そのまま立ち去ろうとしたらマントを掴まれた。
「あ、あの、ありが――」
「クリスタ!!! どこ行ってたんだ!!!」
………………ん?
クリスタ?




