第二十七話 安喜県(二)
「おう、馮渠か!
お前なら奴らを蹴散らせるはずだ!」
盗賊の頭目は目の前に立ちはだかる劉備・関羽らに対して、自身の切り札を投入した。
進み出てきたその男の身の丈は他の盗賊より頭一つ高く、全身を筋肉で覆われたような巨漢。
彼は馬より降りると上衣を脱ぎ捨て、その身体に刻まれた無数の傷を相手に見せつけた。
「俺こそは中山国一の勇士・双戟の馮渠!
腕に覚えがあるならかかってこい!」
馮渠と名乗るその男は、二つ名が指し示す通り手に二本の戟を握り、劉備らの前に進み出てきた。
「このまま県兵を差し向けてもいいのだが、関羽、相手できるか?」
「兄者、お任せを」
劉備が関羽に問いかけると、彼は容易くそれに応じた。
彼の挑発に応じ、関羽は乗っていた赤褐色の馬より降りると、矛を構えて馮渠の前へと進み出た。
相手の馮渠も長身だが、関羽はそれを見下ろすほどの巨体であった。
「我が名は関羽。
馮渠と言われるのか。
いいだろう、お相手いたそう」
敵の馮渠は現れた関羽の二メートルはある巨体に一瞬怯んだが、すぐに不敵な笑みを浮かべて刃を向けた。
「お前、随分、身体がデカいな。
だが、デカいだけの奴なんて俺はいくらも倒してきたぜ。
この双戟から繰り出される目にも止まらぬ早業についてこれた奴は今まで一人も……」
馮渠の言葉はそこで途切れた。
「ドスン」という音とともに関羽の矛は目にも止まらぬ早業で馮渠の首を貫き、そのまま千切れて血を撒き散らしながら頭は吹き飛ばさらてしまった。
そして、頭を失った彼の身体はその場にゆっくりと崩れ落ちた。
そのあまりの光景に、周りは静まり返った。
そんな中、関羽は一人、何事も無かったかのようにボソボソと喋り出した。
「すまんな。
あまりにも悠長に喋るものだからつい殺してしまった。
おや、新品の矛だったのに、私の力に耐えかねて砕けてしまったか。
やむを得んな。後の者たちには腰の剣で相手をすることにしよう」
そう言いながら刃の砕けた矛を捨て、腰に手をかけて前に進み出る関羽。それを見て言葉を失っていた盗賊たちはようやく意識を取り戻して狼狽え出した。
「馮渠が一撃で殺られた!
頭目、どうしやすか?
あれ、頭目?
……あの野郎、一人で逃げやがった!」
盗賊たちは頭目に助けを求めたが、彼の姿は何処にもない。
盗賊の頭目は馮渠が殺されたのを見ると、一目散に馬を走らせて逃亡を図っていた。
「なんであんな強い奴らがこんな田舎に来てんだよ!」
彼方に逃げる頭目の姿を追って、劉備は、後ろの方へと声をかけた。
「頭目め、部下を置いて逃げやがった。
劉星、行けるか?」
「ああ、もちろん!」
ここでようやく僕の出番だ。僕は愛馬・彗星を敵目掛けて走らせた。
その様子を見た盗賊の手下たちは冷ややかな言葉を浴びせる。
「頭目の馬は安喜県一の駿馬だ。
あんなに離れてちゃ、もう追いつけないぞ!」
そんな言葉を、劉備は一笑に付す。
「そいつはどうかな。
今から追いかけるのはうち一番の……いや、中華最速の男だ!」
劉備の期待を一身に受け、僕は彗星の手綱を手繰った。
僕の股下には先日、張世平に調達してもらった木製の鞍。その鞍より金属の鐙が垂れ下がり、僕の足を支えている。
「新しい鞍も今までのレジャーシートみたいな薄っぺらい鞍とはまるで乗り心地が違う。しっかりと木で立体に作ってあるから痛みが随分、緩和された。これで彗星も怪我せずに済むな。
鐙も金属になったから、安心して体重を預けることができる。
これでようやく全力疾走ができるぞ!」
僕は彗星の腹を押し、徐々にその速度を上げていった。
なるほど、頭目が乗るだけあって、敵の馬はなかなかの駿馬だ。
だが、頭目の乗馬はまるでなっちゃいない。振り落とされないようになのだろうが、馬に無理な姿勢でしがみついている。そのために馬がヨロヨロと無駄に左右に揺れ、せっかくの健脚を殺している。
やはり、鐙だ。鐙が無いからあんな乗り方になる。あれでは乗り手は危険だし、馬への負担も大きい。
「騎手としては落第だが、追いかける相手としてなら最適だ。
さらにスピードを上げれば追いつけるな。
よし、あの乗り方に挑戦してみよう!」
僕は鐙の上に立ち上がり、鞍から尻を離して、前傾姿勢の乗り方に切り替えた。
これは未来の日本で競馬のジョッキーが主流としている乗り方・『モンキー乗り』だ。木の枝に跨る猿に喩えてこう呼ばれる。
この乗り方は騎手の体重が前方にかかるため、馬の負担が少なく、よりスピードを出すことが出来る。
だが、モンキー乗りは鐙のみに全体重をかける。そのため、丈夫な鐙が無ければとてもできない乗り方だ。ましてや鐙もない状態で真似できるものではない。
「よし、このまま速度を上げていくぞ!
行くぞ、彗星!」
僕と彗星はグングンと速度を上げていく。
サラブレッドに比べて過小評価されがちな日本在来馬だが、本気を出せばその速度は時速四十キロにも達するという。
しかし、鐙もない状態で、馬が全力疾走できるとは思えない。今、目の前の敵が振り落とされないことばかりに気がいってるのが良い証拠だ。
「僕は彗星の全力を引き出す!
目標は時速四十キロだ!」
彗星の時速は体感三十はとうに超えているだろう。三十五、六、七、八、九……!
よし、四十キロだ!
彗星の調子ならもっと出せそうだ。行けるところまで行くか。
まるで僕と彗星以外の時が止まったかのようだ。並ぶ木々や石は一瞬にして遥か後方に置き去っていく。先ほどまで遥か彼方にいた敵将は間近に姿を現した。
「なんだコイツは!
身体が羽ででも出来てるのか!」
敵の頭目は突如姿を現した僕らを見て、悪態を叫びながらドタドタと馬を走らせる。
「行け、劉星!
最速の男を見せてやれ!」
劉備の期待を一身に背負った僕らは四十キロの勢いそのままに、僕は敵の騎兵を追い抜いた。
「おっと、追い抜いちゃダメだった」
僕らはすぐに反転し、相手の真横を駆け抜けて、敵の頭目を煽った。
「なんだよ、この速え馬わよ!」
敵の頭目は僕らの速さに狼狽えながらも、一層必死に馬にしがみついている。
僕らはこの速さを活かして、さらに何度も横を通過して、彼らを煽り続けた。
「おい、離れやがれ!」
敵の頭目は剣を抜き、振り回して僕らを追い払おうとしている。
だが、片手を手綱から離したのはかえって好都合だ。
「関羽や張飛らの稽古を見てきたんだ。そんなフラフラ剣を避けるなんて造作もない!
行くぞ!」
僕らは振り回される剣の間をくぐり抜け、隙をついて敵の馬体に体当たりをくらわせた。
「ウ、ウワーッ!」
敵はバランスを失い、そのまま勢いよく落馬していった。男の身体は跳ねながら後ろに大きく転がっていく。
男の身体がようやく止まり、頭をゆっくりと持ち上げた。だが、その目の前には既に僕らが剣を抜き待ち構えていた。
「さあ、観念するんだ!」
僕は頭目を捕縛し、彼が乗っていた馬を曳いて、劉備の元へと連行していった。
「よし、頭目を捕らえたか」
劉備を見ると、頭目は卑屈な表情になりながら、彼に提案してきた。
「おい、県尉さんよ、あんたら薄給だろ?
砦の財産半分やるからこの場は見逃してくれ」
頭目が始めたのはなんと買収であった。
だが、それを劉備はすぐに一喝して退けた。
「俺をその辺の県尉と一緒にするな」
しかし、断られても頭目もすぐには諦めない。彼はさらに言葉を続けた。
「わかった、八割やろう。
いや、全部やる! だから……」
頭目はどんどん額を吊り上げる。だが、劉備の心はまるで動かなかった。
「俺は県尉で満足してるわけじゃねぇ。これからもドンドン出世していくつもりだ。
それを蹴ってまで、そんな端金なんかいらねぇよ。
お前もケチな盗賊なんて辞めて真面目に働け」
真面目に働け、その一言で頭目はみるみる顔を強張らせ、烈火のごとく怒りだした。
「真面目に働けだぁ!
戦乱で田畑を荒らされ、家を失ったりしなけりゃ俺たちも真面目に働いてたさ!
お前たちはいつもそうだ! 俺たちみたいなケチな盗賊は取り締まれても、戦乱一つ無くせねぇ!」
頭目は怒涛の勢いで怒りの言葉を劉備にぶつける。
しかし、劉備はそんな言葉に心が揺さぶられることは無かった。
「盗賊に堕ちた時点でお前らは戦乱と何も変わらん。
それを一つずつ無くしていくのが平和への道だ。
よし、コイツらを連れて行け!」
盗賊たちは縄で縛られ、文句を垂れ流しながら県兵に連行されていった。
劉備は盗賊の言葉に怯むことはなかった。
だが、その劉備と頭目の一連のやり取りは僕にとってはショックだった。
彼らも被害者だ。こんな乱世じゃなければ普通の人として暮らせたかもしれない。状況さえ変われば、まだ更生の余地があるんじゃないか。
そうだ、まだ彼らはやり直せるはずだ。
僕は思わず劉備の下に駆け寄った。
《続く》
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