悪ー拾陸ー
「はっ………?」
私はサツキくんの言ったその言葉は何かの聞き間違いだと思いました。
そうに違いない、と。
でも。
「もう一度言います。サヤさん」
サツキくんは今度はそれをハッキリと私に言います。
「今日、この街ユニアドは滅びます」
ーーーーーー
「な」
なんで。
私がそう言おうとすると。
「あなたが“アクヨセ”だからです」
サツキくんは先んじて、特に隠すこともなく事実を私に伝えました。
“アクヨセ”だから。
“私”だから。
その言葉を聞いただけで私の身体からはまるで魂が抜けるかのように力が入らなくなりそうになりました。
それでもかろうじて足だけは生きており、私は上体をサツキくんに支えてもらう形で立っていられることが出来ました。
「大丈夫ですか?」
サツキくんはそんな私を気づかってくれます。
「とりあえず、場所を変えましょうか」
「は、はい。………そうですね」
その言葉も私に対する気づかいなのだと思いましたが、よくよく考えたら現在私たち二人がいるのは女子トイレの一つの個室の中です。
傍から見れば、サツキくんはただの変態です。
ーーーーーー
一年P組の教室。
そこにいるのは私とサツキくんの二人だけ。
私は自分の席に、サツキくんは少し離れた窓際に立っていました。
青春モノならドキドキのシチュエーションなのですが今は別のことにドキドキしていてそれどころではありません。
今現在全校生徒は体育館に緊急避難(表面上は全校集会)の途中なので、余程のことがない限りここに他生徒が来ることはありません。
そう、例えば「全校集会とかだりーしサボローぜー」とか言う人がいない限り。
「あぁ、大丈夫ですよ。あらかじめ人除けはしておいたのでここに誰かが来ることはありませんし、万が一来ても僕の索敵なら校舎全体は訳ないので安心してください」
「あ、そ、そうですか…」
用意周到と言いますか何と言いますか…。
こういうところはしっかりしてますねぇ…。サツキくん。
「さて、まず僕はサヤさんに謝らなくてはなりません」
そう言ってサツキくんは私にいきなりその白い髪の頭をこちらに向けました。
「な、何を…!?」
「この事態についてです」
サツキくんは顔を上げ、真っ直ぐとこちらの目を見ます。
「こうなることは、僕は、事前に知っていたんです。というのも、以前も僕は似たような事態になったことがあったからです」
「え……?」
「その時の僕の“悪殺し”としての能力は未熟でしてね。“アクヨセ”を見つけるのに一ヶ月以上も掛かってしまったんですよ」
まるで自分の苦労を笑い話でもするように淡々と話すサツキくん。
ですが、その顔は苦虫を噛み潰したように険しい表情でした。
「そして結果は…………最悪の一言でした。“悪”はそこに集まり、人々は“悪”に取り込まれていき、“アクビト”は次々と感染していき、……………あっという間にそこから人間はいなくなりました…」
「消え…た?」
「はい」
サツキくんは頷き。
そして言います。
「僕が殺しました」
「!!?」
その言葉にはゾクリ、と背筋が凍りつくような感覚に私は襲われました。
「そ、それは“悪殺し”……としてですよね?」
「もちろん、当たり前じゃないですか」
と、さも当然のように言うサツキくん。
正直言って今の感じでは本当か嘘かも私には判別つかないのでややこしい言い方はやめてほしいのですが。
「そのこともあり、僕は二度とあの悲劇が起きないよう細心の注意を払いながら今日まで努めていました。……………………そのはず、でした」
表情に一気に陰りが入った気がしました。
「…現在この街ユニアドが滅ぶパターンは二つあります」
と、まるで話を変えるかのように話すサツキくん。
いえ、本来そちらの話をするのが主流だったので戻した、が適切なのでしょうが。
え……?というか…。
「二つ……ですか?」
私は聞き直しました。それが間違いないことなのだと確認するために。
「はい、二つです」
そう言ってサツキくんはビッ、と人差し指を上に向けて立てました。
「一つはサヤさん、あなたの“アクヨセ”による滅亡です」
その言葉を聞いて私は胸を強く押されるような気分になりましたが、そのことについては先程からチラホラと聞いていたのでそれほどダメージを受けることはありませんでした。
次に、とさらにもう一本、中指を立てます。
「二つは僕こと、“悪殺し”による滅亡です」
「…………………えっ!!?」
ーーーーーー
「一つ、『“アクヨセ”による滅亡』はそれほど説明は入りませんよね?単純に街全体がユニアドの住人全員が“アクビト”に成るだけです」
「そうなってしまった場合は役割上僕は“悪殺し”として全員を殺さなくてはなりません」
「そして僕が“アクビト”を殺せば……分かりますよね?」
「二つ、『“悪殺し”による滅亡』に関してですが、これは少し語彙に問題があったかもしれません」
「別に僕が片っ端からユニアドの住人全員を殺していく訳ではないですよ?」
「大体、それでは僕は人殺しになってしまう。僕はあくまで“悪殺し”なんですから」
「………まぁ、やってることはそれほど差はありませんけども…」
「さて、では僕が如何ようにしてこの街を滅ぼすかについてですが、これも単純なことですよ」
「僕が片っ端から“悪”を殺していく、これだけです」
「分からないですか?なら、もう少し言葉を加えましょう」
「そもそも“アクビト”は誰が、どういう時に、どんな状態で成るのかは覚えていますか?」
「…そう、その人自身に心に“悪”があり、且つそれがその人の中で大きくなっている状態の時に成りやすくなります」
「ですが実はもう一つだけ、“アクビト”に成る方法があります」
「それが、感染、です」
「“アクビト”の感染力はなかなかに強力でしてね…。触るだけならもちろん、見ただけ、聞いただけ、頭に思い浮かべただけ、五感の内の一つでも“アクビト”を認識してしまうだけでその人の内にある“悪”に大小関係なく反応して“アクビト”にしてしまうんですよ」
「それを防ぐために僕が“悪”を殺します」
「今回の“悪”はあまりにも数が多すぎるので大きい小さいも関係無く分け隔てなく遠慮無しに目に付く“悪”全てを殺していきます」
「そうすれば少なくともユニアドが“アクビト”に埋め尽くされることは無くなると思います」
「…………はい、そうです」
「もちろん、その場合は、僕がユニアドの住人全員の“悪”を殺せば…」
「この街は廃人だらけで埋め尽くされます」
「つまり、こういうことです」
「ユニアドは人がいない街として滅ぶか、廃人だけの街として滅ぶかのどちらかなんです」
ーーーーーー
私はサツキくんの話をただ呆然と聞いていました。
ただ、呆然と聞きながらもその内容は頭には入っていきます。
街が滅びる。
そんな、まるでどこかのSFのような話がまさか現実に、しかも自分の身の回りに巻き起こるなんて。
しかも、その原因の一端が自分にあるなんて。
………こういう時のことをなんて言うんでしたっけ…。
「…さん?サヤさん!?」
「!!はい!?」
突然の呼び掛けに私は驚いて大声で返事をしてしまいました。
見るといつの間にかサツキくんの手が私の両肩に乗せられており、すぐ前にサツキくんの顔が近くにありました。
「…大丈夫ですか?先程から返事が無かったので少し、心配しましたよ」
「……すみません。その、ちょっと…」
「…………」
私は伏し目がちになってしまい、そこで会話は止まってしまいました。
沈黙。
今この教室には二人の人間がいるというのに場を占領しているものはその場に誰もいないことを表すものだけでした。
「………………私は、どうしたら、いいんですか?」
ふと。
ふと私は、場の静寂から言い知れぬ重圧から逃れるために、そんなことを口走りました。
しかし。
「……………」
サツキくんは何も、言いませんでした。何も、返してくれませんでした。
ただただその目は私を哀れむような目をしていました。
「私は、これから、どうしていけばいいんですか?」
それは、いまの現状について聞いた訳ではありませんでした。
これから、つまり未来のことです。
もし、今日でもってユニアドという街が滅ばなかったとしましょう。
ですがその後私はどうしていけばいいのでしょう?
私の中の“アクヨセ”は常時発動型というもので、私の意思とは無関係にその力が周囲に働きます。
それも、その範囲は私が行ったことのある場所、知っている場所。
つまり私がいる限りこの街は常に危機に瀕し続ける訳です。
私がいる、それだけで。
私の友達も先生も住人もその他多くの人間が危険となるのです。
今回のように。何度も。
私の周囲は常に“悪”が集まり。
私の周囲は“アクビト”と成っていき。
そして最後はサツキくんに、“悪殺し”に殺され、消されます。
人間が消える日々を繰り返す毎日。
……あぁ、思い出しました。
この場合のことを表す言葉。
絶望。
…………………………でしたね。
ーーーーーー
「サヤさん」
サツキくんが話し掛けてきます。ですが今の私にはそちらに顔を向ける気力すらもありません。
礼を欠くとは親しき中にも礼儀あり、いけないことだと分かっていることなのに。
それでも、サツキくんはそんなことを気にしていない様子で話し掛けてくれます。
「僕ではあなたの中にある“アクヨセ”には何もすることが出来ないし、この状況をどうにか出来る力も残念ながら持ち合わせていません」
ほら、やっぱり。
私が予想した通りの言葉が来ました。
「僕が出来ることは精々、今現在もサヤさんの元へ集まりだしている“悪”を殺し、“アクビト”の出現を事前に防ぐくらいです」
でも、それでは何の解決にもなりません。
この街に廃人が増えるだけです。
「元々、僕が考えていた作戦では一ヶ月の猶予があると考えた上で徐々にこの街、ユニアドの住人の“悪”を殺していくつもりでした」
確かに、それならユニアドが“アクビト”によって埋め尽くされることは無いでしょう。
代わりに廃人に埋め尽くされますが。
「…一応、考えてはいました。もしサヤさんがいいならあなたをここから外へと連れ出すという案も……。ですが、それでは“悪”が集まる範囲が広くなるだけで何の解決にもなりません」
………………。
じゃあ。
じゃあ、もう、一つしか、無いじゃないですか…。
「僕では、どうすることも」
「もういいですよ!!」
途端。
大声を出した瞬間。
私の中の何かが切れました。
「そんなに長々と懇切丁寧に説明も理由も混じえて遠回しに言わなくてもいいんですよ!!ハッキリ言えばいいじゃないですか!!私の中の“アクヨセ”はサツキくんには殺せない!!このまま私がこの街にいてもいずれみんな“アクビト”になってしまう!!“アクビト”を殺せば消えてしまう!!その前に“悪”だけを殺しても結局街は滅びるんでしょ!!?」
次から次へと私の口からは先程サツキくんから聞かされたことを怒りとやるせなさを含めた声で連ねました。
「だったらもう、一つしかないじゃないですか!!」
そして私は続ける。
その決定的な言葉を。
全てをまるで魔法にでも掛かったのではないかと思ってしまえるような解決方法を。
あえて、言わなかったこの街を救う方法。
「私が死ねば」
パシンッ。
教室に乾いた音が聞こえました。
それが左頬をはたかれた音だと気づくのは数瞬遅れてのことです。
痛みは遅れて来て、私は涙しました。
痛かったからです。
左頬が、ではなく心が。
「ゴチャゴチャギャーギャーうるっせぇんだよ。何も知らん猿が奇声発しながらすぐ死ぬとか言ってんじゃねーぞ」
「え?」
「そんな悲しいことは言わないでくださいよ。サヤさん」
「え??」
あれ?
今、喋ったのは………誰?
周囲を確認してもやはり私とサツキくん以外誰もいません。
幻聴でしょうか?
「そもそも、あなたが死んでも大々的な解決にはなりません。“アクヨセ”は能力というより体質に近いものですから、例え死んだとしてもその身が残り続ける限りはほぼ永久的に“アクヨセ”の力は消えず、“悪”は集まり続けるでしょう」
「そん、な…」
その言葉は、今度は幻聴ではありません。
真実を突きつけられ、私はその場に項垂れるしか出来ませんでした。
「僕では、どうすることも出来ません」
さらに追い討ちをかけるサツキくん。
「でもサヤさん、あなたは違う」
「え……?」
サツキくんが再び窓際まで歩くのを目で追います。
「かつて例を見たこともない特別の中の特殊な奇異の奇異の存在であるあなたなら、ひょっとしたら、あるいは、もしかたら出来るかもしれない」
「な、何を」
ピタッ、とサツキくんは窓のところで止まります。
そのまま身を翻すように体をこちらに向け、そして右手人差し指を上へと向けていました。
「サヤさん、僕と勝負をしましょう」
「へっ?」
突然の突拍子も何も無い提案に私は思わず間抜けな返事をしてしまいました。
勝負?なんで?
こんな時に?
「僕がこの街を滅ぼすが先か、サヤさんがこの街を滅ぼすが先か」
しかしその顔はどこか自信があるような雰囲気で、言いました。
「サヤさんがこの街を救うのが先、かを」
前触れなく言い渡された勝負の申し出に、いつしか私の左頬の痛みはどこかへ消えていました。