第19話 花の在処
「いや~、出発の日としちゃ、今日は最高だよな。雲ひとつない空! 清々しい!」
場を盛り下げているのは言うまでもなくラッシェル。この旅を心から楽しみにしているのは彼だけだろう。他の者たちは皆、面倒で暑苦しい彼の言葉を避けるようにしていた。
誰からも返答がないと寂しいものである。ラッシェルは半ばムキになり、言葉を紡いだ。
「まったく、どうせなら二人きりで旅をしたかったよなぁ。ね、エリスちゃんっ?」
ふぅ、と聞こえる程大きく息を吐き出し、顔を反らすエリス。フラッフィーが二人の間にさっと割り込んだ。
「あんたねぇっ、もうちょっと周りの空気を読みなさいよっ。旅はこれからだってのに和を乱すような真似しないのっ」
腰に手を当て、母親のようにラッシェルを叱り付ける。その様子が可笑しかったロェイとオルガが、ぷっと吹き出す。フラッフィーは笑われたことで気を悪くしたのか、オルガに突っ掛かった。
「ちょっとあんたっ、ロェイが笑うのはまだいいとして、あんたに笑われる筋合いなんかないわっ。失礼よっ」
「あ、ごめんなさい」
素直に謝るオルガ。よく考えれば、ここにいる人たちはサントワの都合で付き合わされているにすぎない。自分もサントワの連れとして、失礼のないようにしなくてはいけない。
「ちょっとぉっ」
フラッフィーがオルガに詰め寄った。謝ったのに、まだ怒ってるのだろうか? オルガが不安に思っていると、フラッフィーが言う。
「ノリってもんがあるでしょう? そんな真面目に謝らないでよっ。あたしがいじめてるみたいじゃないっ」
二律背反。
今度はロェイとエリス、サントワまでもがクスリと笑った。
(サントワが笑ってるっ?)
オルガは、普段見ることのない彼のぎこちない笑顔に感動していた。こんな風に笑うんだ。二人でいたときには、見せてくれたことのない表情だった。
そしてもう一人。
クスリ、と微笑んだエリスの顔を見て、ラッシェルは感動していた。光がこぼれ出そうな彼女の笑顔。この笑顔を自分だけのものにできたなら、と改めて思う。
「フラッフィー、ありがとうっ」
「フラッフィー、感謝するぜ!」
同時に、発言。顔を見合わせるオルガとラッシェル。その二人を見、首を捻るフラッフィーなのであった。
宿を出発した一行は、ナハスの書き記した地図を手に港へと来ていた。花が咲くとされる湖に行くには、大陸を渡らなければならないということだった。まずは船に乗ることになる。
「……ところで、ナハスが言ってた、孤島ってのはそんなに辺境にあるのか?」
ロェイがサントワに尋ねる。パーティーの指揮をとるのは彼。しかし、サントワは口数も少なく、皆を纏める、というよりも自らの殻に閉じこもって物事を考えるタイプのようで、ロェイは少し心配だった。ここにいる面子に信頼関係などまったくない。フラッフィーがいることで随分救われる気がするが、先を思えば情報はある程度全員が共有していた方がいいように思う。
「辺境?」
ラッシェルも口を挟む。
港に碇泊する船は、客船、貨客船、貨物船、それに貿易船など様々だ。なのにナハスの教えてくれた船は、その、どれでもない。彼女曰く「闇の船」とのこと。孤島は、普通の定期便では行けない場所にあるのだと言っていた。
「……辺境というか、あまり場所がよくないんだ」
サントワはボソリとそう告げた。
「場所がよくない?」
ロェイが聞き返す。
「エリスなら聞いたことがあるだろう。ザトゥーア海峡のことを」
「ザトゥーア……」
記憶を辿るまでもない。エリスは深く頷くと、顎に手をあて、言った。
「そう、ザトゥーアの近くなの」
少し驚いたように、エリス。
「エリス、知ってるの?」
「エリスちゃん、みんなにわかるように言ってくれないかなぁ?」
フラッフィーとラッシェルが同時に言う。
エリスは全員の顔を見、小さく頷いた。
「ザトゥーア海峡を一般の船で通ることは不可能よ。あの辺は海流のせいで船がよく沈むの。どんなに海を知り尽くした男達でも太刀打ちできないといわれている、死の海峡なのよ」
一同に緊張が走る。
「エリスは渡ったことあるの?」
「エリスちゃんは何でそんなに詳しいんだ?」
またしてもフラッフィーとラッシェルが同時に質問する。お互いむっとした顔で睨み合う。旅が始まってからというもの、フラッフィーはエリスにべったりだ。ラッシェルはそれが気に入らなかった。
エリスが軽く肩をすくめて告げる。
「海峡は私が住んでいた島のすぐ近くにあるの。私はそこを通って大陸に出たわ」
「聖人の島の近くなのか!」
なるほど、とロェイが手を叩いた。
それで聖人達の住む島は幻の島だと言われるのだろう。決して近付くことの出来ない場所。誰も見たことがないから、まるで空想の世界であるかのように語られているのだ。
「……ってことは、あの花は聖人の島にあるってことなのか?」
ロェイの疑問をエリスがアッサリ打ち消す。
「まさか。あの島に湖などないわ。それに花にまつわる話もまったく聞いたことがないもの」
スパッと切り捨てる。
「……俺も、聞いていいか?」
珍しくサントワが会話に混じろうとする。いつも遠くから聞いているだけというイメージが強かっただけに、皆の視線が集中する。
「なに?」
「あんたは海峡を渡ったんだよな?」
「そうよ」
「どうして渡れた?」
「どうして、って……」
「死の海峡……そこを通ろうとした船は全て海の底に沈んだとまで言われている。ザトゥーアを渡った人間に、俺は会ったことがない」
意味深な言い方で、サントワ。
「聖人なら渡れるわ」
エリスが視線を落とし、答える。とても簡潔な答えだった。
「あの海峡は島を守るためのものだから」
「……なるほどな」
サントワが忌々しげに頷いた。
「なるほどって、何?」
フラッフィーが訊ねた。
「意味としては逆なんだ。聖人しか渡れない、ってことだろ」
サントワがぶっきらぼうに返す。
「……わかんない」
フラッフィーがむくれた。
「つまり、聖人が船に乗っていれば沈まないってことか。けど、それってどういう仕組みなんだろうな?」
ラッシェルが腕を組み、首を傾げた。
「ラッシェルの言う通りだな。そもそも聖人の島ってどこにあるんだ?」
ロェイにとっては素朴な疑問だった。聖人の島というのは、あの花と大差ない、お伽噺でしか聞いたことがない世界だ。実在すると知っただけでも驚きだった。
「カルタス山脈の向こう側よ」
エリスが答える。
「カルタスの!」
「な~るっ」
ロェイとラッシェルが同時に声を上げた。サントワもその言葉に反応し、ほぅ、と小さく呟く。カルタス山脈というのは、とにかくバカでかい山々が連なる場所である。その向こうに何があるのか誰も知らない秘境。まさか山の後ろに海峡が存在し、その向こう側に島があるということ自体、知り得る筈もない未開の地だ。
「じゃ、カルタス文明発祥の地ってのは……」
「あなた達が聖人の島と呼んでる場所の名が『カルタス』よ。あの辺一帯を指す地名なんだと思うわ。元々はあの山脈がある場所とは地続きだった、って聞いたことがあるし」
「なんだって?」
「じゃあ、聖人が神の末裔だ、って話は本当なのかっ?」
二人が騒ぎ立てる。
「なになにっ? エリスって本当に神様なのっ?」
フラッフィーも輪に混じる。と、エリスが途端に不機嫌な顔になり話を中断した。
「これ以上話すことは何もないわ。先を急ぎましょ」
バサリ、とフードを深く被り直し、足を早める。
「あんっ、エリス、待ってぇっ」
すぐにフラッフィーが後を追った。皆もなんとなくそれに従う。一番後ろをついて歩くサントワに、ロェイがスッ、と近付く。
「……確か海峡は渡らないんだよな?」
チラ、とサントワを見、尋ねる。
「近くを通る、ってだけだ」
素っ気無い返事。
「カルタス山脈ってのは大陸の東だよな。あの辺の海には、他の島がいくつもあるってことなのか?」
「さぁな」
「さぁ、って」
「ナハスが言うんだ。間違いないだろう」
これは意外な言葉だった。そこまで深く占いに頼るような人物とは思えなかったのだが。
「へぇ。えらく信用があるんだな、ナハスの占いは」
冷やかすように、ロェイ。
「……彼女は本物だ。間違いない」
「どうしてそう言い切れる?」
「あの花の本当の姿を知っていたからな」
「……本当の姿?」
「チジリ族であるオルガすら知らない真実を、彼女は知っていた。俺にとってはそれだけで充分信用に値するんだ」
「なんの話だ?」
「……いや、聞き流せ」
そう言い、足を早めてしまう。
「……本当の姿って……なんだよ?」
呟いたものの、それ以上なにも聞けなかったロェイなのである。




