第17話 忘れてはならない者達
「さあ、もうすぐアネモネが奪った辺境伯の夫人の座が来る。
私の美貌も何もかも戻ってくるのよ!!」
隔離病棟の一室。
かつての美貌が崩れ落ち、包帯を顔に撒いた女が狂ったように笑う。
収監された患者たちを殺害し呪術の贄とし、異変を察知した医師や看護師、見張りまでも死の精霊に殺させたロベリア。
彼女は全てを手に入れていた。
貴族という身分も、美しい容姿も、両親の愛も、みすぼらしい妹の唯一の取り柄の刺繡も何もかも。
果ては、貴族令息達はこぞってロベリアという花を愛で愛した。
何時か、公爵夫人になるのが夢だった。
令息の中には王弟の嫡男も居たが、彼の住む場所は国境近い辺境で魔獣も多く野蛮だ。
だから、みすぼらしい妹に押し付け、王都で男たちを物色することにしたのだが。
辺境伯との縁談の話で、リシャール子爵領に戻っていた折。
隣領のエルフォード子爵領に隣国の王子が来ていると聞いて、ロベリアは舞い上がった。
辺境伯夫人ではなく、王家の仲間入りができる!!
グリンホルン共和国第二王子ヴィルヘルム殿下。
所詮は子爵家から隣国に降嫁した令嬢の産んだ王子だが、顔と身体が良い。
あの太い腕で抱かれるのはさぞかし心地よいだろう。
何より、臣籍降下した辺境伯と違って、王宮での暮らしが約束される。
出自は低いがれっきとした王子。
王家の金と男に困らない生活を送れるのだ。
それは、すべてが崩れ始める前の、まだロベリアが自分の美貌と才覚を疑っていなかった頃の話。
隣国グリンホルン共和国の王子がエルフォード子爵領の墓所へ、曽祖父母の墓参りのためにお忍びで訪れているという。
その噂を聞きつけたロベリアは、これは千載一遇の好機だとばかりに胸を躍らせた。
彼女の頭の中は、すぐさま王族の妻となる自分。
王宮で蝶よ花よと愛でられる自分、そして、己が撒いた悪評で辺境伯に冷遇されるアネモネを見下す自分でいっぱいになった。
ロベリアは幼い頃から、自分の美貌こそが最大の武器だと信じて疑わなかったのだ。
(あの女たらしの王子を籠絡して、私こそが次の王妃に――)
ロベリアは、未だ婚約者の居ないヴィルヘルム王子を『女好き』と認識していた。
単に戦後処理や元王太子の不始末でアーチバルド王子が立太子し、地盤を固めるまで余計な不和を生まないための対処ではあるのだが。
馬鹿げた妄想が、彼女の足を夜の闇へと駆り立てた。
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王子が逗留する館は、辺境の静かな宿だった。
護衛こそ控えているものの、お忍びゆえに警備は最小限。ロベリアはリシャール子爵家の伝手を使い、宿へ入り込んだ。
夜半。月明かりすら雲に隠れた暗い廊下を、彼女は香水の匂いを振り撒きながら進む。
はだけた胸元、薄絹の寝間着に似せた衣装。勝算は十分のはずだった。
(男なんて、結局は見た目と甘い囁きで落ちるのだから)
王子の寝室の扉の前まで来たとき、彼女は勝ち誇った笑みを浮かべた。
しかし、その先は思い通りにはいかなかった。
「……何者だ」
低く、冷たい声が廊下に響いた。王子の寝室の隣室から、護衛騎士が音もなく現れる。その鋭い眼光が、薄暗がりの中でもロベリアの姿をはっきりと捉えていた。
「お待ちください、私はただ王子様にご挨拶をと……!」
蒼いツーブロックの長い髪を結わえた騎士の目が、彼女のはだけた胸元を一瞥し、吐き捨てるように言った。
「……ふざけた真似を。お前の身体からは、病の匂いがする」
「なっ……!」
「性病だな。それも相当に進行している。殿下に近づくなど、万死に値する」
その言葉に、ロベリアの顔が真っ青になる。
発疹はあったが今は治った。問題ないはずなのに。
「違います! 何かの間違いです! 私は清らかな……」
「清らかな令嬢が、夜中に男の寝室へ忍び込むものか」
護衛騎士の声は氷のように冷たかった。
「王子には近づけさせん。おい、この女を拘束しろ」
「お待ちになって! お願いです、お会いするだけで……!」
「それ以上、近づくな」
静かな声が、廊下の奥から響いた。
いつの間にか、王子本人が扉の向こうに立っていた。真っ赤な紅色の髪と深碧の瞳、がっしりした体躯の男。だが、その瞳には一片の温情もない。
「私の曽祖父母の墓参りにまで、穢れを持ち込むか」
「ひっ……!」
王子は淡々と言葉を続けた。
「護衛の言う通り、お前の身体は病に侵されている。治療を拒んでここまで進行させたな。その上で、私に近づこうとした。……これは、共和国への侮辱とみなす」
「お、お許しを……!」
「許すも何も、私にはお前を裁く権限はない。だが、相応の対応はさせてもらう」
王子は護衛騎士に目配せした。
「この女をカルディアの王城へ突き返せ。そして、王へ報告書を送れ。リシャール子爵家の令嬢が、性病を隠して王子に夜這いを仕掛けたと」
「はっ」
そう言い残し、王子は静かに扉を閉めた。
その後、隔離病棟に入れられたロベリアは、おぞましい所業に手を染める。
今まで通り、ロベリアの望むものはすべて手に入ると疑わなかった。
――その狂気を止めるべく、死神が迫る事も知らずに。
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バタバタと騒がしい音がしたが、直に静寂に包まれる。
はー、と。王子はため息をついた。
「俺が、弔ってやらないといけない娘が居るんだよ。
……俺が、名前を覚えていないといけない子が……居るんだよ。」
ヴィルヘルムは、エルフォード子爵領に少しの間滞在するつもりだった。
闖入者の件もあり、そちらの対処もせねばなるまい。
曽祖父母の墓参りは、表向きの理由に過ぎない。
本当の目的は、最愛の人に忘れられることを対価に、復讐と救済を成し遂げ、この地に眠る『彼女』の弔い。
そして、勇者の末裔ハンクシュタイン一族の長の狂気で全てを失い、名も家族も失い影の様に生きるあの子らを忘れない為。
キリアン。アイビー。
今はそう名乗る彼女らの本当の名を知る者は、今や限られている。
兄であるキリアンは兎も角、彼女は本当の名を覚えてもいない。
キリアンとは、とある薬屋の店番と客の体で、アイビーの記憶の欠如について話をしたことがある。
「目の前で、母は縦に両断された。臓物と血の匂いを堪え、アイビーを連れて逃げた。
親族が死肉になっていく中、父は隠し通路を自分の身体で塞いで逃げる時間を稼いだ」
それは、ハンクシュタイン家の血の惨劇のおぞましい惨状だった。
「父は死んでも倒れなかった代わりに、父の苦痛の声が通路を反響してずっと聞こえていたよ。
……一時期は、俺もアイビーに拒絶された。
何故か俺は、一族の当主に似ていたから。
だから定期的に髪を染めて、3年くらい経ってようやく落ち着いて交流できるようになった。
あいつ、こっちが俺の地毛だって思っているんじゃないかな」
自嘲するようにキリアンは赤みがかった黒髪を弄った。
その髪染めや他の事情でこの薬屋に厄介に成っているという。
キリアンは生き残りの一族や祖国の動向を知るべく、冒険者を続けている。
そして、アイビー。
彼女は自らの名を捨て、ハンクシュタイン家の血の惨劇で死んだ者達や、天寿を全うした他者への墓守として生きる道を選んだ。
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ヴィルヘルムは、エルフォード子爵領の外れに広がる深い森を、一人で歩くことを望んでいた。
あの頃、彼女らと共に過ごした森と、この地の森はどこか似ている。木々の匂い、風の音、足元に積もる枯れ葉の感触。それらが、遠い記憶を呼び覚ます。
その全てが血の匂いに染まり、立ち入り禁止の区域となった。
彼女とキリアンは死んだことに成っている。
殺戮と火災で、幼い子供ほど遺体が残らなかった。
多くの血族は小間切れになり、原型すら残っていなかった。
いや、たった二人だけ、身元はすぐに判明した。
一人は、ハンクシュタイン家当主。
自身の手で首を掻き切ったので、遺体は綺麗だった。
一人は、戦士の家の当主。キリアンとアイビーの父親。
斬られ、刺され、抉られ、潰され、臓腑を引き出されても。
彼は壁を背に、立ち往生で死んでいた。
偽りの勇者ハンクシュタイン家は忌まわしいものとして、語る事も禁忌とされた。
今でも生き残りは僅かにいるが、影をひそめるように暮らしている、
(彼女は今、どうしているだろう)
共和国に戻れば、王子としての責務が待っている。
それでも、この地に留まりたかったのは、紛れもなく彼自身の我儘だった。
(俺は、君たちに何もしてやれなかった)
臣民を守ると誓っておきながら。
肝心な時に、君たちの幸せは砕かれ零れ落ちていく。
己の不甲斐なさが悔しくてたまらない。
(俺は忘れていない。……忘れない)
その思いを胸に、ヴィルヘルムは曽祖父母の墓前に立った。深碧の瞳を閉じ、ただ静かに祈る。
理不尽に大切な者を奪われた民よ。
(この時間だけは、見逃して欲しい)
「――母の生家で、他国で、彼女すら忘れた名を……ここでだけ、語る事を」
護衛の騎士たちには聞こえないほど小さな声で、彼はそう呟いた。
風が、森の方から吹き抜ける。まるで、彼女の気配が応えたかのように。
(また、会える日が来るのだろうか)
答えはない。
一度会った時は、彼女は自身を不浄の者と言わんばかりに俯き、背を向けてしまった。
ヴィルヘルムはこの地を去ることを躊躇った。
だが、王子としての責務が、それを許さない。
(俺は、お前に会いたい。共に居たい)
けれど、その願いが叶わぬことなど、彼自身が一番よく分かっていた。
彼女は、自分の意思で『アイビー』として生きた。
ヴィルヘルムはそれを尊重しなければならない。
静かに生きることを望む、彼女の邪魔にはなりたくない。
風が、再び吹いた。彼の紅色の髪を揺らし、深碧の瞳に木漏れ日を落とす。
「それでも俺は、待っているからな」
どれ程辛い記憶があったとしても。
君たちが、両親と共に生きた故郷に帰れることを。
君たちが戦士の矜持を今も忘れていないから。
そうなるように、義兄上と共に国を纏めていこう。
それは、誰に届くでもない、けれど確かな約束だった。
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墓参りを済ませたヴィルヘルムは副官から報告書を受け取っていた。
「あの侵入者はロベリア・リシャール子爵令嬢――リシャール?
確か、祖母の友人の……アネモネ・リシャール子爵令嬢の生家だったか」
「ですが、あの女は随分と悪評を流しておいででした。
先日あの女の信望者のジャレッド・ラングハイム辺境伯に、アネモネ嬢は嫁いでおります」
「姉の代わりにか?……嫌な予感がするな」
ベリオドールに拉致され、体調を崩していた祖母は回復し、数か月後には帰国する。
「リシャール子爵家について調査を。事と次第ではラングハイム辺境伯に俺から書簡を送る」
少し悩んだが、魔道映像を介して祖母にもその旨を伝えた。
思う所があったのか、不安げに、それでも笑顔でアネモネ嬢への贈り物を選ぶと告げた。
『ヴィルヘルム。……我が儘を言っていいかしら?』
「もちろん。大切な友人なのだろう?」
ラングハイムがアネモネ嬢を受け入れたならば、むしろ辺境伯の特になるものを祖母に贈らせることにした。




