一章 大股の一歩を踏み外し 2
「……友達、辞めたんじゃなかったの?」
昨日は少女と別れ、本を買い、しかし家に着いた段階でバタンキューをかましてしまった。だから、今日は割と元気だ。むしろ上機嫌と言って差し支えない。眠くないし、何より本が理解出来るのが愉しい。
そんな夢心地に水を差したのが、この親友だった。
「いや、昨日とは打って変わって児童文学なんか読んでやがると思っただけだ」
「おすすめを教えて貰ったからね」
絶交というのは、その場の雰囲気と冗談の類だろうとは思ってはいたが……まさか一日で前言撤回して話しかけられるとは思わなかった。
(だからこその親友なんだろうけど)
「しっかしお前、本当、その子に惚れ込んでんのな」
「冗談で言える様な話でもないし」
「……そりゃそうだ。それに、いつも以上に突っ走ってるしな」
「そう?」
そう言った部分は自分では気づき辛い部分なのかもしれない。
自分を客観的に見れるような性格をしていれば、そもそも全力ダッシュなんてしないだろうし。過去の恋愛を振り返り参考にしようにも、その時の熱量だけが消え去った奇行が目立つから、追憶だけで憂鬱になってしまう。熱に浮かされた時の行動は、冷めた時にいろいろな形で僕を攻め立てるのだ。
今のこの恋愛が、過去のものなって『淡い思い出』にならない事を願いたい。
「先ず、行動するのがいつもより早いじゃん」
……言われてみれば、そうだったかも。全力で駆け抜けるのはいつも通りだったとしても、いつもはもうちょっとゆったりと余裕を持って行動していたかもしれない。僕を客観視してる友人が言うのだから間違いはないのだろう。
「お前がそこまで本気なら、俺も協力してやろうって思っただけだ」
「……男のツンデレは気持ち悪いぞ」
「ツンツンもデレデレもしてねぇよ、殺すぞ」
「まぁ、そう言ってくれるのは有り難いよ。頼めることなんて殆どないだろうけど、何かあったら遠慮なく頼むことにする」
「……上から目線なのが腹立つが、まっ、そう言う事だ」
言い残し、自席へと去っていく親友。本来であれば喜ぶべき場面なのだろうけど、正直今の僕にとっては、小説の次のページの方が気になってしまうのだ。前もって購買で購入しておいたパンを齧りながら、ページを捲っていく。あー、面白いなー。
友情と恋愛なら、僕は迷わず後者を取る。そう言う性格を知って、アイツもああ言ってくれたのだろうし、今は甘えておこうと思う。
うん、でもこのお話ならあの子と盛り上がれる気がする! 小学生と同レベルと言われてしまったけど、今はそれすらも嬉しく思える。盲目バンザイだった。
「――と言う訳なんだ」
「今の話で、私に何を悟れと言うんですか……」
「とうとう僕とキミの関係が親友公認になったって話」
「………………だから? としか言いようがないんですが」
好きな娘に呆れられるって、ちょっとした快感が伴うと思う。僕だけだろうか。
(僕だけです)
「一歩前進と言う事で」
「……犯罪者にですか」
そう言えば、犯罪とは言うけれど、一体どこからがアウトでどこからがセーフだったか。あれ? 僕は未成年だから、未成年である少女と交際するのはなんら問題ないのではないか?
「ちなみに怪しい事を考えてそうだから言っておくと、援助交際やそう言った桃色のお店で働かせる事が禁止されてるだけで、交際自体は禁止されてないんですよ」
「そうだったのか!」
「どっちにしろ、十三歳以下の子供と性交渉を持った場合は強姦罪ですが」
「ちなみにキミは幾つ?」
「十一です」
「もう少しじゃん!」
「何がですか……もう少し経ったら何をするつもりなんですが……っ!」
そう言いながらチラチラとこちらを見てくるのは何なんだろう。そっちこそ何のつもりなんだろう。一体何を、期待されているのだろう。
「ところで、キミ結構詳しいんだね?」
「調べましたから」
「えっ? わざわざ僕の為に?」
「違いますよ……授業でっ、生活の授業の課題だったんです」
……嫌な課題だ。
(……酷い言い訳だ)
珍しく、僕等の間に気不味い空気が流れ出したので、話題を変えていく事にする。
「そう言えば、昨日教えて貰った本、途中までだけど読んでみたよ」
「相変わらず、無駄に行動が迅速ですね」
「好きな子の為だからねぇ」
「……それは置いといて、言ってくれれば貸そうと思ったんですが」
「それも魅力的な提案だなぁ……だけど、折角だから自分で買いたかったんだよねぇ」
「……貴方は良い読書家になりますよ」
褒められた。これは、喜んでいいのだろうか?
「と、ところで、読んだ感想はどんなものだったでしょうか」
そわそわと、僕の発する一言で今後の人生が左右されてしまうのではないかというほどの期待の眼差しを向けられる。すすめた本の感想とか、気になるタイプなのか。
――だったら下手な事は言えないなぁ。面白かったから、それを伝えればいいんだろうけど。
「まだ途中だから全体の感想とは言えないけど、久しぶりに読んでて面白い小説だと思ったよ」
僕の一言一言に、少女は激しく首を縦に振る。
「ページを捲る手が止まらないって、こういう事を言うんだなぁって」
「前回のは――ってあれは貴方が勝手に読んだんですが……難し過ぎると言ってましたが、これはこれで幼稚過ぎたらどうしようって思ってたんです」
「僕よりよっぽど大人びてるキミが面白いって言ってるんだから、もしかたら僕にはまだ早すぎるんじゃ……とか思っちゃってたよ」
「どんな高校生なんですか……。でも、面白いって思ってくれたなら良かった。読み終わったら、また感想を聞かせてください」
そして、スッと立ち上がる少女。いつものような慌ただしさはそこにはなく、ゆったりとした動作で出口へと向かっていく。多分それが、彼女の素の仕草なのだと思う。もしくは、普段のと言った方が正確か。木陰から日向へと踏み出した彼女の肌は、驚く程に白く、未踏の雪原を連想させた。その美しさに、思わず身じろぐほどに。太陽の光を、反射してしまう程に。
(雪……か。雪を思い出すと、あの日あの瞬間を連想してしまう)
「もう、帰っちゃうの?」
僕は少女の背中へと質問を投げかける。少女は、振り返らぬまま、返事を寄越す。
「貴方と話してると、疲れてしまうので」
「あー、御免、やっぱり年上と話すのって、気張っちゃったりするよね」
「そうじゃなくて……つい、喋り過ぎてしまうって、だけです。私、話してるだけで体力が削れちゃう程運動音痴なんですよ」
……それはもう運動音痴とか通り越して、別の何かなんじゃないだろうか。
「それと――」
続く言葉を紡ぐ前、少女がコチラへと振り返る。流れる黒髪の波が、その動作に合わせて慎ましやかに靡く。太陽が髪の毛を照らし、少女の回りに光の粉が舞った様に見えた。
「私、椿姫って言うんです。今度からは、キミじゃなくて、椿姫って呼んで貰えると、有り難いです……キミって、あんまり、良い言葉じゃないから」
俯き加減が最高で、更に上目遣いが最高で、そしてデレ方もまた最高だった。
「あー、じゃあ僕も自己紹介しとこうかな。凜って言うんだ、よろしくね」
「いきなり名前で呼び合うんですか……」
「君が名前しか教えてくれないから、僕も真似してみただけだよ」
「…………じゃあ、もうそれで良いです」
(満更でもないくせに)
「じゃあ、椿姫ちゃん! 椿姫ちゃん椿姫ちゃん椿姫ちゃん――」
やってしまった、という顔をした椿姫ちゃんを見て、そろそろ止めようと思い立つ。
「そ、それじゃあ、凜さん……また、また明日会いましょう」
そして、また、いつもの様に走りだす。全体的に大人らしいに、走り方だけは子供っぽい。
また明日って言ってくれたけど、僕は明日も来るとは一言も言ってないんだよなぁ。まっ、行くんだけどさ。そんな少女の一言が嬉しかったりした。
「椿姫ちゃん、かぁ」
再度、名前を呟くと、笑みが溢れてしまう。冷ややかなほどに凛々しく綺麗な、彼女にピッタリな名前だと思ったのと、ああいう形で名前を教えてくれた彼女の可愛さに、つい。
多分、人生で今が一番気持ち悪い顔をしていたと思いました。