仮面
公道を走る車の中、星奈は寒気に襲われていた。これは、決して温度や湿度の関係で寒さを感じているわけでは無い。
一緒にいるこの男、柴田が嘘をついていた事で、この者の目的に勘付いてしまったからだ。
柴田は何のために嘘をついていたのか、その答えは明白だ。最果ての者と関わりを持って欲しくなかったからだろう。
言葉だけでは簡単に聞こえるが、生易しい嫉妬などでは無い。
先日、無い頭を捻らせ続け行き着いた答え。星奈の机の上にメモを置いた人物の目的。その目的と一致してしまうのだ。
そこから連想していくのは簡単だ。メモを置くのもこの男なら可能だ。星奈に監視を付け、通信の遮断を行ったのも仕事の関係上可能だろう。もしかしたら岡田を殺害したのも柴田が率いてやった事ではないのかと思えてくる。
星奈はそんな人物と同じ車の中、しかも車の中はブラックリスト制度の監視を受けていないという。
この状況で、星奈が嘘に勘付いているとばれたならどうなってしまうのだろうか。
自分が危険な綱渡りをしている事に気付いてしまった為に星奈は寒気を感じているのだ。
何事も起こらないよう、神様にお祈りを捧げつつ、柴田との会話に興じた。間違ってもミスを冒さないように。
BLCに到着し車から降りられれば。星奈は永遠にも思える時間の流れを感じた。
車から降りる頃には、まるで何日も寝ていなかったかのような気だるさに襲われ、星奈の疲労はピークに達していた。
柴田に気取られないよう、自分の言葉や表情に細心の注意を払い、神経をすり減らした。
「星奈さん、大丈夫ですか? どこか具合が悪そうですが……休憩所で少し休んで行かれませんか?」
「いえ、大丈夫です!元気だけが取り柄ですからね!」
星奈は、これ以上柴田と一緒にいるのが耐えられなかった。その為、全身を使って元気だというアピールをして見せた。
華奢な腕で力こぶを作る動作をし、この上なく明るい表情を作り出した。
BLCの休憩所で休むなど冗談ではない。
早々と柴田に別れを告げ、星奈はお尻に火が付いた勢いで走り出した。
途端、BLCの入り口にある小さな階段で勢いよく顔から転倒した。
努めて明るく、そして不自然に思われない様に行動した星奈だが、はやる気持ちを抑えきれていなかったのだ。
足をもつれさせ、豪快にこけてしまった事で、体調が悪いのだと柴田に教えてしまった。
そのせいで、星奈は、柴田によって休憩所に連行される形となった。
星奈にとって、休憩所に行くくらいなら、その辺のゴミ捨て場にでも捨てて置いて貰った方が断然良い。
そこならばブラックリストの監視機能も働いているだろう。
それに、柴田の神経も疑われる。最近同僚が殺された場所に連れて行くなど、頭のネジが飛んでいると言わざるを得ない。
一歩一歩進むにつれ、星奈は死刑台に向かう囚人の気持ちが理解出来た気がした。
夜の休憩所は小さな明かりが灯っているだけで、誰も居ない。
一応夜勤の者でも休憩出来るようにポットや自動販売機が設置されているが、それだけだ。
元々休憩所自体が小洒落た雰囲気を醸し出している事もあり、雰囲気だけはロマン溢れるお店の様に感じられた。
一緒に来たのがこの男でなければ星奈も楽しめたかもしれない。
「星奈さん、本当に大丈夫ですか?そこのソファーで休んでいるといい」
「えぇ、ありがとうございます。ちょっと休めば大丈夫ですから」
「無理は禁物ですよ。ここで休んでいてください。飲み物を取って来ますね」
柴田はそう言うと、休憩所の隅に置いてあるドリンクサーバーの元へ離れていった。
(あれ?この人そんなに悪い人じゃない?気のせいだったのかな?)
柴田が嘘を吐き、星奈の気を惹こうとした事は揺るぎない事実だろう。だが、それだけなのかもしれない。
今までの彼の言動から、自分を良く見せたくて咄嗟に嘘を吐いてしまっただけなのではないか、と思える様になって来た。影矢の時と同様、ただの勘違いだったのだろう、と。
そう考えると警戒心が緩み、疲れがドッと溢れてきた。
星奈は肩の力を抜き、ソファーに沈み込み、柴田を待った。
「お待たせしました。多少落ち着いたご様子ですね。これでも飲んで気持ちを落ち着かせてください」
柴田が差し出したのは紙コップに入ったコーヒー。ミルクや砂糖を入れていないコーヒーは星奈にとって苦手なものだ。
この場合、柴田の行為を無下にせず、受け取るのが礼儀なのだろうが、星奈はそれを拒絶した。
今まで気を使い過ぎたのだ、少し位はわがままを通しても良いだろうと考えて。
思い返してみたら、星奈は今まで明らかな拒絶の反応は示して来なかった。
その事が逆に彼の癇に障った。
柴田は星奈の拒絶を許さない。いつもの様に紳士的な態度で接してくれるかと思いきや、彼の態度が豹変した。
表情を醜く歪め、星奈に怒声を浴びせた。
「いいからさっさと飲め!俺の言う事が聞けないのか!」
柴田はコップの中のコーヒーが溢れることなど御構い無しに、星奈に突き付けてきた。
この急変した態度を見て星奈は確信した。自分の仮定が正しかったのだと。
一度緩めた帯を再び強く結び、疲れた体に鞭打ち必死で抵抗した。
お互いが暴力にならない程度の力でぶつかり合う。
この時間に大声を出しても助けに来る人など居はしない。
柴田もそれが分かっているからこそ自らの仮面を脱ぎ捨てたのだろう。
無理矢理にでも飲ませようとしてくる柴田の行動から、コーヒーの中に何かを入れているのは間違いない。
だが、先日の岡田殺害から分かる通り、この場で無理矢理飲ませたとしても、ブラックリストの禁則事項には引っかからないのだろう。
だからこそ柴田はこの様な強引な手を使ってきたのだ。
星奈は死に物狂いで叫んだ。誰かが助けに来てくれることを信じて。
そして、星奈の声は一人の男性に届いた。
高身長で顔立ちも良く、星奈が今まで変な髪型と思っていたこの男性。北条は何処かで見たヒーローの様に遅れて登場し、柴田と神奈の間に割って入ってきた。
「何をやっていたのか知りませんが、うちの後輩に手を出すなんていい度胸してますね?相談窓口と喧嘩がしたいんですか?」
北条がBLC内にいた事は柴田にとって不測の事態だろう。
柴田は苦虫を噛み砕いた様な表情を浮かべ、伸ばしていた手を引き戻した。
「何か勘違いをされている様ですね。私は彼女が疲れている様子だったので、お飲み物を渡そうとしただけですよ?」
「違う!この人が無理矢理飲ませようとした!」
北条は二人の顔を交互に見て、少しだけ考える素振りを見せた。やがて決意したのか、柴田に頭を下げた。
「そうでしたか、うちの馬鹿に気を遣って頂きありがとうございました。ですが、心配には及びません。こいつは身体だけは丈夫に出来てますので、介抱の必要もありません。今回はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
北条が頭を下げた事で柴田は優越感に浸っている様子だ。何故北条が謝らなければならないのか、星奈には理解出来るはずもなく、力一杯反論の声を上げた。
「私は何も悪くない!北条さん、なんで信じてくれないんですか!」
北条は星奈にだけ見える様に振り向き、懇願する様に目で合図を送った。
目線でのやり取り。これは相談窓口の面々ならば誰もが出来る技の一つだ。相手の心情を察する事で、連携して仕事に臨むために身に付けている。
星奈には北条の真意は理解出来ない。だが、彼の事は信用しているし、信頼もしている。そんな人物がこの様な表情を浮かべるのには並々ならぬ理由があるのだろうと考え、星奈も頭を下げた。
「……申し訳ありませんでした」
明らかに不服と嫌味を込めて発した言葉であったが、柴田の鼻が更に高くなっていくのが分かった。
「いえいえ、誰にでも勘違いはありますからね。星奈さん、またお食事にでも行きましょう」
柴田はそうい言うと、まるで何事も無かったのようにその場を後にした。
柴田が見えなくなった事を確認し、星奈は北条に詰め寄った。
「何で、あんな事させたんですか!」
「ーーちょっとついて来い」
冷静な口調でそう発した北条に星奈は無言で着いて行った。向かった先は相談窓口の休憩室。夜も遅い時間という事もあり、そこには誰も居なかった。
星奈はいつも休憩の時に座るお気に入りのソファーに腰掛け、北条もその反対側に座った。
「それで、さっきのは何なんですか?」
「ーー俺だけの判断で伝えるべきじゃないと思ってたんだがな……まぁ良いだろう。俺たち相談窓口の人間は藤堂院影嗣、及び影矢と繋がっている」
北条は星奈の反応を注意深く観察し、星奈は何を言われているのか理解出来なかったのだ。この日は柴田のお陰で心身共に疲れ切っているせいか、いまひとつピンと来ない。
「…………はい?」
「はぁ……やっぱりお前は馬鹿だな。俺たちも協力者って事だ」
北条は、理解力のない星奈の態度に、心底疲れた様子でため息を吐いた。
「……へ?」
「めんどくせぇな!何で理解出来ねぇんだ!お前の味方だって言ってんだろ!分かったか!」
「はぁ……?それで、何でさっきはあいつに謝ったんですか?」
怒鳴り声を上げる北条に怯む素振りも見せず、星奈は食って掛かった。すると、北条は頭を抱え、何かを考え込んでいる様子を見せた。
「いいか?柴田達に俺たちの存在はバレてない。だからこそ秘密にしなければならない。お前には悪い事をしたと思っているよ……」
「そうです!謝ってくれれば良いんです!」
星奈は渾身のドヤ顔を決めた。北条は星奈のその表情を見て再び大きくため息を吐いた。
今はこれ以上星奈に何を言っても無駄だろうと考えた北条は、星奈の気がすむまで愚痴を聞き、詳しい話は皆が集まる後日にすると伝え、星奈の自宅まで送った。




