関守石−3
「結界が弱っていたようだな」
突然の声に豊は小さな悲鳴を挙げそうになった。ギクリと肩を揺らしたままの姿勢で、声のした方を振り返る。そこには湿る空気を纏って、雄々しく仁王立ちした男がいた。
豊が思考を巡らしていたその本人、直行である。
彼は青ざめる豊を一瞥すると、縒れて煤けた関守石をじっと見詰めた。
「も、申し訳ありません、俺……」
恐縮する豊に構うことなく、直行はゆっくり関守石の側まで歩むと、その前に腰を下ろした。
静かな物腰でその石を手に取る。石があった場所だけ朝露に濡れず、ぽっかりと乾いた石面が白く浮かんでいる。それを見入るように豊は尚も唾を飲み込んだ。
「お前が作り直してくれ。容易く出来るだろう」
「え、ええ。はいわかりました」
「縁側に井上が居る。あれの前で作ってやってくれ」
「井上さんの前で、ですか?」
どっしりとした関守石を手渡され、豊はそれを両手で受け取りながら直行を見た。
「あの……」
思った以上に穏やかな表情の直行の態度に困惑した。立ち入ってはいけない場所に立ち入ったのだから、しこたま怒られる覚悟は瞬時にできていたのだ。それがどうだろう、彼は穏やかな物腰でゆったりと豊に背を向けて社に手を合わせた。
「申し訳ありませんでした、気がつかなかったわけではないっす」
大きな背中に向かって深々と頭を下げる。
「迂闊でした、禁忌とわかっていたのに」
「豊、と言ったな」
「は、はい」
「分かっていて犯したという罪には、それなりの理由があるものだ」
前かがみに拝んでいた直行の身体が直立した。風がゆらりと揺らいだ気がした。
「それ相当の目的がある、か。はたまた縁か」
ざわりと風が吹き、楓の枝をゆらゆらと揺らす。直行の着物の裾がゆっくり風になびいた。
「ワシには後者のように思えるぞ」
直行の顔が少し横に向いた。振り返るでもないその仕草は、豊の気をその背中で感じ取っているかのような、そんな雰囲気さえ感じた。思わず豊は頭を重く下げ、関守石を胸に握り締めた。
「分かったらさっさと行け」
その言葉に弾かれる様に豊は駆け出した。
庭を抜け座敷が見えてくると、直行が言ったように縁側に井上が変わらずに居た。事態を把握しているかのように、じっとこちらを向いて正座している。井上の姿を見て、豊は一瞬歩んでいる足を止めそうになりながら、息を飲んで思い切って縁側まで走る。
「す、すいませんでした!」
勢いよく井上の前で頭を下げた。
「おやおや、これは関守石ですね」
ここでも穏やかな声に豊は顔を上げる。
井上の身体はすでに庭を向いていた。顔だけがこちらを見ている。そして豊の腕に抱かれた関守石にじっと視線を落としていた。
「随分古くなりましたね。私はこれを作るのに丸一日かかったんですよ」
懐かしむように井上が笑う。
「あの……」
「当主が呆れ顔で笑っていたのを思い出しますね。こんなんだから成り上がりの造園屋は困ったもんだとか眉を顰められました。どうです、これをここで作り直してもらえませんか」
「あの、これは井上さんが作ったものなんすか?」
恐る恐る豊は縁側に正座する井上を見上げた。
「ええ、そうですよ」
朗らかな井上の笑顔がそこにあった。
豊が急いでトラックから棕櫚縄を持ってきた頃には、鹿島の姿も見えていた。事情は井上から聞いたのだろうか、それとも聞いていないのかまでは分からない。とにかく豊は鹿島に頭を下げて、縁側の下に膝を付いた。
「ほう、これが井上さんのお作りになった関守石ですね」
興味深そうに縁側の上から鹿島が身体を乗り出してきた。
「本職の方々に見られるのは恥ずかしいものです」
井上が小さく頭を垂れた。
「いいえ、素晴らしいですよ。年月が経ってもこれほどまでしっかりしているのは」
顎を摩りながら鹿島は感心したように何度も頷く。豊もそこに鋏を入れながら同感だと思った。白御影の石に巻き付けられた棕櫚縄は、決して緩みもなくしっかりと石に張り付いていた。
「では、鋏を入れさしてもらいます」
パチンと澄んだ音が庭に響いた。