9 狙われた花瓶
剣戟の衝撃が右腕を震わせる。斬れない刃は、その分の衝撃をまともに腕に返してきやがる。正直、だんだん腕が重くなっているのは否めない。
デイルは怪我をしているし、フェルは気持ち的に怯んでいる。訓練の成果を100%出せているとは言い難い。しかも相手はいろんな意味で真剣だ。殺めるつもりで仕掛けてきている分、城を守るという意識しかねえ今の近衛たちにはかなり分の悪い戦闘だった。
剣を弾き返して模造剣で押しのけて肘を眉間に入れると、白い覆面が解けかけながらまずひとりが床にのびた。あと、四人――
そこで、一歩引いて戦闘を眺めていたヤツが目を細めると、くるりと踵を返す。つまり、王座の間へと向かっていく。
「待て!」
俺の声にちらりと振り返ったものの、ヤツは意に介さず進んでいく。チッと舌打ちをして、迫り来る剣を防ぐ。
「ハリー、さん!」
同じく、反乱軍の剣に押され気味のデイルが荒い呼吸の元で俺を呼んだ。キンキンッと高い剣戟のあと、イヌは肩で息を調節しながら、絞り出すような声で叫ぶ。
「行って、ください! ここは俺たちに任せて――!」
思いがけない言葉に俺がフェルを見やると、そっちも反乱軍の剣を弾き返しながら俺へ視線を寄越し、口角を上げて小さくもしっかりと頷いた。もちろん、相手もそうはさせまいと二人がかりで俺に向かってくる。
最初の剣をやり過ごし、二人目の剣を模造刀で受け流すまで、俺は迷っていた。あの二人の腕は悪くないが、こいつら四人を相手に勝てるだろうか……?
その答えが真中よりも不利な方へ傾いていたから、俺は咄嗟に駆け出せなかった。その迷いを吹っ切らせたのは、デイルが次に叫んだ言葉だ。
「早く――ハリー、早く!!」
その声に打たれたように、俺はヤツを追って走っていた。俺の後ろに迫っていた剣の気配は、フェルの素早い動きで封じられるのがわかった。
ありがとよ、と俺は二人に心の声で礼を言うと、まっすぐに王座の間へ向かうその背中に切りつける。――と、気配をあらかじめ読んでいたヤツはひらりとそれを避け、俺に向き直る。あと僅かで、扉に手がかかるほんの少し手前で。
「……しつこいなあ」
「おかげサマで」
そういいつつも、目が笑ってやがる。この状況を楽しんでいる。俺は、そういう人間が一番嫌いだ。
もしもこの男が本当にアシュレの政に不満を持ち、正すことを目的としているのならば――俺はこんな風には感じないだろう。意見は聞くべきであり、改善できるのならするべきだ。
この男の目にはそんなものが感じられない。そこに見え隠れするのは完全なる私怨、完璧な逆恨みだ。何が原因なのか、何を目的にしているのかは知らないが、決して良き改革を目指すために集ったのではないことだけはわかる。――かつて自分が、平和な国を求めて王座の間へ剣を向けたことがあるからこそ、わかることだ。
もしもコイツらにその目的があるのなら、アシュレに会わせることは反対しねえ。けれどただ傷つけるためだけならば、させるわけにいかない。俺は、俺たちはそのためにここにいる。
「それって、得物を横取りされたから怒ってるのかな?」
「横取りしたって自覚があんじゃねえか」
言いながら唇を弓形にしならせると、ヤツの目から笑いが消える。カチンときた証拠だ。いつ仕掛けられてもいいようにと俺は模造刀の切っ先を相手に向けたまま、続けた。
「ところで俺、あんたの名前知らねぇんだよな。ゴアイサツしてくれねぇか」
「……アメデオ・トーイ」
じろりと俺を見る眼に僅かに力がこもって、ヤツが名乗った。記憶を探る。聞き覚えのない名前だった。ファミリーネーム、も。
「何が目的だ?」
そう訊ねると、アメデオはさっきまでのきりきりと尖った気配を崩してニヤリと笑う。
「何もかも」
「違ぇだろ」
模造剣の先、黒い闇の色をした眼を睨みつけながら、俺は即答で切り返した。アメデオが、上目で俺を睨むもののすぐに口許を綻ばせる。
「何もかもさ。この剣も、この国も、そしてあの命さえも、ね」
アメデオは王座の間に背を向けたまま、親指で軽く後ろを指した。そう、あそこにはアシュレがいる。あのバカアシュレが。
こんなときでもきっと、あいつはノコノコとあの部屋に留まっているんだろう、逃げもせずに。もしアシュレがこんな修羅場を俺たちに任せて自分の命を最優先に逃げるようなヤツだったら、俺はきっとここまで命を張らなかった。
「そう言えばさっき、妙なことを言ったよね。横取りするとか、他所ばっかり良く見えてるとか?」
「ああ」
「あれって心外だなあ。随分と人聞き悪いよね?」
「自分で手に入れたモンより人のを欲しがるガキみてぇだしな」
「し・ん・が・い・だ、と言ったんだよ」
その声は恐ろしく低く、重かった。何がコイツをこんな行動に走らせるのか――ただ単に気に入らないというだけではない、重い動機がちらりとかいま見える。
「何故だ」
俺がそう、唐突に放った質問にアメデオはふと視線を上げて俺を見る。そして何もかも理解したような声音で答えた。
「理由、要るかな」
前の会話と繋がりのない、突然の話題の方向転換に気づいて返事を寄越してきたこの男はおっそろしく頭の回転が速いのだろう。もしかしたらセレよりも飲み込みが早いかもしれない、と俺は思った。……もったいない、と感じちまうのは俺自身が年を取った証拠か?
口許は笑んでいても、眼は決して笑っていない。そんな破綻した表情のまま、ヤツは手にしていた俺の剣を軽く肩に担ぎ上げ、軽くすくめてみせる。俺はそんなアメデオを見据えたまま、ゆっくりと続けた。
「一国の王の命を狙うんだ、それなりに筋の通った理由があると思うけどな」
「一国の王、ね」
ふん、と鼻を鳴らしたアメデオの表情に、初めて憎しみが浮かぶ。たった一瞬、さっと通り過ぎていく。その一瞬で俺が気づいたのは、どうやらコイツは『王』を倒しに来たってわけじゃなさそうだ、ということだった。もしかしたら、アシュレ自身に用がある、ってのか。
「たいした王サマだ。ガキのくせに」
「ガキでもジジイでも、王は王だろ」
フン、と鼻で笑うアメデオに、俺もニヤリと笑って返す。と、ヤツの表情がすうっと消えていき、しばし睨みあった後―――ヤツは身を翻した。
「……待て!」
そんな制止の声なんて無駄だってわかりきっているのに、俺は足を動かすより早くそう叫んでいた。そしてそれが――王座の間の扉を開く、ヤツの手に重なる。
最奥の執務机に、アシュレは腰掛けたままだった。武装しているとか剣を携えて構えているわけでもなく。この混乱が、その原因が、そしてさっきの俺の荒げた声が耳に入っていないはずがない。
アメデオはそんなアシュレの姿を捉えると、加速する。強く床を蹴り、剣を振り上げ、まっすぐに向かう。酷く強い憎悪の念を持って。
ガシィンと、ひときわ大きな衝撃音が走った。俺の得物の重さの音だった。
「それは――お前の得物ではない筈」
あくまでも冷静なアシュレの声が響く。微動だにしなかったらしいアシュレの、僅か三十センチほど手前に湾曲した剣が落とされていた。ゆっくりとアシュレの視線が振り下ろされた剣からアメデオへと上っていく。
「他人のモノで、意志を貫けるのか」
……こんな状況でも冷静なのは誉めてやりてぇが、火に油を注ぐような言い方はマズイだろう、いくらそれが真実でも。アメデオの剣の腕は相当だ。今、アシュレが斬られなかったのはアメデオがわざと牽制して避けたのだろう、と、思う。扱い難い得物とはいえ、ヤツはここまで来るのにそいつをきちんと扱っていた。
「貴様の命に代わるのなら、なんだって構わない」
床にめり込んだ剣を担ぎ上げ、アメデオは憎しみに満ちた目でアシュレを睨む。俺が小さく舌打ちをしてヤツにかかろうとするのを、アシュレは短く「ハロルド」と呼ぶと小さく首を振った。
………何、考えてやがる、あの小娘め。
俺の動きが止まるのを見て、アメデオは下卑た笑いを刻む。憎しみに燃える双眸はまるで黒真珠のようにぎらぎらと輝いていた。
「そうだ、手を出さないで欲しいね、副隊長殿」
「おい、アメデオ……っ」
「黙れ。王の指示だろう?」
「アシュレ!」
しかし、アシュレはさっきよりも強く首を横に振った。表情は――わからない。あのポーカーフェイスがこんなときは憎たらしい。
「して、私を殺めてどうする。お前がこのエストレージャを救うのか」
「さあ。国のことには興味がないからね、ココがどうなろうと関係ない」
アメデオが言うと、アシュレは僅かに眉をぴくりと上げる。不快、の仕草だ。
もしも反乱軍たちが指摘する問題点が妥当なもので、かつ、掲げる解決策が誰の目にも最善と映るものならば、アシュレは喜んでその地位を明渡すだろう。そこで命を求められれば差し出してしまうだろうほどの公平さを彼女は持っている。反面、生半可な判断と要望ならば決して受け入れはしない――私怨ならば、尚更だ。
「お前は、何者だ」
アシュレの低い声には、怒りがうっすらと感じられる。アメデオはそれに気づいたのかどうか、変わりない態度でニヤリと笑う。
「初めまして、新王」
わざとらしい恭しさでアメデオが頭を下げる。いや、腰を折ってはいるものの頭は上げたままだ。
その言葉を聞いて、アシュレの顔色がさっと変わった。いつも真顔だが、頬の赤みが消えていく。良く見れば拳がぎゅっと握りしめられている。
「……ロサード・エストレージャの支持者か」
「予想以上に聡明な方のようだね、嬉しいよ、説明の必要がない」
言いながら、アメデオが剣を振りかざす。アシュレは今度ははっとしたように掲げられた剣を見上げ、言った。
「ロサード王の政は正しくなかった」
ぴくりとアメデオの頬がひきつり、腕が止まる。
「彼のやり方は恐怖政治そのものだ。私は、怯えて何も言えないような国民を一人でも作りたくはない」
「良く言う口だ」
吐き捨てるように言うと、ガシンと剣先を床に叩きつける。アシュレを睨みつけるアメデオの目に、表情に、手に、怒りが満ちている。そして奴はその剣を持ち直してまっすぐに俺を指した。
「自分の父親を殺した人間だろう! 」
「如何にも」
アシュレはあっさりと肯定したが、正直俺としては複雑な心境だった。
あのタヌキを、確かに直接手にかけたわけじゃねえ。けれど俺が、俺たちがあのタヌキを殺したというのは正しい。俺たちの革命が成功した時から糾弾する奴は誰もいなかったけれど、それは事実だ。そしてアシュレにとっては自分の父親を殺した仇でもある俺たちを、こうして信頼して身近に置いてくれるのは――俺にとってもアシュレにとっても酷く幸運なことなのだと、今更痛感した。
「父親の仇をそうやって身近に置く人間を、どうしたら信用できるのか教えて欲しいものだ。もしかしてあんたがこいつらを利用して父親を殺したのか?」
俺に向けた切っ先を、今度はアシュレに向かって突き付ける。アシュレの顔はまだ蒼白なままだったが表情は落ち着いていて、まっすぐにアメデオを見据えている。
「確かに前王ロサード・エストレージャは私の父親だが、彼の行為は恥ずべきものだと私は思っている。彼の失脚はその政に不満を覚える者たちが増えた結果だ。そして彼らのことは――」
アシュレはそこで行ったん言葉を切り、俺の方を向いた。アメデオがつられて俺へ視線を寄越し、そしてゆっくりとまたアシュレを睨む。
「求める思想が同じだった故、こうして私の手伝いをしてもらっている。立場の違いだけで放り出すには惜しい人材たちだったのでな」
「父親を殺した人間だぞ!」
「アメデオ・トーイ」
興奮して叫んだアメデオの名をそっと呼ぶと、アシュレはふっと肩の力を抜いた。そしてちょっと伏し目気味に俯くと、きゅっと握っていた拳も緩んでその片手がゆっくりと前髪をかきあげた。
そんなアシュレの仕草を見るのは初めてだった。迷っているのか、怒っているのかわからない。
「お前にとってみれば、私は、非常に薄情な人間なのだろうな」
ぽつりと言ったその声は今までのものとは違って細く、柔らかかった。
「私は父を愛してはいたが、彼の政は間違っていることをずっと感じていた。彼自身を変えられないのならば、あのような形で地位を奪われることは――やむを得ないと思っている」
「わかるか……ッ!」
アシュレの言葉が終るか終らないかで、怒りに満ちた声で叫ぶとアメデオが床を蹴る。俺はチッと舌打ちして奴の背を追うように駆けた。
奴は、大物の得物を振り上げる分、パワーと余計な時間が必要だ。止めるためだけなら俺の方が早い。最初のダッシュが僅かな差だったがそれはすぐに縮まり、奴の腹に俺の模造刀がめりこんだ。
それでも執念で剣を振りおろそうとする奴の手元にまでは――届かない。
「アシュレ!」
俺が叫ぶのが間に合うだろうか。いや、それよりあいつは逃げようとするだろうか。くっそ、あのバカ……!
カキン、と高い剣劇が響いた。聞き慣れた音だ、と思うと同時に俺はほっとする。俺の剣とぶつかってあんな風に高く響くのは――レイピアだろう。つまり、その意味は。……考えなくてもわかる。
奴の腹にめり込んだ模造刀にかかっていた体重が急に軽くなり、奴の身体がぐらりと傾いで床に崩れ落ちた。どうやら、腹への一撃が効いたらしい。
ほっとして振り返った俺の目に最初に映ったものは、倒れているアシュレの姿だった。