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私とアービン王太子殿下との婚約が白紙になった。
そして間を置かず、私は第二王子のシエール殿下と新たに婚約することが決まった。
正式な婚約はまだ先のことだ。
まず執り行われるのは、アービン殿下と隣国のソフィア第二王女の婚約式。
ソフィア王女は、本来ならシエール殿下の婚約者になるはずだった。けれど彼女は、アービン殿下に恋をしてしまったのだ。
その結果――私とアービン殿下が九年間かけて積み上げてきた絆は、あっけなく断ち切られた。
婚約破棄を告げられたとき、私の心には何とも言えない複雑な感情が広がっていた。
これで、あの過酷な空腹地獄から解放される。
けれど、愛するアービン殿下とはお別れ。
嬉しいのか悲しいのか。自分で自分の気持ちが分からなかった。
アービン殿下もただ、淡々と私に告げた。
『今まで辛い思いをさせて、本当に済まなかった』
言葉はそれだけだった。
私もただ深く頭を下げ、静かにお別れをした。
これで、やっと王宮を出られる。自由になれるのだ。
まるで操り糸を切られたマリオネットのように――そう思った。
なのに、
すぐさま下されたのは、シエール殿下との新たな婚約。
……糸を切られたところで、私は自力で動くこともできないただの人形だった。
自由なんて、私には最初から掴めないものだったのだ。
シエール殿下もまた、アービン殿下に似た美しい王子様だ。
幼少期は病弱でいつも顔色を悪くしていたが、最近は体調も整い、誰もが「ソフィア王女もシエール殿下を気に入るだろう」と思っていた。
それなのに。
『アービン殿下こそが、私の運命の人ですわ』
ソフィア王女がそう公言したのだ。
今でこそ誰もが認める美しきアービン王太子殿下。
九年前、私と婚約したばかりの頃は、まるまると太った可愛い王子様だった。
『食べたくはないのだが、体を丈夫にするため、無理に食べさせられているんだ』
不満そうな殿下を、私は心底羨ましく思ったものだ。
王子様ゆえ、好きなものを好きなだけ食べられるのだから。
なぜなら当時の私は――一度だってお腹いっぱい食べたことがなかった。
私の実家であるエテルナン伯爵家は、子沢山で知られていた。
私は六人兄弟姉妹の五番目。さらに叔父一家も同居しており、屋敷にはなんと十二人もの子供がひしめき合っていた。
食べ物も玩具も、すべてが壮絶な争奪戦。着るものだってお下がりばかり。
そんな我が家に、ある日突然、王家から縁談が舞い込んだ。お相手は十歳の第一王子、アービン殿下。
姉妹の中で一番器量が良く従順という理由で私が選ばれ、私の絵姿を見た殿下も気に入ってくださった。
まだ八歳だった私は王宮へと迎えられ、そのまま妃教育を受けることになった。
――心から嬉しかった。
ここなら、きっとお腹いっぱい食べられる。
可愛いお人形も独り占めできて、綺麗なドレスだって着られるはずだ。
幼かった私はそう考えた。
けれど。
現実は甘くはなかった。
食事が運ばれてきても、口にできるのはほんの少しだけ。
『品良く少しずつ召し上がるのです。たくさん食べるなど下品です』
教育係のサラン老侯爵夫人にそう教え込まれた私は、まるで小鳥が啄むように、料理を少しずつ口へ運んだ。出されたものをすべて平らげることなど許されなかった。
お腹が空いてたまらないのに、食べることが許されない。
そんな空腹の体に、フリルが幾重にも重なった豪華なドレスはあまりにも重かった。
ドレスを汚してはいけない。
食べこぼしせぬよう、食事のたびに神経を尖らせた。
お人形遊びの時間など、当然なかった。
厳しいマナーや王子妃教育、ピアノにバイオリンのレッスン――私の一日は、分刻みのスケジュールで隙間なく埋め尽くされていたのだ。
そんな過酷な日常のなかで、唯一の楽しみは、アービン殿下と過ごすお茶の時間だった。
けれど、そこでも私に許されるお菓子はたったの一切れだけ。
対する殿下は、溜息を吐きながら言った。
『本当は甘いものは苦手なんだが……』
苦笑しながらも、目の前に出されたお菓子をすべて平らげなければならなかった。
ある日のこと。
殿下がクッキーを一枚、私の口元へ差し出してくださった。
『エルザは痩せすぎだ。もっと食べないと体に悪いよ』
驚く私をよそに、殿下は悪戯っぽくクッキーを私の口へと滑り込ませた。
口いっぱいに広がる甘さと香ばしさ。それは、今まで食べた何よりも美味しかった。
……けれど。
その後、私はサラン老侯爵夫人にひどく叱責された。
そして罰として、その日の夕食を抜かれたのだ。
それ以来、殿下がどんなに優しくお菓子を勧めてくださっても、私は二度と口にできなくなった。
『あなたが選ばれた唯一の理由は、子沢山の家系だからです。それ以上でもそれ以下でもありません』
『将来は王太子妃となられるのです。王家に恥をかかせるなど、決して許されませんよ』
冷たい眼差しでそう吐き捨てるのが、サラン老侯爵夫人の口癖だった。




