王太子妃の散歩の時間
時間列は完結から三年後です。
レカルディーナは乳母車を自ら押して、王宮の庭園を散歩していた。
傍らには二歳を過ぎた娘がちょろちょろと楽しそうに歩いている。
レカルディーナが初めて産んだ赤ん坊は女の子だった。
アンナティーゼを名づけた娘は金茶髪に薄茶の瞳をしていて、顔立ちはどちからというと夫に似ていた。けれど性格のほうはレカルディーナの性質を多く受け継いでいるようで、一人で歩けるようになってからは元気いっぱいにどこにでも突撃をしていく。
「おかーたま! みて!」
いつの間にかアンナティーゼは歩道の横の植栽に手を突っ込んでいる。
「なあに? アンナ」
そう問いつつもレカルディーナは内心嫌な予感がしていた。
「くもー!」
満面の笑みを顔に浮かべながらアンナティーゼが掴んでいたのは蜘蛛だった。足の八本ある、あれである。
レカルディーナは頬をひきつらせた。
後ろを歩いていた乳母がやっぱり青い顔をしていた。そして固まっていた。
さすがに王女の乳母になる条件に虫に触れることができること、なんてなかったため彼女は一般的な女性と同じく虫なんて触ることができない。
「アンナ……、庭園で蜘蛛を見つけても捕まえてはいけません。……あとでお父様のところで触らせてもらいなさい」
レカルディーナは痛くなった頭を押さえつつ娘を宥め聞かせた。
ああ頭が痛い。
「はあい」
アンナティーゼは少しだけ不服そうに頬を膨らませていたが、しぶしぶ掴んでいた蜘蛛を地面においた。
置くならちゃんと植え込みへ置いてほしかったが子供にそこまで言い聞かせるのはまだ難しい。
「はあ……」
ベルナルドは執務室で蜘蛛を飼っている。
アンナティーゼは彼に蜘蛛を見せてもらってからすっかり蜘蛛がお気に入りになってしまった。
母曰く、「あなたもうんと小さい頃はしょっちゅう庭で虫を捕まえてきたじゃない」とのことだったから、幼児特有のことかもしれない。
もう少し大きくなったら卒業してもらいたいなあ、と思う。
アンナティーゼはもう興味の対象が別に移ったようで、思い切り駆けて行った。
慌てた乳母が追いかけていく。
レカルディーナは乳母車に視線を落とした。
「あなたまで虫好きにならないでね」
この春生まれた第二子も女の子で、名前はユールベル。まだ毛が生えそろっていないけれど、どちらかというと褐色の、ベルナルドと似た色合いをしている。
レカルディーナは公務などが入っていないときはできるだけ子供たちと触れ合うようにしていた。
午後の散歩もその習慣の一部だ。
のんびりと庭園を歩いていると前方から近衛騎士の一団が歩いてくるのが見えた。
「ベルナルド様!」
騎士の中心にいるのはベルナルドだった。
ベルナルドは早足でこちらに近づいてきた。
レカルディーナの午後の散歩の習慣は彼も知っているから、こうして時折姿をみせることがある。執務と執務の合間の時間をうまく重ねてくるのだ。
「レカルディーナ」
「あー、おとーたま!」
ベルナルドを見つけたのはアンナティーゼも同じだったようで、彼女はたたっとベルナルドに駆け寄る。
そのまま突進をしてくる娘を器用に腕の中で受け止めて、ベルナルドはそのままアンナティーゼを抱き上げた。
アンナティーゼは父親っ子なのだ。
ベルナルドに片腕で抱きかかえられて、きゃらきゃらと声を上げた。
こういうときレカルディーナはちょっとうらやましくなる。
いいなあ。
けれど、これを言うと絶対にこの夫は人目もはばからずにレカルディーナに対しても同じことをすると思うからレカルディーナは黙っている。
夫婦生活四年目。さすがに人前でいちゃつくのは恥ずかしい。
「ねー、おとーたま、また蜘蛛みせてねー」
「ああいいよ」
そこはいいよ、とか軽く言わないでほしい。
「どうした、レカルディーナ」
「いいえ……」
レカルディーナの物言いたげな視線を感じ取ったベルナルドが質問した。
「なにか、かわったことはないか?」
「大丈夫です。ベルナルド様こそ、お仕事忙しいでしょう? 疲れてない?」
レカルディーナはベルナルドの顔を覗き込んだ。
「ああ大丈夫だ。ただ、今日の夕食は一緒に取れそうもない。戻るのも遅くなるから先に眠っていて構わない」
ベルナルドはそう言ってからレカルディーナを傍らに引き寄せた。
目じりや頬に口づけを落として行く。
「あー、おかーたまばかりずるい! わたしも!」
途端に抱きかかえられたままのアンナティーゼが抗議の声を上げた。
最近レカルディーナと張り合っているのだ。
ベルナルドは少しだけ苦笑をしてアンナティーゼの頬にも口づけを落とした。
「むー、アンナも同じだけー」
「それは将来自分の恋人にしてもらえ」
「こ……いびと?」
二歳児に恋人なんて単語はまだ早いだろう。難しい顔をしている。
「大きくなったらわかる」
ベルナルドは真面目くさった顔でアンナティーゼを諭してから、今度はレカルディーナの唇に自身のそれを軽く重ねた。
ベルナルドは名残惜しそうにレカルディーナの髪の毛をすくい取って指に絡めてから、頬を撫でた。
くすぐったくて目を細めていると、もういちど目じりに口づけが降ってきて、ベルナルドはアンナティーゼを下におろした。
「そろそろ時間だ」
「子供たちの教育によくないわ」
レカルディーナは抗議の声を上げた。じっと娘に見られていると思えば恥ずかしい。
「なら近いうちに二人きりでお茶でもしよう」
「絶対よ」
淡く微笑めば、ベルナルドも口元をほころばせた。
少し離れた位置で待機をしていた近衛騎士団の元へと夫は戻って行った。
(しまった……)
子供たちどころか、その他外野が沢山いたことに気づくのはいつもベルナルドが去って行ってから。
でも、なんだかんだ心の中で言いつつも、レカルディーナもベルナルドから触れられると嬉しい。今でも心がきゅってなって切なくなる。
二人きりのお茶の時間。ちゃんととれるかしら。
そういえば、エルメンヒルデから興味深い噂を聞いたのだ。
それはいまだに独身を貫いている年上の従兄に関すること。
(まさかフレン兄様が婚約なんて、ね)
ベルナルドにも話したら彼はなんて言うだろう。常々さっさと結婚すればいいのに、とかなんとかぶつぶつと言っていたから。
それに、レカルディーナは気になる。
あのフレンを射止めた相手は一体どんな女の子なんだろう。
新連載立ち上げ記念でレカルディーナ達の三年後を書いてみました。
ちなみにフレンのお相手はあんな女の子です。
レカルディーナも近いうちに対面します。




