第二十四話 相馬経(一)
「どうやら話は纏まったようですね」
そう言って、馬商人・張世平は話の輪に入ってきた。
「玄徳殿なら雲長殿を受け入れていただけると思っておりましたが、まさか、弟分にまでしていただけるとは思いませんでしたよ」
世平殿が連れてきた身長二メートルを超える武芸の達人・関羽は、勝負に勝って張飛の兄貴分となった。それに伴って関羽は劉備の弟分ともなった。
そのやり取りに世平殿は満足している様子であった。
「では、これからは商談と参りましょう」
世平殿は自身の手を上下に重ねて、劉備に話しかける。それに劉備は要望を伝える。
「追加でもう一頭、馬をいただきたい。
後は安喜県に移った時用に牧草も譲ってくれないか」
「わかりました。
そちらは安喜県の庁舎にお届けすればよろしいですかな?」
慣れたやり取りなのか、両者はポンポンと話を進めていく。
「ああ、それで頼む。
それと新たな馬具を用意してもらいたい」
「ほぉ、馬具ですか。
どのようなものですかな」
「それについてはこの劉星が担当だ。こちらに聞いてくれ」
ようやく僕の出番だ。関羽の加入イベントも大事だけども、僕からすればここからの会話の方がよほど大事なイベントだ。
「この鐙というものを金属で作って欲しいのです。
そして、それが付けられるだけの強度をもった鞍も」
僕は簡雍に作って貰った木製の鐙を世平殿に差し出した。
世平殿は興味津々といった様子で鐙を手に取り、矯めつ眇めつそれを四方から眺め出した。
「ほぉ、これは初めて拝見しますな。
これはどういうものなのですかな?」
「これは馬の乗り降りを助ける馬具です。
さらに騎乗中は体を安定させるのに使用します、
一度、見てもらった方が早いかもしれません。今から使って見せますので、少し待って貰えますか」
僕は愛馬・彗星を曳いてきて、彗星に鐙を装着した。僕は左の鐙に足を乗せ、それを足場に体を持ち上げると、右足を跨がせ、体を鞍の上に乗せた。
それを一目見ると、世平殿は感心しきりでまじまじと覗き込んだ。
「なるほど。乗る時にここに足をかけて、乗りやすくするわけですな」
「はい、さらに騎乗中にも足場として使え、戦場ではより戦いやすくなります」
「これは面白い。
あなたがお考えになったのですか?」
自分の発案かと聞かれると困ってしまう。あくまでこれは未来の知識だ。それに鐙に似たものは既にあると、確か公孫瓚も言っていた。まだ普及してないとはいえ、この時代でも自分が発明したと名乗り出るには無理がある。
「いや、乗り降りする器具の存在を聞いて、それを改良しただけですよ」
とりあえず、公孫瓚が話していたものの改良品ということで押し通すことにした。
「今使っているものは木を削って作ったものですが、それを壊れないように金属で作って欲しいんです
形も単純な輪ではなく、より足が起きやすいように平たい面を作って欲しい」
世平殿は袖より薄い木の板を取り出すと、メモを取りながら聞き出した。
しかし、メモの最中でもちゃんとこちらの言葉に反応してくれるあたりは優秀な商人という感じを受ける。
「ふむふむ。
ご要望の形のものを作ること自体はそこまで難しく無さそうですな。
それと鞍の改良ですか」
鐙が出来そうと聞いて、僕は一先ず安心した。話は鞍の件に移った。
「この鐙を吊るしても耐えるだけの硬質の鞍を作って欲しいんです。
そういう硬い鞍が既にあると聞きました。それを鐙を付けれるよう改良していただきたい」
「貴方の欲しているものは『高橋鞍』ですね。
それを鐙が装備できるように改良するわけですね。こちらも問題なく用意出来そうです」
「本当ですか。
やはり、プロ……専門家に頼むのが一番ですね」
さすが、商人といったところか。話しがスムーズに進んでくれて助かる。
「しかし、面白いものを欲しがる方ですな」
世平殿がそう言うと、僕らの大将・劉備はニヤリと笑いながら会話に入ってくる。
「そうだろう。劉星はうちの馬担当だからな。
劉星の馬具が上手く出来たら、俺たちにも同じ物を用立ててくれないか」
「ええ、それは構いません。
ところで、辰元殿、馬そのものの知識はどの程度おありかな?
例えば良い馬はどこで見分けますか?」
世平殿はまるで試すかのように僕に尋ねてきた。その質問に僕は戸惑いながらも答えた。
「そうですね。
馬格(馬の体格)とか脚の筋肉の付き方とかですかね」
見た目だとこの辺りが主な馬の見るところだろうか。後は歩き方なんかも見どころか。
しかし、僕の回答に世平殿はお気に召さなかったようだ。世平殿はしばし、黙って考えた後にニコリと笑って答えた。
「なるほどなるほど。
どうやら貴方の見方は我流のようだ。
それが悪いとは申しませんが、知識があるに越したことはございません。
貴方にこちらを差し上げましょう」
「これは……?」
世平殿より渡されたのは一冊の本であった。
「こちらは?」
随分と年季の入った本だ。いわゆる和綴じ本の綴じ方をしている。冊子のようであまり厚みがなく、使われている紙はザラザラで品質は良くない。
「こちらの書物は馬相を見る達人であった伯楽の残した馬相の指南書『相馬経』にございます」
「『相馬経』……?
しかし、自分はこの時代の本は……」
本を渡されても、元日本人の僕に漢文だけのこの時代の本なんて読めるわけがない。そう思いながらも、差し出された本を1頁も読まずに返すわけにもいかないので、僕は止むなく表紙をめくって軽く目を通した。
「まあ、漢字なら所々はわかるかもしれないし……
ん? んん?
『牛馬はその力量を考え、寒暖、飲食をその天性に適うように気遣えば肥え太らせることができる』
読めるぞ! 漢文のはずなのに何故か読める!」
何故だか漢文が読める。そう言えばこの世界に来たばかりの時は言葉も聞き取れなかったのに、頭痛がしたかと思うと、言葉が聞き取れるようになっていた。文書もあれで読めるようになったのだろうか。転生特典なんだろうか。地味だがありがたい能力だ。
「文盲でないようで何よりです」
「この『羸牛、劣馬は寒食まで』というのはどういう意味ですか?」
僕は早速、意味のわからない箇所を世平殿に尋ねた。
「それは古来よりの諺ですね。『痩せこけた牛馬は寒さを乗り越えられない』。
つまり、牛馬の飲食をケチってはいけないということです
安喜県に行かれましても馬の飲食にだけはお気をつけてくだされませ」
「なるほど、読めはするけど、古文のような言い回しもあるし、単語もわからないところがちょこちょこある。スラスラ読むとはいかないか。
それでも読めるだけありがたいことに変わりはない」
「この『相馬経』には良馬かどうか馬の何処を見て判断するか、その鑑定法が事細かに書かれております。
この知識を得れば貴方の助けとなるでしょう」
僕は新たな知識に触れて、興奮気味に頁をめくった。
世平殿から差し出された一冊の本・『相馬経』。この一冊との出会いが、後々、僕に多大な影響を与えることになる。
《続く》
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