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終章 物語の続きを考えよう

 翌日の学校は、極めて普通だった。登校する私も、クラスのみんなも普通。教室に行ってみても、地下室への入り口なんて見当たらない。


 昨日、私と大通おおみちくん、宇野さんの三人は、地下から出た後、急いで家に帰った。

 急に姿を消してしまった語部かたりべ先生のことを思うと、自分たちが何かとんでもないことをしてしまったんじゃないかという不安があった。そしてそれ以上に、学校の他の先生たちもまた、語部先生のような人間なんだろうかという疑惑が頭を離れたかったからだ。

 家に帰ってベッドに入っても、まったく眠れなかった。翌日、どんな顔して学校に行けばいいのか、私たちは安全なのか、無事に過ごせるのか――そういった不安材料が私の眠りを妨げていたから。


 けれど、いざ来てみれば、いつもと変わらない教室の空気があった。

 誰も何も変わった噂なんてしていない。語部先生の「か」の字も出ていない。

 私はホッと息を吐くと、その足で宇野さんの席へと向かった。


「おはよう、宇野さん」


 私が声を掛けると、宇野さんは読んでいた『新見南吉童話集』から目を放し、こちらを見上げた。


「いいの?」と宇野さん。


「何が?」

「あまりこういうところであたしと話さない方が良いんじゃない?」

「そういうのはいいの、もう」


 私はチラリと周囲を確認しながらも、そう言えた。ココちゃんが遠くから私を見ているのが分かって、心臓が鳴ったけど――――いいのだ。


「昨日はありがとう」

「あたしは何もしてないけど」

「そんなこと無いよ。宇野さんがその本を持ってなかったら、どうなってたか分からなかったもん。偶然でも何でも、ファインプレーだよ」

「そう……かもね」


 宇野さんはゆっくりと言葉を吐いた。その表情は、何とも落ち着いている。


「なに話してるんだ?」


 私たちの会話に、突如加わる男子の声。たった今登校してきた大通くんだった。


「昨日のこと。……ねっ?」

「まあ、そんな感じ」


 同意を求める私の問い掛けに、相変わらず言葉少なに答える宇野さん。


「宇野さんって、全然笑わないんだな。ちゃんと感情とかあるのか?」


 大通くんが凄いことを言い出した。「んへっ」と変な声を出してしまう私。


「なっ――失礼! あたし、今ちょっと笑ってたでしょ!?」


 宇野さんが抗議の声を上げる。というか、今、笑ってたの? 本当に分かりづらい。


「え、マジかよ。江藤さん分かった?」

「えーと……ちょっと気付きにくい、かな……?」

「なにそれ……もう、あなたたちって最低」


 宇野さんは片頬をやや膨らませて怒りを見せたけど、どうやら本気ではなさそうだ。その証拠に、ほら今、息を吐いて口元が緩んだ。


「あ、今笑った? 今のはちょっと分かる」

「お、マジだ。もう一回笑ってくれ、もう一回」

「うるさい! 何なのあなたたち、もう……」


 私たち三人の笑い声が教室に響いた。

 その時だ。


「真名ちゃんおはよー」


 私に声を掛けてきたのは、みーちゃん。


「あっちでお話し、しよっか」


 みーちゃんは私の手を引いて、ココちゃんの元へ連れていく。やっぱりそうなるよね。

 私は数人の女子に囲まれて、席に座るココちゃんの真正面に立たされた。


「仲良いんだ?」


 席に座るココちゃんが、笑顔で尋ねてくる。


「うん……仲、良いよ」


 胸の壁を叩きつける心臓。でもこれで良い。生きるのをサボっちゃ、ダメだ。


「真名ちゃんは、『あっちの人』になるんだ?」


 ココちゃんの言葉は、国語の試験だ。でも、こんな試験にまともに乗ってはダメなのだ。

 正解も不正解も無い。前提が間違っているのだから。


「あっちの人も何も、関係無いよ」

「は?」


 私の返答に、ココちゃんの声が少し大きくなった。


「私は、話したい人と話すだけ。ココちゃんたちとも話すし、宇野さんとか、大通くんとかとも話す。あの二人、読書が好きみたいだから」

「カビ臭いのが好きなの?」

「趣味が同じ人と話すだけ。だから、本のことはあの二人と話すし、それ以外のことは、ココちゃんたちと話せれば良いと思う」


 私は、誰かと対立したい訳じゃない。でも、それは無理なことなのかもしれない。


「勝手にすればぁ」


 ココちゃんは鼻で笑うと、みーちゃんたちを引き連れてトイレへと消えた。

 残された私。胸の鼓動の度に、手足が震える。


 ――分かっていたことだ。


 そんな簡単に、世の中が変わる訳ない。私が本音を言ったからといって、それを相手が受け入れる保証なんて無い。もしかしたら、ハブられるのかもしれない。

 だから、ここからが始まりなのだ。

 今日やっと、私の人生が始まった。この不安と怖さが、生きている証拠。

 もう、生きている死体ではない。


「お疲れさま」


 そう言って、後ろから私の肩を叩く二つの手。鼓膜を包む二人の男女の声。それが誰かなんて、見なくても分かる。

 この心強さもまた、私が生き始めたことで、手に入ったものだ。


「はい、席についてー」


 教室前方の扉から声。

 見れば、見知らぬスーツ姿の女の人が、教室に入っていた。同時に、女子トイレからバタバタと戻ってくるココちゃんたち。

 みんなが席に着くと、スーツの女の人は、教卓の後ろに立って言った。


「突然のことですが、語部先生がご休職なさいましたので、今日からこのクラスの担任になります、円井まるい律子りつこです」


 まだ若いその先生は、人差し指で、眼鏡をクイッと上げ直す。

 教室がざわめいた。きっと、誰も何も、事前にそんな情報を聞いていなかったのだろう。


「えー、語部先生から引き継いだものの、このクラス、ちょっと授業が遅れ気味なので、今日は朝の会を省略して、このまま一時間目に入ります。――で、語部先生から引き継いだ仕事で、この前の算数の小テストのマル付けをしたので、今から返そうと思います」


 有無を言わさないまま、流れるように、クラスの人の名前を呼んでいく先生。

 私も名前を呼ばれて解答用紙を渡されたが、特別不審なところは無い。普通の女の先生だ。でも、いきなり先生が休職して、何の前触れもなく代わりの先生が来ることなんて、あるんだろうか?

 そうして、テスト返却がひと段落した時だった。


「先生、質問があるんですけど」


 それは、大通くんの声だった。


「なんですか?」

「問2の答えです。『6.4÷3.2』っていう問題――答えは『2』ですよね?」

「はい、そのとおりです」

「俺は『2.0』って書いたんですけど、どうして×なんですか? 『2』も『2.0』も同じですよね?」

「小数点以下が0の場合は0を省略しましょう、って習ったでしょう?」

「省略してもいい、っていうだけで、必ず省略しなくちゃいけないって訳じゃないと思うんですけど」


 その時、円井先生の眉がピクリと動いた。


「今まで語部先生は、0は省略しましょうね、って教えてきたでしょ? 先生はそう聞いてますけど」

「でも、このテストの問題文には、小数点以下が0の場合はそれを省略すること、なんていう指示は無いですよ」


 大通くんの言葉に、先生の表情が固まる。まるで、感情が無くなっていくかのように。


「逆に、問題文では『2.6』だの『3.2』だの、小数点第一位を示す数字が出てきてるんだから、答えもそれに統一すべきじゃないですか? たとえ答えがぴったり『2』だったとしても、問題文に倣えば『2.0』って書くべきじゃないですか?」

「でもね大通くん、『2.0』は『2』って書く。これは決まりなんですよ」

「誰が決めたんですか? 数学的には、『2』も『2.0』も変わらないですよね? なのに『2.0』だけ間違ってるとするなんて、今まで数学者たちが積み上げてきた数学の歴史を馬鹿にする行為じゃないですか?」


 さっきとは違う意味で、教室がざわめいた。


 ああ、だからどうして大通くんはそういう風に喧嘩腰なのだ。新しい先生に対して、いきなり喧嘩を売るような真似を……。


 私が頭を抱えていると、先生は、大きく溜息を吐いた。それは何だか、氷のような冷たさを感じさせる。


「大通くん――」


 先生が彼の名を呼ぶ。同時に、教卓に置いていた真っ黒い本を掴み、握りしめていた。

 そこで私はハッと息をのむ。

 僅かに見えたその表紙には、白い文字で「生きる力」と書かれていたのだ。

 真っ黒い表紙に、白い文字。それは語部先生が持っていたのと同じ、教典『学習指導要領「生きる力」』。


「――あなたは今日の放課後、ここに残りなさい」


 先生は冷たい目を向けて、大通くんに言った。

 私は大通くんと宇野さんに目配せをし、すぐに二人と目が合う。二人とも――そしてきっと私も、顔が強張っていた。みんな、先生が持つその本に気付いていたのだろう。

 そして私の頭の中に、気持ち悪い声が浮かぶ。


 ――今から付け加える言葉として、次の二つのうち、あてはまるものを選びなさい。




 ①おわり

 ②おわらない

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