第21話 失くした記憶
「意外だったな」
ラッシェルが言った。ロェイはふっと首を傾げ、
「そうか?」
と答えた。
海は凪いでいる。
夕暮れと共に港を出た船は、順調に水面をかきわけていた。とっくに日は沈み、空には、満天の星。
ラッシェルと肩を並べ甲板にいることの方が、ロェイにとっては意外だ。
「だって、ジジイも入れたら全部で七人もいるんだぞ? なのにどうして料理が得意なのが、あのチビなんだ? サントワがプロ並の腕ってのも驚きだが、全部ひっくるめて不思議だと思うのが当然だろ?」
いざ、食事を作る段になり、手を挙げたのは驚いたことにフラッフィーだけだった。さすがに一人では大変だろうとサントワがあとを追った。オルガもエリスも料理に関してはお手上げだと言う。勿論、ロェイとラッシェルも出来ないわけではないにしろ、戦力外だ。そしていざ、出来上がった料理を皆で食べたが、フラッフィーの手際の良さにも、サントワが作る料理の素晴らしさにも、脱帽の一同だった。
「フラッフィーも料理上手だと思ってたけど、確かにサントワのは一味違うよなぁ」
「食事のあとで俺『どこかの店で習ってたのか?』って、茶化したんだ。そしたらあいつ、なんて言ったと思う?」
「……ん?」
「昔、王宮の台所を任されてたことがあるからな……だとよ」
「ぶっ」
王宮、と呼ばれる城があったのは、もう六十年以上昔のこと。サントワはどう見繕ってもまだ三十代前半だろうから彼なりのジョークなのだろうが。まさかそんなジョークまで口にするようになったとは、とロェイが驚く。
「なんつって、案外本当だったりしてな」
声をひそめ、ラッシェルが呟く。
「何が?」
首を傾げ、ロェイ。
「サントワだよ。あいつ『ロドークにいた』とも言ってただろ?」
「ああ、お前が一発見舞われる直前の話か」
「いちいち強調するなよっ」
ラッシェルは、武人としての誇りを汚された、と、まだむくれているのだ。
「俺の力は覚えてるだろ? ロェイ」
「ま、な」
確かにラッシェルは武人としてそこそこだ。大きな部隊で活躍していたこともあったし、同じ隊で共に戦ったこともあるからわかる。そのラッシェルをいとも簡単に押さえつけたあの力は、並ではない。
「不意打ちとはいえ、一発見舞われたときだって、俺はちゃんと防御体勢をとったんだぜ?」
よほど悔しかったのか、拳を握り締める。
「金儲けのことばっかり考えてるから、体が訛ったんじゃないのか?」
そう、茶化すと、
「馬鹿言うなっ。武人が体鈍らせちゃ商売上がったりだ。なんなら手合わせするか?」
パッと立ち上がりラッシェルが構える。ロェイはフイッと顔を背けると
「やなこった」
とだけ答えた。
「ちぇ。相変らず付き合いの悪い男だぜ」
ストン、と腰を下ろし、ラッシェル。
「ところでよ」
今日のラッシェルはよく喋る。追いまわしたいエリスが食事の後片付けをしているせいか? いや、こいつは昔からよく喋る男だった気がする。
「……まだなんかあるのか?」
面倒臭そうに、ロェイ。
「思い出したのか? 全部」
ビクッ、とロェイが肩を揺らした。ピリピリと体中が泡立つ感覚に捕われそうになり、慌てて首を振る。
「いや、全部じゃない」
「そうか」
所々消えている記憶。ラッシェルと行動を共にすることで、もしかしたら徐々に全てを思い出すかもしれない、というのはロェイにとって恐怖であった。記憶を無くすほどの衝撃を受けた出来事とは一体? 自分は何かとても大切なことを忘れているのだ。とても大切で、とても残酷な出来事を……。
「俺はあのとき、とっとと逃げちまってたからな。お前がなにをどうしたのかはわからんが……まぁ、忘れちまったもんは忘れてよかったものなんだろうよ。あんまり考えなくていいと思うぜ?」
ラッシェルには珍しい気遣い。彼はロェイが行方をくらませた場所を見ているのだ。なにもなかった、とだけ言っていたが……つまりそこにあったものは一つ残らず消し去られていたということだろう。敵も、味方も関係なく。そしてそんなことが出来るのは、ロェイの持つ「凪」の力だけだ。
「あのとき……あの場所には、どのくらいの人間がいたんだっけ?」
「……う~、戦局怪しくなってからは双方ともかなりの兵が前線蹴って逃げ出してたからなぁ……」
わかっているが答えない。そんな風。
「少なくとも百はいたよな」
「どうだったかなぁ」
「向こうは確か、飛び道具を持ってた」
「そうだったか?」
「俺は『最終兵器だから』とかなんとか言われて、前線になかなか出してもらえなかったんだ」
凪の力を最大限利用しようとするならば、相手の感情を目一杯引き出す必要がある。闘争心、恐怖心、何でもいい。とにかく感情の波が激しいほど、凪の力は効きやすい。
「元々あれは勝ち戦の予定だったからな。お前を出すまでもないと過信してたんだろ、あのお貴族さんが」
ところがいつまで経っても小競り合いがやまらない。それどころか、先方の攻撃は日々増しはじめ、飛び道具まで出る始末。現場を任されていた隊長は負傷し、隊はめちゃくちゃになっていたのだ。
「その、雇い主はどうなったんだ?」
覚えていないことをとりあえず尋ねてみる。だが、ラッシェルは「うー」だの「あー」だのと言葉を濁し、あまり話したがらない。
「俺が逃げた、ってことはだな、要するに、金がもらえないって事が確定したからだ」
腕を組み、一人頷く。
「金が出なくなったってことはだ、雇い主は失墜したって事だわなぁ」
「失墜?」
「元々あの小競り合いは貴族同士、領土を巡ってのものだった。俺達があそこでやりあってる間に、別の奴らが大将を落としてた、って事だ」
「だったらどうして続けてたんだ? 雇い主が落ちたなら、そこでカタはついてるんじゃないか」
ラッシェルは言葉に詰まった。
(だからテメーが暴れたんだろうが)
言い出したくとも言えない言葉。もう決着がついているにもかかわらず、血が流れていた。そのことでロェイが切れたのだ。収拾のつかない争い。敵も味方もない。最後はただ、狂ったように相手を叩きのめすだけのぶつかり合い。その上あんな事実を突きつけられて……と、眉を寄せる。
「あっ!」
ラッシェルがニコニコしながら指した先には、フラッフィーの姿。
「チビ、こっちこい!」
助かった、とばかり手招きするラッシェル。ロェイは話を切られたのだとわかり、思わず溜息をついた。フラッフィーはダダッと走って二人の前に立つと腰に手を当て、言った。
「ちょっとぉっ、チビって呼ばないでよっ。それになにやってるの? ロェイに変なことしたら許さないからねっ」
ラッシェルが立ち上がる。
「何もしてないって。それよりチビ、料理上手いな、お前」
「……え?」
素直に誉められ、気恥ずかしさに顔が赤くなるのがわかった。こんな顔見られたらまたなにを言われるか! と慌てたが、幸い辺りは闇。薄ぼんやりとした星の光だけでは赤らんだ顔など見えない。
「フラッフィーは料理だけじゃなく、何でもできるんだよ。な?」
ロェイがそう言って笑った。
「とっ、当然よ! 炊事洗濯掃除まで一通りやるわっ。大体、料理くらい出来なくてどうするのっ?」
威張ってみる。
「だなー。お前いい奥さんになるぜ」
ポンポン、とフラッフィーの頭を軽く叩く。
「というわけで、邪魔者は去るか」
言うだけ言うと、ラッシェルは室内へと引き返してしまった。
その後ろ姿を恨めしそうに見つめるフラッフィー。
ロェイと一緒にいられることは嬉しい。だからこそ、この旅にも同行したのだから。それなのに、なんだかロェイと向き合うことが気恥ずかしくもある。ラッシェルを通してなら自然に話せるのに、いざ二人になると何を話していいのかわからなくなってしまう。一緒に住んでいた頃はそんなこと、考えもしなかったのに……。




