聖女が教会のイメージを崩壊させてくる件について
記念すべき?4回目の相談会となって、ようやくエマの隣に人間が座った。
名前はリチャード。生徒会では書記を務める、1年生の男子生徒だ。
「ファーレン庶務。あの、」
ズレた眼鏡を元の位置に戻しながら、何かを話し出そうとしたその時。ガラリと教室の扉が開いた。
「すみません、相談いいですか?」
「あ、はい――って、え?」
リチャードにごめんねと片手を上げて謝ってから、エマは視線を扉へと移し、固まった。
ぱちぱち、と目を数度瞬かせてから、ハッと我に返ると、会計は無事かと目を向け、……あ、これ駄目だ。
瞬きさえせずに彫像のように動かない姿に、エマは彼を一旦放置することにした。時間が経てばそのうち戻ってくるだろう。
「ええと、」
「急にお訪ねしてごめんなさい。わたし、教会で聖女の役職を務めている者です」
「はい」
「その、実はわたし、相談したいことがあって」
「はい」
「教会のみんなには、少し相談が難しい内容で」
「はい」
そんなもの私にもするな、とエマは思った。
「あの、わたし――」
さあ何が飛び出てくるのか、と内心身構えたところで、彼女は言った。聖女に相応しい真摯な眼差しと、世界の全てを包み込むような柔らかい声で。
「転職したいんです」
ん?
エマはまず初めに、聞き間違いかなと思った。次に聞き間違いにしたいなと思った。最後に、よし聞き間違いだと思って、
「転職したいんです」
なぜ繰り返した。
あと少しで聞き間違いにできたのに、どうしてさせてくれない。
逃れられない現実に、エマは心の中で頭を抱えた。
横をちらりと見ると、動きを止めた上に心なしか顔が青白くなっていた。駄目だこれ重症だ。
対応を押し付けられない以上、エマが対応するしかない。嫌だと叫ぶ心を押さえつけて、コテリと首を傾げた。
「ちなみに理由を伺っても?」
すると、聖女は朗らかに言った。
「お酒と賭博を楽しみたいからです」
「……なるほど」
「実はわたし、この2つが趣味で。でも聖女の趣味じゃないっていっつも神官たちが止めてくるんです」
――正直、エマは信心深い人間ではない。
別に教義に反抗しているというわけではもちろんなく、ほかの多くの国民と同じく、毎日神に感謝することはないが婚姻などの人生の節目にはお世話になります的な感じである。
だから、教会を代表するといっても過言ではない聖女に幻想を抱いているわけではなかった。
だが、そんなエマでさえ思う。
聖職者が酒と賭博に嵌るのは不味くないか?
もちろん、個人の趣味嗜好だと言われればそのとおりだ。聖女としての職務を全うしているのであれば、私的な時間にまで口出しされる筋合いはないという意見もあるだろう。
とはいえ、……聖女と酒と賭博。
どうしよう。この世で11番目くらいに組み合わせてはならない単語な気がする。
「そもそもですね、わたしは聖女に向いていないんです」
だが、聖女はそんなエマの心の戸惑いなど待ってくれない。返答に迷っているうちに、聖女はそもそも論を言い出してしまった。
まずい。なんか根本的なところから否定し始めたぞ。
「わたしはなんだかんだ自分が一番可愛いですし、自己を犠牲にして他者を救いたいだなんて一度も思ったことがありません。だいたい、力があるとかでただの平民が急に聖女様だなんて呼ばれても困るんですよ。生まれた時から洗脳的な勢いで教育されたならともかく、既に自分の性格というか、考え方の根幹とか趣向とかはある程度完成されているわけですし。そんな中でなんとか頑張ってるのに、ちょっと羽目を外したら聖女らしくなんて言われて無茶言うなよって感じです。分かります?」
分かりたくないと言いたい。だが、ここは相談会だ。そしてエマは、相談を受ける側の人間である。
相談会初日の前日に購入した本には書いていた。『まずは話を最後まで聞きましょう』と。聖女は最後まで話しただろうか。
いいや、話していない。
それならば、とりあえず先を促さなければならないだろう。そう決意して、
「なるほど。それで?」
エマは真面目な顔をして頷いた。
気づく人であれば、肯定も否定もせずに話を進めていることが分かるだろう。
たとえば会長であれば、「それで?エマは分かったのか?」と面倒な絡み方をしてくるけれど、目の前にいるのは会長ではなく聖女だし。
「日々せっせと聖女として努力しているわけですし、ちょーっと楽しむくらい良いと思いません?そんなことも許されないなら、聖女の仕事こそ辞めてやろうかな、なんて」
「ちなみに、どれくらいの量と頻度なんですか?」
エマの疑問に返ってきた回答は、とても『ちょーっと楽しむ』くらいのレベルではなかった。
エマは思う。たぶん、それは聖女だからというわけではなく、人間としてまずいレベルだ。むしろなぜそのレベルで聖女をやれているんだろうか。
聖女としての看板と印象を壊していないことが、教会の努力を物語っている気がした。
エマとしては、正直、教会に肩入れしたい気分である。だが、エマは相談を受けるためにいるのであって、相談者を否定するためにいるのではない。相談者に寄り添い……いやでも、肯定するだけが正しいわけではないような?
表面上は平静を保ちながら、エマの内面は混乱で渦巻いていた。
「でも実は、この趣味にはそれなりにお金が必要なんですよね。だから聖女のお給金を増やしてくださいってお願いしても駄目って言われてしまって」
そうでしょうね、と言いそうになるのを寸止めで耐える。
「もしこのままの状態が続いたら、教会の資金に手をつけてしまいそうです。せめて、お金を手に入れる何かよい方法はないでしょうか」
困りましたね、と聖女が頬に手を当てる。
もちろん、実際に手をつけてしまえば、困りましたねなんてレベルの話ではない。
聖女が教会資金の横領。しかも、理由が賭博と酒。実現してしまったら、世紀末感さえ覚えてしまいそうだ。
どうしようこれ、とエマは現実逃避気味に上を見た。そして考えた。なんで私が考えないといけないんだ、と心の底から思いながらも、考えた。
考えて――「聖女!」
扉が勢いよく開かれた。
聖女の顔が「げ」と言わんばかりに歪む。
隣では、書記がようやくビクッと身動きした。
「マクちゃん」
「誰だそいつは。私の名前はマクシミリアンだ」
新たな人物が追加された。
だが、知っている。知っているぞ。
彼の名前はマクシミリアン。エマと同学年の、学年4位の成績を誇る生徒である。
ズカズカと室内を縦断し、聖女の前まで来た彼は、奥にいるエマを見てハッとした。
「出たな、エマ・ファーレン!」
どちらかというと、それは私の台詞である。
相談会の会場に乗り込んで来た側の人間が言うことではない。
とはいえ、わざわざ指摘して怒りを買うほどエマは心が狭いわけでもない。鷹揚な心を持って、穏やかに微笑んでみせる。
「何かな、マクちゃん」
「っ誰がマクちゃんだ!」
「あはは、どうしたのマクちゃん。相変わらず元気だねぇ」
「何が元気だ馬鹿にしてるのか!」
ぷんすこ、という擬音語が似合う動きで、マクシミリアンが地団駄を踏む。
エマと同じくらいの身長で、可愛らしく整った顔立ちに、艶のある白銀の髪。エマは彼を見ると、どうしてか実家にいるわんこを思い出してしまうのだ。
そういうわけで、エマはマクシミリアンに親近感を抱いているのだけれど、残念ながら彼の方は違うらしい。
どの分野においても万能な会長(学年1位)や、明らかにレベルの違う魔法技量を持つリリー(学年3位)と異なり、エマとマクシミリアンは学力も魔法力もそんなには変わらない。それなのに、学年2位と4位の差が生じていることに、彼は諦めがつかないようだ。
「だいたい、聖女はファーレンに何を相談していたのですか」
「えーそれはほら、わたしの趣味の楽しみ方についてですよ」
「趣味?……っまさか」
思い至ったマクシミリアンが、凄い勢いでエマへ視線を移す。エマは慈愛深く頷いた。
それで全てを悟ったのだろう。頭を抱えて膝から崩れ落ちてしまった。可哀想。
しばらく下を向いて嘆いていたが、やがてゆっくりと顔を上げると、真顔で言った。
「…………いくら欲しい?」
聖職者がお金で解決しようとするな。
エマは、自分の中にあった教会に対する神聖なイメージが急降下しているのが分かった。
――でも、お金か。お金……うん、ちょうどよい。押し付けよう。
マクシミリアンへの返答の代わりに、エマは聖女へと顔を向ける。
「ご存知ですか、聖女さん。そこのマクちゃんのご実家は物凄い資産家です」
「え、そうなのですか?」
「そうです。彼の家は、この国でも有数の商会を経営しているほか、手を広げたあらゆる分野でその名を轟かせています。いわばお金稼ぎの専門家と呼んで差し支えありません」
「差し支えあるだろ」
どこからか声が飛んでくるが、気のせいだろう。だってほら、聖女だって全力で瞳を輝かせているし。
「つまり、マクちゃんに手伝ってもらえばよいってことですね?」
「っおい、」
「ええそうです。彼の家の助けがあれば、この国の経済の半分を牛耳ったと言っても過言ではありません」
「過言だよ」
そうだ。過言だ。エマとて分かっている。
正確には、半分の半分の半分の半分の半分の半分の半分といったところである。……あれ?意外と大したことないな?
そんなエマの内心に読んだわけでもないだろうに、マクシミリアンがジトリとした目を向けてきた。
いけない。エマはマクシミリアンに聖女の手伝いをしてもらわねばならないのだ。
ちなみに聖女はというと、エマとマクシミリアンの無言の応酬に気づくことなく、きらきらと期待した顔で彼へと身を寄せた。
「っマクちゃん!私に他人から金を巻き上げる方法を教えてください!!」
「まずは言い方に気を配れ」
ごもっともである。だが、聖女の願いがこれほどまで鮮明に伝わる言い方も他にないだろう。
それにしても、眉間に皺を寄せているにも関わらず、生来からの可愛い顔のお陰でまったく怖さや威圧感を覚えない。これはお得なのか損なのか。エマには計りかねるが、とりあえず終わらせようと真摯な態度を作って呼びかける。
「マクシミリアン」
「……なんだ、エマ・ファーレン」
「私にはここが限界よ。後は頼みます」
エマの言葉に、マクシミリアンは意表をつかれた顔をする。それから、じわじわと言葉の意味を咀嚼していき、――にんまりと笑った。
「そうか。ここが限界か、エマ・ファーレン」
「うん」
「そうか!私はここから先にも導けるけどなっ」
「そうなんだ。凄いね。よろしくね」
「任せろっ」
得意げな顔で意気揚々とマクシミリアンが聖女を連れて出ていった。2人とも幸せそうで何よりである。
ふぅ、と息を吐いて、「さて」とエマは隣に目を向けた。
「リチャード書記。いい加減正気に戻ってください」
言葉で呼びかけても、リチャードは動かなかった。さきほどピクリと動いたのは何だったのか、とエマが遠慮なく肩をガシガシ揺らすと、ようやく意識を取り戻したらしい。
「正気に戻りました?」
「僕は夢でも見ていたのでしょうか?」
「いやそんなことないですけど……って違う違う。そうです間違いありません夢みたいなものですよそんな感じです」
否定した途端に再び意識を飛ばしたのを見て、エマは慌てて肯定する。
え、リチャード書記ってこんなに信心深い人だったっけ。
後輩の新たな一面に内心驚きつつ、エマは倒れられても面倒だしうまくいけばマクシミリアンに恩を売るチャンスかも、と適当に嘘を吐くことにした。
「おそらく疲れが溜まっていたのでしょう。今日の相談会は終了ということにしますから、先に戻ってよいですよ」
「……すみません。それでは、お言葉に甘えて」
頭をぺこぺこ下げながら出ていくリチャードを見届けて、エマはしっかりと扉を閉め、天を仰ぐ。
「聖女ってこんなんだっけ」
「聖女がどうしたんだ?」
突然聞こえてきた声に、エマはばっと姿勢をもとに戻す。
なぜだ。鍵は確実に閉めたはずなのに、いつの間に彼は室内に侵入していたんだ。
色々と言いたいことはあるが、とりあえずまずは、と口を開く。
「会長。私、生徒以外も相談者になるだなんて聞いてませんよ」
恨みがましく見遣るも、あっさりと肩をすくめて流される。
「言ってないし想定してなかったからな。……だが、ちょうど良かった」
「何がです?」
怪訝そうにエマが問う。
「喜べエマ。出張相談の依頼だぞ」
「え?」
「場所は王宮だ。明日の朝、俺が迎えに行くから制服を着て待っておくように」
一瞬、何を言われたか分からなかった。けれど、すぐに内容を理解すると、ぱたぱたと手を振った。
「無理です、むりむり。第一、学生に持ってくる話じゃないでしょう。王宮内で見繕えばいいじゃないですか」
「言いたいことは分かるが、達しがあったのだから仕方ないだろう」
「だいたい、なんで私が行くんですか。会長が聞いたらいいでしょう」
すると、会長がひょいと眉を上げる。
「悩みの種が話を聞いてどうするんだ」
「あ、そういう自覚はあったんですね」
「ふうん、今のは冗談だったんだが」
「あはは、私も冗談ですよ会長」
しまった、つい本音が出てしまった。
わざとらしくだろうが何だろうが、エマは無理やり軽やかに笑う。会長も笑い返してくれるが、目の奥の感情が読めなくて怖い。
会長がエマの肩に手を置いた。その綺麗な顔が近づいてきて、耳元でそっと囁かれる。
「頼めるな?エマ」
「………………いやです」
断れなかった。
第4回相談会の記録。
相談者:信仰者の理想を破壊していく系の聖女さん




