10 紅白戦の勝負
ざあっと、背中が冷たくなった。セレが素早く跪いてアシュレに手を伸ばすのを俺は呆然と見ていた。手は無意識に、模造刀をぎゅっと握り締めていた。
間に……合わなかっ、た?
まさか、だ。まさかそんなこと。
「ハリー」
セレが俺を呼ぶ声は、いつもどおりだ、こんな時まで。
「大丈夫だ」
畳み掛けるように続く温かな声に、俺はやっと手足の氷を溶かされたかのように一歩、踏み出した。
「ハリー」
再度俺の名を呼んで、セレは苦笑を漏らす。その場違いな微笑みで、俺はやっとああ、もしかしてと考え始めた。
「大丈夫だよ」
「アシュレ、は……?」
いつもより妙に瞬きが多いのも、センテンスが短いのもわかってる。
「大丈夫」
もう一度、セレが笑った。そして、床にこぼれていた金髪がむくりと起き上がる――
「勝手に殺すでない、馬鹿者」
フウ、と溜息をつきながらアシュレは起き上がる。
「それとも、死んでいて欲しかったのか?」
そんな悪態をつきながら、アシュレは咄嗟に右肘を押さえた。僅かに表情に痛みが走るのを見て、セレがそこに負った僅かな刀傷を見つける。
「陛下、こちらへ。すぐに手当ていたしましょう」
セレに促され、アシュレが立ち上がる。その姿はさっきと変わらない。右肘の服がざっくり斬られて、血が滲んでいる以外は。
「……だってよ、あのタイミングで倒れたら――」
「ただ転んだのだ。まさか自分で裾を踏みつけてしまうとはな」
上着を脱いで椅子に腰掛けながら、アシュレはいけしゃあしゃあと言った。スカートの裾をちょいと摘み上げ、アシュレがセレを見上げながら眉根を寄せる。
「気が向いたのでな、いつもよりちょっと裾を長めに作らせてみたのだが……やはり咄嗟の動きには邪魔になるか」
「当然です」
セレが厳しく返すも、アシュレは意に介さない。
「このくらいの長さにすれば多少は大人びて見えるかと思ったのだが……ハロルド、どうだ?」
そう訊ねられる頃には俺もやっと平常心を取り戻し、手早く倒れたままのアメデオの両手両足を拘束し、窓から外の状況を確認し終えた頃だった。――なんとか、外もどうにかなったらしい。そういや、王座の間へ続く階段の剣戟もさっきから聞こえてこない。
どうだ、と言って長い裾を摘み上げたアシュレを横目でちらりと見、気を失ったままのアメデオからいつもの三日月を取り返して、溜息と一緒に答える。
「その程度じゃ、別にな」
「そうか? 私はなかなかに気に入っているぞ、足元にさらさらとまとわりつく感覚も悪くない」
「陛下、じっとなさっていてください」
セレがぴしゃりと言うも、アシュレは意に介さない。
「女の衣装が華やかなのもわかる気がする、ひらひらとするのはなかなかに気持ちの良いものだ」
「陛下」
「アシュレ」
俺とセレの声が重なった。アシュレは一瞬口をつぐんだものの、目は合わせない。
「アシュレ」
再度呼んでも、同じだった。真顔のまままっすぐ空を見つめている。
「アシュレ様――!」
慌しい足音と一緒にレダがそうやって駆け込んできても、同じだった。空を見つめたまま、黙っている。
レダはまずアシュレと俺たちの怪我がないかを、そして倒れているアメデオを確認してほっと表情を緩ませた。そしていつもと違う空気に気づいてちらと俺を見る。その視線に軽く頷いておいて、俺はアシュレの傍に近づいた。
膝の上で、左手が拳を作っていた。傷の手当ては終わっていたが跪いたままのセレのすぐ傍で、俺は膝を折る。
いつも見下ろしていた金色の髪。こうやってほぼ同じ位置で視線を合わせるのはどれくらいぶりだろう。
「アシュレ」
再度呼ぶと、きゅっと下唇を僅かに噛む。表情は、変わらない。レダが歩み寄ってきてやはり俺の少し後ろに跪くのがわかった。セレがそっと手を伸ばして、拳の左手に自分の左手を乗せると、アシュレの体がびくりと小さく跳ねる。
そしてやっと――いつもよりも数段か細い声で、アシュレがぽつりと言った。
「私は……お前たちを憎むべきなのか?」
いつもまっすぐに自分の信念を持っているアシュレにしては、酷く弱気な問いだった。いや、いつもが持ち過ぎなんだろう、この歳でそこまで理解していなくたっていい。
「お前たちは確かに父を殺した――私は、それを、憎むべきなのか?」
握り締められた拳に重ねられたセレの手を見つめながら、アシュレが言った。
「父を愛していたのは本当だ。私にとって父は彼ひとりだ。ときどき、思う。父がいてくれたらと。しかしそれは悪政に満ちたロサード・エストレージャではないのだ。ロサード王が王位を退いたことについては今でも正しいことだと思っている」
もしかしたら泣き出してしまうのではないかと思うほど、アシュレは細い声だった。
セレが重ねた手が、温かいといい。奴も俺も、レダも、それからカルもティアもイヴも、皆きっとわかっている。
「けれど、あの男は私の父なのだ――」
ぎゅっと目を閉じて、押し出すようにそう言ったアシュレはそのとき、歳相応のただの女の子だった。王という鎧もなく、政という責務もなく、ただひとりの、ロサードの娘。たとえどんなに私利私欲に走った王であっても、アシュレにとってはたったひとりの父親だ。
――もし、ロサードが王ではなかったら。もし、良き政を掲げる王であったなら。もしも俺たちがあの月齢14.9の夜に革命を起こさずに済むような、そんな良き王であったなら、アシュレから父を奪うことはなかったのかもしれない。それは誰にでも言えることだ、王妃にとっての夫を、兵士にとっての主君を。
受けとりようによっては、俺たちが悪にもなり得る。王を殺し、その娘を王座に据えて周囲を取り囲み操って国を手中にしたと、そう思われることだってあり得る。
アシュレはずっと、俺たちを信頼してくれた。俺たちもずっと、アシュレに敬意を払っていた。――こんな風に、泣かせることだけはしたくなかったのに。
「アシュレ様」
アシュレの左拳に重ねられていたセレの手に、そっとレダの手が重なる。顎を引いて俯いたまま、アシュレは何も言わない。
「お父上を慕うお気持ち、わかります。そしてアシュレ様のお立場も、お気持ちも」
レダの声は穏やかだ。彼女も出生の真実を知った後は酷く狼狽したりもしていたが、吹っ切れてからは違う。
アシュレもそれを知っている。レダが、自分の本当の父親が誰なのかを知っていることも、そしてその血を分けた男と戦わなければならなかったことも。
アシュレよりもレダの方が、父への憎しみは大きかったかもしれない。それでも、やはり感情は重複する。苦しくなかった筈がない。それは、俺たちが良く知っている。
「アシュレ、俺は――ロサードを倒したことを、悪いと思っていない。ヤツは討たれるべき男だったし、俺たちがやったことは、あのとき出来得る最善だと思ってる」
金色の頭が、かすかに頷く。そう、わかってはいるのだ、頭では。
「が、お前から親父さんを奪っちまったことについては――憎んでくれてかまわねぇ。俺はお前に対してはそのことで責任をとる用意は、いつでもある」
もし、アシュレが公平な精神の持ち主でなかったら、今度は俺たちがアシュレの刃を向けられる立場に在ってもおかしくはない。王ではなく、ロサード=エストレージャというひとりの男の命を奪ったことに対しては、俺に責任がある。その事実を責められれば、俺は謝罪するしかない。
金色の髪が僅かに揺れて、アシュレが呟いた。
「お前たちを……憎む――?」
さらさらと髪が揺れる。
「憎む――憎める筈がないだろう! お前たちは私が、最も信頼を置く者たちだ……」
涙は見えなかった。いや、今まで一粒さえ見たことがない。アシュレはそれを酷く嫌がっているのだと、今、気づく。
「政についてなら、何を言われても構わぬ。私は私の信じているやり方で国を治めていくつもりだ。――しかし」
けれど、俺にはアシュレが泣いているように見えた。レダと、セレの、重ねたてのひらの下にある拳はまだぎゅうと握られたままなのだろうか。
「私は、父を、見殺しにしたのと同じなのだろうか……?」
たぶん、アシュレが今まで最も蓋をしたかった疑問はそれだろう。
王としてのロサードではなく、父親としてのロサードを、娘の立場である自分が救わなかったこと。しかも父を亡き者にした張本人たちを自分が信じていること、その矛盾。
俺たちならば、そんな矛盾は最初から承知の上だ。イヴは最後まで完全にそこを片付けたとはいえなかったかも知れねえが、でも彼女は割り切っていた。
アシュレは――まだたった十五の少女にそれを望むのは、無理な注文なのかもしれない。本人が望むからこそ、理性だけで割り切れない部分がひずむ。
「陛下」
こんなとき、やわらかく諭すのはセレの得意とするところだ。俺が奴に敵わないのはこーいうところだろう、と今更ながら苦笑する。
「そんなことはありません。親は子の幸せを願うことがあれど、思い悩ませることは望まない筈。ロサード前王とて、例外ではありません」
例えば、命がけでセレとセルリアを逃がした奴らの両親が今何を望んでいるかということを。彼らはきっと、二人の子が自分たちの死を思い悩むことは望まない。幸せに暮らすことだけを望んでいるだろう。
俯いた金色の頭が微かに上下に揺れ、頷いたのだとわかる。俺はそこへぽんと手を置いてくしゃくしゃっと撫でつけた。指に、金色が絡まる。
俺に言えることは何もない。ただ、もしアシュレが俺を――俺たちを必要とするのなら力を貸すということだ。それは同時に、もしもアシュレが憎しみを抱くのなら対峙しようという意味でもある。
迷うのは当然のことだ。迷うなとは言わない。俺たちはただ、アシュレの思いを信じて傍にいる。
「ハリー様っ、大丈夫ですかっ?!」
慌しい足音と扉にぶつかる音とそんな大声が突然飛び込んできて、俺は小さく溜息をついた。飛び込んできたイヌは、俺を視認するとふと頬を緩めるが、俺の後ろにアシュレとセレとレダを見つけてぴしっと背を伸ばした。
「あ……ご無事でなによりです!」
その後方でがやがやと近衛兵が忙しく動き回っているのを見て、俺はもう一度溜息をつく。今度はわかりやすく。
「俺、外見てくるわ」
セレたちにそう言うと、俺は改めてデイルに向かって言う。
「デイル、そいつ連れてけ。――オイ、手ぇ貸せ!」
倒れているアメデオを顎で指し、王座の間の外へ向かって声を張るとすぐさま数人の近衛兵が駆け寄ってくる。
「ハロルド」
連中に俺も手を貸していると、俯いたままだと思ったアシュレから思いのほかしっかりとした声で呼ばれて振り返る。いつもの、顔だ。
「すべて終わったら私の部屋へ来い」
「……リョーカイ」
ニヤリと口角を上げ、ついでに軽く右手を上げた。
俺が外へ出た頃はだいぶ片がついていた。反乱軍は捕らえられ、必要な情報は聞き出されていた。アジトの場所、人数、関与している人間など。
ジェイクから相変わらずの細かい報告を受けて、捕らえた反乱軍は治療な必要な者以外は牢につなぐように指示し、怪我をした近衛兵たちひとりずつその度合いを確認し、アジトの場所に小隊を向かわせると俺は指示徹底をジェイクに任せて城内に戻った。
戦闘によって傷ついた壁や調度品の類はだいぶ片付けられ、ところどころに跡が残る程度に修復され始めている城内はなんとか落ち着きを取り戻しつつあった。
反乱軍にも近衛兵にも命を落とした者がいなかったのは幸いだった。重傷者は数名いたが、命の危険はないだろうとの医者の言葉に俺はほっと胸を撫で下ろす。キールの肩の傷が酷かったのはちょっと気にかかるが、幸い神経はヤられてなかったんで大人しくしてれば元通りになるらしい。あいつはまだ若いし、大丈夫だろう。んじゃま、ご機嫌伺いに行くか――
アシュレの部屋には、セレとレダも待っていた。分厚い書類をぱらぱらとめくりながら、アシュレは俺をちらとも見ずに「御苦労」と言ってそのまま書面をめくり続ける。
俺が訝しげに首を傾げると、レダが寄ってきてこっそり耳打ちした。
「城内の修繕リストを大まかに出せって仰って」
「……やーな予感」
俺が溜息交じりに答えるとレダはくすっと笑ってぽんと俺の肩に手を置き、口の動きだけで『お気の毒』と告げると茶器を手に部屋を出ていく。セレと目が合えば、奴も苦笑を漏らして小さくお手上げの仕草をした。
「おい、アシュレ」
「ハロルド=ヴェンセル」
俺が声をかけると、アシュレは遮るように俺のフルネームを呼び、手にしていた書類を乱暴に机の上に放り出した。
「反乱軍の情報を、何故連絡しなかった」
「知らねぇモンは報告のしようがねえな」
俺の返事を予想していたかのようにアシュレは顔色ひとつ変えず、滑らかに次の言葉を口にする。
「では質問を変えよう。何故、お前たちが真剣を持っていたのか、その理由を聞かせてもらおうか」
「いつ何時何があるかわからないんでね」
「ハリー」
セレが諦めたように小さく首を振る。どういう意味だ、と眉根を寄せるとアシュレが書類の束から数枚を抜き出した。
「キーファル=モリナに指示をして、城内の武器保管庫を破らせたのは何故だ?」
おっと、キールの奴、バレてんじゃねぇかよ。あいつの盗みの腕も落ちたもんだな。手にしていた書類を一枚一枚めくりながらアシュレは続ける。
「反乱軍だ、と叫んだとの報告も上がっている」
最後の一枚を読んでそう言うと、アシュレは腕を組んで初めてそこで俺を見た。
「お前が本気で私に背くつもりだったのではないか、との指摘が上がっておるのだが」
「……はぁ?」
思わず間抜けな声が出ちまった。セレはやれやれといったように散らばった書類を拾い集めて机に置き直すと、アシュレに向かって言う。
「陛下、ですからそれは大臣たちの誤解ですと何度申し上げたら……」
「誤解なのか? では何故、反乱軍の情報がきておらぬのだ? 城の武器保管庫まで破る必要がどこにある?」
「いや、あの……」
あまりの剣幕に俺は何をどう返そうか迷い、結局何も言えなかった。
馬鹿馬鹿しい、あのジジイども阿呆なことアシュレに吹き込みやがって、よっぽどヒマなんだな。それにしても、今までのアシュレならそんな言葉に耳を貸すようなこともなかったはずなのに。
「良いか、ハロルド。よく聞け」
アシュレがどさりと椅子に腰掛ける。その拍子に崩れた書類をセレが拾い集める。……普段は滅多にそんなことしねえのに、どうしたってんだ、まったく。
「私は父王を殺めたお前たちをこうして側近に使っている」
今まで以上にストレートな言葉に、俺はちょっと息を飲んだ。セレもどきりとしたらしくアシュレを見つめる。
「そのために生じる誤解や軋轢は、もともと存在しない筈のものだ。しかしそれが存在するこの現実ならば、とるべき道はただひとつ」
……なんとなく、嫌な予感がするのは俺だけか? アシュレが公務でこんなに苛立った様子だったり権力を振りかざすことは珍しい。
「僅かな誤解も矛盾も生まれぬよう行動しろ。個人判断は許さぬ。誰が見てもお前たちが私に忠誠を誓っているとわかるように、行動で示せ」
「行動で示せって……」
思いもよらないアシュレの言葉に、俺は鸚鵡返しでそう訊ねるしかなく、アシュレはそれを受けて軽く頷くと別の書類を取り上げて読み上げた。
「向こう二ヶ月、お前は城内勤務だ。今回の模擬戦闘報告書と一緒に城周りの破損調査書、修繕計画書、見積実行予算書の作成、怪我人の診断書と休職手続、それから近衛兵の編成計画書と養成教育準備、訓練計画表と進捗報告書、そしてちょうどいい、城内武器の在庫確認と一覧表の作成、ついでに厩の分も在庫管理と育成計画書を作成しろ」
ちょ、ちょっと待て、なんだそのムズカシイ書類の名前の一連は! 一度聞いたきりじゃ覚えられるわけねえっての!
「きちんと辞令とともに作業命令書を出すから心配するな。セレスト、必要な書類整理があったら追加しろ」
「はい、陛下」
苦笑を堪えつつ、セレが頭を下げてそのナントカ一覧書を受け取る。アシュレは次の書面を読み上げる。
「あとはお前の部下たちの分だ。オーベルとマティスは城内見回りの夜勤を命ずる。向こう二ヶ月間、休暇無だ」
見回り夜勤ってな、警護の中でも一番体力的にキツいとこじゃねえか! しかも休暇なしって……オイ。
「次、モリナ。階級降格。次の近衛兵昇格試験の受験資格を剥奪」
おいおい、キールはやっと試験を受けられるって喜んでたのによ……
「フォリッジ、メイフィールドは昇格試験は合格済みだが……一年昇格猶予を取る」
うわあ、ランシアがドタマにくんだろーな……文句タラタラな姿が今から目に浮かぶぜ。グランは気にしなさそうに見えるが、寝込みをクロウで襲われねえようにしよう。
「さて、ウォーバートン」
ひらりと最後の一枚を手にすると、アシュレは無表情のまま読み上げる。
「ティラードの駐屯地へ移籍。妻子帯同は禁止」
「ちょ、ちょっと待て!」
最後、ジェイクの酷い扱いにたまりかねて俺は意義の声を上げる。が、一向に意に介した様子も見せないアシュレは辞令書をセレに手渡しながら「何だ」と答える。
「待ってくれ、俺はともかく奴らの扱いが酷過ぎねえか。大臣たちに忠誠を示せばいいのは俺だろ? 連中には関係のないことだ」
「そういうわけにはいかぬ。罰は罰だ」
「俺が命令したから連中は動いただけだ。責任罰を俺に追加すればいい」
「なるほど」
アシュレがやっと俺と視線を合わせる。そしてニッコリ笑うと、傍らのセレストを見上げて訊ねた。
「とのことだが、何を追加する?」
「そうですね、近衛精鋭隊長の代役などいかがでしょうか」
「ほう」
アシュレの瞳が楽しそうに細められた。一方で、俺は脂汗が滴り落ちる。マズイ、嫌な展開だ。
「それはいい考えだ。お前たち、まだ新婚旅行も行っていないだろう? 引越だってサラひとりで少しずつやっているそうじゃないか。まとめて休暇を取って、すべて片付けてしまえ」
「ありがとうございます、陛下」
「結局、俺が貧乏くじ引いただけじゃねえか…!」
はぁ、と溜息をつくとセレがにこにこと紅茶のカップに手を伸ばす。
「仕方ないね、花瓶が無事だったのだから」
「ずっりーな……」
俺は首もとのボタンを外して大きく溜息をつく。
あのあと、アシュレは俺の処遇が確定したあとで
「そういえば、今回の模擬戦闘だが」
と、如何にも忘れていたかのように話を蒸し返した。
「お前たちの負けだな、ハロルド」
「勝ち負けもねえだろう、今回は反乱軍が」
「花瓶は無事だっただろう?」
ニヤリと勝ち誇ったように頬を染めたアシュレが随分と楽しそうだったんで、俺はそれ以上反論する元気をなくして白旗を揚げた。
くっそ、デイルに花瓶割っとけって言っときゃあ良かったぜ。そのおかげで俺の追加業務に「城内勤務中は制服着用!」がくっついて、くたびれるったらありゃしねえ。
「ハリー、これは至急で、今日中に仕上げてくれ。夕刻陛下が確認されるそうだから」
「至急? なんだそれ?」
ぺらりと差し出された書類を手にとって読み始めると――
「オイなんだよ『新婚旅行壮行会』って! 勝手に行きやがれ!」
「陛下が、私の慰労会の代わりにって」
セレは悪びれた風もなく紅茶を飲み干すと、「コレ、明日開催だからね」と釘を刺す。俺はもう今朝から何度目かわからない溜息を深く深くつくと、書類の山に突っ伏した。
「俺が慰労して欲しいぜ……」
Fin.




