第十一話 石門の戦い(四)
僕たち劉備軍は道なき道を突き進み、奇襲をかけるために敵が籠もる石門山の裏手へと回り込んだ。
先頭を進んでいた大将・劉備は自らの口に含んでいた枚を外して、僕らの方へと振り返る。
「さあ、お前たち。
もう枚を出してもいいぞ。
いよいよ作戦開始だ」
その言葉に自身の呼吸が早くなるのを感じた。
まだ、山の麓だ。だが、山の後ろに回り込み、その景色はガラリと変わった。真正面と比べれば兵士や防柵はまばらだ。それでも百人しかいない劉備軍から見れば圧巻の巨大要塞だ。
それを今から僕らは攻めなければならない。一見すれば到底、不可能な状況。しかし、僕らには味方がいる。
「お前たち、あそこの陣が見えるな」
劉備は山腹にある一つの陣所を指差した。
「あそこに見えるのが、我らに寝返りを約束した貪至王の陣だ」
そう、その指差す陣所こそ僕らに味方してくれる貪至王の居所だ。
今回の作戦はまず、敵の内側から貪至王が内応し反乱を起こす。そして、僕ら劉備軍が裏から攻め、さらに公孫瓚らが真正面から攻めるというものだ。
「まずは貪至王に我らの到着を伝えよう。
董機、前に」
劉備に呼ばれ、一人の兵士が前に進み出る。歳は二十歳前後。背は部隊の中では高い方だろう。劉備に負けず劣らず長い腕。魚のようにギョロリとした大きな丸い目が特徴の男だ。
彼の鎧は最小限。胴回りのもののみ身に着けている。その左脇に幅広の弓袋を挟み、右腰に細長い矢袋を提げ、前に進み出た。
彼の名は董機。今の劉備軍の中では一番の弓の名手だそうだ。
残念ながら僕は彼の名を知らない。劉備軍も百人もいれば、歴史に名が残らなかった人物もいるのだろう。
前出てきた董機に、劉備は一通の手紙を差し出した。
「ここに公孫瓚の兄貴が用意した手紙がある。
貪至王に反乱を促す手紙だ。
お前の弓の腕であそこの陣まで手紙を届けてくれ」
「任せておけ」
董機は矢に手紙を結び付けた。いわゆる矢文というやつだ。
ここから相手の陣までは三百メートルくらいはあるだろうか。聞くところによると矢の届くギリギリの距離だという。
僕は心配になって董機に尋ねた。
「あの陣までとなると随分あるけど矢は届くのかい?」
それに対して董機はフッと笑って答えた。
「的を射抜こうというわけではない。
あの陣の中に届かせられれば良いだけなら……容易い!」
その回答に大将・劉備もニッと笑う。
「おう、我が軍一の弓の腕前、見せてやれ!」
董機が弓袋より取り出したのは百五十センチはあるだろう大型の弓だ。
弓に矢を番え、斜め上、陣の上空辺りを目掛けて弦を引き絞る。
間違って別の敵陣にでも落ちれば作戦は失敗だ。緊張感の中、部隊は静まり返り、ゴクリという唾を飲み込む音だけが聞こえた。
その時、体に滲みるような北風が吹き荒んだ。
「今だ!」
董機は上空目掛けて矢を放った。勢いよく放たれた矢は、追い風を受けてグングンと進み、空中で綺麗な弧を描いた。そして、まるで吸い込まれるように貪至王の陣所へと落ちていった。
「見事!」としか言いようの無い射撃であった。
その腕前にヤンヤヤンヤの大喝采……と言いたいところだがここは敵陣の側近く。皆、声を上げるのを我慢して静かに彼を労った。
(あんなに離れていても矢を届かせるなんて。
歴史に名を残さなくても凄い人っているんだな)
しばらくすると、貪至王の陣所からピカッピカッと数回、明らかに人為的な光がこちらに向けて放たれた。
「あれが合図か?」
僕は劉備に尋ねた。
「ああ、鏡で光を反射させて作る合図だ。
どうやら了解したようだ。
さて、では貪至王が動いたら俺たちも突撃だ!」
僕たちは貪至王の動向に注意しつつ、さらに東へと進んだ。
「皆、黄色い布を頭に巻いてるな。
俺たちは黄巾賊を装って敵の背後を攻める。
目標は張挙の陣だ」
張挙は、張純と並ぶこの乱の首謀者の一人だ。
「張挙の歳は五十を過ぎ、六十に届くほどの高齢だ。おまけに以前より足が悪かったという話だ。さらには病気がちだという噂もある」
寿命も短かったこの時代、六十歳といえばかなりの高齢なのだろう。
「しかし、奴は皇帝を勝手に名乗っている。捕らえれば莫大な恩賞が貰えるだろう。
恩賞の半分は俺たちの部隊の取り分とする。残り半分は捕えた者の自由にしてよい!」
その言葉に皆、静かに目を輝かせた。
「謀叛人の首となれば千金は下るまい。
一金で貧家は一年を過ごし、十金で中家は暮らしている。
千金の半分の五百金でも、お前たちの暮らしはガラリと変わることだろう。励め!」
具体的な金額を言われ、思わず僕も手に力が籠もる。その金で遊んで暮らすのもいいが、それを元手に牧場を作って、馬に囲まれて過ごすのも良いかもしれない。
そのためには、何としても張挙の首を手に入れなければいけない!
それから間もなく、貪至王の陣所より一斉に鬨の声が上がり、火の手が上がった。
どうやら作戦開始の時間が来たようだ。
「では、我らも突撃だ!」
僕らは張挙の陣目掛けて雪崩込む。
「我らは黄巾党!
これ以上、お前たちに付き合うことはできない!
これより反旗を翻す!」
劉備の名乗りが敵陣に響く。
張挙軍は今まで味方だった黄巾賊に裏切られたと思い、混乱を起こしている。
冷静に対処すれば、見抜ける程度の簡単な偽装だ。しかし、西では貪至王が反乱を起こして混乱が起きている中での黄巾賊の反乱だ。冷静に対処するのは難しい。
この二手からの攻撃に、張挙軍は大混乱に陥った。
「千金はどこだ!」
僕は愛馬・彗星に跨り、敵陣を駆け抜けていった。目を皿のようにして探すのはもちろん、この陣の主・張挙だ。
一攫千金の大チャンス。これを逃す手はない。
しかし、この混乱の中、張挙を見つけるのは一苦労だ。顔写真なんてあるわけない。おまけに敵兵はどいつもこいつも逃げるのに必死だ。中には反乱に加担したのがバレたくないのか、笠や布で顔を隠して逃走している者もいる。これではますます誰かわからない。
「張挙は恐らくこの中ではだいぶ高齢な人物なんだろうけど、こう顔が見えないと全然わからないな」
いくら大将とはいえ、一人だけを見つけ出すなんて至難の業だ。
他の劉備軍は次々と敵兵を討ち取っていく。虱潰しな探し方だが、恐らくそのやり方が一番堅実なのだろう。
「さすがにこの中で一人だけを見つけるのは無理か……」
諦めかけたその時、一人の騎馬兵の姿が僕の目に入った。
「あの人も布をかぶって顔をわからなくしてある。
だが、それは他の人も同様だ。
しかし、あの人の馬の乗り方は抱きつくような、まるでこちらの世界に来たばかりで乗馬方法がわからなかった頃の僕そっくりだ。あれは馬に乗り慣れてない人物。
それに体格も他の兵士に比べて小さい。張挙は確か病気がちな五十を過ぎた高齢者……もしや!」
僕はその騎馬兵を追って馬を走らせた。
それを見つけた劉備が僕を呼び止める。
「どうした劉星!
張挙がいたのか?」
「わからない!
だが、追う価値はある!」
それだけ言うと、僕は覆面の騎兵を追いかけた。
「あの兵士か……。
うーん、五分五分か」
劉備も判断は付きかねるようであった。
「どうしますかい、大将?」
猫背の男・簡雍は劉備に尋ねた。
「ここは劉星の勘を信じよう!
簡雍、お前は俺の代わりにここの指揮を執れ!
董機、俺の後ろに乗れ!
俺たちで劉星を追うぞ!」
劉備は弓の名手・董機を後ろに乗せ、馬を走らせて劉星の後を追跡した。
「待て!」
僕は逃げる覆面の騎兵を追った。改めて見ても馬の乗り方は明らかに素人のそれだ。だが、なかなか相手との距離を縮められない。
「病気がちと聞いたが、だいぶ痩せ衰えているのだろう。
恐らく、僕よりもだいぶ体重が軽い。重量差だけは覆せないか」
前世の僕はジョッキー時代、厳しい食事制限で体重をだいぶ落としていた。だが、この世界に転生した僕は顔は似ているとはいえ、体は別物だ。
他の屈強な兵士に比べればまだ痩せ型の方ではあるが、それでも前世よりは筋肉がつき、かなり戦闘向けの体格になっていた。
対して相手は随分、体重が軽いのだろう。とても兵士向きな体つきとは思えない。相手が張挙だという確信が増していく。
「おまけに防具まで付けている。今すぐ重量を減らすことはできない。
だが、そこは技術でカバーだ!」
相手は逃げ惑う人や積まれた物資を踏み越えて、がむしゃらに走り抜けている。恐らく乗り手は急かすばかりでろくに指示を出していないのだろう。馬は物を踏み越える度に僅かだかスピードが落ちていた。
それに対して僕は愛馬・彗星の手綱を操り、障害物の少ない最短ルートを進ませた。おかげで徐々にその差が縮まっていく。
「素人の乗馬、軽い体重、雑な操縦。
間違いない、この騎兵こそ張挙だ!」
確信を得た僕はさらに彗星を加速させようと、その腹を足で押す。
だが、そこに敵兵が立ちはだかる。
「単騎で走っている奴がいるぞ!」「コイツを討ち取れ!」「壁を作って足を止めろ!」
単騎で駆け抜ける僕を絶好の餌食と見られたようだ。数名の敵兵は道を遮り、矛を前に構え、まるで防壁のように僕と彗星の前を塞いだ。
「止まれ!
さもなくば串刺しだぞ!」
敵の警告が辺りに轟く。
しかし、ここで速度を落としてはあの張挙にはもう追いつけない。僕は勢いそのまま、敵の壁目掛けて突っ込んだ。
「止まらぬなら串刺しだ! お前たち構えろ!」
敵兵の矛先はこちらに向けられ、今にも突き出さんばかりだ。
僕は全力で駆け、敵の矛先が届くギリギリで高らかに跳び上がった。
「今だ! 突き刺せ!」
……と、見せかけて、彗星を後ろ脚だけで立ち上がらせるに止めた。
跳び上がったと思い込んだ敵兵は誰もいない空に矛を突き刺した。
「しまった!」
「今だ!」
敵はすぐに彗星を狙うが、一度、突き出した以上はその動作はワンテンポ遅れる。それが僕の狙いだ。
敵がこちらに構え直すより先に、彗星の下ろす脚で目の前の敵兵を踏みつけた。さらに周囲の敵兵を蹴飛ばし、蹴散らした。
「見たか、馬の脚力を!」
僕は敵兵を散々に討ち破ると、すぐさま張挙を追跡した。
「まだ、追い付ける! 行くぞ!」
勢いのついた彗星はドンドンと張挙との差を縮めていく。ついには後少しで手が届くところにまで接近した。
「もう少しだ!
あと少しで千金の首に手が届く!」
だが、覆面の騎兵は先に北端の防柵にたどり着きいた。騎兵は柵を飛び越え、陣所を抜け出し、外の山裾の茂みへと突き進んで行った。
「このままだと逃げられる。
千金の首、逃すわけにはいかない!」
僕は飛びかかり、覆面の騎兵に体当たりしてその身を馬から引きずり落とした。
我ながら大胆な行動に出たと感心する。
草の上で多少は衝撃が和らいだといえ、落馬の激痛が全身に駆け巡った。
「痛い!
だが、それより賞金首だ!」
僕は痛みを堪えながら騎兵に向かった。その騎兵を取り押さえ、そいつの覆面を剥いだ。
「捕まえたぞ、張挙!」
しかし、その覆面の下に現れたのは、茶混じりの一つ結びにされたサラサラの長い髪、長いまつ毛、潤んだ瞳、口紅をつけたような紅い唇。そして、膨らんだ胸。
それらを見た僕は思わず固まってしまった。
「張挙が……女の子!」
覆面の下より、十代後半の若い女性が姿を現した。
《続く》
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