第四話:国家予算級の鍵と、バニー鎧の近衛騎士
「ギャッ……!?」
「アガッ……!?」
カジノ酒場『ホワイト・アロー』に、短い悲鳴と肉を断つ音が響き渡る。
次の瞬間、ヤギルニアン辺境伯本家が放った数十人の精鋭隠密部隊は、一度もまともに刃を交えることすらできず、全員の武器と防具をズタズタに切り裂かれて床に転がっていた。
「……ふぅ。これで全員か。フィオナ、入り口のドアの弁償代、こいつらの財布からきっちり引いとけよ」
ゼノンは左手一本で黒鉄の魔剣をサヤに収めると、何事もなかったかのようにふいっと息を吐いた。
「な、ななな……何者なのよ、あんた一体……っ!?」
その光景を特等席で見ていたゲオルグの恐妻ヘレナは、驚愕のあまり綺麗なアゴを外れんばかりに開けて腰を抜かしていた。
彼女はこれでも元・王宮の近衛騎士だ。今ゼノンが見せた神速の抜刀術が、全盛期の近衛団長すら遥かに凌駕する『伝説のSSS級暗殺者』の領域であることくらい、嫌でも理解できてしまった。
「ああ、ヘレナ。紹介するよ、僕の飲み友達のゼノンさ! 凄いでしょ?」
「凄いでしょうじゃないわよこのバカ夫ーーーッ!! なんでそんな歴史の特異点みたいな化け物と呑気にエールを酌み交わしてるのよ!?」
ヘレナの絶叫が響く中、女主人のフィオナが大きな土鍋を抱えて厨房からやってきた。
「はいはい、喧嘩はおしまい! ほら、冷めないうちに特製ポトフを食べちまいな。ドアを壊した悪党どもはゼノンが片付けたんだ、アンタたちも今日はお腹いっぱい食べるといいさ!」
「お母ちゃんのポトフ、世界一美味しいんだよ!」
ロビンが嬉しそうにスプーンを配る。
湯気と共に広がる、極上の肉と野菜、そしてハーブの優しい香り。
ヘレナは警戒しつつも、差し出された器のスープを一口そっと口に含んだ。
「――っ!? おいしい……。何これ、王宮の晩餐会で出されるスープより、ずっと身体に染み渡るわ……」
「だろ? フィオナの飯は最高なんだ」
ゼノンが不器用に笑いながらロビンの頭を撫でる。
その隣では、ロビンが大事そうに抱える『精霊の水槽』――本家が血眼で探している国家予算級の魔導器の中で、精霊がポトフの温かさに喜ぶようにピカピカと輝いていた。
(……この人たち、世界を滅ぼせるレベルの力があるのに、こんな下町の小さな酒場で、ただの『家族』として幸せそうに笑ってる……)
ギスギスした辺境伯本家の権力闘争に疲れ果て、追放されて拠り所をなくしていたヘレナの心が、その温かい光景にゆっくりと解きほぐされていく。
「……決めたわ」
ヘレナはポトフの器を置くと、キリッとした表情でフィオナを見つめた。
「私、この店で働くわ! ゲオルグのギャンブルの借金もあるし、実家からの追撃をこの目で監視するためにも、ここに居座らせてもらうわよ!」
「お、おいヘレナ!? 僕の意見は――」
「あんたは黙ってなさい!」
こうして、元近衛騎士のヘレナも『ホワイト・アロー』に居座ることが決定したのだった。
◇
数日後。酒場の雰囲気はガラリと変わっていた。
「さあさあ、張った張った! 次の魔導ボウガンの弾は、火属性か水属性か! 倍率は3倍よ!」
店内に響き渡る凛とした美しい声。
そこには、フィオナが用意した『王都で大流行中のバニーガール』をモチーフにした、露出度の高い黒いレオタード風の「バニー魔導鎧」に身を包んだヘレナの姿があった。
頭には可愛いウサギの耳、しかし腰には近衛のレイピア。最強の「ご近所付きアイドルディーラー」の誕生である。
「おおお! ヘレナちゃん今日も可愛い! 頼む、俺は火属性に全チップだ!」
下町の冒険者やカジノ狂いたちが、鼻の下を伸ばして次々とカネを賭けていく。
「フハハ! 今日こそは僕の天才的な勘が冴え渡るはずさ! ヘレナ、僕は水属性に全財産の10ゴールドだ!」
カウンターの端で、ゲオルグが自信満々にチップを差し出した。
「はい、ハズレ。火属性の勝ちよ。……あんた、これで今月5回目の破産ね、ゲオルグ?」
ヘレナの額に青筋が浮かぶ。
「えっ? あ、あれ……? おかしいな、計算では完璧に当たるはず――ひえっ!?」
「いい加減にしなさーーーーい!!」
ドゴォン!!!
ヘレナの強烈な鉄拳(近衛仕込み)がゲオルグの脳天に炸裂し、ゲオルグはそのままカジノレーンの床へ垂直に突き刺さった。
「あーあ、ゲオルグの旦那、またやられてら」
ゼノンは眼帯を弄りながら、呆れたように黒エールを煽る。
「お父ちゃん、ゲオルグおじちゃん、今日も綺麗に埋まってるね!」
ロビンが例の水槽を抱えながらクスクスと笑った。
ゼノンを追放した王立暗殺ギルドが内部崩壊を起こしていようが、ヤギルニアン辺境伯本家が「マスターキーはどこだ!」と発狂していようが、今のこの店には、これ以上ないほど賑やかで幸せな日常が満ちていた。




