第九十八話【まだちょっと早かった】
海岸線の調査は三日掛けて行われ、私はその調査結果を纏めて提出する為に議会へと出席した。
あまり良い反応は貰えなかったが、しかし誰もが認めざるを得ないという表情だった。
盗賊団の――私の作る新たな組織の有益さを。
それから数日――設けられていた期限ぎりぎりになって、最終防衛線よりも外――ジャンセンさん達が利用していた砦跡の正式な使用許可が下りた。
それと同時に、かねてよりパールとリリィと共に作っていた運営費用請求案を申請して、私はまたユーゴと共に宮を離れることとなった。
今回の目的は北でも南でもない。
彼と共に最初に解放した地区、ラピエス地区の事後経過観測だ。
「面白くない。フィリア、もう帰ろう。何も無いぞ」
「つ、着いて早々ですね。何も無いのならばそうに越したことは無いのですが……」
この場所は以前に解放して、そしてしっかりと警備兵を立てている。
だから、基本的には何も無いという前提で私もいた。
いたが……それにしても、駄々をこねるのが早過ぎる。
もう少しだけ状況を見てから……
「何も無いってば。そういうのの気配は一切無い」
「気配と言っても、まだ到着したばかりですし……それに、貴方の感覚も捉えられる範囲には限りがあるのですよね。なら、まだ少し行った先には……」
無いったら無い。と、ユーゴは拗ねたようにそう続けて、帰ろう帰ろうと子供のように繰り返す。
そんなにも面白くないのだろうか。
ユーゴのおかげで解放出来た――安全になった地区だ。
もう少し感慨と言うか、達成感のようなものを持ってもいいのに。
「そう言わずに、もう少しだけ付き合ってください」
「貴方のおかげで取り戻せた安全がここにはあるのです。それを不注意や無警戒が理由で失うなど、あってはならないことですから」
「どうせ何も無いって。忘れたのか? ここらを守ってるのは、国の兵士だけじゃないんだぞ」
国の兵士だけではないという言葉に、周りの護衛達は少しだけ首を傾げた。
そういえば、そんな話があった。
ユーゴが言いたいのは、以前にランデルへと押し掛けた魔獣の大群、その原因。
普段はそれらをせき止めている、ジャンセンさんの部下のことだろう。
「なんかあれば言うだろ、アイツは。少なくとも、そこの守りを薄くするなら、絶対に」
「突破されたとなれば、とっくにそこら中で被害が出てるだろうし」
「防御も見張りも十分にされているから、今更見回りをしても何も変わらない……と」
そうだ。と、ユーゴはやっぱり不機嫌そうに頷いた。
もしかしたら、ジャンセンさんを認める発言をしなければならないことが――彼のおかげでここが安全だと認めるのが癪なのだろうか。
なんとまあ……相変わらずの意固地さだ。
「筋は通っていますが、そんな不精はダメですよ」
「彼らのおかげで安全が維持されているのならば、なおさらそれだけに甘えていてはいけません」
「ちぇっ。そのくらいなら、別に俺達が行く必要も無いのに」
それは……それにはあんまり言い返せないから、そういうことは言わないで欲しい。
ユーゴの力は本当に特別で、出来れば最重要事項だけに使って貰いたい。
こんな見回りくらい……と、本人がそう言うように、ただの哨戒に彼を連れ出すのはあまり得策でないことも分かっている。
それでも、やはり彼には自覚を持って貰いたいから。
ウェリズの街がそうだったように、救った人間がいれば、救われた人間もいるのだ。
感謝があるのだから、それをきちんと受け止める権利も義務も彼にはある。
「それとは別に、リージィでプディングを買って帰りましょう。伯爵へもお礼をしなければなりませんし、出来るだけ頻繁に情報交換もしたいところですから」
「……女王がプリン買いに出かけるのってどうなんだ……?」
女王とて買い物はする。
少なくとも、我が国では。
身の回りのことはなんでもやって貰えるなんて時代はとっくに終わっているのだ。
それでも随分楽な暮らしをさせて貰っている自覚はあるが、しかし贈答品くらいは自分で買いに行こう。
伯爵とのやりとりは公にしていない――私的な理由での用事として処理されているのだから。
「ま、フィリアがそう言うなら付き合ってやるけど。なんかあったらマリアノがうるさいしな。それに、パールとリリィにもなんか言われそうだし」
「ありがとうございます」
「大勢の信頼出来る方に守っていただいてはいますが、貴方とマリアノさんのような特別な感性で調査したわけではありませんから」
「万が一を考えて、少しだけ力を貸してください」
ユーゴはやはり不満そうではあったが、しかしもう何も文句は言わなかった。
先ほどまでの態度は、やはりジャンセンさんへの不信――信頼からなるものだったのだろう。
どんなに気に食わなくとも、信頼はしている。
そして同時に、どれだけ大丈夫だと思っていても、気になると言われれば手伝ってくれる。
素直な子だ。
「どうせなら行ったことないとこへ行こう。別に、全部の街に行ったわけじゃないんだろ」
「地区って言うくらいだから、それなりに広そうだし」
「そうですね。少なくとも、ランデルからヨロクへ向かうくらいの距離はあるでしょうか」
「もっとも、あちらほど危険な道も無ければ、泊りがけの調査も必要ありませんから、時間はかかりませんが」
ならもっと遠くへ行こう。と、ユーゴは退屈の中に精一杯の楽しみを探そうと、地図を広げて少しはしゃいでいた。
確かに、ラピエスの中には行ったことの無い場所も多い。
しかし、そういう場所は安全だから行かなかったのであって、つまりは魔獣の脅威の薄い場所だから……
「……そうですね。そうしましょう」
「西へ行けば大きな湖もありますから、今日はそこを目指してみるのはどうですか? ええと……ここですね」
ユーゴの向かい側に座って、そして私は地図の上に指を置く。
ラピエス地区の中ほど――現在位置からしばらく西へ進んだところに、大きな湖がある。
そこはずっと安全で、のんびりと気を休められる場所になるだろう。
そう伝えれば、ユーゴはそれはつまらないと言葉にしながら、しかし嬉しそうに目を輝かせた。
魔獣の脅威は薄い。
彼を連れて行っても仕方が無い。
それは、機械的に考えた場合の話。
この少年の心の成長を思えば、少しくらいの遠回りは必要だろう。
のんびりと休んで英気を養う。
組織の発足が許されたのだから、これからは忙しくなるだろう。
そうなってからでは、呑気にピクニックになど出掛けられる筈も無いのだから。
馬車はしばらく大通りを進み、そしてだんだんと舗装の無い道へと踏み込んで行く。
それでもユーゴが何かに反応する様子は無い。
同時に、魔獣の声も襲われる恐怖も無い。
ラピエス地区は本当に安全になったのだな。
そう確信させてくれるものがそこには満ちていた。
「本当に暇だな。これ、俺が来る意味あったのか?」
「無かったかもしれませんね、こうなってみると。しかし、それは結果でしかありません」
「もしかしたら、危険がいっぱいになっていた……という可能性だってあったのですから」
それはそうだけど。と、ユーゴはまたちょっとだけ退屈そうな顔になっていた。
知らない場所に行くとは言ったが、しかし知らない街で降りて遊ぶわけにもいかない。
安全である以上はそこは素通りで、休憩の時間以外は馬車に揺られるだけ。
これでは退屈もしてしまうというものだ。
「……ふう。こんな時、遊び相手がいるといいのですけどね」
「子供じゃないぞ、俺は。このバカ」
しかし、遊び相手――ギルマンやジェッツといった、以前のヨロク遠征に供してくれた兵士達とは、それなりに打ち解けていたのだ。
あの時は、道中が安全であっても楽しそうにしていた……危険を待ちわびられても困るのだけれど、ともかく魔獣が出なくても退屈はしていなかった。
しかし……
私にはもう兵士を――軍を招集する権利が無い。
全く無いわけではないが、少なくとも誰を連れて行くと指名する権利は無い。
だから、今日ここには彼らの姿は無い。
以前に遠征を共にした誰の姿もここには無いのだ。
「……はあ。仕方が無いことですが……」
特定の戦力を私有されない為に。
議会が考えることは大体そこに行き着くのだろう。
王政ではあるが、しかし独裁であってはならない。
故に、私に――王に与えられる力は一定でなければならない。
そんな考えがまず最初にあってしまうから、どうにも……足を引っ張られてばかりに感じてしまう。
もっとも、それは私が好き勝手に動きたがるからそう感じるというだけなのだろうけれど。
馬車はしばらく進んで、そして約束の湖へと到着した。
だが、出発時点では多少期待していたユーゴも、それまでの退屈で飽きてしまったのだろう。
いざその場に到着してみても、魔獣はどこにもいないだのつまらないだのと、随分渋い顔をしてしまっていた。
その退屈でつまらない安寧をもたらしてくれたのがユーゴなのだから、そこをもう少し大切に思って欲しかったのだが……
今それを言っても、きっと駄々をこねられるだけだろう。
私達はそのままランデルへと引き返した。
途中でリージィに寄って、伯爵への贈り物を買ってから。
そんな呑気が許される平和を、心の中でユーゴに感謝しながら。




