優の長い一日(Ⅰ)奇跡の下駄バイク
ごろり。
・・・
ごろり。
・・・・
ごろり。
・・・・・・・・。
・・眠れません。
第八話
「奇跡の下駄バイク」
枕元の目覚まし時計を見ると、時間はすでに深夜2時半を回っていました。
(あした会ったらどんな顔しよう?)
(なんとなく気まずいな。)
なんて考え出したら、どんどん眠れなくなっちゃって、さっきから寝返りばかりを繰り返してるのです。
たかだか18,9の、しかも女の子に告白されただけで、私は何、眠れなくなっているんでしょう。
自分の小物っぷりに情けなくなります。
ベッドに入った最初は、こんなになるなんて、思ってもみなかったんです。
だって、麻子ちゃんからの告白は、本当の愛の告白だなんて思いませんよ、さすがに私だって。
だけど、簡単に受け流せる程、私は恋愛慣れも、告白され慣れてもいません。
それを今痛感しております。
あんな風に、誰かの目を真剣に見つめて
「好きです。」
だなんて、今の私に言えるのかな。
あんなにストレートに感情を口から出せる麻子ちゃんは凄いな。
たぶん、私にはもう無理だ。
いつからだろうなあ。
いつの間にか大人になっちゃって、自分の気持ちとか、本音とかが出せなくなっちゃいました。
確かに昔は、麻子ちゃんみたいに「好き」って言葉が素直に言えました。
あれはいつだったでしょう。
私はこれからの人生、また誰かに心から
「好き」
という言葉を伝える日がくるのでしょうか。
やっぱりそれも無理なような気がします。
切っ掛けは麻子ちゃんだったのに、いつも間にか、そんな自問自答が始まってしまいました。
ごろり。
頭に疑問が浮かんでは考えて、すぐに煮詰まって寝返りを打つ。
そんな作業をかれこれ何十回と私は繰り返したのでしょうか。
いつもは仕事で疲れきって、ベッドに入るとものの数分で寝てしまうのが、私の特技のはずでした。
なのに今日はなかなか眠れません。
明日は宿直番で出勤が遅いからいいけれど、それにしてもスッキリと普段のように寝付けないのはもどかしいです。
ごろり。
幾度目か。
もう、何回とか分かりません。
私のすぐ目の前に、壁があります。
白くて、ボコボコとした凹凸のある壁紙はまるで雪のようです。
何だかお部屋も温かくて、春に・・見る・・雪のようです・・・
今日はお日様も顔を出しています。
道端に積み上げられた残雪の山は、柔らかい春の日差しにに照らされて、先週までのゴツゴツとした雰囲気から、随分と丸味のある形になりました。
心持ちその大きさも小さくなったように見えます。
所々、土や小石が混じって見えるのは、用務員のおじさんが、スコップではなくて、小型のブルドーザーで一気に地面ごと雪を積み上げたからでしょうか。
校門を出て、少し長い坂を下った場所にあるこの自転車置き場も、在校生達はまだまだ午後からも学校にいるはずなのに、今はまだ数える程の自転車もありません。
3月に入り、日差しも随分と柔らかくなりました。
今日の卒業式も、桜にはまだ早いですが、気持ちのいい小春日和です。
でも、たまに吹き抜ける風は、まだ冬の香りがして、私は思わずマフラーの中に首を引っ込めてしまいました。
この制服とも、今日でお別れです。
私の目の前には、少しうつむく倉田くんが立っています。
まだまだ吹く風は冷たいというのに、「祝卒業」というリボンが付けられた学生服は、何故だか腕の中で丸められていて、カッターシャツ姿の倉田くんは少し寒そうです。
倉田くんの右手に握られた、卒業証書が入った黒い筒が、プルプルと小刻みに震えています。
ほら。
やっぱり寒いんじゃない。
「ち、違う高校・・」
見つめてた倉田くんの黒い筒の震えが止まりました。
倉田くんは、少し大きく息を飲み込んで、そう言い始めました。
「・・違う高校行くから、その前に言いたくて。
お、俺、お前が好きだった。
小学校の頃から、ずっと好きだった・・。」
真っ直ぐな、本当に真っ直ぐな倉田くんの瞳が私を見つめています。
卒業式の帰り道。
校門から続く坂道を下り切ったあたりで、倉田くんは私を待っていました。
一緒に下校していた友達は、呼び止められた私を冷やかしましたが、まさか倉田くんが本当に私に告白してくるなんて、思ってもいませんでした。
だって、倉田くんは、クラスでも勉強が出来て、春からは私とは違う頭のいい進学校に通うし。
確かに小学校の時は習字塾でも一緒だったし、今まで何度も同じクラスにも、同じグループにもなったし、グループ発表の時も、修学旅行の時も一緒だったけれど、倉田くんはそういうんじゃななくて。
あたしはいつも
「倉田くんは、勉強出来て凄いなあ。」
ってふうに見てて・・。
私は急な告白で、何も言えなくて。
真っ直ぐな目も見れなくて。
泳いだ私の目は、偶然倉田くんの肩越しに見えた私達の街と、河原に立つ湯元を現す木製の櫓を見ていました。
櫓は夕日に染まって真っ赤でした。
見上げた空は茜色で。
でも、東の空はうっすらと群青で。
ひぐらしの声とともに吹く風は、すでに夏の騒がしさなんてなくて、少し落ち着いた秋の空気を運んでいました。
「僕と結婚して欲しい。
そして一緒に長崎に来て欲しいんだ。」
きりりとスーツを着こなして、髪の毛も随分と短くしたけれど、その優しい口調と雰囲気は、学生時代に大好きだった水上さんのままでした。
いつだってブカブカのセーターを着てて、髪だって、そろそろ散髪したら?
って言いたくなるような長さだった水上さん。
セピア色の小さなドイツ語学科の教室で、黙って何時間もドイツ語の小説を読んでいた優しい人。
そこにはドイツの本と机以外は、沸騰ポットが一つしか無くて、皆が淡々とインスタントコーヒーを飲みながら、ドイツ語のテキストをやっていたり、小説を読んでいたり。
そんな、まるで時間も止まったんじゃないか?
って思えちゃう空間。
最初はブラックのインスタントコーヒーなんて、苦くて飲めなかったんだけど、教室にはミルクも砂糖も無くて。
気が付くと、私も大好きになっていました、ブラックコーヒー。
無口だけど、いつも水上さんの回りは、お日様のような、日なたのような優しい香りがしていました。
本当に大好きでした。
こんなにも誰かを好きになったのは、生まれて初めてでした。
でも。
でも、無理だよ・・。
もう、学生の頃みたいに、簡単には決められないよ・・。
あたしはこの街から離れられない。
お父さんがいて、お母さんがいて、西山荘の皆がいるこの街を、私は離れる事なんてできないよ。
いつだって真っ直ぐな瞳は。
いつだって真っ直ぐな気持ちは、私を撃ち抜いて困らせる・・。
なんの覚悟も、なんの準備も無い私を撃ち抜いて困らせる・・。
(2)
「宅配便でーす。」
私を起こしたのは、そんな宅配便のお兄さんの声でした。
どうやら私はいつの間にか、眠ってしまったようです。
何やら夢を見ていたような気もしますが、見なかったような気もします。
カーテンの隙間から見える景色は、昨日までの長雨とは違い、からりと晴れた初夏の空です。
私は寝ぼけながらベッドの上で、軽く寝返りをうちました。
ぴとり。
と頬が冷たい感触に触れて、途端に目が覚めます。
あら。
やだ。
よだれ?
女の子なのに・・。
枕には小さなシミが出来ていて、そこがペトペトと冷たいです。
なんだか子供の頃におねしょした時のような気まずさがあります。
私が少々「やっちまった。」と項垂れていると、下から私を呼ぶお母さんの声がします。
どうやらさっきの宅配便は、私宛の物のようです。
はて?
私宛?
誰でしょう。
昨日は私の誕生日でしたから、恐らく誕生日プレゼントでしょう。
だけど、そんなの送ってくれそうな人には、トンと心当たりがありません。
あ。
いや。
ありました。
心当たり。
あたしです!
昨日の麻子ちゃんの一件で、すっかり忘れていました。
私、ネットでワンクリックしたんです。
「自分から自分へのプレゼント。」
よく頑張ったね。
このⅠ年も頑張ってね。
って。
私は一目散にベッドから飛び起きて、パジャマのまま階段を一気に駆け下りました。
玄関先には、お母さんが受け取ってくれた、通信販売の大きなダンボールが置いてあります。
あの大きさ。
あのロゴマーク。
間違いありません。
私がワンクリックした商品が届いたのです。
私は大慌てで段ボールに飛びつきました。
あまりにも勢い良く私が飛びつくので、お母さん、目をまん丸にしてます。
薄い透明なガムテープに四苦八苦しながらも箱を開けると、中から出てきたのは、夏向けのオートバイのライダースジャケットです。
ちゃんとした国産品で、縫製もしっかりしてるメッシュ素材の物です。
今までは、お父さんから譲ってもらった「B3」という、アメリカの軍隊でも使われていたような、重い革ジャンを着てバイクに乗っていたのですが、そろそろ夏も近づいたので、私は思い切って、生まれて初めての本格的バイクウエアの購入を決めたのです。
その価格。
定価19800円!(税別(送料無料))
頑張った、あたし!
そういう意味でも頑張った!
私は段ボールの中から、まだ透明なビニールに包まれたままのジャケットを取り出すと、思わず「るんたった♪」と吉乃ちゃんの鼻歌を口ずさんでしまいました。
私はそれをビニールから取り出すと、いてもたってもいられなくて、タグも付いたままパジャマの上から羽織ります。
あれ?
思ったように、スルリとは袖が通りません。
ジャケットの肘の辺りで、手がひっかかります。
触ってみると、そこにあるのは樹脂製の肘サポーターでした。
それがひっかかって、手が通り辛いのです。
よく見ると、その樹脂製のサポーターと言いますか、プロテクターは、両肩と、背中に沿っても縫い付けてあります。
なんとか羽織って、ジッパーを上げます。
するとどうでしょう。
その、がっちりと硬いサポーターのおかげで
『守られてる!』
という実感がひしひし伝わってくるじゃないですか。
凄い。
これがバイク専用ジャケット。
身長が163cmの私は、今回女性物のMサイズを購入したのですが、ウエスト回りもジャストフィットです。
玄関に置いてある姿見で、ジャケット姿の自分を写します。
一回転してみたりもしちゃいます。
肩に入ったサポーターが肩パッドみたいになって、私、超逆三角形です。
ただし。
まあ。
胸のあたりは、ちょっと余裕があるかな・・。
本来なら今日は宿直の遅番ですし、昨日眠れなかったので、も少し家でゴロゴロして過ごす予定だったのですが、こんな梅雨の合間の晴天に、こんな新品なジャケットが届いてしまったら、家でのんびりなんてしていられません!
私は大急ぎで家を出て、バイクで遠回りして出勤する事を決意しました。
ダッシュで二階にある自分の部屋に向かいます。
身支度だってダッシュです!
荷造りだってダッシュです。
今日は宿直だから、お泊り用の荷物も忘れずリュックに詰め込みます。
ふと、机の上に昨日麻子ちゃんから貰った若草色の紙袋が見えました。
このグローブも、着けた方がいいですよね?
お宿に到着した時に、私が違うグローブしてたら、麻子ちゃんきっと悲しみます。
せっかく私の事、大好きって言ってくれたんだもの、悲しませたくはないですものね。
私はひと通りの身支度を終えると、真新しいジャケットと、麻子ちゃんのグローブに身を包み、颯爽と玄関から飛び出しました。
そんな私がよほどカッコ良かったのか、
後ろからはお母さんが叫びます。
「優!
タグ!
タグ!!。」
あら。
やだ。
(3)
足取りも軽く玄関を出ると、私の目に飛び込んで来たのは、納屋の前でしゃがんでハチキューとニラメッコしている道洞君の姿でした。
脇には「◯☓自動車」と書かれた白い軽トラもあります。
「どうしたの?
道洞君。」
「あ、優さん。
おはようございますっす。
丁度良かったっす。
こいつ、一人でどうやって軽トラに乗せようか悩んでたトコっす。」
「調子悪いの?」
「どうやら、センターシールが抜けかけてるみたいなんっすよ。
エンジンはかかるんですけど、パワーが出ないから、ここじゃなくて、道具の揃った工場の方で見ようかと思ったんっす。」
「センターシール??」
どうやら、このハチキューというバイクには、先天的な欠陥があるのだそうです。
それは、エンジンの中にあるセンターシールという部品だと、道洞君は教えてくれました。
あ、シールって言っても、タンスに貼るやつじゃないですよ。
ハチキューにはエンジンが2つ乗っています。
俗にいう「2気筒」と呼ばれるバイクです。
その二つのエンジンが「V」の形で並んでいるので「V型2気筒」なんですって。
そしてその、エンジンの中で右側と、左側を隔てている壁というか、パッキンのような物が「センターシール」なんだそうです。
道洞君曰く、これが結構なクセモノなんだそうです。
実は、この部品、めちゃくちゃ耐久性が低くて、平均すると2万キロで寿命なんだそうです。2万キロ走ると、穴があいちゃって、位置の高い方のエンジンから、低い方のエンジンにガソリンが漏れてしまうのだそうです。
なので、位置の高い方のエンジンにはガソリンが足りなくなり、低い方には倍近いガソリンが入ってしまって、不完全燃焼を起こしてパワーが出ないのだそうです。
でも、2万キロ走る毎にエンジン分解って、なんてバイクなのでしょう・・。
「じゃあ、それを注文して交換するの?」
と、私が尋ねると、
「注文出来たらいいんすけどね・・。
この部品、もう作ってないんすよ。」
と、困った顔をしています。
どうやら、古いバイクのため、メーカーのホンダでも、パーツの生産が終わってしまっているんだそうです。
しかも、とても厄介な問題もあるんですって。
ハチキュー自体は、今だにとても人気があるのだけど、元気に現存していて走っているバイクは、日本にはそんなに沢山ないレアバイクなんですって。
それの原因がこのセンターシールなんだそうです。
ハチキューがデビューした1989年(厳密には88年)頃は、空前絶後のバイクレースブームで、各メーカー、毎年マイナーチェンジ、2年に1回フルモデルチェンジ。
なんて、とんでもない技術力と情熱をつぎ込んでバイクを開発していたそうです。
毎年毎年最先端技術を乗せて走る新型バイク。
すぐに技術が盗られちゃったら、困ります。
ですから、色んな所に、他社が真似できないように特許を取得した新技術が詰まってたんですって。
それから25年たった現在。
ホンダはパーツも、2ストのバイクも生産を止めてしまったのに、この特許だけは残ったままなんだそうです。
ですから、どこかの工場でこの寿命の短いセンターシールを真似して作ろうにも、特許が邪魔して作る事が出来ないんだそうです。
道洞君の話しだと、その特許料を払ってこのセンターシールを再生してくれる所もあるそうなんですが、結構高額なようです。
あとは、偶然安価でまだセンターシールが抜けていない古いエンジンを見つける事が出来れば、乗せ換える事も可能なのだそうですが、どっちにしろ、その2択しかないみたいです。
だから、どんなに人気があったバイクでも、皆その壁が越えられなくて、元気で現存してる車両はあんまりない。
んだそうです。
あらま。
なかなかに不遇な若武者なんですね。
このハチキュー君。
だけど、この子はかなり幸運なようです。
山本のお爺ちゃんの「生き返る」という予言めいた言葉も頷けます。
実は、ネットのオークションで、事故で25年間車庫に眠っていたエンジンが、かなりの特価で見つかったのだそうです。
見た目も、中の部品もかなりのボロボロで、エンジンとしては使い物にならない物なのだそうですが、奇跡的にセンターシールは生きている。
というエンジンなのだそうです。
エンジンを分解してそこだけ売れば、もっと高額になるんだそうですが、どうやら持ち主の方が、あまり専門的な方じゃないため、エンジンが分解できないからそのままボロボロのエンジンを、まるごと特価で売りにだしていたんだそうです。
「なんだかバイクの修理も大変なんだね。
そんなにいっぱい色んな技術が盛り込まれてるの?」
と、私が聞くと、道洞君は目をキラキラさせています。
「25年も前の、しかも250CCなのに、このハチキューは凄いっす。
ほら、エンジンの横でピコピコ動いてるの、それ、コンピューター制御の排気デバイスです。 RCバルブって言うっす。
それ以外も、色んな部品に空気を送るための、小型のコンプレッサーが何ヶ所か付いてるっすよ。
そんなのなかなか無いっすよ。
まさに、当時ホンダが社運と技術力をありったけつぎ込んだバイクです。」
さすがメカヲタクですね、道洞君・・。
メカの話しをしてる時の生き生きとしてる事、してる事。
「へー。
じゃあ、私のVTZもそうなの?
同じ時代の同じホンダで、同じ250CCじゃない?」
私がそう聞くと
「VTZにはそんな高度なもん、何もついてないっすよ。
庶民の下駄バイクっすから。」
下駄バイク言われてしまいました・・。
私が少しがっかりしていると、道洞君は、そんな私を慰めるためか、急にVTZを褒め始めました。
「あ、でも優さん!
VT系は、VT系で超凄いトコもあるっす。
超頑丈なんっす。
「ホンダが産んだ奇跡のエンジン」
っすよ。
ほんとに壊れなくて、なんと驚き、優さんのVTZ250から、VTスパーダ、そしてVTR250と、名前も形も変えたVTシリーズなんですが、実は、エンジンはほとんど同じ物を使ってるんすよ!
この2ストのハチキューは、ホンダが心血を注いで作ったっすけど、生き残る事は出来なかったっす。
あまりにも排ガスを吐くこのエンジンは、生産禁止になっちゃって、今では現存する物が既得権で走っていいだけっす。
でも、VTエンジンは「下駄バイク」ってバカにされながらも、形を変えないまま現代まで生き残ってるっす。
本当に、同じ時代、同じホンダで生まれた同じ250CCなのに、めちゃくちゃ対照的な人生歩んでるっす!
まあ、そりゃあ、VTZにも致命的欠陥があるんすけどね。」
それって、上げて落とすってやつですか?
道洞君。
「VTZはレギュレーターが弱いっすよ。」
そう話しかけた途端に、道洞君の携帯が鳴りました。
このスマホ時代に、拘って使ってる折りたたみ携帯電話です。
道洞君曰く
電話出る時に、「パキ!」って出るのがいいんだそうです。
なんてカッコいい事いってたのに、電話に出た途端にペコペコしてます。
どうやら工場の社長さんに
「早く戻ってこい!」
って怒られてるみたいです。
私達は、大慌てでハチキューを軽トラの荷台に積み込むと、道洞君は大急ぎでバイクをロープで固定して走り去って行きました。
ほんとに大慌て。
事故らなければいいんだけど。
だって、道洞君、結構おっちょこちょいなので。
空は相変わらずの青空です。
早朝まで雨が振っていたせいなのか、気温も然程高くなくて、とても清々しいです。
「さあ!走るぞ!」
私は気を取り直して、納屋の中の「奇跡の下駄バイク」に跨がると、キーを回して、スタートボタンを押しました。