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ちょっと大人な私達の日常  作者: にしやま そう
三つ編みのお姫様の物語
10/46

優の長い一日(Ⅱ)始まりのバイク



雨上がりの初夏の風が、真新しいメッシュのジャケットの中を吹き抜けて行きます。

朝方の雨でまだ微かに濡れている新緑は、いつもに増して鮮やかな黄緑色で、揺れながら笑っているようです。


私はVTZのギアを一つ上げて、アクセルをジワリと開けます。


加速と共にヘルメットを吹き抜ける風の音も、今日はなんだか楽しげなお話を語りかけてくれているみたいです。



家が随分と減ってきました。

私の目に映る光景にはすでに人工的な建物よりも、圧倒的に自然の緑が多くなっています。


この山へと続く街道をもう少し走ると、古い商店があります。

これが最後の建物です。

商店の木製の壁に貼ってある、サビて、いつの時代の物とも分からないレトロな、カレーと、蚊取り線香と、ドリンクのブリキ看板。

お店の前には小さなバス停。


それを過ぎると、道は小川に沿って、緑の中をひたすら山へ、山へと登って行きます。



私と、道洞君に「奇跡の下駄バイク」と呼ばれたVTZは、家を出ると同時に、いつもとは逆に曲がって走りだしました。


私の大好きな道の一つの、「木漏れ日農免道路」。

今日の私が目指す道です。


私が住む街の田園地帯側にも沢山畑はあるのですが、これはどれも古くからあるものです。時代が流れ、人口も増えると、この田園地帯だけでは手狭になり、今では山に向かってしばらく行くと、山の上に大きな農園や、高零地野菜のハウスが一面に広がるエリアがあります。


そこでは名産のトマトや、ほうれん草、大根なんかが広大な土地を利用して栽培されています。



そして、その山の中の農園と農園を繋いでいる、広くて真新しい道路が、「木漏れ日農免道路」です。


登りあり、下りあり、ヘアピンカーブの連続あり、S字ありと、道のレイアウトもまるでサーキットのように面白くて、途中出くわすトラクターにさえ気をつければ、絶好の練習道路です。


そういえば、何年も昔に、当時「ドリフトの王様」とか言われた有名なレーサーが、ここに「走りの神社」という物を作ったという話しは聞いた事があります。


それから10数年が過ぎ、スポーツカーで峠を攻める人もすっかり減って、今ではのんびりとした、いい道路です。


そして何より、景色がいいんです、この道路。



普段の通勤なら、家を出てものの10分程でお宿に着いてしまうのですが、この道を通れば、しっかり小一時間は風を楽しめます。


今日は相棒と一緒に、堪能です。




登りが少しキツくなってきました。

今度は、VTZのギアを一つ落としてアクセルを開けます。

グン。と、VTZが加速を始めます。


道沿いに並ぶ木々の隙間から、私達の街が眼下に広がり始めました。

「木漏れ日農免道路」の入り口までは、まだ少しありますが、それでもすでに、結構な高さまで登ってきたようです。




第十話

「始まりのバイク」










VTZは250CCとは思えないパワフルさで、新緑の坂道をぐんぐん登ります。


道洞君曰く、現代まで続くこのVTシリーズの中でもこの子が一番パワーがあって、数字だけなら最新型の1.5倍近いパワーがあるんですって。

 

おもしろいですよね。


時代と共に、どんどんパワーアップなら分かりますが、どんどんパワーダウンしてるそうです。

どうやらその裏には、事故率の増加から来た馬力規制とか、環境問題から来た排ガスの規制なんかがあるようです。


なので、私のVTZは、見た目こそ古臭いですけれど、

「規制前フルパワー。」

なんだそうです。

さすが奇跡の下駄バイク君です。


この子とのお付き合いも、もうすぐ2年になります。


2年前、食品偽装事件で業界から干されて、一時期行方も分からなかった倉田隆二がこの街に戻ってきました。

その頃、この街の唯一のバイクショップであるヨツバモータースさんのスクラップ置き場に転がっていたこの子を、あいつが納屋に持ち込んで来たのが全ての始まりでした。


私が改めてバイクに乗るようになったのも。

隆二一派という集団が生まれたのも。

うちの納屋に皆が集まりはじめたのも。

そして、私が8年振りにあいつと直接顔を合わせて、気兼ねなく話せるようになったもの。


全部このバイクが始まりです。


ある夏の終わりも近い日。

その頃私は、精神的に随分と追い込まれていました。

今まで私を守ってくれていた大番頭がいなくなり、突然全ての番頭業が私に降りかかりました。

頼れる人をなくした悲しみ、慣れない管理職としてのお宿の切り盛り。


ご飯も喉を通らない。

家にも帰れない。


そんな、今思い出しても辛い毎日でした。


そんな中、たまたま着替えを取りに家に戻った時でした。

突如降り始めたゲリラ的な夕立の中、私の家に近づく影が見えたのです。

その影は、ずぶ濡れになりながら、一台のバイクを押していました。


それが、隆二とVTZでした。


私は偶然、二階にある自分の部屋の窓からそれを見つけると、大慌てで傘とバスタオルを持って走りました。


「あんた! こんな土砂降りの中、なにやってんのよ!」


「ああ、すまんな・・。

 ヨツバを出た時にはいい天気だったんだがな・・。」


あいつは静かに、傘を差し出す私にそう言いました。

そんな言葉だったと思います。


これが、おそらく高校の卒業の時以来、初めて直接顔を見て話す、私達の最初の会話でした。



納屋に入り、改めてあいつが押していたバイクを見ると、雨に濡れてピカピカと光り、まさかついさっきまでスクラップ置き場で倒れていたバイクには見えませんでした。


タンクに手を置くと


「ボクハモットハシリタインダ・・」


そんな声が聞こえたような気がしました。




「この子、どうしてスクラップなの? もう走れないの?」


私がそうあいつに尋ねると


「そいつには大切な物が無いのさ。

 正面から見てみな。」


アイツはバスタオルで頭をぐしゃぐしゃと拭きながら、そう言いました。


私は言われた通り、止めてあるバイクを正面から見ると、確かに何かが欠けているような気がします。

だけど、当時の私はバイクなんて、短大時代に通学用にハンターカブを乗っていた程度でしたし、すぐにはその違和感の正体が分かりませんでした。

ぱっと見た感じ、普通に普通のちょっと古い形のオートバイにしか見えませんでした。



「そいつ、ヘッドライトが無いんだよ。」


そうあいつに言われて、私はようやく気が付きました。

確かに、正面からみた時のオートバイの顔とも言えるヘッドライトがありません。

そこにあるのは、まるでニッパーか何かで切断された、無数の配線の束だけでした。


「この子、ヘッドライト取り付けたら、また走れるんだよね?」


私の声に、あいつは苦笑いをしています。


「一言で言うには簡単なんだけどな。

 その『ヘッドライトを取り付ける』ってのが、途方もない作業なんだ。

 だから、その道何十年のヨツバのおやっさんですら、

匙を投げて部品取りのスクラップにするしか無かったんだ。」


あいつは、寂しそうに笑っていました。



どうやらこのバイク、元々は普通に下取り車としてヨツバモータースに引き取られた物だったのだそうです。

もう25年以上も前のバイクで、今では全く人気のない古い車種。

売ろうにも、たいした金額にならないこのバイクは、しばらくヨツバモータースで埃をかぶっていました。


ある時、ヨツバの常連さんが、転倒して割れたヘッドライトの代わりの物を探してヨツバを訪れたそうです。

そこで見つけたのが、この子です。


この子のヘッドライトを欲しがった常連さん。

ヨツバのオヤジさんも、二つ返事で

「いいよ。

 自分で外して持ってきな。」

と、ヘッドライトを安値で譲ったのだそうです。


だけど、その一言が悲劇の発端となってしまいました。



隆二曰く、このVTZと呼ばれるバイクのヘッドライトは、

実はライトとしての役割以上の、もっと重要な役割を持っていたのだそうです。


それは、ターミナル。

オートバイ中を張り巡らされている、まるで血管か神経のような全ての配線が、一箇所に集まって集約される、本当に頭のような存在なのだそうです。


本来なら、このヘッドライトの中に収められていた全身から集まる全ての配線も、カプラーと呼ばれるアタッチメントで繋げられれていただけなので、普通にコンセントを抜くように配線同士を切り離せば、それで良かったのだそうですが、おそらく年式も古くて、なかなか簡単に抜け無かったのでしょう。

痺れを切らしたヨツバの常連さんは、事もあろうことに、ヘッドライトから伸びる全ての配線の束を、全部ニッパーで切断してしまったのだそうです。



「そこに見える無数の切断された配線の束な。

 言い換えれば、神経や、血管みたいなもんだ。

 おまえ、神経や、血管の断面だけ見て、どれが右の中指の神経だとか、どれが足の神経だとか分かるか?」


私は首を思い切り横に振りました。


どうやら、これを直すには二通りしか方法が無いのだそうです。


一つは、神経と血管の完全移植です。

「メインハーネス」と呼ばれる背骨に沿って全身を走る神経の束。

右ハンドルからくる束、左ハンドルから来る束、メーター類から来る束、バッテリーから来る動力の束。 全て新しい部品に移植なのだそうです。


ヨツバのオヤジさんが匙を投げたのは、これが理由です。

大量の部品を購入して、大手術をしても、元々が古くて人気のない安いバイクです。

直しても、元通りになるだけで、その分高く売れるわけではありません。

「直すと赤字になる。」

という状態だったのです。


だからオヤジさんは、泣く泣くこのバイクを部品取り用として、スクラップ置き場へ回したのです。



そしてもう一つは、切断された神経の行き先を割り出して、切られた部分を延長する方法です。

結局私達は、この方法を選びました。

だけど、それは途方も無い作業でした。


全ての、どこと繋がってるとも分からない配線の断面に、私達は、ヨツバから貰ってきた配線図を片手に片っ端からテスターを当てたのです。


「今、足の小指が動いた!

 それ、足の小指の神経だ!」


といった具合に、無数に見える配線1本1本を虱潰しらみつぶしに割り出しました。

そして、1本1本、ハンダゴテを使って延長して、新しい束を作ったのです。


これには何日もかかりました。


それまで大番頭を失った後のプレッシャーと激務で、家に帰るのもままならない私でしたが、「なんとかこの子を生き返らせたい。」そんな思いで、昼のちょっとした時間を見つけては、あいつを手伝いました。


今思うと、それがいい気分転換になったのだと思います。

この子がいなかったら、私、潰れちゃってたかも知れません。


そしてあいつともわだかまりにも。



そんな日々が数日続いたある日、ネットで落札した中古のヘッドライトが届きました。

手作業で割り出し、延長した全ての配線を、ヘッドライトの中になるターミナルに接続する日が来たのです。


私はこの日の事を忘れないと思います。


キーを回すと同時にメーターが光った事を。

ヘッドライトに明かりが戻った事を。


そして何より、スタートボタンを押した直後の、あの嬉しそうな産声を。


私、思わずうれしくて、泣きながらあいつとハイタッチしてました。


美咲を泣かせてバイトを辞めた事も。

私に告白したくせに、奥さん連れて帰国した事も。

そんな今までのわだかまりが「昔話し」って思えるようになったのも、このバイクのおかげかも知れません。



あいつも嬉しそうでした。

とても満たされてやり切った顔で、しばらくエンジンの音を聞いた後、あいつは事もあろうに、VTZから抜いた鍵を、私に向かって放り投げました。


「やるよ。」


私は、ワケが分からなくて、ただただキョトンとしていました。


「お前、中免持ってるんだろ。

 元々、スクラップにするには勿体無いと思って貰ってきただけで、

乗る予定は無かったバイクだ。

だから、お前が乗れ。」



 


そうです。

やっぱり全てはこの子(VTZ250)が繋いでくれた縁だったのでしょうね。


それからこの子は私の愛車です。


今も元気に走っています。

楽しそうな排気音は、今も変わりません。



道端に「木漏れ日農免道路」の看板が見えました。

山を削って作った、両脇が土手になっている農免道路への入り口です。

ここから益々山へ向かって道は登って行きます。


私はウインカーを左へ出しました。


農免道路の入り口にある左右の土手には、コスモスにも似た形の黄色い花が満開で、まるでお花のトンネルを走っているみたいです。


先日ここを走った時も、この花は咲いていました。

あまりに綺麗だったので、思わずバイクを路肩に停めて、携帯電話で撮影してしまいました。 お花に詳しい吉乃ちゃんに見せたら、「なんとか」という外来種なのだそうです。

和風の名前があったのならば、きっと私でも覚えられたのに、さすがに横文字となると、なかなか覚えられない物ですね。


お宿に着いたら、また吉乃ちゃんに聞こうと思います。



黄色いお花のトンネルを抜けると、連続カーブが始まります。


私はカーブの手前でVTZのギアを一つ落とします。

甲高いエンジン音と共にバイクが減速を始めます。


そして直線が終わる瞬間に、軽くチョンチョンと前輪のブレーキを当てて、さらに速度を調整すると、今度はゆっくりと右手のアクセルを開けながら、ゆるくて大きなヘアピンカーブを出口に向かって加速して行きました。


ヘルメットの中を風が吹き抜けて行きます。


カーブも出口に近づくと、私は少し斜めになった車体を真っ直ぐ立て直し、さらに加速すると、今度はギアを一つ上げて、さらにアクセルを開けました。


今日の私、とても乗れてます。

この子もとっても調子いいです。


ついつい心が弾みます。


握るアクセルを見ると、麻子まこちゃんから貰った新品のレーシンググローブもピカピカ輝いています。

新品だから、もっとこう、馴染むのに時間がかかるのかな?

と、少々おっかなびっくりでしたが、たぶん高級品なんでしょうね。

とてもしっくりと、私の手を包んでくれています。


赤いワンポイントで使われている赤い皮も可愛いです。


昨夜はあれこれ沢山悩んでしまったけれど、お宿に着いたらもう一度麻子ちゃんにお礼を言おう。


目一杯の笑顔でお礼を言おう。



目の前には次のカーブの入り口が見えます。

左へと曲がるヘアピンです。

今日の私は乗れてるし、この子もすこぶる元気です。

私は練習がてらに、お父さんに教えてもらったカーブの曲がり方を実践します。



まずはギリギリまで加速です。

走るラインも、今までのキープレフトから、ユルリとセンターラインギリギリに寄って行きます。

左に曲がるカーブに対して、外側です。


アウト・イン・アウト

アウト・イン・アウト


ヘルメットの中で呟きます。


どんどんカーブが近づきます。

まだ加速です。


もうそろそろ真っ直ぐは走れません。


そのタイミングで、クラッチを2回、アクセルの空ぶかし2回。

それに合わせて、トントンとギアを二つ落とします。


マフラーからは

「ボン!ボン!」


と楽しそうなリズムが流れます。


そして前輪ブレーキを軽く2回


トントン


これで後ろに流れてた重心が、前輪に乗りました。


あとはお尻を半分シートからずらして、バイクを倒します。


それと同時にアクセルオンです!


目指すはイン!

カーブの一番内側です。


倒れながらぐんぐん進むVTZ。

ちょっと怖いです。

思わずアクセルを戻してしまいたい衝動に駆られますが、ここはグッと我慢です。


じわり、じわりとさらにアクセルを開けて行きます。


カーブの一番深い所が終わり、視界の先に直線が見えてきました。


アウト・インと来たら、今度はアウトです。


そのままズルズルと道路の外側、センターラインに膨れて行くように加速して行きます。


そして直線に入ると、私はギアをもう一つ上げて、さらに加速しました。


やっぱり今日は私もこの子も絶好調です。

今まで何度も練習して、なかなか上手く出来なかったのに、今日は一発で決まりました。

まあ、実はあまりスピードも出して無かったんですけどね・・。


だけど、ほんと。

この子凄いです。

もう、どこからがバイクで、どこからが私なのか分かりません。

一つにつながって、路面だって、まるで手で触ってるように、どこがどのようにデコボコしてて、どこに段差があって、どれくらいの路面温度なのかが伝わって来ちゃいます。


小さな小石が突如路面に現れます。


「避けなきゃ。」


そう思うと同時に、VTZがもう避けています。


これは隆二の言葉ですが、このVTZ君。

とにかく車体バランスが良いんだそうです。

平たく言うと、めっちゃ乗りやすくて、乗りてが上手に運転できるバイクなのだそうです。


さすが「奇跡の下駄バイク君」です。



確かに2ストのハチキュー君は凄いのかも知れません。

彼がエリートで、この子は雑草魂なバイクかも知れません。

だけど、私にとってはとっても思い入れのある、最高のパートナーです。



私達はますます加速して、風になります。

新緑の緑が流れて行きます。


突然視界が大きく開けました。


森が終わり、この山の頂上です。

一面の畑が視界いっぱいに広がって、眼下には私達の住む街が見えます。

そして、何より、私がこの道が好きな一番の理由。


穂高、乗鞍、御岳


目の前一杯に、雪を頂に抱いた3000mを越える山々が飛び込んで来ます。


わたし、今、空を飛んでいます。

まるで鳥になったみたいです。


この農園地帯が終わると下り坂。

またヘアピンの連続です。

そしてそれが終わると、私達の街を流れる川の下流へと出ます。


私は山の頂上の畑の中を真っ直ぐに伸びる直線で、バイクから両手を離して大きく広げました。


空を抱くように。

風を抱くように。

雄大な山々を抱きしめるように。


初夏の風が楽しそうに私に話しかけていました。







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