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第二章壱幕おまけ「そのころ、地球では…」

最初の「※」が、どっかにつながっていた臭を放っていますね…。


 *


 幼馴染の梓が行方不明になってから、一年が経とうとしていた。

もちろん、その間警察に届け、調べてもらっていたがその捜査も一カ月で“家出”と結論付けられて終了した。幼馴染として長年一緒にいた俺ともう一人の幼馴染アヤメは、頼りにならない警察とは別に梓を探していた。

そしてつい三日前に梓が前日まで通い続け、消息を絶つその日にも、「行く」と言っていた店がある。警察は底も調べることなく捜査を終わらせていた。俺は今日、梓がいなくなって一番悲しんだアヤメを連れてその店に行く。

季節は巡り、梓がいなくなった季節がまたやってきた。

休日の今日、なかなかの込み具合で暖房は緩くかけられている状態だが、薄く汗がにじむ。西武新宿線、揺れる電車を五つ目の駅で下車。降りたホームの中ほど西武新宿線高田馬場駅をBIGボックス出口から出て、建物沿いに歩く。ピザやマクドナルド、ケンタッキー、美味しそうな匂いを漂わせる店を横目に、二つ目の信号を渡って、道の奥へと入り、小か中学校だろう、誰もいない広いグラウンドのある建物を左手に見ながら進む。住宅街へと入ってしばらく歩くと、ほら。見えてきた目的の場所。

 木造の外観はパッと見た感じでは昭和の駄菓子屋さん。入口の横には「たばこ」の文字が、増税された今日もまた、かかっている。歩く俺たちの横すれすれを走り去る乗用車をチラリと睨み、車と歩く私自身が生み出す風を感じながら店に近付いた。

【竜宮城】

 それが、この時代に取り残されたように平成の世に残る古ぼけた店の名前である。

 梓はここに通い、そして消えた。

 ここには何かがあるはずだ。梓が消えてしまったわけが。

 希望を持って、俺たちは顔を見合わせて頷き合うと、木のスライド式のドアを開ける。ガラガラとこれまた古臭い音を立てて、徐々に店内が見えてきた。が、中は薄暗く、奥の不はまるっきり闇だ。

 ちょっと不安になって、アヤメを見る。

 俺は男で、アヤメは女の子だ。

 にもかかわらず、アヤメは俺でも怖気づいた暗く怪しい店内をまっすぐに見つめて、いや睨みつけていた。

「…アヤメ?」

「行くわよ!」

 敵は竜宮城にあり!とでも叫びだしそうなアヤメは、梓とは逆の見事な黒髪黒眼だった。その髪を秋の冷たくなりかけた風になびかせて店内へ。それを追う形で、俺は情けなくも着いて入った。

「いらっしゃい。」

 店に入ってすぐ、横から声を掛けられて驚く。

 驚きすぎた俺は(けしてビビったわけじゃない!)、前にいたアヤメにしがみついた。俺たちの近くにまで来たばあさんと、アヤメに白い目で見られてへこむ。

 このちっこい皺くちゃのばあさんは店員だろうか。俺の腰辺りまでしかない身長、でも腰はシャキンとしていてまったく曲がっていない。俺たちを見据える瞳も澄んだ綺麗なもんで、俺のばあちゃんのように濁っていなかった。

「あたしたち、ここに来たきり行方不明になった入道梓って子を探しに来たの。おばあさん、なにか知らない?

 アヤメは店員だと思ったのだろう。膝をついてばあさんに詰め寄る。

 肩を持たれ、小刻みに揺さぶられたばあさんはなにかを話そうとするも、揺れる振動で口を開いても何を言っているのかわからない「くばばばばば」音が出てくるだけだった。

 このばあさん、ばあさんらしくないけど、お年寄りだ。顔も皺くちゃ、口元も皺くちゃ。この口なら当然、あれも入っているだろう。

「おいアヤメ、ばあさん揺らすの止めろよ。何言ってるかわかんねぇし、入れ歯出てきちまうぞ。」

「気にしたり、心配するのはそこかい!」

「…おばあさん元気よ?」

「元気でもやっちゃだめだろ。」

 呆れ顔で止める俺と、あんだけ揺すられたのにまったく酔った様子もなく、元気なもんだ。大きくゆすぶられるよりも、俺としては小刻みに何往復する方がきついと思うのだが、このばあさん、ただもんじゃねーな。

 このときはただ何気なく、元気なばあさんだ、くらいにしか思っていなかったが、四日後、俺は超人ばあさんの真実を知ることになる。同時に俺たち幼馴染に課せられた使命も知ることとなるのだが、このときの俺はまだ、知らない。

「ばあさん、俺たち梓がはまってたゲームやりたいんだけど、いいかな?」

 親しみやすい、とよく言われる笑顔でそう言うと、このばあさんも例外ではなかったのか、すっかり機嫌を良くしてそのゲームまで案内してくれた。

【ワンダーランド】

 不思議の国と名付けられたそのゲームは、いかにもゲーマーである梓が好みそうなゲームだった。あいつはUFOキャッチャーとかなんでも得意だが、景品も何もないゲームの方が好きで、よく一人で遊んでいた。時々俺とアヤメも参戦するが、いつも梓にコテンパンにのされるオチだったのだ。

「刀馬!今は梓を探し出すことの方が優先…」

 アヤメが怒ってそう叫ぶが、俺は長年の怒られ経験で慣れているからどうってことはない。ばあさんには不運だったな。

「まあまあいいじゃねぇか。まずは梓の足取りを知ることも大切だって!」

 この笑顔、いろんなところで使えるんだぜ。ニヤリと心で笑う。顔に出してはいけないのだ。出せば最後、アヤメに小一時間絞られる。

「さ、やってみようぜ。」

 そう言って俺は歩きだすが、すぐに

「坊や、そっちじゃないよ。【ワンダーランド】があるのはこっちじゃ。」

 言ってばあさんが歩きだしたのは、俺が進もうとしたのとはまるきり反対でした。

 かっこ悪ぃ。こんなときだけ、梓がいなくてよかったと思ってしまう。やっぱ、好きなやつにはかっこいいところだけを見ていてほしいから。

 思いながら、一人で照れて頬を染める。ふたりはそれを道を間違えて照れているんだと思ったのか、俺を置いてさっさと歩き始めてしまった。

 ふたりの背中を見て、「ようやくここまで来たぜ。」ここに、梓はいたんだ。

「あと少しだ。あと少しで、お前のところへ行ける。」

 待ってろよ!梓!拳を突き上げ、叫ぶ。

 何かリアクションがあると思っていたふたりは、すでに見送った背中が小さくなるほどに離れていた。

「あ、待てよ!」

 情けなく、俺は女二人の背中を追いかけた。薄暗い照明のせいで、二度、三度とコードかなにかに転びそうになりながら何とか走る。だてにテニスで鍛えてはいない。

 ふたりにはすぐに追いつけた。

 俺たち三人の前には黒くてデカイ美容院とかにあるパーマかけるやつがある。これが、【ワンダーランド】か。

「早くやろうぜ。」

「まずはデータを入力、パートナーを創らなきゃならんよ。」

「大丈夫よ、パートナーなら前梓に創ってもらったわ。」

「梓、デザインするの好きだったもんな。」

 俺が歩き出すとアヤメも歩き出し、その後にばあさんの声が続いた。それに返してシートに腰を下ろした。

横に付いている肘掛の前、カードを入れるスペースに、梓と行って以来見ていなかった、梓に選んでもらった、三人お揃いの愛らしい子犬が三匹走っている柄のカードを挿入する。椅子の上に付いているヘッドセットがカードを感知して頭に被さり、顔まで覆う。

「こんにちは。ミョウケンジ・トウマさん、【ワンダーランド】へ、ようこそ。」

冷たい印象を抱かせる機械的な女性の声が聞こえて、ジェットコースターで落ちる時のような結構楽しくて気持い浮遊感が俺を襲った後、意識が飛んだ。


目覚めるとそこは、見渡す限り緑一色でした。

 嘘です。木の幹とかの茶色も、現実では遠出しないと見られない綺麗な空の青もあります。でも、空の青が私の真上にあります。背中には草の柔らかい感触。大きく開いているから、草の感触が直接背中に触れてくすぐったい。

 顔の上に右腕を置いて、空からの光を遮り力なく伸ばしていた両足を立てた。

 楽しくなってきて、はははと笑う。

 立ちあがって左右を見回すが、一緒に来たはずのアヤメはいない。さてどうしようか。

 腕を組んで考え込む。そういうところをアヤメなんかには呑気だとか気が抜けるとかいろいろと言われるけど、梓はこんなところが好きだと言ってくれた。何だ?と考えて、結局わからずに空を見上げた。現代日本人が忘れてしまった綺麗な空を見上げる。俺は一瞬でこの創られた空を気に入っていた。

「綺麗な空だぜ。」

 呟くも、誰も答えてくれなくて切なくなる。

 そう思っていたのだが、

「トーマ、」

 知らない声が聞こえてきた。しかも、俺の名前と思わしき名前を呼んでいる。ぐるりと回って見回してみるが、俺の他に人はいない。

「トーマ。」

 また聞こえた。

 さっき俺以外の誰かが呼ばれているのかと人を探したときに見えた、彼女の声だろうか?

 他に誰もいないのだから、きっとそうだろう。

「トーマ!」

 また聞こえた声。同時に左肩がつかまれて、ぐるりと方向転換させられた。ダンスのように綺麗にとはいかず、ズ、ルリと回る。足元の草に足を取られたんだ。

 回った先には綺麗なショートカットの女性。だけど生憎俺は長い髪が好みだ。色は白で緩くパーマがかかってる。簡単に言うと梓なんだが。

 体は人間。首と胸、腰元に鳥の羽毛が覆っている。足は鷹。手には鱗が生え、爪は長く鋭かった。鳥(鷹か?)とヒトの混ざり合った姿をしている。あれ、この姿、どこかで見たことがある気がする。

 だけど、え、俺ここで殺されちゃったりするわけ?

 本当に怖い時は恐怖を感じないのか、俺は自然体で彼女に対峙していた。死ぬときには走馬灯が走るというけれど、俺の脳裏には会えずじまいだった梓で一杯だ。

「トーマ?」

 不思議そうに首をかしげる女性。

 この顔、姿。確かにどこかで見かけたはずなのに…、思い出せない!自慢じゃないが、俺は気になりだしたらとことん突き詰めなければ気が済まない性質だ。

 腕を組み、「う~ん」とうねる。

 真面目に考え込む俺の後頭部に、小さくて硬いものが当たった。小さいが、勢いが良かったのか結構痛い。

 誰が投げたのかと振り向いて確認すると、予想通りの奴がいた。

「なにすんだよ、アヤメ!痛いだろ。」

 抗議するも相手にされず。

「あんたこそ、パートナーと一緒に何遊んでるのよ。速く梓の手掛かりを探さなきゃ!」

 一瞥とともに一睨みして、アヤメはさくさく歩いて行った。どこへ向かっているのか聞いてみても、「適当」となんとも恐ろしい答えしか返って来ない。

 どうしよう、こいつ。

「俺、お前にとってもお得情報をやってもいいぞ。」

 眉根を寄せて、難しい顔で言うと、アヤメはにっこりと、それはもう綺麗に微笑んだ。

 その微笑みに背筋が凍る。

「あら奇遇。あたしもあんたにとっておきの情報を教えてあげる。」

「まじかぁ!」

 背筋を凍らせながら、それでも素直に喜ぶと、アヤメは溜息をついて後ろを着いてくる女性を見た。

「その腕に着いてるガントレットの水晶を見なさい。欲しい情報を脳裏に表示してくれるわ。」

 試してみると、本当に俺のイメージの中にこれまでの彼女との思い出、というか記憶が映し出された。そこには梓もいて、「ああ、梓が創ってくれた俺のパートナーだったのか。」思い出す。

「…名前は、ナダリア…?」

 表示された名前を見て、なぜその名をつけたのかを思い出す。

 俺はテニスプレーヤー。憧れの世界トッププレーヤー、ラファエロ・ナダルの名前を借りたのだ。

「彼女のこと、速く思い出してあげなさいよ。」

 そう言って歩き出したアヤメの背中を追いかけて、俺の持つ情報を提供。

「まずはレベル上げだぜ、ゲームをまったくしないアヤメちゃん!」

「それくらいは知ってるわよ!」

 基本情報だ。さすがにそれくらいは知っていたか。

「行くぞ、ナダリア!」

「ええ、トーマ。」

 嬉しそうに追いかけてきたナダリアと一緒に、アヤメの背中を追いかけた。


俺たちの戦闘レベルは、学校の合間でしかプレイしていない三日間で面白いほどよく上がった。

 機械の故障なんじゃないかと思うほどだ。ワンダーランドの中で出会った世界各国から来たプレイヤーは、俺たちの倍、クエストをこなしているのに、上がるレベルは俺たちの半分で、酷い優越感に浸る。

 俺たちよりも武装も武器も、何倍も立派で無骨なものを着こんでいるのに、いざ戦闘になれば俺たちの方が強く、一気にLPの半分を削り取る。相手の攻撃は、俺たちのLPゲージの色を目に見えるほど変えることはできなかった。そして次の俺の攻撃で、勝負は終わる。

 初日、何も知らなかったその日こそ負けを見たり、野生のダークエルフや悪魔に襲われて致命傷を負ったりしたが、二日、三日と遊んで行くうちに若い者の習性か、ゲームの要領をつかみ、それからは無敗だった。俺も、アヤメも。

 今日は【ワンダーランド】をはじめて四日目。にもかかわらず俺のレベルは990、アヤメのレベルは900までに上がっていた。今日もアヤメと一緒に竜宮城へと行こうと朝の登校時に約束していたが、アヤメは授業が終わると部活動のある俺を置いてさっさと学校から出て行った。帰宅部は気軽でいい。部活に所属して、かつレギュラーに数えられ、そして極め付けに試合が近い。そんなに日、学校が終わってすぐに遊びに行くなんてできない。

「じゃあね、部活頑張って。」

「…ああ。お前、気をつけろよ。」

「なにを?」

「いろいろ。背後に気をつけて歩け。」

「…速く部活行きなさいよ、青少年。」

「じゃあな!」

 俺とアヤメはそんな会話を交わして別れた。俺はリュック型のテニスバッグに教科書全部とノート全部を詰め込んで背負って、教室から走りだす。アヤメはそんな俺にいつもの白い目を向けながら、ゆっくりと丁寧に教科書を机で高さを整えて綺麗な通学バッグに入れる、ノートもトントン、と軽く机で揃えてから入れた。澄ました表情で、綺麗な黒い瞳を伏せて静かに作業するアヤメを、その本性を知らないまま憧れを抱く野郎がいることを俺は知っていた。そいつらに梓一筋の俺が、アヤメと寒気のする関係に置かれていることも。つくづく悪趣味なやつだ、と思うが、見た目だけなら梓の次に整っている女だから仕方がないか。

 そんなことを思いながら、俺は秋風に吹かれ、髪を巻き上げられながら走り続けた。

 コートのすぐわきにある十五畳ほどの、三十人近くで使うには狭いプレハブ小屋の部室に入り、フェアーに着替える。俺の着ているこれはレギュラー専用のものだ。全国大会に今年で五年連続出場を果たしたこの部、その八人しか着ることのできないレギュラー専用フェアーに憧れて入学する奴も多いときく。ちなみに俺は違う。梓と、ついでのおまけでアヤメがこの学校に入ると聞いたからだ。もしかしたら、梓と登下校ができるかもしれないと思って入ったのに、梓が学校に来たのは三年間でわずかに、片手で足りる程度。俺の野望は無残にも崩れ去ったのだ。しかもおまけにしか思って考えていなかったアヤメと妙なうわさが立ってしまったのだ、まったく運がない。制服を脱ぎ、フェアーを着る。胸元から首までファスナーをしっかりと閉め、赤いフレームのラケットをバッグから出して、二、三度握って感触を確かめる。その時掌にツブツブを感じる。ラケットを右手から左手に持ち替える。空いた右手を目の前に持ってきてよく見た。黒い粒々が指の下にいくつか付いていた。もう一度ラケットを見る。今度はラケットのグリップだ。見ると、そろそろ変え時なのかボロボロだった。力を入れて握ると、手に崩れたグリップテープの屑がつく。

 ああ!早く部活を終わらせて梓とつながれる【ワンダーランド】へ行きたいのに!神様は俺に試練をおあたえになるのですね?

 次々と授業が終わり部活にやってきた後輩が、俺を視界に入れないようにまっすぐ前を見ながら着替え、終わるとラケットを抱きしめるように持って、そそくさと部室から出て行った。他の三年はもうコートに出ている。先輩よりも後に来るなんてダメだぞぉ!と言ってやりたくなるが、振り返った時にはもう誰もいなかった。十五畳の部室に、ぽつりと一人。

 寂しくなって、グリップは部活が終わってから変えようと、そのままラケットを抱えて部室を出た。すぐにコートに着いて部長であり、俺の親友である樋崎珠代ヒザキ・タマヨ、会った瞬間に「女みたいな名前だな!」と言って大喧嘩になった過去を持つ。そいつに遠慮なく頭をはたかれた。

「また部室で入道のこと考えてたんだろ、三年が後輩に醜態を見せんなよ。」

 こいつは梓を気味悪がったりしない。どちらかと言うと、梓を思って壊れる俺のことの方を気味悪がって、名前みたいに女っぽい顔の眉根を寄せる。

 もっとも数えられるほどしか会ったことがないってのも、珠代が梓を拒絶しない理由なのかもしれないが、俺はふたりをよく知る者として、こいつは梓をきちんと見てくれる存在だと思っている。ただし、人間としてな!異性として好きになっちゃダメだぜ☆

 思いを込めて珠代を見ると、奴は腕を交差させてさすり始めた。寒いのか?

「お前、気色悪い目で見んなよ。寒気がする。」

 風邪じゃねえのか?寒さ対策はきっちりしろよ、部長だろ?

「誰のせいだと思ってんだよ。いいからランニング行って来い!グラウンド十周だからな。」

 お前はぁ?

「三年はみんなお前より三十分は早く来てんだよ、もうとっくに走り終わってるさ!」

 早く行け!と尻を叩かれて、俺はラケットをコートを囲むフェンスに立てかけて走りだした。

 テニスコートは区内でも大きい方に入る、百メートル走も余裕で直線で測れる広い校庭のすぐわきにあって、俺たちテニス部員が“グラウンド”と呼ぶのはコート+校庭のことだ。一周ちょうど一キロになる。これを部長である奴は、事あるごとに走らせる。十周が基本単位だ。多い時には百周走らされた奴もいた。そいつは確か、夏の全国大会前の三日間部活を無断欠席したのだ。

 先を走っていた後輩たちをことごとく抜き去り、「だらだら走ってんな!」とか声をかけながら走って、梓のことで一杯だった頭をテニスのことに入れ替える。こういう切り替えが大切なんだ。俺が三年間、歴代の部長より上の強さを誇っていられたのはこの切り替えの早さにある、って珠代は言っていた。褒められたのかと思って喜んでいたところをなんか言われて落とされたような気がするが、何を言われたのかは覚えていない。

 あはは~と後頭部に右手を当てて笑っていると、走るスピードが落ちたのか後ろから来た後輩三人に抜かれて、コートから珠代の「刀馬!お前あと五週追加な!気を引き締めて来いよ!」と声がかかった。無常だ。

 俺は結局、三十周走らされ、部活動の時間三時から八時までの約五時間のうち一時間をランニングに費やした。

 午後八時。空きになって風も寒くなり、照明がなければすぐ隣に立っているやつの顔もわからないほど暗くなって来たので、珠代の号令で今日が終わった。コートからネットを回収して片づける。正式なテニスコートが会って助かるのは、ポールを片づけなくていいところだ。校庭に即席コートを作って部活動をする場合、ポールを片づけなければならなくなるし、そうすると片づけの時間が増える。自然と部活動に使える時間も減ってしまうのだ。大切な大会とか試合の前だと練習もハードで疲れるし、疲れると苛立ちも感じてしまう。それに面倒だよな。

 コートとボールの片づけを一年生と二年に任せて俺たち三年はさっさと部室に戻った。風は冷たくなって来たけれど、走りまわれば汗をかく。大粒の汗を吸い込んだフェアーとタオル。十五畳の部室、隣接してある俺たちテニス部専用のシャワー室で汗を流してから行きたいが、俺にはこの後行かなければならない場所がある。

 俺は汗を適当に拭いて、フェアーの上に同じデザインのジャージを着ると挨拶も軽くすませて部室を出ようとした。

「刀馬!お前またあの怪しいゲーセン行くのかよ?」

「ああ!当ったり前だろぃ」

「…誰だ、お前」

「んじゃあな!」

 そう言いながら、ドアを開けて外へ出る、一度振り返って部室の中を見ると、珠代がロッカーに向かい、こちらに背中を向けて、右手を上げて左右に振っていた。その表情は見えないけれど、多分「仕方がないな、お前は」って言いたげに笑っているんだろう。小学校五年生からの付き合いだ。見えなくても、相手の動作で表情までわかる。それだけ俺たち親友の絆は強かった。

 出会った小学校五年の十歳からずっと、俺たちは一緒だった。別れることなんて家に帰る時しかなくて。テニスを始めたのも一緒だった。喧嘩して成長した今では口に出せないような暴言を吐いて別れた日も、次の日の朝にはお互いに笑顔で一緒に登校した。

 いろんなあったかい、優しい思い出が奴と俺にはある。だから、こんなことになった今でも、俺とあいつは同じ青い空の下で強い絆でつながっている。

 運動のために五駅離れた高田馬場まで走ろうかと思ったが、時間の関係上電車で行く。いつもと同じ道を、風を鳴らしながら走って、ぼろい外観が見えてきたところで速度を落とした。

中に入って、いつも通り「おっす、ばあちゃん!来たぞ~」と大声を出すが、いつもどこからともなく現れるばあちゃんは出てこない。

「…いらっしゃい。」

 空気を震わせるように静かにそう言って現れたのは、いつもはいない長い黒髪を腰の後ろまで伸ばした兄ちゃん。長い髪は綺麗で、顔も男には関心のない俺が目を見開くほどにはかっこいい。服装もヴィジュアル系で決めている。オタクっぽさもないし、清潔感溢れる…、というか、普通の人間とはなんかまとっている空気が違うような気がする。

 どことなく怪しい感じの兄ちゃんに挨拶を返して、俺は先に来て五時間プラいし続けているはずのアヤメを探そうともう四日目で慣れた【ワンダーランド】までの薄暗い道のりを歩いた。後ろから兄ちゃんが着いてくるのを感じる。なんなんだ?と思いながらもそのまま歩き続けるが、段々と気味が悪くなってくる。誤魔化すために、アヤメを呼びながら歩いた。とにかく、俺一人じゃないと思いたかった。

 こいつ、怖い。

 左頬に汗が流れ落ちる。逆の方に目をやって、なんとか後ろを歩く兄ちゃんを見ようとするが、真後ろは首から回さなければ見ることができない。ゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。音が俺の後ろ、二メートル以内を歩く兄ちゃんに聞こえていないかと心配になるが、歩き続けた。いつもは一分とかからずに見えてくる【ワンダーランド】が、今日は遠く感じる。恐怖を感じながら動くのって、こんなに体力がいることなのか。

 ようやく見えてきた、薄暗い照明に照らされて、集中しているからか一台だけひと際明るい光に浮かび上がって見える【ワンダーランド】の椅子に座った。そこは、梓が使っていた場所だ。そして、アヤメも「梓と少しでも近い場所にいたいから」と好んで使用していた場所だ。ヘッドセットが降りてくるのを見ているふりをして、横を見る。黒い服で固めた兄ちゃんは、闇に溶けたようにそこにはもういなかった。

 いない、そう決めつけていたから気付かなかった。

 俺の座った【ワンダーランド】の後ろに立って、黒の兄ちゃんが蛇のように笑ったことに。

【ワンダーランド】が起動して、意識が飛ぶ一瞬声が聞こえた気がした。

「おかえりなさい、妙見寺刀馬。清浄の風を司りし風の精霊王。」

 そして、さようなら。

 こうして、俺妙見寺刀馬はこの地球から姿を消した。

 不気味な細い笑い声が響く。その笑い声を遠くの方で聞きながら、俺は理解した。アヤメもまた、この地球から消えていたのだと。どんなに呼んでも、梓も、アヤメも、もう答えてくれはしない。


 *


 暗い。

 それがわかって、私は目を開こうと瞼に力を入れた。

 開いてみても、視界は一面闇のままだった。

 寒い。

怖い。

 何が私を包んでいるのか、理解できないまでもここにいては不味いことはわかっていた。だから、ここから出なければと腕と足をばたつかせて何かにあたって、それが崩れればいいと思いながら暴れる。けれど体に何か当たる感触も、痛みも感じなかった。あるのは、闇だけだった。

 怖くて、寒くて、泣きそうになりながら体を震わせる。五分暴れていただけなのに、もう暴れるだけの力もなかった。もしかしたら梓も同じ目に会ったのかもしれないと思って同じ境遇にいられることをちょっと嬉しく思う。

 うふふ、と頬を染め、手を口元に当てて笑っていると、暗闇から響いた。空間ではなく、頭に直接響いてくるような声だった。

「おかえりなさい、創造を司る地の精霊王。一色アヤメ。」

 聞き終えると、また眠気が襲ってくるように突然意識が遠のいていった。

「…さようなら。」

 あの暗闇はどこだったのだろうか?もしかしたら地球と異世界【ワンダーランド】との境界線、はざまなのかもしれないな。

 そんなことを呑気に考えながら、意識がしっかりするのを確認してから目を開きそこをみた。

 古い木目が広がっていた。視界の端の方に見える窓から外から差し込んでくる暖かい黄色の光が照らしている。夜だったなら、顔のように見えてしまうのかもしれない。

「どこ、ここ?」

 だれかの家かしら。私が横になっているのはベッド?…私のよりだいぶ硬く寝づらい。

 失礼なことを思いながら呟いてみても、答えてくれる人は…。

「ここは東の国ですよぉ。」

 …いた。

 語尾が間延びした声が聞こえてきた方向を見てみれば、そこにはなんとも美しい男性が。男性にしておくのはもったいないくらい、尖った耳も、整った顔も美しかった。

 だけど私は梓に操を捧げている身、どんなに美しい人だろうと、梓以外の者に惑わされたりはしないわ!頬が熱を持っていることを気付かないふりをして、聞いた。私にとって、彼女以上に大切な者はいない。家族も、私にとっては他人と同じだった。梓に対しては一目で感じた愛情も、十五年ともに生きてきてそんなものを感じたことは一度としてない。

 私にとっては、消えた梓が唯一気を許せる相手だった。…刀馬は梓についた悪い虫。梓が刀馬に心を許しているから、ついでに仲良くしてやっている。

「【ワンダーランド】の…、え、ゲーム?よね。」

 でも、東の国なんて出てきたかしら?

 横になっていた態勢から上半身を起こし、座る。

私は梓のようにゲーマーで、ゲームに詳しいわけでも、刀馬のように幼いころから流行りのゲームに手を出したりはしてきてこなかったから、梓と刀馬のふたりに比べてゲーム全般に疎い。設定を見るのは好きで設定集を梓に貸してもらってよく読んでいた。だからわかるのだが、ゲームの【ワンダーランド】の舞台は猫の目のような形をしている。それも国の概念はなく、プレイヤーキャラクターとパートナー以外はいなくて、外からログインする人たちが一時、剣と魔法の満ちた国で夢だったRPGゲームを体感して遊ぶ空間、それが【ワンダーランド】なのだ。

 しかし、彼は今“国”だと言った。なら、この世界ではいくつかの国で分かれて暮していることになるのではないか。

 彼を見る。嘘をついて人をだますような悪い人には見えない。…見かけだけってこともあるけれど。

「ゲームの【ワンダーランド】ですかぁ?すみません、よくわからないのですが~…」

 でも確かにここはワンダーランドですぅ。

 前の言葉は困ったように、申し訳なさそうな表情を顔いっぱいに浮かべて、最後の言葉はにっこり、眩いばかりの笑顔で、彼はそう言った。

「地球、って知ってますか?」

 恐る恐る。細い割に身長のある彼を、下から見上げて言った。

 彼はああ知ってます!って言いたげな表情を輝かせる。

「リアルのことですか?あなた、リアル人ですかぁ」

 それじゃあアズサと同じですねぇ。

 人の良さそうな笑顔で、そう聞き捨てならないことをあっさり言ってくれた。

 アズサ。

 ずっと聞きたくて、ずっと聞けなくて、ずっと呼びたくて、ずっと呼べなかった名前。

 やっと聞けた名前を呼んだ彼の肩を、ムンズとつかんで小刻みに揺すった。

「ねえ、あなた梓を知っているの!どこにいるの、元気なの?」

「ちょ、ちょっと、おおお落ち着いてくださいぃ!そして放してぇ~…!」

 揺すられて目を回している彼のことはお構いなしに続ける。ぐったりした彼の肩を捨てるように突き放し、こんなところでじっとしてはいられないと座っていた白いベッドから立ち上がり、足元に置いてあったゲーム内での衣装と同じブーツを履く。

 勢いよく立ちあがったことでクラッと立ちくらみが襲うが、五センチほどのヒールブーツで踏ん張って耐えた。ここに梓がいた手掛かりをつかんだのだ、大切な彼女に会うまで倒れてなんていられない!女は気合だ!

「ねえ、寝てないで起きなさいよ!あんた梓のこと、知っているんでしょ?」

 簡易ベッドの横で白いベッドと並行に倒れている金色のエルフ。起こすために軽くつま先で蹴った。

「ねえ!」

 勢い余って強く出した足がお腹に入ってしまった。程よく肉のついたお腹につま先が食い込む。

 さすがにこれはやばいかと、他に人がいないかどうか室内を見回し、家の中に人の気配がしないか耳をそば立てて音を聞く。

 逃げるか、エルフが生きているか確かめるか。

 前者を選ぼうと足を踏み出したとき、扉が見える方向から物音がした。誰か来る!そう感じ取った瞬間にしゃがみ込んでエルフの桃色の頬を叩いていた。

「ちょっと大丈夫?何があったのかしら、急に倒れ込んじゃって!ねえ、起きてってば!」

 また肩をつかんで揺する。今度は大きく。

 そうしているところへ、物音の正体がやって来た。それは綺麗な女性で、彼女の耳は倒れている美しいけれど情けない男の耳と同じく尖っていた。ピン、と立った耳が、怪しい物を見て下がる。

「あんたたち、何してるの?」

 困ったように、心配そうにいまだ起きない男を見据えるその瞳。切れ長のそれはとても澄んでいて美しかった。とても綺麗に晴れ渡った日の海のような青い色。澄み渡った青に見つめられると、胸が高鳴る。ああ、私の心は梓の物よ!

 思ったことを気付かれたわけではないだろうけれど、彼女はブルリと肩を震わせて床に直接横たわっている情けない男、略してナオちゃんに遠慮をまったく感じられない力加減で蹴りを入れたナオちゃんの体が大きく跳ねて、ぴくぴく震える。これ、冗談抜きで大丈夫かしら。

 さすがに心配していると、逝ったと思ったナオちゃんが起きた。起こした上半身を右手で支え、蹴られたお腹に左手で抑える。

「うぅ~、先生酷いですよぉ」

「遊んでいるあんたが悪いわ。アズサが出発してから腑抜けてるんだから。情けないわね、シャキッとしなさい!」

 なんか、また聞きたかった名前を聞いた。

 目を見開いて、“梓”と言った彼女を見る。

 彼らの容姿を私は知っている。好んで読んでいたゲームの設定集に、よく似た姿を持つが属す側が違い肌の色も違う。黒いエルフと一緒に載っていた、白いエルフによく似ているのだ。

 ここはゲームの世界?

 なら彼らもまたプレイヤーだろうか。

 私たちはゲームをプレイしているのだ。ゲーム内に永住することはできない。ときどき現実が嫌でゲーム内に留まりたいと願い、なかなかログアウトしない人もいると聞く。それが問題となる前に、ゲーム会社は一定の時間以上プレイすることができないようになっているのだ。最大十時間。実際の時間とゲーム内で流れる時間は進む速さが違う。

 ゆっくり流れるゲームの時間。

 現実での時間を知るため、時計がすべてのプレイヤーに初期装備として配布されていた。

 パートナーに持たせている人、自分で持っている人、現実に戻るのが嫌で捨てる人(ただしこれは次回ログイン時に自動で戻っている。しかも取れないように腕にしっかりと着けられている。それでも外そうとするとログインできなく本社からロックされる)等々いろいろいるが、確実に着けていなければならず、そうでなければログインできない仕組みとなっている。

 その時計が着いているはずの腕を見るが、そこには服があるだけだ。この三日間で慣れ親しんだ冷たい感触がない。体温であったまったのか?とも考えるが、今日まで三回ゲーム内で過ごしてきたが、時計はその存在を忘れないようにするため、常にヒンヤリしている。それが今、腕にない。

 だが、そんなことよりももっと重要なことがある。

 ソレを確かめられれば、私は不安を感じなくなるだろう。ここに、この世界にもっと居たいと思うはずだ。

 だって、彼女がいれば、それだけで私は生きていけるのだから。

「あの、」

 声をかけて、私を見たふたりに笑顔を見せる。最初って大切よね。

「私、イッシキ・アヤメと言います。さっきからふたりしてアズサ、アズサって人の名前読んでますけど、もしかしてニュウドウ・アズサのお知り合いだったりします?」

 相手も知っている人の名前を聞いたからか、安心したように笑ってくれた。さっきも嫌ってはいなかっただろうけれど、全面的に好意的ってわけではなかったから、これでようやく信用してもらえたようだ。でも私が言うのもなんだが、そう簡単に会ったばかりの人間を信用してもいいのだろうか?私から見ても彼女たちは会ったばかりだが、それでもちょっとこの人たちが心配になった。

 やっぱり綺麗な人はどんな表情をしても麗しい。きらりと光るふたりの笑顔を見ながらそう思う。

「あなたも、アズサを知っているんだね。この間まであの子もここにいたんだけどね、一か月ほど前に南へ発ってね~。」

「アズサに会いにいらしたんですかぁ?」

 ふたりして間延びした語尾、ちょっとイラッとする。

「私、梓の幼馴染なんです。でも梓一年前から行方不明になっていて、心配してたんです。」

「あれ~、でも、アズサって一年くらい一緒にいましたよねぇ?」

「ああ、リアルから来てずっと私たちとともにいたんだな。これまでのリアル人も同じことになっていたんだろう。」

 梓が地球でどんな状況にあるかを伝えると、ふたりは神妙な面持ちになった。梓とは一年間一緒に過ごしていたと言うが、梓は自分のことを教えていなかったのだろうか。

「お母さん、モンブラン、夕飯できたよ!今日のご飯はシチューね!」

 いぶかしんでいたところへまた新たな声。今度は幼い子供がドアを開けて入って来た。お母さん、と言ったということは、彼女の娘なのだろう。…正直あまり似ていない。

「あれ、患者さん?」

 澄んだ綺麗な青い瞳で見つめられ、ニッコリ愛らしく笑われると、こちらまで笑顔になってしまう。子供が正直あまり好きではない私でもそうなるのだから、この子の愛らしさは相当だ。梓は澄まして人に興味がありません、という態度をとっていてもあれで子供好きだったから、きっとこの子を可愛がっていたのだろう。

「私はアヤメっていうの、あなたは?」

 私の肩ほどしか身長のない少女に合わせて視線を下げる。

 優しく尋ねると、少女も笑って答えてくれた。

「私はアイリス!お母さんはダリア、あの人はお母さんの助手をしているモンブラン!」

 どうせお母さんたちのことだから、自己紹介とか基本的なことしてないんでしょ?彼女は笑顔で母親とその助手を見て、そう言った。アイリスの表情は「仕方ないわね」と言いたげな大人の物のようだ。この中でもっとも幼い容姿をしているとは思えない器の大きさを感じさせる。

「私、梓の幼馴染で、梓を探しに来たの。」

 そう言うと、アイリスは一瞬キョトン、として、それから嬉しそうに笑った。よく笑う子だ。

「知ってる!アズサ、地球で仲の良かった、家族みたいだった幼馴染のこと、ふたりのときによく話してくれたの。この町に来たばかりの頃、お友達がなかなかできなくて寂しかった時に。すぐにお友達はできて、寂しくなくなったけど、それでも時々話してくれた。『アイリスに話すことで、一緒にいられなくてもずっと覚えていられるでしょう?』そう言ってたよ。」

 嬉しくて、涙が出そうだった。初対面の人たちに涙を見せることはできない。上を向いて、涙がひいて行くのを待った。その間に考えをまとめる。

 一年間、きっと梓は私たちを待っている、そう信じて梓を探した。だけど、なかなか見つけられなくて、会えない日が長くなるにつれて、私も刀馬も苛立ちだけが募る。そして、時間が経つにつれて、思ったのだ。

『梓は、もしかしたらどこか別の場所で私たちのことを忘れて、幸せに生きているんじゃないか』

 頭にその考えがよぎるたびに、私と刀馬は梓の忘れたい過去なんじゃないか、これで本当にいいのかと自分を疑い、悲しくて、寂しくて学校を休んで一日中泣いて過ごしたこともあった。

それが今、間違いだと知ることができた。私たちは、梓にとって忘れたい過去なんかじゃなかった。それどころか、梓は私たちを家族だって思ってくれていた。

私は梓を探してきた。まだ、見つかってはいない。

 なら、やるべきことはひとつだ。幸い、梓が向かった場所はわかっている。

「ありがとう、アイリス。ちょっと梓を信じられなくなりそうだったけど、これでまた信じた道を歩くことができる。」

 私は私を家族だと言ってくれた梓を探して、旅に出よう。

 だけど、なにかを忘れているような気がした。なんだっけ?

「南の国へ行くんですかぁ?」

 人の良さそうな、気の抜ける笑顔を浮かべたモンブランに聞かれる。あんたには関係ないでしょう?と言ってしまいたくなるが、梓に関係のある人たちだ。しかも、話ではとてもお世話になったようだし、下手な態度は取れない。地球で梓に誹謗中傷を浴びせかけていたおばさん連中とは違うのだ、見た目も中身も梓との関係も。

「そうですよ、梓を探しにここまで来たんだから。梓が行った場所へ、私は行くわ。じゃなきゃここにいる意味、ないもの。」

 つんと澄ました表情で言う。

 地球では冷めたこの表情と口調に、人は離れて行った。梓や刀馬には何度も止めろって、相手の気持ちを考えて表情を浮かべろって、そう言われたけれど、これは私の性格でなっているんだから仕方がないのだ。性格はなかなか変えられない。

「危ないですよぉ。」

 この人もそうなのだろうか?

 情けない表情を浮かべて小さく震える。何を思い出しているんだろう。でも、何と言われても私は引くわけには行かないのだ。だって、

「家族のためだもの。」

 不思議そうに私を見るモンブラン。考えていることを覗くことができるのならいざ知らず、何の脈絡もなく言いだしたのだから、彼らからしたら不思議だろう。ダリアさんは何を言いたいのかわかっているように、けれど私を信用に足る人間なのか見定めようとするかのように、無表情で見ていた。アイリスは心配そうに私と母親を見比べている。

 私は今までまったく考えずに言いたいことを言ってきたから、どう伝えたらいいのか迷う。

「梓は、私のことを“家族”だって言ってくれた。私も梓を大切な存在だと思ってる。それなら、例えどんなに危ない場所でも、そんなところに大切な存在が行っているのなら助けに行こうと思うのは当然でしょ!」

 家族だもん!

「でもアヤメ、トーマのこと忘れてるよ?」

 何を忘れていたのか思い出せて、すっきりした。

 私の刀馬に対する認識はその程度だった。とにかくすっきり。思い出せてよかった。

「それは別にどうでもいいわ。刀馬ならきっとどこででも幸せに生きていけるわよ。そう信じてるわ!」

 元気でね、刀馬!

 それから私は、「アズサの家族なら私たちにとっても家族だ!旅の準備は家でしなさい。アヤメの部屋も準備しなきゃね!」と言ってくれたダリアさんの言葉に、ありがたく従って、今日の仕事は終わりだと四人でまだ明るい道を三人、今日からは私たちの家へ帰った。

 家に入ってすぐ四人で二階にある洗面所で手洗いうがいをして、アイリスが一階のリビングキッチンに立って夕食の支度を始めた。ダリアさんとモンブランはふたりで食器を出したり、テーブルを拭いたりしている。私も何か手伝おうと考えてなにかないかを探すが、三人のチームワークは素晴らしく、隙がなかった。

 お互いにわかり合ったあたたかい家庭がここにはあった。

 梓は、ここで過ごしていたんだ。

 その事実に嬉しくなる。

 地球でも入道家は楽しく明るい家庭だったが、ここでの暮らしも梓にとっては幸せを感じられる空間だったことだろう。

 梓、

 この世界のどこかにいる家族へ語りかける。

 地球と違って嫌な言葉を聞くこともない、ここはいいところだね。明るくて楽しいダリアさんと優しいアイリス、情けないけどその笑顔で(リアル人にとっては名前でも)周りを 和ませてくれるモンブラン。

 ここに帰って来るって言ったんでしょ?

 必ず見つけるから。会いに行くから、一緒に帰ろう。

 ついでに、もしも会えたら刀馬も一緒に。

 帰ってこよう、私たちの家に。

 私たちを待ってくれている、家族のもとへ。





「ワンダーランド」、これにて終了!

USBに入っていたのは、ここまでです。

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