裏の顔
自宅に帰った星奈は、玄関口で倒れるように座りこんだ。自分の家に入った事で、今まで張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れたのだ。
このまま着替えもせず、風呂にも入らず、そのまま寝てしまいたいという思いが浮かぶ。
この日、自分の頭の中で処理できる事柄を圧倒的に超える情報量が雪崩のように流れ込んできた。
柴田の豹変振りから、おそらく岡田を殺したのは柴田であろう。柴田の事を疑っていた為、それだけならまだ処理出来た。
何より理解し難い事は北条の言っていた事だ。
星奈は頭の中で彼の言葉を反復し、理解しようと試みるも、全く頭が回らない。
そこで、とりあえず風呂に入って汗を流し、疲れを癒してから考える事にした。
重い身体を起こし、シャワーを浴びた。
パジャマに着替え、ベッドに倒れ込み、お気に入りのスナック菓子を片手に、呆けた表情を浮かべて天井を見上げた。
勿論そこに何かが書いているわけではない。
星奈は悩み事がある時、こうして空を見上げるのだ。
だが、いくら思考を巡らせても何も浮かんでこない。北条と影矢が繋がっているという事が信じられないのだ。
本当に彼等が繋がっているのだとしたら、何故羽柴が最果てにいるのかが甚だ疑問だ。
それだけではない。北条を含む相談窓口の面々が協力者だというのなら、一宮が藤堂院をブラックリストに入れさせた理由も分からない。
何もかも不可解な事だらけだ。
それでも北条の言葉には、固い決意と信用に値するだけの力強さがあった。
だからこそここまで悩むのだ。
星奈は黙々とスナック菓子を食べ続けた。袋の中に入っていたお菓子を全て食べ終わった頃、一人で考えてもラチがあかない事に気付き星奈は考えるのを止めた。
(多分、明日には全て教えて貰えるし……もう寝よう)
星奈はゴミ箱に向かってスナック菓子の袋を放り投げ、布団に潜り込むと、数瞬も経たないうちに眠りに着いた。
ーー
翌日、遅刻する事なく出勤した星奈は、相談窓口の面々と顔を合わせる事に不安を感じていた。
いや、どのように話し掛けるべきなのか分からなくなっていたのだ。
重い足取りで相談窓口に向かうと、そこには全員の姿があった。普段、勤務開始のギリギリまで休憩所で休んでいる対馬もいる事から、何かの打ち合わせをしていたのは間違いない。
いつから集まっていたのかは分からないが、全員の顔を覗いてみると、何処か疲れている様子が見て取れた。
いつもの明るい雰囲気とは違う何処か重たい空気に星奈は怖気づき、その場に立ち尽くしてしまった。やがて武田が立ち上がり、ゆっくりと近づいてきた。
いつもの穏やかな笑顔はそこには無い。会議の時以上に真剣な表情を浮かべている。
武田は星奈の元に辿り着くと、星奈が怖がっている事など御構い無しにガッチリと肩を掴んだ。
星奈は、小さくピクリと反応したが、それすらも抑え込めるほど強い力だ。
「星奈ちゃん、あのゴミ屑野郎に何もされなかったかい?しつこく言い寄られたんだろう?大丈夫だったかい?」
「え〜っと……大丈夫ですけど?」
星奈の発した言葉を聞き、皆が一様に肩の力を抜いた。何処と無く重たくなっていた空気も軽いものとなった気がした。
星奈も警戒心を解き、机に座ろうとした時、一宮が星奈に抱きついて来た。
「星奈!あんた一人で行動しちゃダメ!今度からは何かする前に私に聞きなさい!分かった?」
一宮の言葉の節々には怒りや、悲しみの感情が込められていた。
彼女だけではない、対馬や北条も明らかに力を抜き、机に沈み込みそうな気配を出している。
武田も頭を垂れて頭に乗っていたズラがズレている。
皆の反応から心配してくれていたのだと分かった。
「心配してくれてありがとうございます。それで、皆さんの事を話して貰えるんですよね?」
「星奈ちゃん、本当に申し訳ないんだけど、仕事の後でいいかい?」
武田の言葉を聞き、時計を確認してみるとそろそろ受付の準備を始める時間だった。
モヤモヤしたまま仕事に臨むのは不本意ではあったが、仕事なので仕方のない事だと武田の提案を受け入れた。
(最近、考え事をしながら仕事をしてる日が多くなったなぁ……このままだとそのうち白髪が生えてくるかも?やだなぁ……武田さんみたいになったらどうしよう)
星奈は、悩みを抱えたまま仕事をするのに慣れてはきたが、それは非常にストレスを感じる。だが、不思議とギスギスした気持ちにはならなかった。
仕事終わりには皆の話を聞く予定が出来ているからなのか、それとも一宮が普通に接してくれたからなのか、星奈には分からない。
明るい笑顔で相談員としての仕事をこなす事ができた。
昼の休憩時間になっても武田から話しを切り出して来なかった。一時間足らずで話せる内容では無いのだろう。
気まずい空気にならないよう、星奈は気を使い休憩所の方でご飯を食べる事にした。
先日の騒動の所為で、入社した時ほどの賑わいはここには無い。
逆に言えば、それさえ気にしなければ、非常に落ち着けるスペースになっている。
星奈は誰にも話し掛けられないよう敢えて隅っこの席に座った。
だが隅を選んだのは間違いだった。そこは対馬の特等席だったようだ。
星奈が座っている事など御構い無しに、向かいの席に対馬が座った。
「星奈ちゃん、私とご飯が食べたかったの?」
そんな訳ないだろ、と言えれば良かったのだが、仮にも対馬は先輩だ。彼女が何を考えているのか理解する事が出来なかった。
星奈は何と返してよいものかを考え、とりあえず肯定する事にした。
「そうなんですよ〜。お話が聞いてみたかったので」
「そんな風には見えないけど?」
星奈は「じゃあ話しかけてくるなよ!」と叫び散らしたくなった。
口端を僅かにつり上げ、笑顔を崩しそうになったが、気合いと根性でそれを止めた。
ここで、何も喋らないのは何となく悔しい。そこで星奈は話題を考えた。
「そんな事ないですよ〜。対馬さん、今の制度に不満はないのか?って前に言ってたじゃないですか。その事が聞きたくて」
「なんだその事か。ただの勧誘よ。あなたってどんな人でも仲良く出来るでしょ?だから協力してくれないかなーって思ってたの」
「ーー協力を始めたのに、何で今迄黙ってたんですか?」
「武田さんが後で伝えるって言ってたから武田さんに任せてたの。ここだと流石に話せないしね」
対馬は周りに目線を移し、休憩所にいる他の職員を見た。人が少なくなっているというのは、同時にそれだけで自分たちの会話が周りに漏れやすくなっているという事。
星奈が聞こうとした話は、純粋にBLCで働いている人々に聞かれるのは非常にまずい話だ。
星奈から振った話題が途中で遮られた事で、どちらにしても悔しい思いをした。
その後、どちらからも会話を振らず、対面で座っているにも関わらず無言のままご飯を食べ続けた。
ご飯を食べている間も対馬の表情に変化は無く、彼女の表情から何を考えているのかは読み取る事が出来なかった。
結局、彼女が何の為に星奈の対面に座って来たのか分からないまま午後の仕事が始まった。
午後の相談窓口は珍しく全員が窓口に座った。
回転率を上げ、相談を少しでも早く切り上げる為、しいては星奈との話の時間を早く取る為に武田が自分の仕事を差し置いて協力してくれたのだ。
結果としては大した時間の差は無いのだろうが、星奈は皆の心意気が嬉しく感じられた。
最後の相談者を皆で見送り、入り口の鍵を閉め、午後の相談時間が終わった。
相談者の資料まとめや明日の準備をそのまま残して、皆で休憩室に集まった。
「さて、星奈ちゃん。何から聞きたい?」
「ーー皆さんも影矢くん達の協力者なら、今迄黙っていた理由を教えてください」
武田は頭を抱え、苦笑いを浮かべると、北条に目線をやった。
「俺から正直に言おう。お前が信用出来るまで様子を見ようと俺から言っていたから黙っていた。お前から他の奴らにバレたら終わりだからな」
「それって酷くないですか!?私がほいほい他の人に話すと思っていたって事ですよね?」
自分が皆に信用されていなかった事に星奈は憤怒した。確かに出会ってから一年程度で全面的に信用しろというのは無理だろうが、それでもここまで言われると腹が立つのだ。
「そうだ。だから藤堂院の爺さんに協力して貰って最果て側からの勧誘をした」
「ーー最果てに取材に行った時すんなりOKが貰えたのもその為って事ですか?」
「いや、それは普通に仕事の為だ。どうやってお前を最果てに向かわせようか考えていた所だったからちょうど良かったっていうのはあるがなーー」
「星奈、私からも質問していい? 私達がやっているのはテロ行為なの。他の人が望んでいない可能性も勿論あるし、絶対に成功する保証なんてない。それでもあんたは協力を続けられる?」
北条の言葉を遮るようにして一宮から質問が飛んで来た。彼女の性格上、今までの事よりもこれからの事を話したいのだろう。
星奈はここで止めた場合の事を考えた。おそらく、この人達ならば自分を殺してまで情報漏洩を防ごうとはしないはずだ、と。
だが、なんといっても同じ事だ。一宮に言われて止められるのならば、あのメモを読んだ時に止めていただろう。
星奈は決意の炎を瞳に宿し、ハッキリとした口調で答えた。
「続けますよ。皆さんも同じですよね?今の制度がおかしいと思っているんでしょう?」
「その通りよ。あんたも経験しているから分かると思うけど、今の制度は至る所が腐っているわ。家族間でのBL登録、子供同士のトラブル、ニューレストに利益しか無い制度の導入、とかね。私はね、いっその事ブレインを壊してブラックリスト自体を無くしたいの」
一宮の言葉からは強い意志が感じ取れた。星奈も同じ意見だが、引っかかる所もある。
この場で伝えるべきなのか迷ったが、今更手の内を隠すのも卑怯だと考え、自分の疑問をぶつけた。
「ブレインって壊さないといけないんですかね?システムの変更とか出来ないんですか?」
それは柴田に言われた言葉だが、その通りだと感じてしまった所だ。
「その辺りが分からないのよ。中心地に協力者がいれば探れるかもしれないのだけど、藤堂院のお爺さんも分からないって言ってたわ」
「そうなんですね……あ! そういえば、なんで藤堂院さんをBL登録させたんですか?」
星奈のその質問は一宮からしたら理解に苦しいものだった。呆れた様にため息を吐き、答えた。
「あんたが何処かれ構わずその名前を出したからよ。BLCの中でこんな話ができるのはここか休憩所のみ。それ以外でこの話をしたらあんた最果て行きよ?」
「なるほど……それで私が信用できなかったって事ですね」
「今後もこの部屋以外でこの話題を出したら、私達は容赦なくあんたを最果て行きにするわ」
星奈は、彼女達がそこまでして世界を変えたいのだと理解できた。その為、一度喉を鳴らして二つ返事で答える事が出来た。だが、それでも一つだけ我慢ならない点がある。
「羽柴さんは……飛ばす必要は無かったんじゃないですか?」
その言葉を聞き、一宮達は険しい顔に変わるどころか笑いが止まらない様子だ。
人が死ぬ思いをしているのに何が面白いのか、と激怒しそうになったが、反論の声を遮られた。
「ごめんごめん、言っておくべきだったわね。羽柴さんはね、自分の足で最果てに行って、自分の意思で残っているのよ」
星奈は言葉の意味を直ぐには理解できなかった。
理解しようと頭を回していると、北条が補足してくれた。
「あのな、あの人がお前に声をかけたのも勧誘の為だって言われなかったか?あの人が自分で決めてお前の勧誘をしてくれたんだ。それにな、お前の勧誘をした車は抜け道になるように小細工をしてあったんだ」
小難しく説明を続ける北条の言葉が念仏のように聞こえてきた。その為、自分の頭で簡単に捉える事にした。
羽柴は大馬鹿野郎なのだと。
「あ!そうだ。羽柴さんと影矢くんね、近々一層で活動を始めるみたいよ」
「羽柴さん最果てから戻って来れたんですか!?」
羽柴の今の現状を星奈に説明するのに小一時間ほどかかった。
皆との密談が終わったのは星奈の理解力の無さのせいで、そこから二時間ほど後の話であった。




